第260話 一部担当者たちの葛藤
「つぎはわたくしでよろしいでしょうか」
「ええ、アヴェステラ」
ヒルロッドさんを除く全員が謎の署名をしていたのを知ってからも、担当者たちの紹介は続く。
まずはアヴェステラさん。彼女は王室付筆頭事務官という行政府の人間だ。つまり宰相の息がかかった存在ということになる。それでもアヴェステラさんは王女様と手を組み、宰相派の仮面をかぶったまま第三王女の手足になることを選択したらしい。
ベスティさんとガラリエさんはもっとわかりやすかった。
ベスティさんは平民時代に軍にいたのだが、第三王女が彼女を王城に引き上げる際にかなりの便宜を図ったらしく、完全なる第三王女派ということだ。
ガラリエさんについては、実家のフェンタ子爵家がペルメールの反乱でやらかしたらしく、今ではハグレ者の子爵家として蔑まされ、帝国に降ることを想定している大貴族からしてみれば美味しい生贄でしかないらしい。そういう理由でもって弱小派閥である第三王女派を頼り、ガラリエさんはここにいる。
シシルノさんはジェサル家が軍部に強いとはいえ、御家とは縁を切り自由を満喫し、あまつさえ勇者と関わるようになった。この状況では軍部に詳しい中立派くらいな立ち位置だろう。
『勇者の行く末を見たいと思うのは、友人として当然だろう?』
とまで言われてしまえば、俺たちに返す言葉もない。
彼女もまた、約定のとおりに第三王女派閥として行動することを否定しなかったのがさっきまでの会話だ。
ここまでなんとなく本人たちから聞いていた話もあったし、秘密というほどではなくても思わぬ裏話が出てくることもあった。シシルノさんなどは以前に派手な婚約破棄騒動についても聞かされていたし、ベスティさんやガラリエさんとも迷宮泊で話をする機会が多かったからな。
だがここでちょっと特殊な事態になってしまったのはアーケラさんだ。
彼女は家の都合もあって、本来バリバリの第一王子派で、むしろ第三王女派とは敵対に近い。だけど──。
「わたくしの仕える第一王子殿下は誠実で前向き、それなりに優秀な方です。ですが同時に悪意が自分に向けられる可能性など考えもしないようなお方でもあります。帝国との関係についてもあえて目を背け、どこか他人事のように捉えておられました」
それはダメじゃないかと心ので叫んだのは俺だけではないはずだ。
「平時であれば凡庸ではあれど、王という役割を果たしきったでしょう。歴史書の一行のみに名を遺す程度の存在として……。わたくしはそれだけでよかったのです」
アーケラさんから出てきたセリフは第一王子をアゲてるのかサゲているのか、判断が微妙な内容だった。
思うところもある。アーケラさんと第一王子は年齢が近い。アーケラさんが二十歳くらいで王子様がそれよりちょっと上くらいか。
ディレフ宮中男爵家は代々王太子に仕える家ということで、これは俺の妄想になるが、アーケラさんと第一王子は幼馴染にも近い関係になるのかもしれない。もちろん男爵家の娘が王家の男子とどうこうという邪推を除いても、アーケラさんからは王子様への確かな敬愛を感じるのだ。
凡庸な王様というのがなんとも思いつかないが、こんな結末を迎えてしまうのは悲しく思えて仕方がない。
「現在のアウローニヤには帝国という敵対する国家が存在し、それに動揺する国内の情勢があります。王子殿下はそれを泳ぎ切ることができるのか、わたくしはそれを危ぶんでおりました。それも今回の事件で……」
いつもよりは暗い色を感じさせるアーケラさんの表情は、それでも微笑みを消していない。そういう健気さが刺さるんだよな。
第一王子の器を王女様と勇者担当者たちは見切っているようだが、俺としては同情的にもなってしまう
王子様なんていう肩書を背負っていたのにいきなり賊に襲われたのだ、ビビって当然だし、安全地帯に籠るのもわかる。問題なのはそこからだ。
一年一組が最初に直面した困難といえば、ネズミの死骸を刺した時のことを思い出す。
ミアが最初に名乗り出てくれて、彼女の涙を見て、俺たちは成し遂げた。仲間がいたからできたことだ。俺一人なら、絶対に潰れていただろう。
王子様にだって取り巻きはいるはずだろうし、一歩を踏み出す勇気を得る時が来るかもしれない。
だけどそんなことにはならなさそうなのを、他ならぬアーケラさんが認めてしまっているのがな。
俺の知っている第一王子は尊大ではあったけれど、悪徳には見えなかったのが、モヤモヤさせてくれる。
「わたくしもお話はさせていただきましたが……、なんとも」
アヴェステラさんが表情を曇らせながら、アーケラさんにネガティブな現状を伝える。
王子様はそこまでビビっているということか。
「決して軟禁などをしているわけではありません。ですが、戻るのが遅れる程に……、立場は失われていくことでしょう」
「承知しております」
重たい空気の中でも王女様は毅然とアーケラさんに語りかけた。それに対するアーケラさんの返事には、吹っ切れたような、諦めたような感情が込められているに思える。
王子様が引きこもり続ける時間に応じて、王女様が台頭していくという構図だ。だからといって第三王女が悪者だとは言い切れない。最初の方に出てきたアヴェステラさんの報告にあった『王子様の公務を王女様と宰相で引き継ぐ』というフレーズ。
つまり王女様が手加減をすれば、それだけ宰相がのさばることになる。
