第350話 覚醒ムードと謎の感覚




「ええっと、その。……陣は、おしまいということでいいんですよね?」


 一フレーズだけが小さい声になったガラリエさんの訴えに萌える俺がいる。


 心の中で『え? なんだって?』というセリフを吐いてから、心優しい俺は答えるのだ。


「そうですね。『ガラリエ陣・改』という──」


八津やづくん?」


 ありもしない構想を口走りかけた俺に、素早く綿原わたはらさんがツッコミを入れてきた。しかも紅白サメを二匹、俺の眼前に突きつけながら。


 魔力の相互干渉でギリギリ術が崩れない範囲を完全に見切っているとしか思えない、絶妙な距離だ。〇・二キュビを割り込んでいる。

 俺としてはサメとの位置関係より、彼女との心の距離感を大切にしたいのだけど。


「ごめん。上杉うえすぎさんが覚醒したっぽくて、アガってた」


「そうよね。美野里みのりなのよね」


 俺の言い訳に綿原さんはとても複雑そうな表情を見せ、近くのサメがバタつく。可愛いとは思うけれど、弁明は最後までやらせてほしいかな。


 念願だったガラリエさんの十一階位達成と、それと並行して上杉さんがヒーラーとして一歩を踏み出そうとしている実感に、俺のテンションも揺さぶられていたのだろう。だけどコレを本人に聞こえるように話すのは、ちょっとまだ気が引けるかな。


「ちょっと耳いい?」


「は?」


「ごめん」


「いいわよ。聞くわ」


 一瞬背をのけ反らせた綿原さんだが、反動をつけるようにして俺の方に頭を寄せてくる。そういう仕草がいちいち俺のなにかを揺さぶるのを、この人はわかってやっているのだろうか。


 同時に俺は周辺を探るのだが、ああ、ダメだ。すでに白石しらいしさんと奉谷ほうたにさんが白々しく背を向けているじゃないか。つい今しがたまで俺のことを上目遣いにしていたガラリエさんまでもが一定の距離を取っている。さすがは【翔騎士】、速い。


 全員耳だけはこっち向いてるんだけど。

 とくにウチの場合、ひきさんと中宮なかみやさん、はるさんという【聴覚強化】持ちもいるし。



「……ダメね。誤解させるだけみたい。普通に聞かせて」


「だな。難しい話じゃないよ。みんなと一緒で、上杉さんもなにかが見え始めてるってこと」


「そ。美野里は自覚があるの?」


 すぐに内緒話を諦めた綿原さんが、近くにいた上杉さんに話を振った。台無しだな、これはもう。


「いえ、わたしはとくに」


「でも八津くんには見えたんでしょう?」


「ああ、まあ」


 上杉さんの不安げな眼差しと、探るような綿原さんの視線が俺に突き刺さる。

 ところでさっきの戦闘で綿原さん、俺の言葉にノリノリで付き合ってくれてたじゃないか。俺を疑っているというより、詳しく聞かせろってところか。


 コレって説明しにくいんだよな。


「上杉さんは魔力を減らしたせいで、だからこそ見えてきているような気がするんだ」


「わたしが、ですか?」


 この期に及んで思わせぶりは止めておこう。正確に伝わるかどうかはわからないけれど、ストレートに思ったコトを言う方がマシな気がする。


 ただこの感覚って合ってるかどうかも怪しいし、言われた側がプレッシャーに感じることも考慮しなければならない。ある程度軌道に乗って、安定してきてから伝えた方がいいとも思うんだけど。

 そこは上杉さんだし、大丈夫か。


「魔力のせいで【聖術】の使いどころに制限がかかったからか、上杉さんは選択に集中しているように見える。それでたぶんそれは、間違った方向じゃない。魔力が戻ってからだって、絶対に意味のある考え方になるから」


