第135話 逃げたくもなる




「ひとつ腑に落ちないことがあるのよ」


「なにが?」


 俺たち三十二人が動き出してから少し、横を行く綿原わたはらさんが口を開いた。


「あのハウーズとかいう人、こないだ七階位だったわよね?」


「あ」


 そのとおりだ。なんで七階位の人間が六階位に混じって二層にいるんだろう。

 二層のレベル上限は七。つまりハウーズが二層に潜る理由なんて、それこそ実戦経験のためか、付き添い程度しか思い浮かばない。

 いまさらあのキャラが殊勝にそんなことをするのだろうか。お仲間にいいところを見せたい、とかなら、まあ理解出来なくもないけれど。



 ハウーズの思惑はわからないが、ハシュテル副長からヒルロッドさん、そこから俺たちへと伝言ゲーム的に教えてもらった遭難事件の概要はというと──。


 コトが起きたのは昨日の昼間。俺たちが迷宮二日目を過ごしていた頃だ。

 ハウーズプラス連れの四名は今日こそ全員で七階位になって、とっとと『灰羽』の訓練を終わらせようと迷宮に挑んでいた。その四名というのが、例のハウーズ事件の時に一緒になって俺たちに絡んできた訓練騎士たちだというから眩暈がする。五人ともが同世代、俺たちより一歳か二歳上の騎士の卵ということだ。


 事件で名を落とした五人は訓練場で冷たい視線を浴びていたらしい、というのはどうでもいいな。

 そんな五人を引率していたのが『灰羽』のひとつ、ウラリー・パイラ・ハシュテル男爵率いるハシュテル隊七名と【聖術師】のパードだった。

 貴族訓練生御用達の格式ある教導隊らしい。それだけで実態が知れるな。



 で、彼らは俺たちの予測していた『魔獣の群れ』に突っ込んだ。もちろんわかっていないでやったことだろう。タイミング次第では俺たちが巻き込まれていた可能性もあるし、そこは同情できるところかもしれない。


 強い魔獣ならハシュテル隊がなんとかしてしまうだろうが、ウサギのように数が多いのはやっかいだ。いくら騎士が強かろうと、一度に相手をすることができる数は限られるのだから。

 そんなことをやっているうちに前衛と後衛が分断されて、しかもそこからハウーズたちはビビって逃げ出したらしい。


 それが遭難の起点だった。

 このあたりはハシュテル副長の談なので信ぴょう性は怪しいが、半分くらいは本当なのだろう。なんとなく脳内映像で再現できてしまうし。


 教導隊が二層で訓練騎士とはぐれましたなどという事態はシャレにならない。ハシュテル副長は大恥をかくだろう。それどころか、ハウーズはアレで宰相の孫だ。副長のキャリアが終わる。

 ハシュテル副長はかなりマジで捜索をしたらしい。休むことも無く、丸一日をかけてだ。ちなみに貴族騎士の多くは【体力向上】も【疲労回復】も持っていない。必要がないから。


 なるほど、俺たちの前に現れた時に疲れ果てた感じだったのは、演技ではなかったようだ。


 ここからはヒルロッドさんの推測になるが、寝不足と危機感による焦りでハシュテル副長はパニくっていたらしい。たぶん考えていたのは自分たちに都合のいい筋書きを地上に持ち出すということだ。

 ところがそこで俺たちに出会ってしまい、コトの隠蔽すら困難になってしまった。嘘をついて逃げ出そうにも、ハウーズたちはどこにいったということになる。


 そこにはもう打算とか辻褄とかがごちゃ混ぜになって支離滅裂な副長がいたわけだ。

 自分はもう疲れた。逃げ出したい。責任から目を逸らしたい。だけどせめて。というわけでヒルロッドさんに命令ではなく『義務』という難癖をつけたという流れだった。酷すぎるな。


『あの人はもう終わりだよ』


 そう言いながら遠い目をするヒルロッドさんが印象的だった。


 ハウーズたちを置いて逃げたのはまだしも、それを俺たちに見つかって、しかも巻き込んだのは教導騎士として致命傷らしい。せめて副長は迷宮に残って俺たちに地上への連絡を頼んでいれば、まだましだったのに。


