第89話 凪になるまで




「今回の事例を体験した上での推測になるのだけどね」


「はあ。あ、はるさん突っ込みすぎ、三メートルくらい手前で!」


「『迷宮の成長』は泡がくっつくような感じなのかもしれないと思うんだよ。少なくとも今回に関しては、だけどね」


「そうですか。ひきさんは草間くさまと少し交代ね。怪我しないように距離を取って」


「もちろんそういう形態があるというだけで、ほかの様式だって十分あり得るだろう。こればっかりは知見を積み重ねるしか──」


 どうして俺はシシルノさんの話し相手をしながら指示出しをしているのだろう。



「えっと、シシルノさん?」


「ん? どうしたんだい」


「その、えっと、戻ったらゆっくり迷宮談義をしましょう。白石しらいしさんも一緒に」


「それはいいね」


 さすがに集中が乱れる。地上に戻ったらいくらでも話を聞くし、意見も言うから。主に白石さんが。


 すぐ横でびっくり顔をしている白石さんと視線を合わせないようにしながら、俺は指示を出し続けた。集中だ、集中。



 ◇◇◇



 ハッキリ言って戦況は安定している。


 運び屋たちにうしろに下がってもらって、俺たちが前に出た。

 しばらく戦っている内に治療を終えた運び屋が前線に復帰してくれれば、それだけで十分だった。


 結局は勇者を失いたくない、というより『運び屋が無事な状態』で俺たちが一人でも欠けるのがマズいという判断だったわけだ。

 あまりに馬鹿馬鹿しいとも思うが、それが王国の常識なのだからどうしようもない。普段の戦闘なら少々の怪我も訓練の内という扱いだが、今回のようなイレギュラーだと事情は変わってくるから面倒な話だ。


 最初の迷宮の時に野来のきが怪我をしたケースがあったけれど、アレは『黄石』のヴェッツさんの判断だったかな。たしかネズミが二十体くらいという話だったから、今回とは危機感が違い過ぎるか。それとも責任者の性格に違いがあるのかもしれない。ヒルロッドさんは仕事にお堅いイメージがあるし。


 王国の人たちは身分に厳格なのに、変なところでルーズだったりするのが文化の違いを感じてややこしい。建前でも『王家の客人』たる俺たちを嘲笑したり、突っかかってきたり、逆にへつらってみたりと、怒る前に戸惑ってしまうというのが本音だ。


 こちらの常識を調べていた藍城あいしろ委員長や先生曰く。


『建前としての身分のほかに、家の歴史や血筋、親戚、あとお金。日本でもそういうのはあるけど、こっちは酷すぎるよ』


 だそうで、それでいて法律の抜け穴が多すぎるから、ケースごとに経過や結果が一変するらしい。


『家格・血統・拝金、権威主義、法の恣意的運用、意味不明な横の繋がり、マニュアルの未整備などなど。組織が腐る理由が山ほどありますね』


 これは先生が王国に下したジャッジだ。俺たちと違って社会人視点だと、かなり厳しい採点になるとか。

 前にも思ったが、この国の庇護下にいるのがすごく不安になるな。


 などと考えながら、俺は随時指示を出して戦闘を見守るわけだ。



 ◇◇◇



「上がった! 上がったっす!」


「やったね、藤永ふじながクン」


 四階位になった藤永がガッツポーズをして、ちょっと前に先を越していた深山みやまさんがそれを讃えている。実に美しい光景だ。


 戦闘が始まって一時間以上は経っただろう。

 二層に転落したときと違って、一か所でここまで長い間戦うというのは初めての経験だ。



「今更だけど、生臭いよね」


「だな」


 サブリーダーたる奉谷ほうたにさんは鼻をつまんでいるせいで、面白い声色になっている。いちいちやることが可愛いよな。まなじりに涙なんかを浮かべているところも。


 彼女の言うとおり、広間はもう凄惨な光景になっていた。

 戦闘の邪魔になるからと倒した魔獣が壁際に蹴り飛ばされているせいで、かなり広いはずの部屋なのに、俺たちを中心に辺りに鮭の山ができている。赤紫の血が床一面に広がって、プールみたいな水深こそないものの、広大な水たまりのようだ。


