第131話 魔獣の素




「魔獣の偏りを綿原わたはらさんと白石しらいしさん、奉谷ほうたにさん、そしてベスティさんが見つけてくれました」


「……」


 俺の出した、理屈はあってもそれなりに無茶な提案にヒルロッドさんは黙り込んでいた。


「そこから田村たむらと俺で考えました」


「……ヤヅはこう言っているが、君たちも今初めて聞いたのだろう?」


 やっと答えてくれたヒルロッドさんの言葉はクラスの皆への問いかけだった。


 自分でもどうしてここまでムキになって語っているのか、じつはよくわからない。子供のワガママと言われたら言い返せない気がするな。

 これはあとでからかわれる展開だろう、と思うくらいには恥ずかしいことをしている自覚はある。それでもコレは真面目に出した結論だ。



「もちろん賛成」


綿原わたはらさん……」


 真っ先に賛同の声を上げてくれたのは綿原さんだった。

 その目はもはや地図を見ていない。屈んでいた姿勢から膝に両手を置いて立ち上がり、堂々と俺を見下ろしている。相変わらずのモチャっとして不敵な笑顔はどこまでも綺麗だ。


 賛成をしてもらえる確信はあったけれど、やっぱりこうして声で聞けると安心できるな。


「わたしたちがまとめた資料から出来上がった結論よ。どこに疑う余地があるのかしら」


 ああ、責任の一部をわざわざ口に出してくれたのか。そんな綿原さんらしい物言いが胸をざわつかせる。


「わたしも賛成、かな。理由がしっかりしてると思うから」


 つぎは白石さんだった。

 横ではすでに立ち上がって両腕を頭の後ろにしている奉谷さんが笑っている。口を開くまでもなく、態度は明らかだった。



「階位上げと安全の両取りだな。悪くない」


「【気配察知】を使いっぱなしかあ。やっぱり【魔力察知】ほしかったよ」


 古韮ふるにら草間くさまがそれぞれの言葉で肯定の意思を示してくれれば、そこからはもう続々だ。


「どこでも危ない橋なんでしょ? なら理由があるのが一番っしょ」


「大丈夫っすよ、ひきっち。八津やづっちたちががんばったんすから」


「いいぞ。俺はやる。つぎの技能が早くほしい」


「いいぜぇ、ぶっ飛ばして歩けばいいんだろ? 階位も上がるし、わかりやすいじゃねぇか」


「怖いのは、やだなあ。大丈夫だよね? ね?」


「迷宮のことを迷宮委員が決めたんですから」


「腕が鳴りマス!」


 ごく一部に否定というより不安の声も混じっているけれど、それでも嫌だと言うヤツはいない。

 だけど夏樹なつき、弱気が過ぎて隣ではるさんが睨んでいるぞ。



「僕もまあ、いいと思う。綿原さんや八津が監修したんだ。理屈だって通ってる」


 藍城あいしろ委員長も賛成の方向だ。これはほぼ決まりだな。

 輪の少し外側でこちらを見ている滝沢たきざわ先生は、薄く微笑んでいるだけでなにも言わない。いつものコトで、これはもう俺たちに一任という姿勢だ。


なぎちゃんたちがまとめた地図から出た結論なのよね?」


「なにかしら」


 副委員長の中宮なかみやさんは、いつもの鋭い目で綿原さんを見つめていた。挑発というわけではないのだろうけど、彼女は綿原さんに当たりがキツい時があるから。


「いいわ、わたしも信用する」


 それでも中宮さんはあっさりと答えを出した。素っ気ないくらいに思える言い方は、ある意味彼女らしい。


「そ。安心していいわよ。ベスティさんの意見も聞いたし、元の数字は鳴子めいこあおいが集めたんだから」


「……ちょっと待って」


「なに?」


 少し自慢げな綿原さんの返事を聞いた途端、中宮さんの表情が凍り付いた。

 なにがどうした。そこまで豹変するような話だったか?