 大人というのは大変だということだ。ハシュテル副長が当てはまるかどうかまでは知らない。



「哀れだね……」


「委員長はあんなのに同情するのか?」


 思わずツッコんでしまったけれど、ヒルロッドさんと同じく寂しげな笑みを浮かべる委員長はどうなんだろう。


「心配しなくていいよ、八津。僕もちょっとキてるからさ。そうですよね、ヒルロッドさん」


「な、なにがだい?」


「いろいろ打算もあって僕は救出に賛成しましたけれど、苦労させられているのは明らかですよね?」


「まあ……、そうだね」


「陰口を叩いたり訓練中に絡んでくるならまだしも、迷宮でコレって、社会的にざまあみるがいいって思うのは傲慢でしょうか。ヒルロッドさんの立場や僕たち学生を、いい大人が自分の保身のために使う?」


「……いや。だがアイシロ、君はちょっと」


「地上で必要になったら言ってください。勇者として証言ならいくらでもしますから。はははははっ」


 真っ黒だよ。委員長。



 救援について多数決をしたとはいえ、みんなの想いはいろいろだろう。


 俺などは反対票に入れたが、だからといって見捨てたかったわけではない。迷宮委員として安全が確保できないと思ったから反対に回った。たぶん綿原さんもそうだ。


 委員長などはさっきの発言でもわかるとおり、助けに行った場合や断ったあとのことを考えていたのだろう。もちろんそこに純粋な正義感もあるのは間違いない。


 もしも委員長が棄権を認めていなかったら、今回の行動は否決されていたんじゃないかな。

 本来なら反対票を入れそうな比較的気弱な連中が棄権に回ったから。


 委員長はそこまで見越していた?


 考えても仕方ない。やると決まった以上は役割を果たすことに全力だ。



 ◇◇◇



「副長が適当を言ったのか、迷宮が呑み込んだのか」


「どっちにしてもノーヒントね。ここからは賭けかしら」


 大した期待はしていなかったのだろう、綿原さんは落ち着いたままだ。


 ハシュテル副長の示した場所に辿り着いた俺たちが見たものは、なにもない普通の迷宮の一室だった。少し広いくらいだが、だからといって特筆するような箇所もない。

 それでもここが空っぽであるということ自体が判断材料にもなりうる。


 魔獣に襲われてはぐれたはずなのに、ここには一体の敵もいないのだから。

 つまり魔獣はどこかに移動してしまった後だということだ。


草間くさま


「取ったばかりだから自信ないけど、通ってきたほかの部屋より……、少ないと思う。ここってホントに群れがいたのかな」


 ここでさっそく草間の【魔力察知】が役立ってくれた。

 シシルノさんの【魔力視】には到底及ばない技能だけど、魔力の有無くらいは判定できている。二層転落の時といい、草間は美味しい役どころを持っていくのが上手いな。



「あっちの方から群れが来たのは間違いないと思う」


 迷宮の中で東西南北がどこまで通用するか怪しいが、俺はいちおう東側の門を指さして説明を始めた。


「副長がハウーズたちとここではぐれたというなら、アイツらがいるのはこっち側だ」


 この部屋にある扉は四つ。魔獣が来た側に逃げるとは考えにくいし、もうひとつは俺たちが来るのに使った扉だ。残りのふたつは片方が細い通路のような部屋を経由して、最終的には合流する構造になっている。

