第240話 その目から伸びる何か
「気付いてたけど、時間も遅かったから」
「俺は完全に忘れてたわ」
勇者拉致未遂事件が起きた翌朝、一年一組二十二人とメイド三人衆、シシルノさんは談話室で朝のミーティングをしているところだ。
普段なら朝風呂をキメてからメイドさんたちが現れるまでに日本人だけでやっていることなのだが、今日に限ってはイレギュラーになる。王国側の六人が宿泊していたので、全員揃って風呂と朝食を終え、アヴェステラさんとヒルロッドさんはすぐに離宮を出ていった。
関係者で【睡眠】を持っていないのは、アヴェステラさんとヒルロッドさん、ガラリエさんだけなのだが、そのうち二人がこうもドタバタしていて大丈夫なのだろうか。
「結構遅くまで話し込んでたのか」
「まあね。一番先に寝ちゃったのアヴェステラさんだったし。疲れてたのね」
昨日の夜のことを綿原さんに訊ねてみれば、そんな返事が返ってきた。もちろん女子部屋でどんな話をしていたのかなんて聞かないし、聞いてはいけない。
「アヴェステラさんも【睡眠】が欲しいって言ってたわね。【体力向上】と【疲労回復】は持ってるみたい」
「軍人かよ。五階位だったっけ。迷宮に連れてくのもなあ」
「地上側だものね」
【思術師】のアヴェステラさんは、とことん戦闘には向かない。強いて方向性を見出すならば、俺と同じ指揮官タイプではあるが、目の良さより頭の回転で勝負するタイプになる。
それにしても【体力向上】と【疲労回復】を持っているというのは初耳だし、そんな人が身近にいるとは知らなかった。
「だけどアヴェステラさんらしいわね」
「たしかに」
迷宮にこそ入らないが、アヴェステラさんが地上でどれだけ頑張ってくれているか、昨日から本格的に書類仕事をするようになって思い知った。かなり本気で。
それこそ
アヴェステラさんは今も昨日の事件に始末をつけるために頑張ってくれているはずだ。俺たちの最強文官さんに対する尊敬を深めよう。
「それはいいのだけど、今は【目測】でしょ?」
「そうだった」
綿原さんがサメをフヨフヨさせながら話題を冒頭に戻してくれた。
そうなのだ。昨日の戦闘中に意を決して、なにかこうイイ感じで覚醒してくれないかと取得した【目測】だが、使うどころか試すことすら忘れていたまま翌日まで引っ張ったとか、俺はどこまで間抜けていたのだか。
アヴェステラさんの話をして誤魔化そうとしてみたが、綿原さんはそこまで甘くない。
「みんな、
これからやることや話し合うことがたくさんあるのだが、その前にとちょっとした雑談中だった談話室に綿原さんの声が響いた。
がっつり背中を押してきたな。これで【目測】がヘボスキルだったら追放案件だろうか。などと気軽にネタを考えるくらいには俺はコイツらを信頼している。
でもだからといって、手を叩いてまでみんなの注目を集めるのはどうなんだろう。なあ、綿原さん。すでに退路は塞がれた。
「
「ミア、止めてやれ」
ミアがアホなことを言って、
「じゃ、じゃあやるぞ」
これ以上引っ張ったところでからかいが増えるだけだ。緊張感と娯楽の混じった視線を感じて、とくにシシルノさんから邪悪な目を向けられながら、俺は【目測】を起動した。
「なんだこれ」
思わず間抜けな声が出てしまった。
俺は【目測】しか使っていない。【視覚強化】の時のように【観察】と被せて気持ち悪くなったのを憶えているからだ。まずは素の【目測】を味わおうという算段だな。素材の味がどうのこうのとか、グルメな気分というヤツだ。
問題なのは、なにも起きなかったということだ。まさか【痛覚軽減】みたいな対応型の技能なのか?
