第243話 好き:【疾弓士】ミア・カッシュナー




「元気出しなよ、ミア」


「ワタシは元気デスよ?」


 女子部屋の端の方にある自分のベッドに腰かけて向こう側で大騒ぎをしているなぎたちを見ていたら、玲子れいこが横に座ってきた。

 百六十二のワタシより十センチくらい背の高い玲子が横に座ると、どうしたってこちらから見上げる形になってしまう。そんな玲子はいつもの口調で、だけどいつもより優しげな感じでこっちを見ている。どうしたのかな。


笹見ささみさん、ミアさんはあまり自覚していない気がします」


「なんだい、そりゃ。……まあ、そうか、ミアだもねぇ」


 ギシっとベッドが音を立てたと思えば、ワタシを挟んだ反対側に美野里みのりが座って、いつもの微笑みを浮かべていた。

 二人してワタシを挟んで勝手に話を進めないでほしい。なんか失礼な感じだし。


「ワタシって元気なく見えマシたか?」


「どうでしょう」


「うーん、なんとなくだね」


 首を傾げる美野里と、腕を組んで頷く玲子。聖女とアネゴなんて呼ばれている、ウチのクラスのお母さん役をしている二人は、どうやらワタシの様子が変だと思っているみたいだ。そんなことはないのに。

 むしろ、いつもより胸がドキドキしていて、だからさっき凪に変なイジワルを言ってしまったくらい。じれったい広志こうしと凪の二人を見ていたら、どうしても。


 あの時、ワタシはなんで顔を伏せてしまったのかな。



 これまで、それこそさっきの出来事があるまで、ワタシも凪をイジって遊ぶ側だった。

 二人ともお互いにバレバレなクセに変に回りくどいのが見ていて面白くて、とくにあの凪があんな風になるなんて想像もできなかったから。


 だけどなぜか今日だけは違ってしまって、なにか風船が割れたように変なチャチャを入れてしまった。計画していたわけでも温めていたわけでもない。自覚なんてまったくなかったなにかが一気に膨れ上がってしまったみたいに。本当に自分でも自分が不思議でならない。


 だからちょっと気まずくなって、あちらでサメと一緒になってバタバタしている凪を遠巻きにしてしまっていた。これも無意識だったということに、玲子と美野里がやってきて初めて気が付いたくらい。

 ワタシはどうしちゃったんだろう。


 凪と広志がバディを組むなんて、最高に素敵なコトだって今でも心からそう思っているのにな。



「ふわー」


 パタンとベッドに倒れ込んで伸びをする。自分が自分でないようなフワフワとした気持ちだ。


「わたしお店でこういう感じの人を見たことがあります」


「アタシもだねえ。なんだっけ、傷心旅行?」


「わたしは持ったことがない感情なのでなんとも」


「そりゃ、アタシもだ」


「二人ともなに言ってるんデス?」


 美野里と玲子がワタシを見ながらわかったようなコトを言っているけど、意味がわからない。ワタシのなにがわかるっていうんだろう。

 ワタシを挟んだ二人が顔を見合わせて、なんとも変な表情になっている。美野里は大した変わらない方だけど、ちょっとだけ眉が下がったような。



「ミアはさ、八津やづのこと、どう思ってるんだい?」


「んー、いいヤツデス」


「だなあ。まあいいヤツだとは、あたしも思うよ」


 今の玲子はいつもと違って、妙に回りくどい。

 それと広志がいいヤツだって言われたら、なんかちょっと嬉しくなった。


「ミアさんは八津くんのことを好きですか?」


「もちろん好きデス」


 今度は美野里が真っすぐこっちを見て聞いてくる。

 答えは簡単だ。っていうか、広志が嫌いだなんてクラスメイトはいないと思うんだけど。



 ◇◇◇



 入学式のあと、クラスメイトの自己紹介で広志が挨拶した時、ワタシは彼のことを憶えていなかった。小学二年で転校していったらしいけど、ちょっと惜しい。小三くらいまでいてくれたらもっと遊んで、憶えてられたと思うのに。

 それくらいな普通の男子、というのがワタシの持った広志への印象だ。ゆずる孝則たかのりあおいと仲が良くなりそうだったし、ワタシもそのうち混ざろうかなって狙っていたくらいかな。


 そんな矢先に一年一組はアウローニヤに飛ばされて、意味がわからないコトになった。広志なんかは【観察者】なんていう神授職になって頭を抱えていたっけ。凪は【鮫術師】とかで、むしろ嬉しそうにしてたけど、そういうところはやっぱり肝が据わっている。


 それからみんなで話し合って、魔獣を倒す練習をして、泣いたり吐いたりした。そこでも広志は意見はするけど、それほど目立ったことはしていなかったと思う。班長にはなってたけど、どうやら前の方で戦えないタイプらしかったから、ワタシが前に出て頑張るんだって決めていた。

