第370話 勇者を超える可能性を持つ者
「みんなにはナイショよ、
「えぇ?」
サメを遊ばせながらイタズラっぽく笑う
「なんて冗談」
だよな。二人の秘密も悪くはないけれど、コトは戦力に関わる内容だ、共有は当たり前だろう。
とはいえ秘密にしたがっていた内容がサメ関連というのは、実に綿原さんらしいとも思ってしまうのだけどな。
「それに、どうせ聞こえてたんでしょ、
「な、何のことかしら」
そろそろ決着が着きそうな
これはアレだ。【聴覚強化】を使ってこっちを探っていたんだな。
「そんな凛には攻撃ね。えいっ」
「ちょっと
お気楽な声と共に綿原さんの放ったサメが中宮さんに襲い掛かる。武術家の中宮さんなら颯爽と避けるなり木刀で滅殺できるはずなのに、なぜかその身にサメの侵入を許しているようだ。
中宮さんなりに綿原さんの遊びに付き合ったといったところか。
「ほら、がぶーって……。前衛職が相手だと噛み付く前に術が解けちゃうわけね。遠慮してよ、凛」
「自然としているだけなんだから、仕方ないでしょう」
噛み付く直前に霧散してしまったサメを見て、綿原さんは不満を中宮さんにぶつけている。
なるほど前衛職が相手だと外魔力が強いから、俺みたいに直接触れるところまでは持っていけないのか。おちゃらけた遊びではあるものの、これもまた立派な検証だ。
「これはもう、使い続けて熟練を上げるしかないわね。いったん【魔術強化】を外して【魔力付与】メインにしようかしら」
ブツブツと検証モードに入った綿原さんだけど、相変わらずサメは浮かんだままで、そういう根性が彼女の術を育てたというのがよくわかる光景だよな。
さっきからシシルノさんがこっちをガン見してるのには気付いているんだけど、そっちは放っておこう。
◇◇◇
「一体じゃ足りなかったねえ」
「仕方ないよ。つぎがあるから大丈夫。弱らせるのはハルにお任せだよ」
「
前方を行く笹見さんと春さんの会話が聞こえてくる。
戦いに慣れた感じを匂わせる陸上女子な春さんの発言に、大柄でアネゴな笹見さんがちょいと引いている印象かな。それと夏樹よ、引き合いにだされているぞ。
いくつもの修羅場を潜り抜けてきた俺たちは、さすがに戦闘そのものへの忌避感を持つことが少なくなってきたと思う。
この話題について一年一組で話し合ったことは何度もあるけれど、こういうのは感覚だからなあ。口では大丈夫だって、みんなは言うし。
そんなクラスメイトたちの様子からすると、現状で一番多いのは割り切ったタイプになるだろう。
元々武術の心得があった
割り切りというか、戦わざるを得ないと開き直った連中は
そして前衛であれば、
こうして考えると、前衛系のメンバーはいつも至近距離で魔獣と戦っているせいか、それとも元からの気質なのか、ビビるという感情を表に出すことはほとんどなくなった。
彼らが開き直った最初の機会は明らかで、それこそが俺が二層に落っこちた事件が切っ掛けだ。あの時はもう、クラスのみんなが必死になって魔獣に立ち向かったせいで、敵にも命が、なんていう今になれば無意味なコトを考える暇もなかったからな。
そこから続く鮭氾濫、ハウーズ救出あたりでは、もはや魔獣とは倒すべき存在として諦めがついていたのだと思う。
というわけで、クラスの前衛メンバーは魔獣と対峙することを忌避したり恐れたりはしていない。だからといって好んでヒャッハーなコトを考えているヤツはいないと、俺は確信している。
この手の物語にありがちな、アッチ側に行ってしまいそうな仲間はひとりもいないし、今後もそんな心配は無用だろう。
だって誰かがそうなりかけたら、先生が黙っていないだろうからな。
先生だけじゃない。中宮さんや
話は戻って、では後衛はどうなのかと言われると、意外とバラけているというのが印象だ。
もちろん全員がそれなりに折り合いを付けているし、震えているだけの状況はとっくに克服している。
それでも精神的な思い切りに欠けるメンバーがいるのも事実だ。
まさに前の方で春さんと会話をしている笹見さんなどは、見た目とのギャップという意味で筆頭格だろう。