「あ、いや」
そんな疑念は視線を動かすまでだった。
距離の差がわかる。
視界の中心が捉えているモノまで、どれくらい離れているのかが視線を移動することで把握できたのだ。そう自覚すれば、視線を止めたままでも伝わってきた。
だけどそれは数字ではなく、感覚としてでしかない。どうしよう、これ。
「えっと、距離がわかる。ただその、感覚的に?」
俺の言葉に何人かが首を傾げるが、こちらとしてはこう表現するしかない。
ただまあ、取得する前の光の粒の大きさからして、とんでもない技能ではないと予想はしていたし、いろいろと性能を妄想していたお陰で、こんなパターンも想定の内だった。
ただそれを、人に伝えるのが難しい。
「それって人同士の関係性がわかるとか、かしら」
「そういう距離感じゃないよ。目に見えるモノだけ」
「そ。ならいいのだけど」
微妙に引き気味な綿原さんが震える声で確認してきたが、そんな読心能力的な技能ではない。むしろそんなスキルだった大勝利の雄たけびを上げていただろう。
だからさ、本体とメガネだけでなくサメまで遠巻きにしなくてもいいから。
「そうだな。たとえば」
どうやって説明しようかと考えながら、右に座る綿原さんを見てから、左の古韮に視線を向ける。
「綿原さんの方が、三センチくらい近いかな」
一歩後ずさった綿原さんと比較して、古韮も似たように引いていたらしい。寂しいじゃないか。
それでも綿原さんの方が微妙に近くに踏みとどまってくれていたのが、同時に嬉しい。
そう言ってからもう一度綿原さんに向き直れば、彼女は頬を赤くしてさっきより十五センチくらい遠ざかっていた。寒い。
「数値化できてないってことかよ」
皮肉っぽい言い方をしてきたのはお坊ちゃん系の
「ああ。なんとなくはわかるけど、比較しながらっていうのが一番わかりやすいかな」
「定規でも持ちながら戦うってか」
嫌味な言い方をする田村だが、それはそれでアイデアとしてはアリだと思う。さすがだな。
たとえば一メートルくらいの棒を持って、それと比較しながら……、って回りくどいな。だけど思考の切っ掛けにはなる。
ちなみにこの国にも長さや重さの単位系は存在しているが、それについてはあまり気にしていない。精々大雑把な換算表を作って、みんなで憶えているくらいだ。
「相変わらず君たちは数字にこだわるね」
笑顔のシシルノさんが興味深げに会話に混じってきた。
「じゃないと比較ができませんから。何から何まで」
「それはそうだが、思考の根底に沁みついているのがわかるから面白いのさ。まったく聞いたことのない効果の技能なのに、最初に出てくるのが数字だからね」
俺の返事を聞いたシシルノさんは【目測】という未知の技能より、むしろ俺たちの思考の方を楽しんでいるようだ。ニンジャな
シシルノさん転生者疑惑は深まるばかりだな。
「じゃあ【観察】も被せるぞ」
ちょっと勇気が必要だったが、【観察】はまごうことなく俺のメインスキルだ。併用できなければ意味がない。
「なるほど、こうなるのか」
【観察】で詳細化された視界の中で【目測】は自在になった。さっきまでは視界の中心に存在するモノまでの距離だったのが、目に入ったモノ全てに適用されている。
ただし同時に全部ではない、あくまで対象は瞬間ごとにひとつ。イメージとしては直径一センチくらいの棒を伸ばした感じだろうか。【観察】を併用していれば、視線を動かさなくてもどこでも突っつくことができている。
「目から出たビームで距離がわかるって表現でいいかな。視界の中なら自由自在」
「ビームというよりレーザーだろ。それともソナーか」
いや、俺はネタで言っているんだから、
「それは八津が起点じゃなきゃダメってことかい?」
「えっと。ああ、ダメだな。あくまで俺からどれくらい離れているか、だけ。それとやっぱり視界が通る範囲、つまり遮蔽物があったらダメだ。ごめん」
同じように、向かい側に座っている委員長と木刀ガールな
「いや、気にしないでいいよ。ちょっと思いつくだけでも有効だと思うし」
「どんな?」
我ながら微妙だなと思っていたのだ、委員長にネタがあるというのなら是非とも聞きたい。
「遠くから接近してくる魔獣がいたとして、【目測】を使えば何秒後に接触するかとか、計算できそうじゃないか」
「なるほど。で、その計算てどういう風に?」
「僕の腕時計を貸そうか?」
たしかに魔獣は常に最高速度で突撃してくる。つまり彼我の距離がわかれば、どれくらいでブチ当たるかは計算できる。理屈はわかるが、それを俺が瞬時に計算できると?
