第193話 あだ名のあれこれ




「宿泊を前提にした迷宮での行動は、わたしにとっても未知だ。主導権は君たちに委ねよう」


「近衛騎士は訓練で迷宮に泊まるって聞いたことありますけど」


「そんなものは年に一度のお遊びだよ」


 二泊三日の迷宮泊を提案してきたキャルシヤさんは、よりにもよって俺たち側に計画と運用を任せると言い出した。

 応対をしている綿原わたはらさんも微妙に困っているが、俺としては大丈夫そうな気がしている。


 ヒルロッドさんたちミームス隊と一緒に泊まった時のノウハウはある。たしかに迷宮泊は慣れ親しんだ者同士だからやっていられる面はあるが、なんとなくキャルシヤさんからは信じてもよさそうな空気を感じるのだ。

 まともに会話をしたのは昨日が初めてだったのに、シシルノさんとアヴェステラさんの友人というフィルターもあって、悪い印象が見当たらない。



 シシルノさんはやる気マンマンだし、アヴェステラさんは俺たちに任せるという態度だ。そう、アヴェステラさんが止めないということは、少なくともキャルシヤさんは俺たちに害をなすことはないと判断されているのだろう。そういう見方で人を判断するのは好きではないが、この世界でやっていくひとつの指針としては仕方ない。利用できるものは利用するしかないからな。


「どう思う?」


「俺は構わない」


 横から並びになって座っている古韮ふるにら馬那まながヒソヒソと話をしている。向かい側の女子列でもだ。俺が確認しなくても、クラス内会話リレーは始まっていたようだ。

 これで異論や疑問が出てくれば、藍城あいしろ委員長か中宮なかみや副委員長が発言してくれるだろう。そういう責任感を持っている二人だ、そっちは任せておけばいいか。



「八津」


なぎちゃん」


 少しの間をおいて、委員長と中宮さんからそれぞれ小さな声をかけられた。頷きが付属しているのはそういうことだろう。クラス全員からのゴーサインは出た。

 俺と綿原さんも頷き返す。


「わかりました」


「いいな。君たちは実にいい」


 綿原さんが代表して承知したと言えば、返ってきたキャルシヤさんの言葉がコレだ。


「迷宮で共闘した時も思ったが、君たちの意思決定には驚かされる」


「そうでもないですよ。いっつも言い争いばかりです」


「場を選べるだけ、大したものだよ」


 クラスの繋がりを褒めてくれるのは嬉しいが、綿原さんの言っていることも本当だ。

 たしかに時と場所くらいは選ぶが、なにせ迷宮の中で多数決を始めるようなメンバーだからな。今回は誰からみても好都合だったから反論が出てこなかっただけで、これが知らない部隊と組めとかだったら意見が割れていたと思う。

 こちらに全会一致をさせるような付き合い方をしてくれたご当人、キャルシヤさんがすごいということだ。



「わかりました。準備するモノや予定経路なんかについては明日の午後でいいですか?」


「素晴らしい。即断即決っぷりが心地いいな」


「どういたしまして」


 最終決断を綿原さんが伝えれば、キャルシヤさんは手を叩かんばかりに喜んでいる。こういうキャラだったのか。シシルノさんに通ずるモノがあるな。とすればシシルノさんとキャルシヤさんを同時に相手にしていたアヴェステラさんは……。その心労が偲ばれる。


「こちらから出す分隊の指揮権も渡そう。わたしも含めてだ。計画段階で考慮しておいてほしい」


「はいぃ?」


 あんまりにあんまりな追加注文に俺の声が裏返った。


 分隊の指揮権って、戦闘時の判断だろ? 騎士団長のキャルシヤさんまでセットで。

 そしてそれの指揮をするのって、まさか。

 気付けば全員が俺を見ている。この話題では部外者なはずのゲイヘン軍団長やヴァフターさんは興味深そうに。


 いや、だけどこれは違うんじゃないか。俺の判断で受け入れを決めるようなコトではないのでは。

 相手は近衛騎士団長だ。迷宮泊を『体験させてあげる』という建前で接待はできる。だけどハウーズ救出のような緊急時ならいざしらず、戦闘指揮をこちらに振るのは面子的に問題にならないか?


