第286話 お前を敵と認定しよう
「ん……、む?」
口からこぼれたうめき声で、自分の声が枯れているのに驚きを感じた。
「
「
「そうよ。……
そこまで聞いて、俺は自分が目を閉じたままだったことに気が付いた。
なぜか、瞼が重い。それでも無理にこじ開ける。薄っすらとした光を感じるが、これはランプか?
俺はソファのような長椅子で横になっていたようだ。
なんとか身を起こしてみれば、体に異常がないのを実感できる。痛いところもない。
潤みを帯びた綿原さんの声が聞こえただけで、心の底から安心が溢れてくる自分自身に呆れるが、嬉しいものは嬉しいのだから仕方がない。
光が失われたあの瞬間、うしろから階段を登って来た兵士に拉致されたのは、俺と綿原さんと
だけどなんとなく記憶がおぼろげだな。
「ここは?」
「さあ? 教えてくれないのよ」
「教える……、って」
含みのある綿原さんの言葉を聞きながら、薄目になっていた俺は一息で【観察】と【視野拡大】【視覚強化】にスイッチを入れた。
俺が横になっていたソファの向かい側に同じようなモノが置かれていて、眼もとに涙を浮かべた綿原さんが座っていた。
革鎧の格好ではないが騎士服代わりの鎧下を着ていて、それが『緑山』のモノだとわかった段階で、再びの安堵が押し寄せる。
髪が乱れているわけではないし、メガネもかけている。どこかに怪我を負ったような様子もない。
手足を縛られるとか、拘束をされているわけでもないようだ。それは俺もか。
つまり装備していた革鎧をはがされただけで、それ以上のなにかがあったとは思えないということだ。喜べるような状況ではないが、それでもな。
「笹見さん……、それは?」
「困ったねえ。【熱術】封じなんだってさ」
綿原さんの横には同じような格好の笹見さんがいた。ただし、革製の目隠しを付けられて。
「外そうとしたら怒られちまってね」
アネゴ口調ではあるが、笹見さんからはいつもの覇気が感じられない。こんな理不尽な状況に怯えているのかも。
そう、向かい側にあるソファーに並んで座っている綿原さんと笹見さんだが、そのうしろには二つの人影が立っていた。
革鎧をまとったおじさんだ。二人ともが三十歳くらいで、片方は背が高く、もう片方は本当に普通といった感じの人だった。問題なのは二人の装備している革鎧の色なんだけどな。
なぜ薄黄色で、肩に第五近衛騎士団『黄石』の騎士団章が貼りついているのか。
そんな騎士二人は、綿原さんと笹見さんの背後に立ったまま、無表情に俺と目の前の女子二人を見ているだけで口を開かない。見張りなんだろうか。
このポジションだといくら【身体強化】を持っている二人でも、動いた瞬間に制圧されてしまうんだろうな。って、まさか。
「あの、もしかして俺のうしろにも?」
「ああ。いるぞ。振り向かなくていい」
誰に向けるでもなく言ってみれば、思いがけずにうしろから声が返ってきた。渋い感じで、こちらもまた男の声。たぶん女子二人を見張っている人たちと同じような年齢だろうと想像できる。
まったく口を開かないわけではなさそうだ。
「正真正銘の『黄石』の騎士さんたちよ。そして、ウチのお客さん」
「世話になったな」
綿原さんが彼らを『黄石』の近衛騎士だと断言すれば、妙な返事をしたのは彼女のうしろに立っている騎士だった。
「お客さん?」
「模擬店の常連さんよ。今日も来てたわね」
『お客さん』という単語の意味を聞けば、綿原さんが軽口で教えてくれる。
なるほど、だから顔を憶えていて、本物だと判断できたということか。伊達にコンビニの娘をやっているわけじゃない、と。
「アレが最期になりそうなのが残念だ。美味かったよ、本当に」
騎士が綿原さんに向けたその言葉で、今日が今日のままだということがたぶん確定した。彼女のうしろにいる騎士が口を滑らせただけなのか、それとも隠すような情報でないのかはわからない。
視界の右に窓があるが、光は差し込んできていない。チラリと星が見えたので夜とは判断できる。ということは拐われてからそれほど時間は経っていないのか。
アウローニヤはこの季節、夜が短い。日の入りが十九時くらいで夜明けは四時くらいだったはず。俺たちが階段を登っていたのが十七時くらいだったから、捕まってから半日は経っていない計算になるのか。
俺たち三人がいちおう無事でここにいて、『黄石』の騎士たちに見張られているのはわかった。場所自体が『黄石』の敷地なのかまではわからないが、拉致されてから時間がそれほど経っていないのもだ。
さて、俺はどうしてこうなった。どこまで憶えている?