何とか勇気を振り絞ってという視点ならば
後衛組で明らかに吹っ切れたように思えるのは石使いの夏樹くらいか。
つい先日までビビる側だったアルビノ美少女な
今になって思うと、アレは七階位レースをしていた辺りだったか。深山さんと夏樹が死んだ目をしてウサギに短剣を突き刺していた頃だ。
あれをきっかけにして深山さんは【鋭刃】から【冷徹】を生やし、そして夏樹はどこか吹っ切れていたような。
ヒーラー組では最初からなにかを超越している上杉さんの内心も、実に見えにくいタイプだ。
皮肉屋の
ならば綿原さんはといえば、たぶんかなり強がっているんじゃないだろうか。
スプラッタ耐性が高い綿原さんだけど、魔獣を倒す行為自体がそれほど得意には見えないんだよな。やらなければいけないことだから、という印象を受ける。
彼女のあの豪快な掛け声こそまさに、自分自身を励ますためにやっているように思えるのだ。
ならば俺はと考えてみると、戦いで躊躇したりしてみんなの足を引っ張りたくないから必死になっている、ってところか。
さっきちらりと思ったけれど、田村も多分そうなんだという気がする。要は意地っ張りなんだよ。
思わぬところでの親近感だな。
こうして振り返りみたいなコトを考えると、変なフラグになりそうだからアレだけど、前を行く仲間たちそれぞれが、ゼロや一ではなくまだら模様に揺れる感覚で戦っているんだろう。
その時の気分や体調、周囲のムードなんかも含めてだ。
これが対人戦となるとまた違ってくるのだけど、そちらはあまり考えたくない。
それでもハシュテルの襲撃や、勇者拉致でのヴァフター、そしてなにより総長たちとの死闘で、どこか一線を越えた感覚はある。決して殺意や害意などではなく、戦いそのものへの姿勢みたいなものが。
それの筆頭が夏樹と春さんあたりなんだけど、あの双子が狂気を宿すところはちょっと想像できない。つまりは心配していないということだ。
「──八津くん」
「聞こえてるよ。それにちゃんと見てる」
「そっちは疑ってないけれど、考え事もそこそこにね」
斜め前方から聞こえた綿原さんの声に、俺の思考の中心が引きずり戻される。
もちろん目も耳も迷宮に使っていたから、なにかがおろそかになっていわけではないが、なんで綿原さんにはバレるのかなあ。
しかも隣を歩いていたわけじゃなくって、彼女はこっちを見ていたわけでもないのに。やっぱりサメか。こっちを見つめている白いサメなのかっ。
「普通にだんまりだったからだと思うよ? ボクにもわかってたし」
「……わたしも」
「奉谷さん、白石さん……」
俺と綿原さんのあいだになにかパスでも通っているのかという感覚に感動と怯えを感じていたのだけど、どうやら俺が耽っていたのはバレバレだったらしい。
これでも【思考強化】使っていたから、短時間の沈黙だったはずなのだけど。
「けど、見てないでもわかるって、やっぱり
「
「きゃー、凪ちゃんが怖いー!」
綿原さんをからかった奉谷さんが、一気にサメに集られた。
小柄な奉谷さんが三十センチくらいのサメ三匹に襲われている姿は……、面白いな。
しっかりと【魔力付与】を掛けているのか、綿原さんのサメはしっかりと奉谷さんを甘噛みすることができている。
崩れたサメを一度手元に戻して頭を撫でるようにして【魔力付与】をしている光景が、実に綿原さんらしくて微笑ましいな。
「なあ、綿原さん」
「なに?」
こちらに振り向いて奉谷さんと遊んでいる綿原さんに、俺は微妙な違和感を覚えていたのだ。
今の展開、妙にワザとらしくなかったか? それに彼女がここまで直接的にサメを使うなんて、あんまりしてこなかったような。
「こういうの狙ってた? 誰かにサメを食いつかせる展開。中宮さんもそうだったし」
「どうかしら」
サメに食いつかれてきゃいきゃいとはしゃいでいる奉谷さんから軽く視線を外した綿原さんの頬は、ちょっとだけ赤くなっていた。
そうか、綿原さんはパワーアップしたサメで遊びたくて仕方ないんだ。
◇◇◇
「十階位です。わたくしが……、十階位に」