「鳴子? 碧? どういうこと、かしら」


 急に小さくなった中宮さんの声は、かすかに震えている。

 そして俺もここで気付く。そういえば地図を受け取った時にもそう言っていた。『鳴子』『碧』。奉谷さんと白石さんのことを、綿原さんが名前で呼んだ?


「……夜の内にね、ちょっといろいろあって、決まったのよ。べつにいいじゃない」


「へぇぇ」


 心持ち気まずげな綿原さんの言葉に、中宮さんが低い唸り声で切り返す。

 なにかのスイッチが入った音が聞こえた気がした。マズくないか、これ。委員長が後ずさっているし。



「おかしくないかしら」


「な、なにがかしら」


 突然の糾弾モードに入った中宮さんが綿原さんに詰め寄った。

 半分だけ当事者の白石さんと奉谷さんは……、別段動じていないな。この状況でどうしてそう落ち着いていられるのか、意味がわからない。


「わたしが名前で呼んでって言ったとき、断ったじゃない!」


「あれは……、それって、いつの話?」


「小四の時よ!」


「忘れた──」


「忘れたとは言わせないわ」


 ああ、話がなにかこう、とてつもなくくだらない方向に流れている気がする。

 たしかクラスのみんなで一致団結してがんばろう的なノリだったはずなのに。



「たしか……、あ、思い出した」


「忘れてたのね?」


「思い出したからいいじゃない。アレって確か給食を先に食べ終わったら、だったかしら」


「そうよ。わたしは……、負けたの」


 どうしようもなさが一段階増幅された。どうするんだ、コレ。


「だって、えっとその、なかみ……、りんが勝ったら名前呼びにしろって言うから、ならわたしが勝ったら、自然と、ね」


「今、凛って呼んだわよね?」


「……そうよ」


 経緯は見えた。夜の内になにかがあって、綿原さんは白石さんと奉谷さんを名前で呼ぶようになったのだろう。それはいい。

 だからといって綿原さん、律儀に中宮さんのことまで。



「あはははは。なぎちゃんはボクたちのこと、名前で呼ぶことになったんだよ。よかったよね、凛ちゃん」


 この状況で笑いながら一歩を踏み込めるのは奉谷さんだった。やっぱり心の強さは伊達じゃない。


「日本に戻るまでの間だけよ。それと、女子だけだからね」


 今朝のように頬を赤くした綿原さんは、奉谷さんの言葉を認めた。すごく投げやりな言い方だな。もっと素直になればいいのに。


 彼女がチラっと俺の方を見たのにも気付いたけれど、まあ、それはいいか。



「まあいいわ。理由はあとでじっくり聞かせてもらうとして……。これからもよろしくね、『凪ちゃん』」


「こちらこそよ。……『凛』」


 少しもまあいい、なんて思ってもいないのだろう。名前で呼ばれた中宮さんは満面の笑みだ。それはもう嬉しくて仕方ないって感じで。


 もしかして田村に続く、というより正統派のツンデレということか。

 副委員長でサムライ少女で美人でツンデレか。少しだけ古いイメージもあるけれど……、アリだな。暴力系ヒロインじゃなければ俺的には完璧だ。


 だからチラチラと俺を見ないでくれ、綿原さん。なにも中宮さんに見惚れていたわけじゃない。



「凪、凪。ワタシのコトも名前で呼んでいいデスよ!」


「そうね、ミア」


「ネタ振りだから、もうちょっとリアクションくだサイ!」


 ミアが乱入してきたこともあって、最早なんの話だったのか跡形もない。酷い状況だ。


 いい加減にしないと、ヒルロッドさんたちが俯き加減になっているぞ。メイドさんたちは自然体だけど……、いや、むしろ楽しそうだ。ベスティさんは明らかに笑っているし、ファッション無表情のガラリエさんまでなにかにこらえているような。