すごくとてもかなり気になっているのは、綿原さんが『サメを浮かべていない』コトなんだけど。
◇◇◇
『ほらよ。預けるぜ』
『受け取ろう、予定通り三人か』
『聖女とやらはムリだったがな。代わりに導師は確保した』
『後衛を選んだんだろうな?』
『そりゃまあな。それと指定されてた『地図師』はコレだ』
おっさん声同士の会話が記憶に蘇る。
最後に綿原さんが頭から袋を被せられていたように、俺も同じようにされたんだろう。
視界が真っ暗になってから数分しか経っていないと思うタイミングで、俺は全身を布に包まれた。今になって思い返せば、体ごと袋に入れられてしまったのだろう。
まるで詰め替えるように扱われ、そしてまた抱え上げられたのが感覚でわかった。
『ちっ、こいつ【熱術】使いやがった。見えてないから好き放題か』
『こっちは変な砂だ。これだから術師は面倒だな』
『前衛に暴れられるよりはマシだろう。顔の袋に薬を塗っておいた。もう少しで大人しくなる』
◇◇◇
そんな会話があったと思う。
薬か。眠り薬が頭の袋に入っていたんだろう。だから意識が途切れたのか。
それにしても笹見さんと綿原さんも無茶をしたんだな。視界が通らないのに術を使うとか。狙いもなにもないから、当たるわけもないだろうに。それでもやらずにはいられなかった気持ちはわかる。
それよりなにより、犯人の狙いが聖女な
俺がターゲットというのが意味不明だが、綿原さんは巻き込まれただけ?
許せる理由がないな。
瞬間的に頭に血が上るのが自覚できる。おちつけ【平静】を使え。たぶん綿原さんと笹見さんもそうしているはずだ。
俺たちは拘束されているわけではない。
笹見さんの目隠しは不可視な【熱術】への警戒で、綿原さんがサメを出せていないのは、この場に『サメの材料』になりそうなモノが存在しないからだ。つまり相手は俺たちのコトをある程度わかっている。
上から教えられたのかどうかは知らないが、後衛を選んだという言葉からも俺たち三人が【熱導師】と【鮫術師】、【観察者】だということはバレているのだろうし、持っている技能や戦闘スタイルも知られていると考えた方がいい。
その証拠に、この部屋にはふたつのソファーがあるだけで、それ以外のものは壁に取り付けられたランプくらいなものだ。【水術】も操る笹見さん対策かもしれないが、水ッ気のあるものがひとつも置かれていない。もちろん砂状の物体も。
木製のドアがひとつで、入り口の反対側の壁にはガラス窓が四つ。ここが何階かはわからないが、ドアをけ破ろうとしたり、窓を割って脱出しようにも即座に三人の騎士に制圧されてしまうだろう。
だからこそ背後を取ったままのマンツーマンということだ。俺の【視野拡大】でも真後ろは見えたりしない。
さて、どうしたものか。とくに目隠しをされたままの笹見さんが可哀想だし。
「あの」
「なんだ?」
思い切って声を出してみれば、背後からの返事があった。さっきの綿原さんもそうだったが、ある程度の会話はしてくれるようだな。
「ここはどこで、俺たちはどうなるんでしょう」
「言うと思うか?」
「いいえ」
「お前たちは利口で聞き分けがいいし、状況判断ができる者たちだと聞いている。俺も実感したいと思っているんだが」
「それはどうも」
大人しくその時を待て、ということか。
「仲間と会話をするのは?」
「さっきもしていただろうに。度を過ぎれば手出ししてもいいといわれている。それと、お前たちの母国語はダメだ。俺に理解出来ない言葉が出れば、わかるな?」
「はい」
日本語交じりの作戦会議は禁止されたわけだ。やっぱりこの人たちは勇者を知っている。
追加された情報としては、この三人には上司なのか指示を出した人間がいるということくらいだけど、当たり前だよな。隠す必要がない。
この場の状況は『誰か』の来訪を待っているだけとしか思えないのだし。
ここはひとつ女子二人を安心させるためにも軽い雑談でも、と思ったところでドアがノックされた。
「どうぞ」