 クラスメイトなんだから助け合って当たり前。


 それが一変したのは、ワタシと美野里、凪、そして広志の四人が二層に落ちた時。



 ワタシは昔、遭難騒ぎを起こしたことがある。


 この世界に来てからはみんなが気を使って、からかいネタには使わなくしてくれているけれど、あれは小学三年生の頃の出来事だ。

 昔から走ったり跳んだり体を動かすのが好きだから、学校帰りは毎日どこかを探検していた。そういうのが好きなはるや、そんな姉に引きずられてきた夏樹なつきも一緒だったり、鳴子めいこ佐和さわも、たまにはなぎりんなんかも参加していたと思う。


 その日はたまたまひとりだった。

 気まぐれで近くの山道を登って、キツネを見かけたから後を追いかけた。今思えば当たり前だけど、そんなことをしていれば迷うのも当然だ。当時はその手の知識も足りなかったし。


 気が付けば日は傾いていた。周りは木ばかりで暗くなるのも早い。思い返せば夏場だったのが幸いだったのだけど、それに気付けたのも大分あとになってからだった。


 結局日が暮れてから二時間もしないうちにワタシ見つけてもらえたのだけど、街では結構な騒ぎになっていたらしい。

 遠くで光がユラユラ揺れて、最初はそれがお化けかなにかと思ったけれど、パパたちの声が混じれば懐中電灯の灯りだということに気が付いた。一番最初にワタシを見つけてくれたのは、お巡りさんをしている春と夏樹のパパさんだった。二人からミアがいるならこの山かもしれないって聞いたらしい。

 すぐにパパも現れて、ワタシのことを抱きしめてくれたのを憶えている。そのあと家に戻ってからすっごく怒られたのも。



 それからだ。パパとママは休日になるとワタシに山の歩き方やキャンプの仕方を教えるようになってくれた。

 凛の道場にお邪魔して、弓道を習うようになったのもあの事件があったからだ。当時のワタシは森で熊に出会ったら弓で倒す気満々だった。


 そうしてワタシはサバイバル技術を身につけ、二年前にはパパとママの故郷、オンタリオでハンティングまで経験することになった。ワタシが鉄砲を持ったわけじゃないけど。


 やんちゃなワタシを朝顔あさがおなんかは女子力が足りないというけれど、その前に生きる力が大事だと思う。最近は朝顔だってムチを振り回して暴れているんだし。



 生きる力と社会で生きていく力。自然とそれを与えてくれていたのはパパとママだ。

 ワタシの両親は家では英語とフランス語を混ぜて会話をする。外ではもちろん日本語。生まれた時からそうだったものだから、ワタシは自然とトライリンガルになっていた。

 パパ曰く、ワタシはとっくに通訳としてやっていけるレベルらしい。


 将来についても好きにしていいと言われて育った。高校までは通って、やりたいことを見つけられたら大学でも専門学校でも、なんならママの店の手伝いでも構わない、と。

 パパは帯広の大学で先生をやっていて、ママは地元で小さなチーズ屋さんを開いているのだけど、ワタシは二人の正体はエージェントだと思っている。なんのエージェントかは知らないけれど、なんかソレっぽいから。


 そんなパパとママからは将来について考えるなら、学校の友達と仲良くして、みんながどういう風に先や仕事を見ているのか、それを知りなさいと諭された。ワタシと同じ世代の子たちは、珍しいくらいいろんな家の事情があるとかないとか。それを理解できるようになったのは中学になったくらいだったかな。



 そんなワタシが二層に落ちて役に立ったのだから、やっぱりパパは正しかったと思う。

 だけど同じくらいに美野里も凪も頑張った。ドキドキしていたワタシと違って美野里は落ち着いていたし、凪の気迫も凄かった。さすがは凪、やっぱりワタシのライバルなだけはあると思ったものだ。運動会限定だけど。


 それよりなにより凄くて頑張ったのが広志だ。


 あとになって女子部屋で話したことがあるけど、あの時たとえば美野里が委員長でも、凪が凛でも、ワタシが春でも生きて帰れた可能性はあったと思う。だけど広志だけは絶対替えが利かないっていう話になった。その時にはもう凪が頬を赤くしていて、ハハンって感じ。

 そもそも広志がいなければ、落ちた場所がどこなのかくらいは見つけられても、助かるまでのルートを見いだせなかっただろう。時間をかけて探しても、出てくる魔獣を相手にしながら途中で修正なんていうマネは絶対にできやしない。どこかで必ず追い込まれていたはずだ。


 だからこうしてワタシたちが生きていられるのは、広志のお陰。もちろん四人全員で励まし合って頑張ったからだし、クラスメイトたちが助けに来てくれたからだけど、それでもやっぱりだ。