 副長たちは一日をかけてそちらを探したはずだ。探したというのが嘘でなければだけど。



「だけどたぶん、逃げた先でも別の群れにぶつかることになる」


 俺が指さした方を見ながらも、みんなが表情を硬くしてしまう。

 誰もが思っていても口に出しにくい言葉。手遅れなんじゃないか、もう呑み込まれてしまっているのでは。


 もちろん俺だってその可能性はかなり高いと思っている。

 ハウーズたちはここに来た魔獣に追われて、逃げた先でも別の群れにぶつかったはずだ。悪夢だな。


「二択をミスって通路側に行ったなら、副長たちが追い付く前にもっと奥に追い込まれているかもしれない。探すならそこだと思う」


 奥の奥。ハシュテル副長たちが探しきれなった区画が残された可能性だ。ややこしいルートを取らないとたどり着けない区画ではあるが、すでに候補は絞ってある。

 あとは草間にお願いして部屋ごとの魔力を調べながら進めばいい。ハウーズたちが群れに追われ続けたなら、魔力が濃い側に押し込まれているはずだ。



「ヤヅの意見以外に案も無い。このまま進むしかないということだね」


「群れがいるのはほぼ確実です。魔獣が増えると思いますので、遠慮なくやってください」


 ヒルロッドさんも腹をくくってくれたようで助かる。


 ここからはもう経験値配分とかは言っていられない。ミームス隊を先頭にして、魔獣を蹴散らしながら進むのみだ。

 できる限りおこぼれを調整するとしても、明確に誰をレベリングするか選ぶ余裕はほぼないだろう。できれば田村たむら上杉うえすぎさんに【痛覚軽減】を取らせてあげたいのだけど。


「行こう」


「はい!」


 ヒルロッドさんの声に従って、俺たちは移動を開始した。



 ◇◇◇



「魔獣が放牧されてる牛みたいな動きをするなら理解もできるんだよな」


「どういうことかしら」


「魔力を消費して生まれて、魔力が高い部屋を目指す。生まれた部屋は、魔獣がいなくなってしばらくすれば魔力が補充されて元通り」


「牧草を食べながら移動しているということかしら」


 移動しながら綿原さんと魔獣談義をしているわけだが、当然警戒は怠っていない。

 ここまでですでに二回の戦闘があって、そのほとんどをミームス隊とガラリエさんが蹴散らしてくれた。一年一組で魔獣を倒せたのは六階位のアタッカー連中だけで、レベリング的には実に美味しくない。今は速度優先だし仕方がないのはわかっているのだけど。



「ここ最近で迷宮の魔力がまだら模様で濃くなって、その傾向が強くなったのかもしれない」


「魔獣が増えた上に群れが大きくなって、しかも派手に移動しているわけね」


「そういうこと」


 綿原さんの理解が速くて助かる。俺も自分の言っていることに自信があるわけではないので、賛同者がいてくれるだけで嬉しいよ。


「二泊三日、ムダにならなかったわね」


「そうかも。戻ったらシシルノさんに報告だ」


「あの人、次の探索に着いてくるって大騒ぎするわよ」


「目に見えたよ。リアルで」


 二人で笑い合ってしまう。

 話題が迷宮やら魔力やら魔獣で、ちょっと物騒かもしれないけれど、俺としてはどんな内容でも楽しいと思えてしまうから綿原さんは卑怯だ。



「次の次あたりからヤバいことになると思う。こういう予想は当たるんだ」


「えっと、五の二十三。二方向から魔獣が流れ込む部屋ね。しかもそろそろ群れの一角、と」


「ハウーズたちが逃げ延びてるとしたら、その先だ」


 俺たちは群れの端を削るように移動していた。だけどここから先はもうダイレクトになる。

 そうしないとハウーズたちを見つけられない以上、やるしかないということだ。


「うわぁ。なんだこれ。数えきれないよ!」


 先行していた草間の声は、ほとんど悲鳴になって聞こえてきた。



 ◇◇◇



広志こうし、矢が残り少ないデス。二十を割りマシた」


 ミアが使っているのは鉄の矢だ。海藤かいとうのボールも一緒にみんなで分散して持ち込んで、戦闘のたびに回収しながら、できるだけ再利用している。

 だけど今の状況ではリサイクルどころの話ではない。数を持ち込めなかった海藤は、すでに盾役として前線に立っている。


「ミアはどうしたい?」


 今後どうなるかはまだまだ不透明だ。ならば本人のやりたいようにやらせた方がいい。とくにミアの場合は。


「温存デス。鳴子めいこ、持っててくだサイ」


「うんっ、がんばってね。ミア」


「んふふっ、総長をぶっ飛ばす日が待ち遠しいデスね」


 俺の横で補佐をやってくれている奉谷ほうたにさんに弓と矢筒を手渡したミアは、すかさず腰からメイスとナイフを器用に引っこ抜いて、速攻で戦闘ポーズを取った。そういう仕草がいちいちサマになっているからインチキエルフはズルいんだ。