「八津くん……」


 俺のセリフを聞いた上杉さんが胸の前で両手をギュっと握りしめてこちらを見つめているものだから、その姿はまさに聖女だ。そして、周囲のからの視線がキツい。


 みんなは俺を責めようとしているわけじゃなく、上杉さんと俺の対峙する光景自体に見惚れているだけだ。上杉さんがなにかすると、いちいち神々しくなるのも考え物だな。


「いやほら、みんなにも伝えたことがあるじゃないか。えっと、藤永ふじながや疋さんの動きが良くなった時とか」


 なんで俺はこんな言い訳じみた言い方をしているのだろう。



 俺は事あるごとに説明をしてきた。俺だけじゃなく全員が、だけどな。


『気付いたことがあったら、どんなにくだらないと思っても伝え合いましょう』


 一年一組にはそんな標語がある。


 もちろん誰かの悪口を言えっていう意味ではない。

 それでも集団生活を送っていれば細かな行き違いはあるし、当然そういうのは解消しておくべきだ。


 それだけではない。そういう日々のふとしたコトから、迷宮での戦闘に影響を及ぼすアイデアが浮かんだりもするのだし。

 魔獣を茹でたらどうなるんだろう、なんていうのもその辺りから出てきた案だったりする。アレは副料理長の佩丘はきおかが言い出したんだったか。


 それはさておき、俺の得意技にして仕事は見ることだ。

 日常生活ではさすがに多用していないが、戦闘時にはみんなの動きをひたすら【観察】し、気付いたことがあれば全部を話す。

 ただし説明をするためには、俺自身の理解も必要になる。とっさに伝えたコトが間違っていても皆は気にしないだろうけど、今回のように迷宮の中ともなるとワンクッションは置いておきたいと考えてしまうのだ。


 結局はどこかで言うのだけどな。思わずといった感じでポロっとこぼすことも多いし。

 そう考えると、俺の指針もあやふやなものだ。


 さらに言えば俺は嘘吐きでもある。ちょっとしたノリで綿原さんと内緒話ができそうだったのが嬉しかっただけで……。心の中で言い訳を並べる俺は、なんかダサいなあ。



「それってアレだろ。縛りプレイになったからこそ、ほかの部分が伸びるってパターン」


 微妙に気まずくなっていた俺に助け舟を出してくれたのは、イケオタの古韮ふるにらだった。


「あ、それで合ってるかも。しかも潜在的に下地があったってヤツ」


「わかるわかる」


 古韮の表現が俺の心に沁み渡る。それだよ、それ。

 言葉を加える俺に、同じくオタ系少年の野来のきがうんうんと頷く。横ではオタ少女な白石さんまでも。


 マンガとかで見かける新しいスキルに目覚めたとか、絶望からの超パワーとは違う。

 そういうのではなく、むしろ気付き、なのかもしれない。そもそもの準備はできていて、なにかの弾みで水面に浮かんできたようなイメージ。絵的には地味かもしれないが、こういう渋い覚醒、俺は嫌いじゃないぞ。


「あの、それがわたしなんですか?」


「あ、ごめん。そうだと決まったワケじゃないけど、悪ノリしてた」


「……いいんですよ。わたしは今の状況でできることを、もっと考えるべきなんですね」


 俺や野来たちがオタ側にトリップしかけていたのを上杉さんがやんわりと止めてくれた。

 しかも気遣いまでみせてだ。なんか申し訳なくなるが、いつもより微笑みの度合いが強い上杉さんは、さっきと同じように、今までとはどこか違って見える。


「お願いしますね、八津くん」


「ああ」


 どうサポートしたものかと曖昧に答えてしまう俺だが、上杉さんの表情は、うん、悪い方向じゃないと思う。



「ほらほら、そろそろ移動でしょう、八津くん」


「そうだな。ごめん、待たせて」


 数分とはいえ、ちょっと長くなりかけていた上杉さんネタに綿原さんがストップをかけてきた。モチャっとした苦笑いを見れば、怒っているというわけでもなさそうだ。

 二匹のサメも、俺の眼前を揺蕩っている。ああ、安らぐなあ。


「ん?」


「どうしたの?」


 そんなタイミングで唐突に訪れた感覚に首を傾げた俺を見て、綿原さんは真顔に戻り首を傾げている。


 眼前に突きつけられたサメを見て、さらには【観察】を使っていた俺はなにを感じた? なんだこれ?