「つまり二泊三日の全てを君たちに任せるということだ。安心してくれ、緊急事態と判断すれば撤回する」


「は、はあ」


 なぜか完全に俺の方を向いたキャルシヤさんが、わかりやい言葉で断言してくれた。

 それでも判断が苦しいことに違いはない。


 間抜けな声しか出せなかった俺を、綿原さんがじっと見つめている。

 ここは男を見せるべきかとも思ったが、綿原さんの目にあるのは意気地なしとかそういう色ではない、と思う。むしろ──。


「委員長案件かしら」


 それはもう迷宮委員の範疇を超えるという判断だ。


 綿原さんはすました声で遠慮なく委員長に話を振ってくれた。本当に助かる。

 今回ばかりはなあ。



「キャルシヤさん」


 ため息を吐いて、アヴェステラさんとシシルノさんをチラ見してから委員長が切り出した。


「なるほどそれが君たちの役割分担か。ならばあらかじめ言っておこう。他意はない」


 まさに一刀両断だ。キャルシヤさんは楽しそうな表情をまったく変えないまま言い切る。

 その言葉が全部信用できるなら、俺だって委員長に振ったりしない。さて委員長はどう見るか。


「……アヴェステラさん?」


 委員長はアヴェステラさんに確認を取りにいく。材料程度かもしれないが、勇者担当のアヴェステラさんがこの場にいて、それでいて黙ったままなこと自体に意味はあるだろう。


「勇者のみなさんが判断することでしょう」


 それに対するアヴェステラさんの言葉は、事実上のゴーサインだった。


 俺たちが迷宮の三層に挑みたがっていて、しかも長時間行動したいということを、アヴェステラさんは重々承知している。その上でキャルシヤさんに吹っ掛けられても、否定的なことを言いださない。ということはだ。


 ふと【聖術師】パードを仕込まれた一件を思い出すが、それこそ二番煎じはしないだろう。わざわざアヴェステラさんとシシルノさんが斡旋してくれたキャルシヤさんが、三層で俺たちを害する理由がない。


「わかりました。それでいきましょう。いいかな? 八津」


 顎に手を当て、少しだけ考えた委員長が俺を見る。やるぞと、その目が俺に語り掛けた。


「了解、委員長。綿原さんもそれでいいかな。みんなも」


 綿原さんは無言で頷き、みんなからも異論は出てこなかった。


 諦めというか腹をくくってしまえば、大したことでもないように思えてくる。要はミームス隊と一緒だと思えばいい。相手がヒルロッドさんより一段階……、二段階くらい偉い人に入れ替わっただけだ。まいったな。



「わたしは勇者に含むところはないよ。こちらのお二人は知らないがな」


 俺の了承を受けたキャルシヤさんが物騒なコトを言い、ヴァフターさんとゲイヘン軍団長は苦笑いをする。だからさ、そういう大人たちのやり取りは嫌いなんだって。


「よろしく頼むよ『指揮官ヤヅ』、いや戦闘中ではないから『地図師』と言った方がよかったかな」


「二つ名……、だと!?」


 笑顔のキャルシヤさんが俺に対して変な呼び方をした直後、唸るように古韮が吐き出した。そこにあるのは羨望と……、嘲りだ。

 コイツめ、楽しみながら羨むなんていう器用な表情をしていやがる。


「二つ名ってなに?」


「それはね」


「すっげえ」


「なんか変じゃないっすか?」


「ぷふっ」


 古韮のセリフに釣られたように、クラスメイトたちが好き勝手にざわめき始めた。

 最後の笑いは綿原さんだな。これは胸に刺さる。完璧にクリティカルだ。



「おや、勇者たちは知らされていなかったのかな?」


「なにを、です?」


 楽しげなキャルシヤさんに委員長が震える声を返す。


「勇者のあざなだよ。たしかほかには……」


 とんでもないことを言いだしたキャルシヤさんに、クラスの皆が身構えた。一部ワクワクしてそうなのがいるけど、どういう度胸だ。


「『無手のタキザワ』」


「くっ……」


 初撃ダメージは先生に入ったようだ。先生迫真のくっころ……、か。悪くないな。必死で平静を保とうと努力している姿が美しいとすら思えてしまう。

 だから綿原さん、俺を睨まないでくれ。


 まあたしかに迷宮を素手で渡り歩く人を見たことがない。一部の【聖術師】が手ぶらな光景を目にしたことはあるが、アレは戦うわけじゃないからな。『運び屋』だって粗末な短剣くらいは装備しているし。

 素手で魔獣を倒しまくる人なんて、先生以外でいるのだろうか。【拳士】系の神授職はいくつかあるが、前衛なのに迷宮に向かないという、俺とは別の意味でハズレジョブなんだよな。いくら上位職とはいえ、技で覆して、しかもエースクラスの活躍をする先生とは何者なのか。



「部隊長連中で有名なのは『顔面掴みのナカミヤ』っていうのもあるな」


「わたし!?」


 混乱している俺たちを見てなにを思ったか、ニヤリとしてからヴァフターさんがひとりの名前を挙げた。つぎの犠牲は中宮さんだったか。

 こういうのに耐性がないだろうタイプの中宮さんが、左右を見ながらなぜ自分にそんな名がついたのかわからないとアピールしている。ダメだよひきさん、そこで笑ったら。いつ何時、自分の番がやってくるかもしれないのに。