腕時計を外してみせた委員長はどこまで本気でどこから冗談なのやらだ。
「僕のは一例だよ。ほかのみんなも思い付きでいいから八津に協力すること。いいよね?」
「はーい!」
まったくもって頼もしい委員長だった。
「ん、戻ってきたみたい。二人とも」
そんなタイミングで【気配察知】を使っていた草間が誰かの来訪を告げた。二人ということはアヴェステラさんとヒルロッドさんだろう。
三秒もしないうちにノックの音が響き、書類を抱えた二人が入室してきた。
窓際から俺たちの様子を伺っていた
◇◇◇
「クサマさんが五人くらいいてくれれば助かるのですが」
「えへへ」
アヴェステラさんからの微妙な賞賛に照れる草間だが、ニンジャなら分身くらいしてみせればいい。忍者戦隊が作れそうだな。ああ、日本の日曜の朝が懐かしい。
昨日に引き続き午前中を書類書きに充てていた俺たちだが、アヴェステラさんからは昨日の事件のその後が語られている。
書類チェックをしながら全然べつのコトを口にするアヴェステラさんは【集中力向上】と【思考強化】を使っているはずだ。いいなあ、俺も【思考強化】を先にしておけばよかったかも。
昨日ムリして【目測】を取ってしまったから、つぎの技能は九階位までお預け状態だ。俺はまだ七階位なのだけど。
「余計なコト考えてるでしょ」
目の前をサメが横切り、さらに横から綿原さんの声が聞こえてきた。観察力がありすぎるだろ。
「ごめんごめん。明日のルートはだいたいこんなもんでいいと思う」
「ん」
日常業務に関する書類は迷宮委員の管轄外だ。俺と綿原さんは明日からの迷宮泊の方がメイン。
そう、俺たちが『緑山』になってから初になる迷宮は予定通り決行されることになった。
アヴェステラさんたちが談話室に入ってくるなり、最初の話題がそれだったわけで、それくらい勇者のブランドイメージが大事にされているということだ。王女様からのっていうのが引っかかるけど。
さて、草間がたくさんいると便利というのは事実だが、アヴェステラさんがなんでそんなコトを言い出したかの経緯だ。
まず昨日の事件で実行犯になったハシュテル一党の処遇だが、昨日の今日で結論が出るわけもなく、十二人全員が拘禁状態になっているらしい。口裏合わせとかをされないようにバラバラで。
ついでに昨日の夜から、直接の犯人ではないが別行動になっていたハシュテル隊の残りにも事情聴取が行われて、聞いていないとか誘われたけど断った、なんていう証言が得られているようだ。やっぱり計画的だったのかよ。
一年一組的に『灰羽』のケスリャー団長はどうしても信用できないが、この件に関してはハシュテルを切り落とす気がマンマンのようで、やたら王家に協力的なんだとか。
続いてハシュテルの兄に当たる本家本元ハシュテル男爵家の当主は、昨日の夜のうちに王家からの、というか第三王女から呼び出しを食らったらしい。
当然裏取りはされるだろうし、たとえ帝国とは無関係で弟が踊らされていただけでも、この国の制度では連座、御家取りつぶしまでありえる。もちろん俺たちがそんなコトまで心配するわけもないし、口利きするなどハナからあり得ない。放置だ、放置。
肝心のレギサー隊長だが、関係者が状況証拠で疑っているだけで、推定無罪の状態だ。
拘束なんていうのはもってのほかだし、しばらくは泳がせる方向になる。実家に当たるレギサー伯爵家こそが怪しいという見方もあって、そこの調査のために『草間が大量発生』しないかな、という話になったわけだ。メガネ忍者軍団待望論である。
◇◇◇
「ふう」
「どう?」
「んっと、たぶん百メートルくらいかな」
「迷宮なら十分な距離ね」
書類と格闘している先生たちを背に、俺と綿原さんは『迷宮のしおり』作りをひと段落させて、今は窓からアラウド湖を見ているところだ。
やっているのは【目測】の性能調査。
【観察】に【目測】を被せることで、視野全域の距離を測ることができるようになった。ならば【視野拡大】だったらどうかと試してみれば、そちらは予想どおり広くなった視界全部で距離が見える。
【視覚強化】は【観察】のバフのようなものなので、より詳細に【目測】ができて、そして今試しているのは【遠視】との組み合わせというわけだ。
こちらも予定通り、やっぱり【目測】の有効射程距離が伸びたのがわかる。
【目測】はアニソン使いの
多くの部屋が連なる構造の迷宮であっても、百メートルクラスの大きさになる部屋などそうそうない。
地上で遠くにいる敵を偵察する、なんていう展開でもない限り、俺の【目測】は視界内全てをカバーできそうな性能を持つことになるのだ。やったぜ。
ただし視覚系技能を全部乗せすると魔力はガリガリ削れるわ、慣れていないせいで目がチカチカするわで、こればっかりは熟練を上げるしかないのが悔しいところか。
「あとは戦闘で役に立つかどうか、かな」
「そう? マッピングの段階で、とっくに有効な気がするけれど」
「地図の再確認かあ。大変そうだ」
「ちゃんと手伝ってあげるから、ね?」
【目測】の効果を知ったシシルノさんが提案してきたのが、迷宮地図の検証だ。
迷宮の構造上、サイズが間違っていたら接続できないような箇所や、重要区画だからとロープを使って正確性を持たせてある区画も多いのだが、端っこの方はアバウトな部分もあるらしい。
とくに三層あたりからは魔獣と戦いながら測量なんてやっていられるかと、そういう事情もあって、適当なまま放置されている箇所も多いそうなのだ。
『未発見の空白が見つかるかもしれないだろう?』
最初は面倒だなあと思っていたのだが、シシルノさんのその一言で一年一組の一部に火がついた。ゲーム好きな連中が特に。
実際に作業をするのは俺なんだが。
「午後の訓練でもいろいろ試しましょ」
「ネタがあるといいんだけど」
「サメを伸ばしてみせてもいいわよ?」
それはまた測りがいのありそうな話だ。
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