第167話 七階位レース



「迷宮でこういう風に笑うことがあるとは思わなかったよ」


 嬉しそうに一枚の紙を持つ綿原わたはらさんを見ながら、ミハットさんは穏やかに笑っている。


 迷宮二日目の朝、一年一組は昨日に引き続き炊き出しをしていた。昨日は夕食だったこともあり、わりとガッツリ系だったが、今朝は軽めということになっている。

 とはいえ迷宮でパン作りができるわけもなく、肉を少なめ野菜多めのアウローニヤ風スープというメニューだ。二層ではトマトとキャベツが採れる……、捕れるので、こういう献立を考えやすいらしい。まさに迷宮ありきの食文化だな。



 そんなところに現れたミハットさんが綿原さんに手渡したのが、娘さんの描いたという一枚のイラストだった。サメでこそなかったが、なにかしらの動物らしきモノが描かれたソレには、拙い字で『ワタハラおねえちゃんへ。ハーナ・ガスティル』などと書かれていたものだから、これはもうクル。


「初めて娘に字を教えたぞ」


 ミハットさんは平民上がりとはいえ部隊の副隊長、日本風なら中隊か小隊の副官クラスの人物だ。報告書が、などとグチっていたように隊長さんから書類仕事を押し付けられている立場らしい。

 そんなお父さんが娘にねだられて字を教えてあげたのだ。嬉しくないはずがないだろう。ちなみにハーナちゃんは八歳になるらしい。


 娘からのブツを届けた相手、綿原さんが滅茶苦茶感激しているのも、これまた父親心をくすぐってミハットさんは朝から絶好調だ。


「笑い、ですか。迷宮ジョーク……、迷宮ならではの冗談とか、やったりしないんですか?」


「そりゃあ、やるけどな。今はどっちかっていうと……、清々しい?」


「なんです、それ」


 わからなくもない表現だけど、迷宮の中だからなあ。清潔であるのは事実だが。



「アンタらは勇者なんだろうってことさ」


「それって変な意味で言ってますよね」


「どうだろう。あいにく俺はアンタたち以外の勇者にお目にかかったことがないからな」


 聞いているこちらが恥ずかしくなるような物言いをしたミハットさんは、ニヤニヤと笑っている。清々しいとは何の話だったのか。


「アウローニヤで勇者のことをそうやって言うの、大丈夫なんですか?」


 微妙な敗北感を味わっていると、別角度から援護が入った。ハーナちゃんのイラストを胸に抱いたままではあるが、結構真顔な綿原さんだ。


「んー、平民ならこんなものだぞ。お偉いさんが方は、まあネタにはしないが」


「ミハットさんも貴族でしょう」


「半貴族だからなあ」


 周りに聞こえない程度に小さな声でツッコむ綿原さんにさらりと流して答えるあたり、相手は大人だ。



 この国では公務員をやっているうちにある程度の役職になれば、自動的に『騎士爵』になれてしまう。これは平民と貴族の差が大きいこの国では適用される法律が別になるくらいに巨大な格差だ。課長や部長になれましたとかそういうレベルどころではない。犯罪の種類や罰則まで違うくらいなのだから、俺たち日本人感覚では理解できない世界だな。


 たとえば近衛騎士のヒルロッドさんは貴族であることに誇りを持っているように思える。明確に平民と貴族の差を認めながらも、尊敬できる平民や蔑むべき貴族がいることを知った上で両立させている人だ。こちらに来た頃にヒルロッドさんが平民を下に見ていると感じたことがあったし、それは今も変わらないが、それがアウローニヤの常識だというのも理解しつつある。

 貴族と平民の違いをしっかりさせておいた方が、お互いのためになるケースも多いのだ。


 ミハットさんのように平民寄りの考え方をする人には、王都軍との付き合いができて初めて会うことになった。同じ平民上がりの騎士爵でも考え方は人それぞれだということだな。

 近衛騎士になるために王城に入り、周りが貴族ばかりのヒルロッドさんと、部隊の中で偉くなって部下が平民ばかりのミハットさんだからこそ、そういう違いが大きいのかもしれない。