だからアーケラさんはこうして納得を示しているのだろう。
「アーケラさんはそれでいいのですか?」
「ええ。これがわたくしにとっても最善と思われる道ですから。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした、タキザワ先生。お心遣いは忘れません」
なかなか無体な内容に
「では明日、アーケラさんには休暇を与えます。自由行動で構いませんが、警戒を忘れずに。これは騎士団長としての命令です」
「……拝命いたしました」
先生が命令と言いながらも柔らかい口調でアーケラさんを気遣う。
出撃の名乗り以来、個人宛では初になる騎士団長命令がコレとは、なんとも切なくて、温かい話だ。
こうして王子様を排斥し、第三王女が勢力を拡大するという流れがこの場で形成された。
正直、流されている自覚はあるが、ここまで来てしまった以上、俺たちと第三王女は一蓮托生に近い。そんな状況の中で、どこまで俺たちが足掻けるかが今後の課題になるだろう。主に
だけど、その前にもうひとつ。
「さて、最後になりましたね。ヒルロッド・ミームス」
「……はい」
王女様の声は変わらないままだが、俺たちとしては戦々恐々だ。
◇◇◇
繰り返しになるが、見せてもらった誓約書みたいなモノには、ヒルロッドさんの名前が入っていなかった。
どういう経緯なのか、ヒルロッドさんが拒否したのか、それともハブられていたのかはわからない。
だけどヒルロッドさんがこの場にいて、王女様から声をかけられたということは、ちょっとヤバいんじゃないか?
「勇者担当者の紹介は終わっていませんよ?」
「……そうですね」
第三王女に促され、ヒルロッドさんは立ち上がる。顔色がヤバいことになっているのだけど、大丈夫じゃないんだろうな。
俺がちらりと視線を動かせば、
「あー、ヒルロッド・ミームスだ。第六近衛騎士団『灰羽』副長でミームス隊の隊長だね」
顔色こそそのまではあるものの、それでもヒルロッドさんは淡々と事実を語り始めた。マジで応援しているから、がんばってください。
「君たちには戦技教官という形で付き合ってきたのだが、むしろ学ばされることが多かったくらいだ。こんな場で言うのもなんだが、俺が見てきた訓練生の中でも飛び切り優秀で、非常識な連中だったよ、君たちは」
嬉しいことを言ってくれているのはわかるのだけど、別れの言葉みたいになっている。そこまでの状況なのか?
「立場としては平民上がりで一介の近衛騎士だからね、仰ぐのは騎士団長であり総長になるだろう。もちろん王家を守護する者でもある。この場にいる面々の中では、間違いなく一番に政治力が足りていないと思ってくれていい」
そんなヒルロッドさんの告白は普段以上に疲れた顔と相まって、くたびれた社会人を思い出す。
だからこそ、守りたくもなるのだけどな。
「その誓約書については、俺から署名を断らせてもらった。理由は簡単だよ。家族だ」
勇者担当者の中で唯一城下町に家を構えているのがヒルロッドさんだ。
ここまで聞いた話ではアヴェステラさんとベスティさんは天涯孤独、シシルノさんも実家と縁を切っているので似たようなもので、アーケラさんは宮中男爵家、ガラリエさんは東に領地をもつ子爵家の出身。となれば家族という意味で最大の危機感を持つのはヒルロッドさんということになる。
『一筆書きたいくらいだよ』
ふと頭の中にヒルロッドさんの言葉が蘇る。
アレはいつだ。そうだ、たしかハシュテルに襲われたあと、シシルノさんとアヴェステラさんが世界情勢を教えてくれた時の一幕だったか。
担当者たち全員が俺たちの味方であると、そう言ってくれた場面で、たしかにヒルロッドさんは──。
「王女様」
「なんでしょう、ハキオカ様」
「俺は口の利き方が悪いけど、すまないけど、それでも、ヒルロッドさんは」
よりによって口を挟んだのはヤンキーな
「ヒルロッドさんはウチのバカな連中が二層に落ちた時も、必死になって助けてくれた。それ以外でもずっと。だから、頼む、頼みますから、ヒルロッドさんの家だけは」
お前、みんなで日本に戻るのが全てで、ほかはどうでもいいみたいな態度のクセに、なんでだよ。カッコつけすぎだろう。
「ヒルロッドさんは『緑山』の戦技顧問です。なにかあるのならば、副団長のわたしを通してください。それで問題が起きたのなら、責任だって取りますから」
つぎに立ち上がったのは副団長の
本当に最初の頃は階位システムのせいで反発もしていたのに、ついにはここまで言うようになったのか。いや、とっくにそうだった。ヒルロッドさんも仲間のひとりだからな。
ああ、佩丘だけじゃなく、中宮さんもカッコいいな。
見れば、ほかにも何人かが立ち上がりかけている。唖然としているヒルロッドさんは放っておいて、俺も動かないと。
「ふふっ」
剣呑になった空気は王女様の笑い声で固まった。
「勇者様方が迷宮に入るにあたり、補助をすることになるのは『灰羽』が既定路線でした。その際に貴族扱いで、たとえばハシュテル隊を担当にすることもできたでしょう」
ちょっと笑えないジョークを飛ばす王女様だが、そのあたりについては俺たちも疑問がなかったわけではない。
ハシュテルなんてのはごめんだったとして、仮にも俺たちは王家の客人で勇者だ。あえて平民上がりのヒルロッドさんに担当させた理由があったのか?