 近衛騎士総長をやっつけるという点については完全同意だから、そちらも合せてがんばってくれ。俺にできるのは応援くらいだ。


「でもまあ、今は目の前か。ぐちゃぐちゃだな」


「だね。誰がやっつけたとか、もう数えられないくらい」


 ミアとやり取りをしている間も、俺と奉谷さんはずっと前を向いていた。


 視界に広がるのは、滅茶苦茶な混戦模様だ。こうなると細かい指示は、むしろ当人たちのためにならない。せいぜい大雑把な動きを指定するくらいしかできることがないという状況だ。



 俺たちが相手にしているのは竹と丸太とウサギの団体で、しかも丸太は五体。

 単体で出てきてくれれば問題は無い。ヒルロッドさんたち騎士が突撃すれば終わる話だ。


 だけど丸太の隙間を埋めるように蠢く竹が邪魔をしていて、騎士たちが足を止めざるを得ない状況を作っている。さらにその下からゾロゾロとウサギが飛び出してくるから始末が悪い。

 ウサギの体当たり程度が問題になるような前衛ではないけれど、どうしても行動が邪魔されてしまう。小さい怪我も積み重なれば動きが悪くなって当然だ。

 クラスの術師がいつもやっていることをやり返されて、本命に手が届かない状況になってしまった。


「突っ切るのは、ムリだろうな」


「次の部屋もいっぱいなんでしょ? 挟み撃ちにされちゃうよ」


「だよな。まさかここまで多いとは思わなかった」


 この広間にある門はふたつだけ。進むか戻るかしかできない。

 そして奉谷さんが言うように、ムリをして突っ切ったところで挟み撃ちをくらうことになる。当然草間が調べてくれた。



「あ、左側の方が減ってきたかも」


「いや、おかわりが来た」


「うえぇ」


 奉谷さんの悲鳴は可愛いけれど、現場は最悪だ。

 鮭氾濫の時も大変だったが、今回は敵が強くなった上に混成部隊だ。減らしたぶんは隣の部屋から追加が入る。なるほどこれは、ハシュテル副長が逃げ出したくなるのもわかるな。


 いや、魔獣放牧牛説カッコカリが本当ならこのあたりに魔獣が溢れるようになったのは、たぶん今日になってからだ。

 やっぱりハシュテル副長、手を抜いていたか諦めが早かったんじゃないだろうか。いざ逃げるとなってから魔獣の濃さに気付いて大慌てになった。なんとなくそんなオチの気がする。

 だけどそれなら朗報でもある。ハウーズたちがはぐれた時点で魔獣はまだそれほど多くなかった。そのあとで群れのいる方に行ったとすれば、ひたすら逃げるだけならできているかもしれない。

 逃げ込めそうな区画はあらかじめ絞り込んであるし、ここまでは予想を外れていない。むしろ予測が狭まったくらいだ。


 そこに居てくれよ。

 そうじゃないと俺たちの努力がムダになる。



 ◇◇◇



 ミームス隊の踏ん張りもあって、ウチの前衛は崩れていない。逆に後衛ができることは、せいぜい遠巻きにして流れてきたウサギの始末くらいだ。左翼の綿原さんと笹見ささみさんは前衛バリに頑張ってくれているのだけど。


 このままだと──。


「レベルアップだ!」


 叫んだのは前衛で盾とメイスを振り回して奮闘していた【霧騎士】の古韮ふるにらだった。


 前衛アタッカーはひきさん以外は六階位。後衛はカウントを稼げていない。

 となればレベルが上がるのは、それはもちろん騎士たちということになる。これで少しは楽になるのは間違いないが、レベリングの順番がおかしなことになってきた。


 言っても仕方ないか。これだって間違いなく朗報だ。


「技能は予定通りに取ってくれ。そのぶん暴れろ古韮!」


「おうよ。【反応向上】だ!」


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