奉谷さんがサメに襲われるという事件発生から三十分ほど経ったのち、ついに、ついについにアヴェステラさんが十階位を達成した。
少し震えた声になったアヴェステラさんは、なぜか短剣に突き刺したジャガイモを目の前に掲げているわけだが、そのポーズの意味するところはなんなのか。喝采を送っている周りもちょっと反応に困っているぞ。ツッコムべきかどうするか。
それとそれは王家の宝剣なので、そういう扱い方はいかがなものだろう。
「おめでとう、アヴェステラ。ついにですね」
「感謝します。陛下」
まあそんなグダった状況でも素直に拍手を送ってしまうのが女王様の懐なので、あまり心配はしていなかったのだけどな。
「あ、それ貸して、それ貸して、アヴェステラさん」
鍋で煮込まれているジャガイモを自分の短剣で刺すのに苦戦していた奉谷さんが、欠片も悪びれたところのない表情と声色で宝剣を求める。無敵だなあ。
「はい、どうぞ、ホウタニさん」
「ありがとー!」
チラリと女王様を見て確認を取ったアヴェステラさんは、素早く宝剣からジャガイモを引き抜いて、奉谷さんに手渡した。
さすがに十階位クラスになると、この手の動作も手早いものだと、妙なところで感心させられる。
受け取るや否や、素早くジャガイモに突き立てている奉谷さんも大概だけどな。
さっきみんなの魔獣への向き合い方について黙考していた俺はなんなんだろう。あ、いや、奉谷さんと白石さんは相手が野菜とか魚系なら平気な人だったか。
ちなみにだけど道中で牛二体とブチ当たったお陰で、【熱導師】の笹見さんは十一階位を達成している。
後衛系にも十一階位が増えてきて、ハトの急襲とかにも全体で当たった方が効率が良くなりそうな展開には、指揮担当の俺としてもホクホクだ。
笹見さんが取った技能は【視覚強化】。拉致された時に急遽【魔術拡大】と【多術化】を取得した彼女だが、今回は落ち着いて選択する余地があったのは喜ばしい。
水球使いと【視覚強化】は相性がいいだろうし、視覚系は普通の戦闘時にも魔術と関係なく役立つからな。
【身体強化】と【身体操作】で動ける術師な笹見さんには大切な技能になるはずだ。
「そういえばアヴェステラさんは技能、どうするんです?」
和やかなムードの中、十階位になったアヴェステラさんにそんな質問をぶつけたのは石を浮かべて変なポーズを繰り返している夏樹だった。
ヤツは【身体操作】を取ってからというもの、時々こうして妙な格好をすることがある。なんでも体幹を鍛えているそうなのだけど、姉の春さんからはバッサリ否定されているんだけどなあ、それ。
「わたくしは……」
貯めるアヴェステラさんに、一部の視線が集中する。
さっき九階位になった時には【聴覚強化】を取得して、斥候というか、むしろスパイっぽい方向に走ったアヴェステラさんだが、十階位ではどうする気なんだろう。
技能についてみんなで話し合うことが多々ある一年一組ではあるが、さすがにアウローニヤ組にまでは口出しをしない。
聞かれれば参考意見くらいは出すけれど、所詮はその程度だ。
「【平静】を取得しました。さらに一歩、勇者のみなさんに近づけましたね」
一部の人間に喧嘩を売りつけるようなアヴェステラさんのセリフが広間に響いた。
あ、シシルノさんとベスティさんの表情が険しくなっている。アーケラさんも肩がピクリと動いたし、女王様までもが綺麗な青い目を細くしておられる。ヒルロッドさんは……、目を逸らしたか。
さっき【睡眠】を取って勇者の仲間入りと鼻高々だった女王様がいる前で、【平静】を取ったと言ってのけたアヴェステラさんは澄ましたものだ。
時々アヴェステラさんと女王様との関係性が見えなくなるなあ。仲が悪いってことはないんだろうけど。上司と部下とで謎のマウント合戦が流行っているんだろうか。
さて、技能についてだが『勇者三点セット』というものがある。アウローニヤ側の人たちが勝手に言い出したので、セットという単語は不適切かもしれないが、一年一組的にはそう訳した方がわかりやすいので、そうさせてもらおう。
すなわち【睡眠】【平静】【痛覚軽減】。