 ◇◇◇



「そうですね、わたしも八津くんのことが好きです。ですけどこれは感謝と親愛の好きですね」


「あ~、あのな美野里、そういうのはアタシがやる」


「いえ、わたしです。ミアさんとは二層仲間ですから」


 そりゃあ美野里だって広志が好きに決まってる。だから玲子が言うそういうのっていう意味がわからない。


「わたしがミアさんに聞いた好きは、深山みやまさんが藤永ふじながくんに向けている好きです。どうですか?」


 雪乃ゆきの陽介ようすけの好きって、それって、それってまさか。


「あり得まセン! だって凪が!」


 自分でも思った以上に大きな声が出てしまった。反動でベッドに座り直してしまうくらいに。


 さっきまでガヤガヤしてた子たちも、何人かがこちらを伺っている。またやらかした。

 ワタシは時々こうやってバカをして、周りから注目されて、そして怒られることがある。凛なんかが説教する側の筆頭だ。


 だけど今回はみんなの表情がちょっと違うかな。驚いているって感じじゃない。ならなんだろう。



 むしろちょっとだけ驚いた顔をしたのは凪だ。さっきまで足とサメをバタバタさせていたのに、いきなりなんなんだろう。


 それから真面目顔になってこっちに歩いてきた。サメを消してる凪なんて珍しい。


「えっと、あのね、ミア」


「なんデス?」


 凪が目の前まで来て声を掛けてくる。なんかモヤっとしてしまったワタシは、素っ気ない返事をしてしまった。


 ヤだな、こんなの。


「ええっとミア、今日のは、えっとそのバディの話は、わたしも持って行き方がちょっと強引だったと思うの。迷宮委員の時と違って」


「理屈をシッカリさせてたのは凪らしいって思いマシた」


 凪の声が妙に震えて怖そうだったから、さすがにワタシも目を合せて真面目に返事をした。

 あれ? 凪、本当に怖がってる?


「うん。だから、言い出した以上は、ちゃんとやるから。だからね」


「凪らしくないデス。言い出したコトはシッカリやるのが凪のいいところデスから」


「あっ、うーん。ありがとう。ごめんなさい」


 そういうモゴモゴした話し方は、口に出せないけどどっちかといえば雪乃っぽくて、少なくともワタシのライバルな凪じゃない。

 そもそもなにが言いたいんだろう、凪は。



「うん。まあ、その、えっと……。わたしは八津やづくんのことが……、好き、なんだと思うかな」


 そんな今さらな凪の言葉で女子部屋に歓声が巻き起こった。


 横の美野里はワタシの手に自分の手のひらを重ねてくれていて、反対側の玲子は苦笑いだ。ちょっと離れた場所にいる凛が悪い顔をしているけれど、アレは凪をイジメるつもりかな。

 普段は真面目なクセに時々凛は意地が悪くなる。とくにワタシと凪に対して。


 だけど、なんでワタシは笑っていないんだろう。


「ツリガネ効果デスか?」


「……吊り橋よ。ミア、ムリしてるの?」


「意味不明デス」


「ミアは頑固者よね」


「凪はひねくれ者デス」


「そうかもしれないわね」


 まったく凪はしかたない子だ。涙まで浮かべて、卑怯者だ。


 凪は広志が好き。広志もたぶん凪が好き。

 ワタシは……、わからない。広志が好きなのは本当だし、それが美野里の言ってる好きなのかもわからない。

 だけどそれでも広志と凪が一緒に頑張ってる姿を想像したら、それはすごく嬉しくて羨ましい、かな。二人を応援したい気持ちと、そこにワタシがいたい気持ちがごちゃ混ぜだ。

 やっぱりワタシに恋愛っていうのは難しすぎる。


 だからちょっと胸が苦しい気がするけれど、ワタシが笑ってあげないと勇気を出した凪が可哀想だ。



 それからしばらく女子部屋で『八津ネタ』を開催した。

 みんなが広志の悪口を言って、凪や美野里、ワタシが庇う。それからみんなで笑い合う、そんな遊び。そういう時間を過ごしていたら、いつの間にかワタシも普通に笑えるようになっていた。


 明日は迷宮だ。

 最近のワタシは迷宮があまり怖くなくなっている。タイミングを思い出せば、やっぱり二層に落ちて地上に戻ってからのような気がして、ちょっと可笑しくなった。あんなに怖い目にあったのに、むしろ楽しい思い出みたいになっている。


 それこそ山に迷い込んだあの事件が、あとになってみんなの笑い話になったみたいに。



 ◇◇◇



「シカは二、キュウリが五」


 迷宮の三層にニンジャな壮太そうたの声が響く。やっぱりニンジャはカッコいい。ワタシがなりたかったくらいだ。


 右手を伸ばして魔獣との距離を広志が測る。

 ワタシも試しにマネしてみるけど、なにもわからないや。やっぱり広志は大したものだと思う。だけど彼にはそれしかできないのも分かっているから、ワタシは弓を構える。それがワタシの力だから。

 この前の迷宮から持ち込んだ強い弓。前回は出番が無かったけれど、九階位になった今なら十分に役目を発揮してくれると思う。



「ミアは右端のシカを二頭狙ってくれ。猶予は五秒くらい。足止めで十分だけど──」


「やっつけてもいいんデスよね」


「そうだ。頼むぞ、特攻隊長ミア!」


 ああ、広志がワタシの名前を呼ぶだけで、胸が高鳴る気がする。


「ブッコミマス!」


 だからワタシは精一杯でそれに答えてしまうんだ。


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