 なにかがチリっときたような。


 けれどもそんな感覚はすぐに霧散し、視界はいつも通りの【観察】モードだ。念のためにほかの視覚系技能も被せてみるが変化はない。なんだかモヤモヤするな、これは。


「いや、なんか妙な感じで……」


「なによ。もしかして八津くんも覚醒?」


 覚醒なんて単語を異世界に来るまで使ったこともなさそうな綿原さんは、イタズラっぽく笑ってみせるが、その中に疑念の色が混じっている。心配させてしまったかな。

 とはいえ俺自身も不可解なんだ。


 なんだろう。今日は妙に【観察】の効きが良い。というか、【観察】から得られた情報がどこか引っかかるというか。



「大丈夫。覚醒しそうになったら、もっとカッコよく決めるから」


「そ」


 綿原さんに言うと同時に、俺の心にも押し付ける。

 迷宮の異常とかならまだしも、こんなところで自分の脳内だけの違和感を検証している暇はない。


「待たせてごめん。ここからは『柔らか陣』で動こう。ガラリエさんはアタッカーに回ってください。シシルノさん、出番です」


 短く答えてくれた綿原さんとサメを見比べてから、俺は声を張り上げる。


「待ちくたびれたよ」


 悪い顔でこちらに向かってくるシシルノさんだが、この場合の待ちくたびれたとは、今の会話を指しているわけではない。四層に到着してからも随分お待たせしてしまった。


 ここまで出会った魔獣が中型と大型だったのと、ガラリエさんのレベリングを優先していたのもあって『ガラリエ陣』を採用していたのだが、ここからはシシルノさんたちや俺を含めた九階位組を上げていく。最優先で上杉さんも。そのための『柔らか陣』だ。


 具体的には上杉さん、奉谷さん、白石さん、シシルノさん、そして俺の階位上げをメインにする。同じく柔らかグループの夏樹なつき、ベスティさん、アーケラさんには悪いけれど、彼らには攻撃系魔術で援護してもらうから、ちょっと後回しで。

 それでも全員の十階位は絶対にやってみせる。


「経路は三番のまま。とりあえずは階段近くを一周しよう」


「おう!」


 俺の指示にみんなが大きな声で返事をしてくれる。さあ、レベルアップをしようじゃないか。



 ◇◇◇



「『緑山』騎士組、馬を抑えろ。適当に倒してもいい。盾組の指示出しは藤永に任せた。ミームス隊は大根と甜菜を押しとどめながら弱らせてください!」


 さらに数部屋巡ったところで、ついに大小が混合した魔獣とブチ当たることになった。

 相手は馬が三体と、見分けがつけにくいダイコンとビートが合せて八体。


「厳しいっすよぉ!」


「藤永ならできるって」


 馬の方は藤永に指揮を譲って、『緑山』の騎士とガラリエさん、盾持ちの海藤かいとう、念のために春さんと草間くさま、ミアも投入しておこう。今の一年一組なら、誰がラストアタックを取っても問題ない。


「難しい要求だね。了解だ。順番に流すんだろう?」


「お願いします。ラウックスさん」


 ダイコンとビートはミームス隊と【裂鞭士】の疋さん、【豪拳士】の滝沢たきざわ先生、【豪剣士】の中宮なかみやさんで、とにかく念入りに弱らせる方向だ。こちらにはトドメを刺さないような調整が効くメンバーを寄せてある。


「術師も野菜を倒さない程度で総攻撃。夏樹だけは倒してもオッケーで。笹見ささみさんとアーケラさんは鍋の準備を!」


「あいよお!」


「はい」


 戦闘を開始する直前に設置しておいたふたつの寸胴は、すでにある程度は温めてある。

 本当なら弱火で長時間煮込むのが一番なのだが、今回はそうも言ってはいられない。強火で一気にだ。佩丘が見てたら面白くなさそうな顔をするんだろうな。



「八津くんっ!」


「おう」


 中宮さんが叫びと共に飛ばしてくれたのは瀕死のダイコンだ。小さな足が数本残っているが、身をよじる以上の動きはできていない。ご丁寧に毒を含んだ葉っぱの部分は切り落とされている。