 鮭を殺すのは大丈夫でも、その後の光景に薄気味悪さを感じるのはなんだ。【平静】を意識しながら、心の中でここはイクラ工場なんだからと言い聞かせている自分が情けない。



「とってもイヤなコトをしてるのに、みんなで頑張るのは嫌いじゃないって。なんか変な感じだよね」


「ん?」


 奉谷さんがふと変な物言いをした。意味がわかるようなわからないような。


「ボクは……、みんなで一緒に帰りたいな」


 それは匂いのせいなのか、凄惨な光景だからか、それとも心が痛いのか。小さな奉谷さんの頬を涙がつたっていた。


「そうだな。みんなで帰ろう」


「だよね!」


 そして笑ってくれる。


 苦しいのにそれを感じさせない上杉うえすぎさんや、いつも突き抜けて明るいミアとも違う。奉谷さんの強さは、感情を全部表に出しながら最後は笑っているところだと、心から思い知った。

 あやかりたいし、それを言葉にしたいとも思うけれど、俺も男だからな。黙ったままで見習うことにしておこう。



「あ、それとね。戻ってから面白いお知らせあるから」


「え? どういう?」


「いまはナイショだよ。期待しててね!」


「あ、ああ」


 くるくると表情を変える奉谷さんだが、女子にナイショとか言われると、ちょっと心が跳ねる。

 いま言わないということは緊急ってワケでもなさそうだし、楽しみにしておくか。


 奉谷さんの雰囲気からいい知らせだと思うし、そのためにも全員無事で戻らないといけないな。



 ◇◇◇



「やった。四階位、なれた」


 返り血で革鎧を染め上げた白石さんが、たどたどしくレベルアップを告げた。


 どれくらい時間が経って、どれだけ魔獣を倒したのかは、もう定かではない。

 それでもこれで全員だ。三階位だったクラスの全員が四階位を達成した。



「激闘だった」


「そーだな。アタシも疲れたよ」


「後衛お疲れ様。四階位おめでとう」


 疲れたと言いつつ笑顔のひきさんだけど、中途半端な神授職のせいで半分以上の時間を後衛で我慢してくれた。

 前衛で体を張るようなことはしなかったけれど、俺が安心して指示出しをやれていたのは彼女のお陰でもあるわけで。だから、切望していたレベルアップにおめでとうだ。



 ここまで長かった。

 俺も含めて、大怪我まではいかなくても結構なダメージをもらった連中もいる。


 ヤバかったシーンを抜粋すると──。


 俺が鮭魔獣を受け止めそこねて顔面に一撃をもらって、大騒ぎになったとか。


 四階位になって調子に乗っていた古韮ふるにらが尻もちをついて、うしろに敵が流れまくったとか。


 ひきさんが独り、背後から来たタマネギと激闘を繰り広げたとか。


 ずっこけた夏樹なつきの背中に鮭が降ってきて、つられてなぜか白石しらいしさんまで転んでいたとか。


 頭上を飛び越えようとした鮭に対して、上杉うえすぎさんが淡々とメイスで叩き落としたのを見て、田村たむらがビビりまくっていたとか。


 ほかにもたくさん、一年一組全員にそれぞれのドラマがあった。そこにロマンがあったかはわからない。



「あのさ八津やづ


「ん、なに?」


「なんか達成感出してるけどさ、まだ終わってないんだけど」


 そのとおりなんだよ、疋さん。

 現実逃避的回想をしていたけれど、鮭魔獣の津波はまだ終わっていない。


「しかも、不毛なんだよな」


 一層の魔獣で四階位を五階位に上げることは、ほぼ不可能だとされている。

 三桁以上倒して、もしかしたら上がるかも? くらいの話だそうな。


 つまりここからはレベリングにならない。ただの作業だ。

 技能の熟練上げや実戦経験を積めるという意味では無為ではないけれど、やっぱりどこか虚しさがあるな。



「おいおい、やっと見つけたぜ」


「勇者様は潜るたびになんかやらかさなきゃ気が済まないとか、そういう決まりでもあるのか?」


 荒々しい声とともに現れたのは、ジェブリーさんやヴェッツさんたち騎士が二十人。

 第五近衛騎士団、『黄石』のカリハ隊だ。探しに来てくれたのか。



「階段下で待っていたのに戻ってこないと探してみれば、このザマだ」


「すまん。助かったよ。前を頼めるかな」