 両者が言う『半貴族』などという単語の持つ意味合いもそれぞれだ。


 隊長でありながら平民上がりの騎士爵だからと最底辺扱いのヒルロッドさん、部下は平民ばかりで上は貴族というコウモリ扱いをされてしまいがちなミハットさん。

 本当に大人の世界は面倒くさい。善悪、好き嫌い、カッコいい悪い、だけじゃないのが気に食わないのだ。



 父さんが死んで母さんの実家に住むようになってから、牧場で働く伯父さんたちの姿を見るようになった。大人の世界のほんの一部を。

 こっちに来てからは俺たち以外大人ばかりで、しかもドロドロしている部分がたくさんなものだから、なんとも複雑な気分になってしまう。


 俺としては無難な高校生をやっていたかったのだけどな。

 高校生のクセをして、藍城あいしろ委員長みたいなのもいるわけだけど。


「三層、気を付けてくださいね」


「ああ。ありがとよ、ワタハラ。美味かったぜ」


 食事を終えたミハットさんたちは、これから三層に向かうことになる。

 それを見送る綿原さんが手にするイラストを見て、ふと思う。そういえばミハットさんもヒルロッドさんも娘さんがいて父親なんだと。


 だからなおのこと、あの人たちの無事を祈りたい。



 ◇◇◇



「ナイスなつー!」


春姉はるねえ、ちゃんと周り見てー!」


 迷宮二層の一角に元気な声が響く。【嵐剣士】の酒季春風さかきはるか、通称はるさんと、弟で【石術師】の酒季夏樹さかきなつきのやり取りだ。


 朝の模擬店を閉じ、これにて今回の炊き出しミッションは終わったわけだが、あくまでそれはやると決めていたことのひとつでしかない。お客の反応は上々だったし、昨日は配っていたのが勇者だからとスルーしていた人たちも今日は受け取ってくれた、なんて話もあったようだ。

 俺たちが腫れ物だというだけでなく、貴族連中に関わり合いたくない平民は予想以上に多いらしい。



 そんな俺たちは勇者らしくレベリングに勤しんでいる。


 模擬店装備は警備の兵士たちがいる部屋に預けておいて、俺たちはちょっとだけ軽装になった。なのになぜか委員長の盾だけは『うえすぎ』の文字が残っている。みんなが面白がって消すのを止めさせたせいだ。

『うえすぎ』の看板を掲げる以上、負けは許されない。非常に厳しい制約を課された【聖騎士】たる委員長の心中はいかに、だな。


 三層チャレンジの条件にした七階位五人以上をクリアすべく、一年一組は再び『塩の間』付近の群れを外周から削っているところだ。このあたりの魔獣を減らせば減らすほど塩の運搬は安全になるし、調査も進む。魔獣の数も多いからレベリングも捗るということになる。


 ただし素材は放置だ。

 もったいないとは思うけれど模擬店は終わったわけだし、今のアラウド迷宮では安全を考慮して素材の運搬ノルマは課せられていない。もちろん俺たちにそんな縛りはないけれど、現状のメインはあくまで調査と削りが目的で、素材回収は二番手というのが王国の方針になっている。

 この点についてはかなりと真っ当な考え方だと思うので、俺たちは素直にそれに従うのだ。

 アイテムボックスなんていうスキルが無い世界なので、こういう部分が面倒くさい。



「えいっ」


「やるっすよ、草間くさまっち!」


「うん」


 酒季さかき姉弟ペアの近くでは、深山みやまさん、藤永ふじなが、草間がトリオになってがんばっている。


 深山さんが水をばら撒いて、藤永が通電、止まった魔獣を草間が殴るというパターンだな。

 魔力の打ち消し合いのせいで、藤永の【雷術】はこういう間接的な攻撃になってしまう。もっと熟練を上げて、さらに【魔力伝導】あたりを応用すれば直接攻撃も狙えるかもしれないが、それはまだ先の話だ。それ以前に藤永はむしろ身体系を取って、動ける術師になったほうが安定しそうな気もするし。



「春姉動きすぎー!」


「夏が遅い!」


「僕は【身体強化】持ってないんだって」


「そのぶん石を飛ばして!」


 夏樹と春さんはこんな感じで言い合いながら戦っているが、それでいて意外なくらい噛み合っている。夏樹は【反応向上】も【視覚強化】も持っていないのに、春さんの死角に入りそうな魔獣に石を当て続けているのだ。いや、春さんがそうなるように動いているのか? それにしたってなぜ夏樹は合せられる?