 この手際は疋さんだろう。やってくれるぜ。


「おらぁ。笹見さん、蓋!」


「あいよおっとぉ」


 煮立つ直前まで熱せられた寸胴に、ダイコンを叩き込む。直後、笹見さんが【身体強化】を使いながら蓋をした。力の弱い俺では蓋役が難しいのが切ない。


「ほらぁ、追加。持ってきたあげたよ~」


「疋さん」


 片方の寸胴をカウントダウンしているところに、こんどはビートをムチで縛った疋さんが乱入してきた。どこまで器用なんだか。


「アーケラさん、頼めるっしょ?」


「ええ、もちろん喜んで」


 もう片方の鍋にビートを突っ込んだ疋さんは、素早くムチをほどき、もう片方の手で勢いよく蓋をした。名を呼ばれたアーケラさんがすぐに加熱を開始する。

 前回と違って今日はアーケラさんも同行してくれているのが助かるな。【熱術】使いが二人で寸胴もふたつ。実に効率がいい。


「上杉さんっ──」


「疋さんの左肩、ですね」


「大正解」


 ちょうどいいタイミングだと上杉さんに【聖術】をお願いしようとしたのだが、遮るように先を言われてしまった。

 してやられた俺は、ちょっと上からっぽく正解を告げる。ホントに大正解だと思うよ。


 まさに上杉さんの言うとおりで、疋さんはさっき左肩にダイコンの一撃をもらっていたのだ。当たったところを見ていたのか、それとも一連の動きから判断したのか、どちらにしても上杉さんはわかっている。

 本人は【痛覚軽減】を使っているのか自覚無しのようだが、本当に微妙だけど動きが鈍くなっているのが見えるんだ。


 上杉さん、やっぱり覚醒モードじゃないか。いいぞ、いい感じだ。


「ありがとねぇ~」


「どういたしまして。深山さん、魔力を」


「うん」


 すかさず上杉さんが蓋を抑えたままの疋さんの肩を治療する。そこから深山さんに【魔力譲渡】を要求するのも悪くない。


 一連の流れに戦闘を邪魔する要素がないように気を使いながら、やるべきことをやろうとしている。今までよりも一歩踏み込んだ上杉さんがそこにいた。

 これはもう、ネオ聖女って呼んでもいいんじゃないだろうか。もしくはマークツー。


 元々芯がしっかりしている上杉さんだけど、どちらかといえば静かに場を見る側に立つことが多い人だ。

 いつからといえば、もしかしたら昨日やった学芸会を主催したのが大きいのかも。さすがにコレは無理筋か。こじつけが過ぎる。


 とにかくだ、理屈や切っ掛けはなんでもいい。上杉さんは動きだしているのだから。



「あと十秒。構えな、美野里みのり


「はいっ」


 最初に茹で始めたダイコンの蓋を抑える笹見さんが、鋭く上杉さんの名を呼ぶ。


 適当に決めたタイミングではあるが、やらないよりはマシな程度で柔らかくはなっているだろう。ついでに俺たちには秘密兵器もある。


「五、四、三……」


 カウントダウンをする笹見さんの声に合わせて上杉さんが派手な装飾の付いた短剣を振りかぶった。


 これぞアヴェステラさんを通じて女王様から託された、王家の宝剣。その名は……、知らない。

 とにかくアレだ。良しなに使ってくれという伝言付きで渡されたので、活用しない理由はないのだ。


「一……、やりなっ! 美野里ぃ」


「ふっ!」


 笹見さんがコールと共に蓋を開け、寸胴から湯気が立ち昇るが、上杉さんは意にも介さない。

 短く息を吐くような掛け声と共に、彼女は手にした短剣を突き下ろした。



 ◇◇◇



「わたしは【身体操作】を持っていますから」


「そうだった」


「ふふっ、八津くんもすぐですよ」


 上杉さんはダイコンとビートを一体ずつ倒したところで十階位を達成した。


 妙に手際がいいと思っていたが、そういえば上杉さんは【身体操作】を取っていたんだっけ。てっきり料理の腕前かと思っていた。というか、普段の包丁使いと【身体操作】がマッチしていたのかもしれない。

 これは上杉さんの十一階位、そう遠くはないんじゃないかな。



「ああぁぁいぃ!」


 夢想にふける俺の意識を取り戻すためのようなデカい掛け声と共に、柔らかグループの目の前に次なる瀕死のダイコンが転がってきた。首謀者は言わずとしれた我らが騎士団長、滝沢先生。奇声だけで判別は楽勝だ。


「あと六体です。十分に弱らせてあるので、存分にやってください」


「急がないとわたしたちで倒してしまうわよ?」


 頼もしい先生と中宮さんのお言葉を受け、俺たちは慌てて作業っぽいレベリングを再開する。


 これはあと二、三人の十階位、イケるんじゃないかな。


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