「ああ。お前ら、酷い格好だぞ」


 隊長仲間のジェブリーさんとヒルロッドさんが視線を交わして、カリハ隊が前に出てくれた。

 最前線をずっと七人で守っていた近衛騎士が、元気いっぱいの二十人と入れ替わる。つまり──。


 たぶんそれから三十分くらいで、鮭魔獣の群れは消え去った。



 ◇◇◇



「つまりはだね、今回の場合は迷宮が伸びたのではなく、元々どこにも通じていない区画があって、そこと接続されたと考えると納得できるんだよ」


「えっとそれは、出てくる魔獣が多かったからですか?」


「そのとおり。枝が伸びるような成長の仕方では、ああはならない」


「どこにも繋がっていない、シシルノさんみたいに言えば『迷宮の泡』に鮭魔獣が溜まっていたってことですよね」


「そうだが、ところで『しゃけ』とはアレのことかな」


 シシルノさんと白石さんの迷宮談義を耳にしながら、俺たちは地上への階段を登っている。


 鮭魔獣が大量に現れた理由は、たしかにシシルノさんの理屈で通ると思う。

 クラフト系のゲームでありがちな、未発見でどことも繋がっていなかった空洞を開通させてしまったというパターンだな。当然誰も入ったことがない場所で、そのくせモンスターはポップし続けていたから、うじゃうじゃ群れになっていたと。


 迷宮とはいったい全体なんなのだろう。



 結局、鮭魔獣の氾濫はラスボスが出るわけでもなく、段々と薄まってそのまま終わった。

 物語的にはなんとも締まりのない終わり方だけど、誰かが恣意的に何かをしない限り、こんなものかなとは思う。俺たちを嫌っている人間が、ワザと危険地帯に連れ込むとか、そういうパターン。


 ヒルロッドさんたちは地上に戻って上に報告をするわけだけど、当面一層は警戒態勢になるだろうということだ。


 氾濫を鎮圧したあと、そのまま門の先を調査するという選択は、もちろんなかった。シシルノさんは残念そうだったけど、俺たちという荷物を抱えてやることではない。

 明日以降に調査隊みたいなものを編成して、新しく登場した区画の探索とマッピングが行われるだろう。



「あの、ヒルロッドさん、今日は勝手を言ってすみませんでした。ですので」


「わかっているよ。君たち『勇者』を無事に地上に戻すために、運び屋を効率的に運用した。そうだろう?」


「はい。そのとおりだと思います」


 委員長はヒルロッドさんに繰り返し確認している。


 実際そのとおりなわけで、物事というのは言い方ひとつで見えるモノが変わってくるという話だ。 俺たちは運び屋に情けをかけたわけではないし、生き残るための最善を選んだ。そうだよね? という感じの報告書が出来上がるだろう。

 あんな展開で運び屋たちが罰を受けるなんて、可哀相というより俺たちの寝覚めが悪すぎる。ヒルロッドさんには、せいぜい勇者の機嫌を損ねないように頑張ってもらうしかない。すみません。



「三回入って毎回トラブルって、ちょっとどうかと思うわ」


「そうだよな。これって勇者特有のトラブル体質ってヤツかも」


 綿原わたはらさんと横並びに階段を上がっている途中で、今日はこうして二人だけで会話をしていなかったことに気が付いた。


「まあ一日でみんなが四階位になれたのは良かったけどね?」


「どうかした?」


 なにか言い方が妙だったような、イントネーションに棘っぽいモノを感じるというか。



「奉谷さんとか白石さん、それと疋さんともよね。女子を侍らせて指示を出すとか、主人公みたい」


「ちょっ、言い方っ」


「わたしはメイスを振り回してただけだったけど、みんなを動かしてた八津くん、結構カッコよかったわよ?」


「はえっ!?」


 勘弁してくれ。変な声が出たじゃないか。



「今日はムリでも明日は鮭祭りかな。ふふっ、ちょっと楽しみかも」


「……醤油が恋しいよ」


「そうね。それより早く戻って、お風呂に入りたいわ」


 三回目の迷宮探索は終わったけれど、今日という一日はまだ終わらないらしい。

 俺たちは持てる限りの鮭を担いで階段を登る。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る