 コレってマンガとかでよくある、双子だから通じ合うパターンだよな。


 だが実際に春さんは弟の【石術】の射程を見切っている感じだし、夏樹は夏樹で姉の動く先が見えているような行動をとっている。結果として春さんのフィニッシュが決まっているのだ。



 今日の午前中限定ではあるが一年一組では次の七階位候補たちを優先してレベリングするために、いくつかの組み合わせが作られている。

 まず酒季姉弟、草間藤永深山トリオがそうだ。前者は春さんを、後者が草間の優先レベリングだな。


「ミア、倒すなよ? 絶対倒すなよ?」


「わかってマス! たかしは心配性デスね」


 そんな会話を繰り広げているのは海藤かいとうミアペアだ。ミアが魔獣を弱らせて海藤がトドメのパターンになる。二人ともがアタッカータイプの組み合わせなので、戦場を動き回りながらの立ち回りが可能だ。そう、可能なだけで実際にはミアが海藤を引きずるようにして暴れているのが現状だな。


「ミア、絶対やっつけたらダメだからね!」


「もちろんデス。あおいまで心配しないでくだサイ!」


 そんな光景を見かねた白石しらいしさんが【大声】で注意をしている、そんな次元だ。大人し女子の白石さんが自発的にこういう行動するって、相当にヤバい時だけだぞ。



 七階位になった三人、ミア、中宮なかみやさん、滝沢たきざわ先生にはラストアタック禁止令が出されている。もちろん経験値度外視のイレギュラーでもない限りではあるが。

 なにしろ七階位の人間が二層の魔獣を倒しても『意味がない』。二層で上げることができる階位は七までだ。プレイヤースキルと技能熟練こそ手に入るから完全に無意味とまでは言わないが、階位に関する経験値は捨てることになってしまう。


 故にトドメ厳禁なのだ。

 先生は元々そうしてきていたし、中宮さんもたぶんできると思う。できるといいな。

 問題はミアだが、いちおうヤバい大群でも現れない限り弓の使用を禁止しているので、なんとかなると思いたい。ミアのヤツ、弓が使えないぶん足を使っているからなあ。タイプ的には春ミアコンビがマッチしそうなのだけど、それをやると双子チートが使えなくなるし、なんとももどかしい。



笹見ささみさん、どうぞ」


「はいっ!」


「瀕死にしてあるから、なぎちゃん、あとはお願い」


「まかせて!」


 右翼側がドタバタやっているのに対して、左側は作業感がすごい。こっちはこっちで微妙な光景だ。


 先生と中宮さんがぶっ叩いた魔獣を頃合いを見計らってうしろに流すという、これまで何度も見てきたようなパターンだが、トドメ担当を笹見さんと綿原さんに絞り込んだせいで、展開が早い。二人ともが盾とメイスをフルスイングだ。もはや短剣を刺してトドメ、みたいな狙いすましたヤリ口ではなくなっている。

 なんであの二人は術師になったのか、元の精神性が原因なんていう仮説はどこへいったのやらだ。



「俺たちは遅れてるからなあ。負けてられねぇぞ!」


「おうよ!」


 そして中央の盾部隊だが、佩丘はきおか古韮ふるにらが気炎を上げて、丸太や竹のような大物を狙って倒しにいっている。


 たしかにレベリングに優先度を設けている状況ではあるが、だからといってほかのメンバーが経験値を得てはいけないとはならない。もちろん七階位組には遠慮してもらっているが、三層へ行くことを考えれば騎士組だって積極的に階位を上げておくべきだろう。