それに反応したのは俺の背後の騎士だ。この場にいる三人の騎士の中で、リーダー格なのかもしれないな。
扉を開けて入って来たのは二人。
片方は四十くらいの短い茶髪でガタイの大きいおじさんで、『黄石』の騎士服を着ている。
もうひとりは、おじいちゃんだ。白髪で白い顎鬚を伸ばし、枯れ木のような細い体に、この国では珍しく黒に近い灰色の文官服をまとっている。
「あなたたちはっ」
俺の向かいに座る綿原さんがその二人を見て、唖然としたような声を出す。笹見さんは見えていないだろうけど、俺も驚くしかない状況だ。
俺たち三人どころか一年一組の全員が、この人たちを知っている。
第五近衛騎士団『黄石』団長、ヴァフター・なんとか・バークマットさんと、アウローニヤ王国宰相、バルトロア侯爵。
ド本命の登場ということか。
◇◇◇
「勇者の皆様にお会いするのは騎士団の創設式典以来ですな」
枯れてはいるが優しい声で宰相が話しかけてきた。
向かい合わせに配置されたソファーの片方に俺、綿原さん、目隠しのままな笹見さんが並んで座り、反対側には宰相とヴァフターさんだ。
笹見さんに『熱球』をブチこんでもらいたいところだが、距離は伝えられても位置がなあ。仮にやったとしても、そのあとが続かない。笹見さんの魔術は余程の急所に当たらない限り相手を倒せるようなモノじゃないからな。
激高されて反撃されたら目も当てられないし。
「ササミ殿には申し訳ありませんな」
「手出ししないから外してほしいんだけどねえ」
全然申し訳なく思っていなさそうな宰相の言葉に、笹見さんは虚勢を張った。
なにげに笹見さんは弱気な部分があるからな。ましてや目隠しをされたままなんて、精神的にキてるんだろう。
「ですが勇者の皆様にはお話しをしておきたいことがあったのですよ。出来れば全員揃ってが望ましかったのですが、そこが残念ではありますな」
柔らかい口調のままの宰相だが、細めた目は全然笑っていない。そもそも口元すら含めて笑い顔ではないからな。
「よくもあの場に降臨してくださいましたな。よくも簡単に強くなられましたな。よくも王女殿下に靡いてくださいましたな。私に付けば、末永く安寧に暮らせたものを」
おじいちゃんの恨み節とか、孫みたいな世代の俺たちに言うことがそれか。柔らかかった口調がどこかに消え去っているぞ。
あまりに馬鹿馬鹿しくて返事をする気にもなれない。
一年一組を呼んだのはアウローニヤだ。正確には迷宮かもしれないが、儀式をやったのはそちらだろう。
強くなったのはチートが少しは関係していても、俺たち全員が話し合ってがんばったから。それがそっちの予想を超えたからといって、文句言われる筋合いはない。
王女様に付いたのは、そうやって誘導されたからだ。俺たちの意思は大した混じっていない。こうやって拉致された段階で、そっちに付かなくて大正解だと思っているぞ。
そして最後だ。末永く?
ふざけるな。俺たちは山士幌に帰るために行動しているだけだ。騎士団になったのも、宰相と敵対するハメになったのも、全部オマケでしかない。
俺たちがこの世界に骨をうずめる気など欠片も持ち合わせていないのが、この期に及んで理解できていないのか?
「まったく王陛下のお戯れには困ったものですな。なにが『勇者との約定』か。古い伝承を持ち出し、自尊などとは。御しきれなければ意味もないでしょうに」
ついには王様批判だ。
こっちはあんた方が王様を操りやすいようにいろいろと画策してきたのは知っているぞ。たまたま枠を外れただけでこのザマだ。自分の不手際を人のせいにするもんじゃない。
「まあいいでしょう。事は戻せませんからな」
ため息をひとつ吐いた宰相は、ソファーから立ち上がった。
「私はそこの【熱導師】だけで構いませんぞ。残りの二人はバークマット卿に預けましょう。あとは手筈通りに、三人の運び出しを頼みますぞ」
「わかってますよ。宰相閣下も急がれた方が良いのでは?」
不穏すぎる会話が耳に入ってくる。
笹見さんだけを宰相が必要としている?