「じゃあ変えるわよ。加朱奈カッシュナーさん」


「やっぱり凪はイジワルです!」


 これでオチがついたのかな。



 数分後、結局ヒルロッドさんが折れて、俺たちの案は採択された。



 ◇◇◇



「本当にきれいさっぱりだ。こんなことが」


 思わずといった風に委員長が呟いた。

 たしかになにもない。これが、迷宮か。


「俺たちからしてみればいまさらだが、改めて考えてみると、たしかに君たちの反応が普通なのかもしれないね」


「ははっ、僕たちはまだ四回目ですよ」


 ヒルロッドさんと委員長の会話が続くが、俺たちの意識は現場に釘付けだ。


「なにもないね。床も壁もピカピカだ」


野来のき、あんまり触ると呑み込まれるぞ?」


「やめてよ、古韮くん」


 綺麗になっている壁をペタペタと触っていた野来を古韮が脅かしている。

 だが俺も古韮に同感だ。急に足元が不安になってくる。このまま体が溶けて、迷宮に呑み込まれたりしないだろうな。


 俺たちが迷宮に入るのはこれで四回目だけど、あえて元の部屋に戻ったのはこれで二度目だ。一度はシシルノさんが調査というワガママを言った時だな。ただの休憩をしただけで、あの時は部屋になにも残してこなかったから違いに気付かなかった。


 そして今回が二度目。俺たちは昨日、この部屋を使った。



『迷宮はモノを吸い込む』


 最初に教えてくれたのがヒルロッドさんだったかシシルノさんだったのかは憶えていない。


 だけど目の前の部屋、つい昨日夕食を食べた部屋には『なにも残っていなかった』。

 焚火の跡も、誰かが零してしまったスープの跡も、血で汚れていた俺たちの足跡すらも。血生臭いからと隣の部屋に放置しておいた、余った素材も消えている。


 最初に迷宮に入った時のことを思い出す。

 まるで作りかけのモデルルームみたいだと、そう見えてしまった、アレの再現だ。

 異様なまでになにもない迷宮の中でふと気付いてしまう。チリやホコリのひとつすら、俺の目には映っていない。



「目を離したら、なにもかも無くなる、か」


「言葉だけならミステリーみたいね」


「ははっ、そして誰もいなくなるって?」


「わたしは結構そういうの好きなんだけど」


 綿原さんの趣味は置いておいて、これが迷宮のルールだ。


 魔獣の生まれる瞬間を見た者はいない。先日遭遇してしまった、新しい部屋が誕生する瞬間もだ。

 同じように、迷宮からモノが消える瞬間もまた、誰にも観測されていない。



 迷宮の深層攻略を妨げている理由のひとつがこの現象だとされている。


 たとえば魔獣の攻撃を防衛しやすいように、迷宮の中に砦を造ったらどうだろう。材料は外から持ち込んでも、なんなら迷宮の中でも手に入れることができる。

 それを組み上げて少しずつ伸ばしていけば、迷宮攻略の難易度は間違いなく下がるだろう。


 だけど迷宮はそれを許さない。


 一定時間、それがどれくらいの長さなのかも定かではないけれど、人間が目を離したらモノが消えてなくなる。石でも鉄でも、肉であろうとも。


 ならば人間はどうなるかといえば、答えはもちろん『生きている限り消えない』だ。ただし保証はどこにもない。誰かがひとりで迷宮に入り戻ってこなかったとしたら、それはもう迷宮に呑まれたのか、最深層に到達したのか、それとも魔獣に食いつくされたのか、判定のしようがないからだ。


 集団行動をしていた場合、誰かが消えることはない。それが死体であっても。

 人の目がある内はなんであろうとも消えない。誰も見ていなければ、いつの間にか消えてしまう。


 なるほど迷宮泊が嫌がられるはずだ。

 俺たちは誰かが起きて見張りをやっていたが、もし全員が寝てしまったらどうなるのか。見張りが外にばかり気を向けていて、寝ている人たちから目を離したらどうなるのか。答えはわからない。