 ターゲットにされた中宮さんは【豪剣士】だ。迷宮では比較的スタンダードな両手剣を得意にしているため、特段目立った存在ではないだろう。得物は木刀だけど。

 そして『顔面掴み』というフレーズ。これはアレだな、調査会議の場でやったシャルフォさんたちとの四対四バトルが広まっているということだ。

 そもそもヴァフターさん本人もその場にいたわけで、ここで暴露してしまうとはじつに意地の悪いお人だ。


 でもまあたしかにインパクトのあるフィニッシュだったからな。相手の顔面に手を当てて、親指で目つぶしを恫喝してみせたわけだし。だからあれは顔面掴みというより『頬に手を添えて』が正確な気もするが、そのあたりは誇張の範囲か。



「兵卒からの報告では『絵描きのワタハラ』というのが上がってきているが、これは君のことか?」


「はい、そうです」


 ゲイヘン軍団長まで話に乗って発言する。こんどの登場人物は綿原さんだった。この三人、楽しんでいるだろ。

 それに対しまったく悪びれず、むしろ誇らしげに胸を張る綿原さんの姿が眩しい。よかったな、『こん棒術師』とかじゃなくて。


「やったねなぎ


「ええ。朝顔あさがおが手伝ってくれたお陰よ」


 美しい友情だ。百合の花がバックグラウンドになっているよ。


 ところでさっきの自己紹介のお陰か、キャルシヤさんたち三人は俺たちの顔と名前を一致させているようだ。会議に出ていた四人はともかく、全員を一発で憶えてしまわなくてもいいだろうに。それともこういうのが団長たちの能力なのか。


 こんなことを考えていること自体、現実逃避だな。

 あだ名について、こちらの文化がどうなっているのかは知らないが、こうもポンポン出てくるというのは相手が勇者だからか、それともそういうノリが普通なのか、調査の必要を感じる。



「ほかにも……、本来なら教会がうるさいことになるのだろうが、相手は勇者だから文句も言いにくいか。『聖女ウエスギ』という報告が多数ある。それと『御使いのホウタニ』」


「あらあら」


「やった!」


 名を呼ばれた上杉うえすぎさんは頬に片手を当てて首を傾げ、奉谷ほうたにさんは両手を上げてガッツポーズだ。なんでそんなに嬉しそうなんだろう。


 そういえば治療や魔力を渡している時に名前を聞かれたりしていたな。模擬店でも。

 二人ともが聖女と天使にふさわしい行いをしていたのは事実だし。


「なんで俺の名前が出てこないんだよ」


「上杉のキャラに負けてるんだろ」


「うるせえぞ、海藤かいとう


 同じく治療に当たっていたのに名前が出てこない田村たむらがムスくれて、そこに海藤がツッコミを入れる。田村お前、二つ名なんてほしいのか?


「ワタシもほしいデス」


「ミアならそのうちだよ」


「『麗しき弓使い』とかがいいデス」


「名乗れば?」


 学生側からもなにか聞こえてくるが、もはやどうでもいい。放っておこう。



「アヴェステラさん、シシルノさん。知ってたんですか?」


 俺の出番は冒頭で終わったようなので、末席に座る二人に聞いてみることにした。


「お耳に入れようか、迷っていたのですが」


「報告書が飛び交っているからね。勇者の情報は売れるんだよ」


 あいかわらずこの国の情報統制はどうなっているのだろう。こんなくだらないモノなら別にいいけれど、やっぱり先生と中宮さんの技術はそうそう表に出せないな。信じるぞ、勇者担当者たち。



「ねえ八津くん」


「どした?」


 微妙にやさぐれていた俺に綿原さんが声を掛けてきた。返事がぞんざいですまない。


「『絵描き』も悪くないんだけど、やっぱりわたし『サメ使い』がいいのよね。どうしたらいいのかしら」


「綿原さんは積極派かあ」


「カッコいいあだ名ならいいんじゃない?」


 前向きだな、綿原さんは。十年後に頭を抱えてのたうち回っても知らないぞ。



「そうそう、これがよくわからないのだが──」


 いつの間にか手元に資料を持ち出した軍団長が、ちょっと考えてからおもむろに口を開いた。勇者レポートかよ。


「『めった刺しの赤目』というのは……」


 クラスメイトと勇者担当者の視線がいっせいに深山みやまさんの方を向いた。少し遅れて団長たち三人も。

 ゲイヘン軍団長、自己紹介の時に気付いておけよ!


「はうあ」


「深山っち。深山っち! 大丈夫っすか!?」


 のけ反るように椅子の背にもたれかかって天井を見る深山さんの目は死んでいて、藤永ふじながの悲痛な叫びが会議室に響き渡る。


「僕だってがんばったのに」


 夏樹なつきはテーブルを指でなぞってイジけていた。意味がわからん。


 会議室はカオス空間と化していた。

 俺たちはなんの話をしていたのだっけ。


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