俺と綿原さんはヴァフターさん……、ヴァフターが?
「では最後にひとつ」
その言葉を吐いた宰相は酷く醜い、今度こそ本当の笑顔になった。シシルノさんのとは違う、本当に邪悪な笑い顔。
そして部屋に打撃音が響く。
宰相が手にしていた木の杖が俺の肩を叩いた音だ。気にはなっていたんだよな。これまでそんなモノを持ってたところを見たことがなかったから。なるほど憂さ晴らしにということか。
「八津くんっ!?」
「どうしたんだい!? なにさ、今の音」
「杖で肩を叩かれただけだ。大丈夫だよ、二人とも」
綿原さんと笹見さんが俺の心配をしてくれるけれど、全然大丈夫。俺はできるだけ優しげな声で二人を宥めるだけだ。
ついでになにをされたかを語ったのは、場が見えていない笹見さんへの注意喚起だな。これで二人は構えるはず。
宰相の神授職が何かは知らないし、階位ももちろんわからないけど、こっちは後衛とはいえ九階位で【痛覚軽減】持ちだ。木の枝ひとつでどうにかなるものではない。
宰相が杖を振り上げた瞬間に動き出そうとした綿原さんだったけど、それは俺が目で制した。それくらいの余裕があったということだ。
「若造どもが生意気なっ! お前もだ!」
続けて綿原さんと笹見さんにも同じように杖を振り下ろし、二人の肩を叩いた宰相は、その時点で息が荒かった。
おじいちゃんには残念かもしれないが、綿原さんと笹見さんは【痛覚軽減】どころか【身体強化】持ちだ。そんな打擲に意味はない。
綿原さんは黙ったまま、見えていない笹見さんは、それでもビクリとしただけで無言を貫いてみせた。
「ふんっ!」
俺にはオマケの一発が反対側の肩に飛んできたな。これで終わりか?
「次にお会いすることがあるかはわかりませんが、勇者の活躍を祈っておきますぞ」
捨て台詞を吐いた宰相はこちらに背を向け、扉に向かう。
もちろん俺たちからの返事はない。そんなものは必要ないから。
だけど宰相、アンタはやらかしたよ。
俺はいいとして……、あんまり良くはないけれど、ちょっと痛かった程度だからどうでもいい。
許せないよな。笹見さんと綿原さんに暴力を振るいやがった。これはダメだよ。
一年一組は王女様の策謀に乗せられる形で、選択する間もなく自動的に第三王女派になった。そういうところがあの人の凄いところだろう。
もちろん最初から宰相に好印象など持っていなかったが、それは日本にいた頃にテレビの向こう側に映っていた『悪いことをしていた政治家』くらいの感覚だったんだ。調べるうちにどんどん嫌いになっていったけどな。積極的にざまぁされろ、とまでは思っていなかったんだよ、俺としては。
拉致騒ぎにしたところで黒幕だろうと見込んでいても、恨みはむしろ実行犯に向くのは当然だろう。なんといっても俺たちは高一だ。背後の巨悪よりも目の前にいる犯罪者にこそ罪を感じるんだよ。
それも今この瞬間でおしまいだ。お前は敵でしかない。
自分の野望を叶えるためとはいえ、王女様は誠意を尽くして、俺たちとの約束を守ってくれているぞ。
一年一組を理解しようとしていて、今もそうしている最中だ。
ところで宰相、アンタはなにをした?
突然現れた蛮族を利用することだけを考えて、上っ面だけに価値を見出していただけじゃないか。笹見さんは笹見さんであって【熱導師】なんて名前じゃない。
ドアの閉まる荒い音を聞きながら、俺は決意する。
綿原さんと笹見さんだけは、どんなことをしてでも助けてみせるんだ。クラスのみんなが来てくれるのを期待しているのは本当だけど、こっちはこっちで足掻かないとダメだろう。
それぞれができることをやってこそ、山士幌高校の一年一組を名乗れるというものなのだから。
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