 俺を含む後衛はどうしても手助けが必要になるが、騎士連中は単独で二層の魔獣を倒しきることができるだけの力は十分に得ている。


 今ばかりは背後のレベリングを考えず、ガンガンやってくれということになったのだ。

 硬くて耐久力があるからと優先順位が低かった騎士組は燃えた。べつに不満だったわけではないのだろうけれど、鍛えた技能をフル活用してバシバシと竹を殴っている姿を見ると、我慢させていたのかと申し訳なくなってしまう。

 なにしろ【身体強化】【身体操作】【反応向上】【頑強】【痛覚軽減】と、ついでに委員長の【聖術】までひっくるめて、最前線でダメージ上等のビルドをしている連中だ。


「うおらぁ!」


「痛った。やってくれたなあ!」


 吠える馬那まなや、ちょっとキャラが壊れかけている野来のきも一緒になって、盾で受け止めてはメイスで殴るを繰り返している。



「あらあら」


「お前らなあ」


 そんな盾組のすぐうしろではヒーラーの上杉うえすぎさんと田村たむらがせっせと治療に当たっていた。これはこれでタンクとヒーラーのあるべき姿なので、予行演習だとでも思っておこう。

 戦闘中の【聖術】使用は、王国ではそうそう見られない。戦闘終了後か、怪我人を後送してからの治療が推奨されているからだ。ひとえに【聖術師】がモロいからなのが理由だが、ウチのヒーラーは盾を使えるし、しっかり【痛覚軽減】を取ってある。前に出ることを厭わない回復役なのだ。

【聖盾師】の田村などは、将来的にサブタンクまでやってもらうことになるだろう。



「おりゃー!」


 残されたメンバーはといえば、ひきさんは最後衛の直掩をやってくれている。彼女は六階位になって間もないのもあって、今回の七階位レースからは自発的に降りた。そういう判断ができるところが偉いと思う。俺が前衛職だったら自分のことを後回しにできたかどうか。

 今も目の前でたまに流れてくるウサギやトマトをムチでバシバシ叩いてくれている。そんな疋さんを俺はガチリスペクトするわけだ。


「はい。【身体補強】だよ」


「ありがとね、鳴子めいこ


 俺と一緒に一番うしろの奉谷ほうたにさんは、ちょろちょろと動き回ってはバフをかけてまわるのがお仕事で、白石さんは【音術】で左右の牽制に徹してくれている。

 俺のやることといえばイレギュラーが起きないように周辺を警戒しながらも、大雑把に指示出しが関の山だ。



「ある意味ハマっちゃってるよな」


「どういうこと?」


 思わずこぼした俺の呟きを白石さんが拾った。


「この形で安定してるってこと」


 今まさに丸太が三体、竹が五体、ウサギとトマトとキャベツの混合が二十体くらいで襲ってきているのだが、まったく崩れる気配がない。

 たしかにハウーズ救出作戦の時はもっと酷い状況に飛び込んだものだが、それでも三十体の魔獣を相手にミームス隊抜きでもまったく引けを取らないというのは、ちょっと凄くないだろうか。これでもまだ攻撃力トップスリーが縛りプレイをやっているくらいなのに。


「目が離せないね!」


「ああ、いい感じだ」


 戻ってきていた奉谷さんが嬉しそうにしながら無邪気にドス黒いことを言っている。あくまで目の前の光景はスプラッタだからな。

 それを肯定的に捉える俺もどうかしているかもしれないが、迷宮の中だけだと自分に言い聞かせることで誤魔化しておこう。


「さて、誰がつぎの七階位になるかな。俺の見立てだと海藤だけど」


 そんなことを言いつつも、意外と綿原さんもあり得そうな気がする。


「賭けちゃう? 負けたら罰ゲーム」


「怖いよお」


 奉谷さんが冗談をカマして白石さんがビビるという余裕っぷりが俺たちにはあった。

 その時までは──。



「あ、七階位だよ。いやあ、頑張ったかいがあったね」


 そんな状況で最初に七階位になったのはシシルノさんだった。


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