第115話 迷宮を要求する
「丸く収まったようでなにより」
せっかくいい話になりかけたところで、またもやシシルノさんが会話に首を突っ込んできた。
アヴェステラさんがとても嫌そうな顔を必死に隠しているけれど、俺の【観察】を逃れることはできない。見たくもないものまで見えるのも考えものだな。
「どうやらわたしは君たちに信じてもらえているようだし、せっかくなので付け加えておこうか」
シシルノさんはお構いなしだ。
とても嬉しそうに、悪い顔をしている。
「アヴィが君たちに渡した資料だが、本当に隠し事はしていないんだよ。人事、財務、軍事情報、まあほかにもあるけれど、機密に当たるモノはもちろん除外されている。が、開示等級としては一般事務官相当だ」
そんなセリフを聞いたアヴェステラさんは大きくため息を吐いた。知らない人が見ればシシルノさんに呆れたようにも感じたかもしれない。
だけどアヴェステラさんが王女様の隠密メッセンジャーをしていることを俺たちは知っている。
それだけに、俺たちにはそれが善意なのか、狙いがあってのことなのか、それとも『王家の客人』たる者に対する通常の行為なのか、判別できないのだ。そこからまた
俺たちとアヴェステラさんは、ここのところ疑心暗鬼まみれな関係だからな。彼女は悪くないのはわかっているつもりなのだけど。
そういうところが委員長の哀愁を誘うのかもしれない。
「そこから君たちは様々な情報を得て、推測して結論を出した。そうさ、わたしが君たち高く買っているのは、そういう思考形態そのものだよ」
そんな俺の葛藤をよそに、高らかにセリフを歌い上げながら両手を広げたシシルノさんは、良い笑顔でこちらを見ていた。
前にも聞いたようなセリフだけど、シシルノさんはこの世界の社会常識とは少し違う思考回路の持ち主だ。とくに研究について議論を進める場合、俺たちと同じように思い込みや慣習を捨てて、実証や論理的な仮定を好む。このあたりの機微はアウローニヤの一般人には通じにくいだろう。
だからアヴェステラさんたちは、なぜ俺たちがここまでシシルノさんを支持しているのか、本質的に理解できていないのだと思う。
シシルノさんの場合はその愉快な性格もイカすのだけど、これもまたサブカル系大好きな日本人にしかわからない感覚なのかもしれない。
方や中間管理職で、もう片方は研究バカ。後者が信用されていると知ったアヴェステラさんはさぞや複雑だろう。
あとでフォローしておかないとな。主に委員長が。
「……ジェサル卿。お話をつづけても?」
「ああ、もちろんだよ」
ツンと澄ました顔をしたアヴェステラさんがシシルノさんに釘を刺した。もちろんシシルノさんはしたり顔で了承する。
やっと話が進むようだ。
ところでこのお二人、王国にあるという貴族が通う学校の同期だったらしい。十以上も歳が離れたお姉さんたちだ。どんな学校生活を送っていたのか、ちょっと想像するのが難しいな。
シシルノさんからは常時、アヴェステラさんからごく稀に愛称呼びが飛び出てくるのもそれが理由だ。
学園編か。今のところ俺たちには関係なさそうだな。フラグとかではなしに。
貴族令嬢だったお二人だけど、アヴェステラさんはいまや子爵家当主。それはいいのだけれどシシルノさんは本気でなんなんだろう。悪役令嬢の反動なのか、それとも科学という自由の翼を得てこうなったのか。
ちなみにメイドのアーケラさんとガラリエさんも貴族令嬢で、ベスティさんは平民上がり。それでも王城には騎士爵クラスがぞろぞろいるので、目に見える垣根を感じることはない。部署にもよるのかもしれないけれど。
「わたくしたちとしては、みなさんに今以上の環境は提供できかねます。正確に言えば現状を維持し、そこからは都度相談としか」
アヴェステラさんのそのセリフには『帰還以外のコトで』が挟まっている。
この国基準で、この世界の倫理で、俺たちが本当に優遇されているのは先日知らされた。
安全な住居、食べるのに困らない生活、迷宮での活動。異世界ハーレムダメゼッタイが徹底されている以上、あとはもう望むべくもない状態だ。ネット環境とかスマホの充電が欲しいけど、後者については【雷術師】
「けどよお、三年後とかいう話、俺たちに関係あるのかよ。俺はそんなに長居するつもりはないぞ」
「だな。俺もだ」
荒っぽい口調で会話に入ってきたのは見た目ヤンキーの
ガラの悪い言い方をする二人だけど、これには俺も同意だ。それどころかクラス全員の一致した感覚だろう。
できることなら明日にでも帰りたい。
だけどそれはみんながわかった上で、どうしようもないと結論付けられたことでもある。
それでも吐き出したかったんだろう。俺と一緒で佩丘の家は母子家庭だ。しかも一人っ子。母親はどれくらい心配しているだろう。
田村だってクリニックの一人息子で大切な跡継ぎだ。それをいったらウチのクラスは家業の跡継ぎが多い。
べつに家を継ぐとかだけの話ではない。
俺にだって母さんと
さっきまでシシルノさんによるアヴェステラさんイジりでちょっと和んだ気持ちが一気に下がった。
もともと近衛騎士総長の件も楽しくない話題だったし、帝国のコトも出てきて、場が面白くなるわけがない。ちょっとの間の悪ふざけは楽しいけれど、いつまでもやっているわけにもな。
「佩丘、田村」
「ああ……、わりい」
海藤が一言名前を呼んで二人を諫めれば、佩丘は顔をしかめて頭をガリガリと掻きながらも息を吐く。もしかしたら【平静】を使ったのかもしれない。
「俺もだ、すまん。すみませんでした、アヴェステラさん」
「すんません、でした。アヴェステラさん」