 今回の宿泊では複数人数を見張りに立てて、誰かが必ず寝ている人たちの姿を見ていた。趣味が悪い表現だな。それでも念のために、そうした。



 もはやまるっきり迷宮の怪談だな。

 しかも俺たちが調べた資料には、そんな物語がたくさん混じっていたのだから始末が悪い。


 いちおう王国の公式資料として残っているモノにその手の話はなかった。逆にいろいろと挑戦して失敗しましたという記録が山ほどあったわけだけど。


 犬や牛を連れ込んで目を離したらどうなるか。

 結果は人間と同じ。


 長いロープを伸ばしたらどうなるか。

 気が付いたら途中から消えていた。


 大量に人間を送り込んだらどうなるか。

 なにも起きなかったが、魔獣に襲われて大混乱になった。



『シュレディンガーの猫だな。迷宮の中で僕たちは半分だけ生きているのかも』


 そんな物騒なコトを言って、委員長は中宮さんに怒られていた。


 いいよな、シュレディンガーってフレーズ。あとマクスウェル。ローレンツやシュワルツシルトも捨てがたい。個人的にはモホロビチッチもお気に入りだ。

 どれもこれも正確な意味は知らないけれど、男なら誰もが通る道だと俺は信じている。そうだよな。古韮や野来は間違いなさそうだし、こんど綿原さんにも聞いてみようか。だけど退かれたら、立ち直るのに時間がかかりそうだ。悩ましい。



「洗い物だけで済むのは助かるわね。日本だったらゴミ捨て場にしようとするかも」


「記録にあったよ。階段を昇り降りする苦労に見合わなかったみたいだ」


「つまらないの」


 綿原さんが夢のないコトを言いだしたけれど、リアルではこんなものらしい。


 迷宮にたくさんの人を送り込む作戦にしても、経済的に意味がないことがハッキリしている。そんなことをするなら適度に人が入って素材を持ち帰った方がいいに決まっている。農業と同じ理屈だ。少人数で大量の成果を上げれば、それが一番効率的になるのだから。


 変わった例では罪を犯した貴族が迷宮に逃げ込んでそのまま帰ってきませんでした、なんていう資料はあった。これは公式記録。

 なるほどいろいろな意味でゴミ捨て場だ。日本ならそれこそ、核廃棄物を捨てるなんていう手に出るかもしれない。迷宮に怒られそうだし、魔獣が変に進化して口からビームを吐くようになるかもしれないけれど。



 そう、俺たちが疑っているのがコレだ。疑うというより、『そういうことなんだろうな』と想像していると言うべきか。


 魔獣は迷宮の魔力を使って生まれるとされている。だけど魔力は物体を創りだせない。

 それなのに魔獣は実体を持っていて、あまつさえこちらの人たちはソレを食べたり、モノを作るのに活用している。ならばその物質的材料はどこから来た?


 ここは地球によく似ている。見た目だけの話ではなく、物理的にも生物や科学的にも瓜二つだ。魔力以外の部分は冗談みたいに、同じ。たぶん『元素』まで。


『生物を作り出す材料だけならどこにでもあるよ。土の中なら万全かな』


 委員長の言ったとおりで、そもそも土の中には微生物という立派な生物が存在している。

 迷宮が吸って、造って、歩かせる。生物の定義がああだこうだと言うつもりにもなれない。あんな冗談みたいな恰好をした魔獣に魂? 笑わせる。



「気が済んだなら行こう。ここから先は魔獣が増えるはずなんだよね?」


 思いにふけるみんなの背中を押すように、ヒルロッドさんが出発の声を掛けてきた。


「はい。気をつけて進みましょう」


 俺はそれに答える。

 迷宮の道のりを先導するのは俺の役目だから。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る