「会議に出席していた者たちからは、皆様のことを異国人だと揶揄する声もありました。ですからミームス卿、いえヒルロッド。わたくしはそれに乗じて『灰羽』の中で最も誠実であると知る人物を推挙させていただきました。付け加えるなら派閥色が薄かったのも、この場合は好材料でしたね」
「殿下……」
すっかり覇気を消し飛ばされた一年一組を置き去りに、第三王女はヒルロッドさんに語り掛ける。
「そうです、わたくしが推挙したのです。そんな彼は必要以上に役目を果たしました。その上で些細な一筆に断りを入れられたからといってなんでしょう。むしろそれはわたくしの落ち度です」
「申し訳ありません、殿下」
事実上の許しの言葉にヒルロッドさんは頭を下げた。
「あの、今からでも──」
「必要はありません。わたくしはあなたが最初に持った意思を尊重したく思います。むしろ今の『灰羽』とは繋がりを持たない方が、わたくしにも利があるくらいなのです」
ヒルロッドさんは誓約書にサインをしたいと言いたかったのだろう。だけどそれは王女様に遮られた。
「『灰羽』は未だわたくしの『手が届いて』いません。ギッテル団長はなかなかの日和見主義者で、困ったものです」
続けて生生しい言葉を吐き出す王女様は、それなのに微笑んだままだ。
最早ヒルロッドさんはもちろん、クラスメイトたちも第三王女に呑まれているのがわかる。とくに立ち上がってしまった佩丘と中宮さんがとても居心地が悪そうな顔していて、それがまた……。もう座った方がいいんじゃないか? 二人とも。
すぐには気付かなかったが『灰羽』の団長はそんな名前だったか。ケスリャーというファーストネームの方で憶えてしまっていた。なんかイヤだな。
「勇者様方と行動を共にしていたのはミームス隊の中でもラウックス分隊でしたね」
「はい。そうなります、が、なにを」
王女様はラウックスさんの名前まで持ち出した。どういうつもりで。
「北部のメルファールは保養地として有名なのは知っていますね?『緑山』の創立に尽力した報奨として、ご招待しましょうか。分隊全員のご家族を、そうですね、ひと月ほど」
「……ありがとうございます」
要はヒルロッドさんだけでなく、ラウックスさんたちの家族全員を期間限定で逃がすと王女様は言っているのだろう。
もしかして人質ではないかという穿った見方もできるが、最早ヒルロッドさんも事実上の勇者側で第三王女派閥のようなものだ。勇者に近すぎて、たとえヒルロッドさんが否定したところで、ほかの派閥の連中は気にもかけてくれないだろう。人というのは本人の意思だけでなく、とくにこんな状況では他人からどう見えるのかも重要だということだ。
そういう考え方をできるようになっている自分がイヤになるな。
へたり込むように座るヒルロッドさんを見て、自分は将来どんな大人になれるのだろうかと想像してしまう。もちろん未だ顔色の悪いヒルロッドさんを尊敬していないわけではないのだけど、気疲れが多そうな仕事はちょっと、な。
あ、佩丘と中宮さんも座り直したか。お疲れ様。カッコよかったぞ。
「ヒルロッドについては、特別近しいが故の措置です。申し訳ありませんが、勇者様方と良い関わり方をした全員を、というわけにはいきません」
王女様の言うとおり、このふた月のあいだにも俺たちと好意的な関係を結べた人たちは多い。
『灰羽』以外でも【聖術師】のシャーレアさん、『黄石』のジェブリーさんやヴェッツさん、ヴァフター団長。『蒼雷』ならもちろんキャルシヤさんたち。王都軍でもミハットさんやシャルフォさん、なんならゲイヘン軍団長もだ。
ほかにもたくさん名前を知ってしまった人たちがいるし、もしかしたらハウーズたちだって。
「それは……、理解できます」
委員長の声は落ち着いている。
「ご理解いただき感謝いたします。わたくしの手は、まだそれほど長くはありませんので」
『まだ』と言ったな、目の前の第三王女は。
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