そして田村と佩丘が順番にアヴェステラさんに謝った。
ふたりともバツの悪そうな顔をしているけれど、普段と違うからこそ謝意が伝わる。変なコンビだ。
「いえ、みなさんのお気持ちを考えれば」
アヴェステラさんの口調からはなんだろう、前までとはちょっと違う感情が感じられるような。
最近の、そう米騒動のあたりからアヴェステラさんの表情が豊かになって、距離が一歩近づいているような気がする。もしそれが俺たちに心を開いてくれた結果だとしたら嬉しいのだけど。
「ああ、えっと、三年も先の話はとりあえずあとで考えよう。今回の件はまあ……、誰か希望とか要望とかあるかな?」
困り顔をした委員長は要望らしい要望がなかったのだろう、ほかを頼ることにしたようだ。
この場合、俺たちはなにを希望したらいいのか。
オカズを一品増やしてくださいとか言ったら笑いを取ることができるかもしれないけれど、この場でソレもなあ。スベったら寒いことこの上ないし。
三年間は戦争が起きないだろうから安心というのは、正直なところ信用できない。そもそも希望的観測だろうし、帝国がそこまで待ってくれる根拠がどこにあるのか怪しいものだ。
戦争が怖いから出ていくというのは無し。もちろん逃げ出すのもダメ。
この国は勇者という看板を掲げていたいからこそ、俺たちを優遇してくれている。出ていくなんて言ったらどんな手のひら返しがあるかわかったものではないし、逃亡しようものなら当然追手がかかるだろう。それこそ十階位以上の騎士団に来られたら俺たちに太刀打ちできないことは、さっき近衛騎士総長が証明してくれた。
そもそも逃げる場所にアテも無いわけで。
結局のところ帝国という新事実が発覚したところで、俺たちに取れる手段はひとつだけだ。
「いいかな」
「
ちょっとビビりながらも手を挙げた俺を、委員長はしっかりと見てくれた。そして頷いてもくれる。
謎の信頼っぽいのはどこからくるのだろう。ほかの連中の顔も全部見えている俺からすれば、黙って見守ってくれているのは、結構重たい。
「あの、俺たちが迷宮に入る日程って、どう決めているんですか?」
担当者たるヒルロッドさんに向き直って、俺は質問から始めた。
ああ、喉が渇いた気がする。
「んん、そうだね。従来の素材採取があるから、そのあたりを考慮してかな。ほかの騎士候補もいるしね。あとは魔獣の密度と相談だよ」
ヒルロッドさんは少しだけボカした表現をとった。
表情も一瞬変わったぞ。当然それを見逃す【観察】ではない。いまさらそういう気遣いをしてくれなくてもいいのに。
「今回計画した二泊三日は当然実行するとして、それ以後の迷宮に入る日程を希望させてもらえませんか。もちろん迷宮泊も含めてです」
「それは……」
ほかの連中と迷宮で出会って、面倒くさいことを避けたいという思いがヒルロッドさんにはあるのかもしれない。
それともちろん、安全性も。
「たとえほかとかち合っても衝突はしませんし、魔獣狩りは俺たちなりに全力でやります。もちろん安全にも配慮して」
一回目のときに三班で揉め事が起きて、二回目には俺たちが転落した。そして三回目に至っては鮭氾濫だ。我ながらトラブル続きだな。王国側がナーバスになるのもわかる。
だけどもうそろそろいいだろう。
一層では四階位が限界で、一年一組は全員がそれを達成してしまった。この先はどれだけ一層にいても、戦闘経験以外に意味がない。そんなのは二層に行く途中でやればいいだけのことだ。
「事故が原因でしたけど、一年一組は全員が二層を経験しています。特に俺と綿原さん、上杉さん、ミアは、言ってはなんですけど慣れました」
ちょっとだけ笑い声が聞こえたぞ。しかも綿原さんとミアが混じっていた。当事者だろうに。
逆に王国側は真剣な表情で俺を見ている。いや、シシルノさんだけは半笑いかな。
「ミームス隊の都合がつかないなら、俺たちだけでも行かせてください」
「いや、それはさすがに」
黙って聞いてくれていたヒルロッドさんだけど、さすがにツッコんでくるか。織り込み済みだ。
「そのときはガラリエさんたちを頼ります。アーケラさんやベスティさんにもお願いします。いいですよね?」
「それは……、わたしたちが同行するのは認められましたが」
メイド隊を代表して、ガラリエさんが困惑顔で返事をくれた。どうせお目付け役だろうし、いちおうは前向きかな。
「俺の願いは、とにかくたくさん迷宮に入って強くなることです。しかも急いで。そのために便宜を図ってください」
今の俺たちにできることは、これしかないから。
「みんなもいいかな?」
俺はクラスメイトたちを見渡した。
まるで運命のようにと表現したら臭すぎるかもしれない。
けれどだ。俺たちを呼び出す原因になった魔力の増加、たぶん同じ影響で増えている魔獣、三年後にやってくるかもしれない帝国への対応、帰還のためのヒントの在り処。
全部の答え、対応の術は、迷宮にある。妙な確信があるんだ。
ならば帰還のために、少しでも早く、とにかく回数をだ。
「ついでにさ、どんどん強くなってみんなが十階位くらいになったら──」
ああそういえば、そうなった頃には騎士団になっているのか。騎士団長は先生で決まっているから、どういう名前にするか、みんなと相談しておかないと。
「全員総がかりで近衛騎士総長をぶっちめる、っていうのは、どうかな? こんどはこっちから挑戦状を叩きつけてさ」
追加で理由もできたからな。
なにせ我らが聖女、
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