どれもこれもが近衛騎士のあいだでは非推奨だし、貴族的にも褒められたものではない技能だ。前線に立ったことがある古参兵とかにはどれかを持っている人もそれなりにいるだろうが、戦争をしていない王都軍を含めて王城でこれを揃えている人は、まずいない。
いたとしても多分隠しているはずだ。揶揄される対象にしかならないからな。
けれども一年一組は全員がソレらを揃えてしまっている。日本からやってきた俺たちからしてみれば、本当に必須技能なんだよ。さっきの話じゃないけれど、【平静】が無かったら魔獣とのバトルなんて想像もできなかっただろう。
ここでミソになるのが【体力向上】なんかは対象外であることだ。普通に多くの人が取得しているので、わざわざ勇者推奨なんて謳う必要がないからな。
さておき、この場にいるアウローニヤ人たちが誰一人として持っていない技能を、アヴェステラさんが抜け駆けのように取得したというのが現状だ。
なんかぐぬぬっていう擬音があちこちから聞こえてきたような。
「たしか【睡眠】と【平静】を揃えて熟練を上げれば、【安眠】が出るのでしたよね。今から楽しみです」
「なっ、ず、ズルいんじゃないかな、それは。アヴィ」
「あら、シシィも取ればいいじゃないですか」
追撃を仕掛けるアヴェステラさんに、とても珍しいことに素で取り乱したシシルノさんがツッコミ、というか苦情を入れた。さすがは学院の同期生。仲のよろしいことで。
そういえばあったなあ、【安眠】なんてネタ。
「アヴェステラさん」
「ワタハラさん?」
妙なテンションになっているアヴェステラさんに、突如綿原さんがサメを近づけさせながら語り掛けた。
絶対面白いコトを言うぞ。俺は知っているんだ、こういう時の綿原さんの切れ味を。
「【安眠】を取れば、それはもう『勇者を超えた者』ですよ。わたしたちの誰一人、取れていないんですから」
壮大な詭弁ではあるが、綿原さんの言っていることは間違っていない。
取ろうと思えばいつでも取れる【安眠】ではあるが、ほかに取得すべき技能が多すぎて、クラスの誰もが手を出せないでいるのは事実なのだから。
「それは、その」
「頑張って十一階位になってくださいね」
ちょっと後ずさったアヴェステラさんに、綿原さんが追い打ちをかける。
要は綿原さん、アヴェステラさんに迷宮を強要しているようなものなのだ。
べつに階位を上げなくても【安眠】を取ることは可能だが、アウローニヤの人たちは魔力量的にカツカツだ。幸い【睡眠】や【平静】は軽い技能なので、こうしてネタみたいに取得できているだけで。
「たしかにワタハラくんの言うとおりだね。アヴィ、一緒に勇者を超えてみようじゃないか」
「シシィ?」
「そうですね。わたくしもシシルノに賛成ですよ、アヴェステラ」
「へ、陛下」
左肩をシシルノさんに、右肩を女王様にホールドされたアヴェステラさんがキョドっているが、かなり自業自得だと思うぞ。
煽っていいかどうか、相手は選ばないとな。
「わたくしは今日だけでなく、これからも迷宮に入り続けるつもりです。わたくしとしてはアヴェステラが一緒であると心強いのですが」
「もちろんわたしも同行させていただきますよ、陛下」
ニッコリと微笑みアヴェステラさんを詰めていく女王様に、シシルノさんが同調する。
アウローニヤにとって、とても危険なコンビの結束が高まった予感だ。
女王様が離宮に襲来するまではシシルノさんとはほとんど接点無かったらしいけど、絶対仲良しになるぞ、あの二人。
シシルノさんの言動に慣れているアヴェステラさんはそれほど気にしないかもしれないけれど、ミルーマさんがどう出るかが怖いな。
「まあまあ、今日のうちに階位を上げる機会だってあるかもしれない。前向きに考えるんだよ、アヴィ」
「たとえ階位が上がったとしても、次回の迷宮は決まりですけれどね」
無言で肩を落とすアヴェステラさんを見ていたら、視界の端で綿原さんと目が合った。
サメをフヨフヨさせながら肩を竦めた彼女は、してやったりとばかりにモチャっと笑うのだ。
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