第179話 駆け抜けろ:【嵐剣士】酒季春風




「……いつ、どこで、ですか?」


 こわばった声で藍城あいしろ委員長がアヴェステラさんに聞いている。口調が途切れ途切れっぽい。


「みなさまにご足労いただくのは申し訳ないと、この離宮に。できれば今夜にでもと」


「……わかりました。お受けします」


 アヴェステラさんからすればこれも仕事。微妙に言いにくそうなのがちょっと可哀想かな。

 ウチのクラスのみんながどう思うのかを読み切っているからだろうけど。


 委員長の返事はストレートだ。

 何人かが非難がましい目を向けているけど、仕方ないんだろうな。


「どうせ避けられないのでしょうし、アヴェステラさんにも立場があるんでしょう?」


「アイシロさんのそういうところは、本当に……」


 ため息を吐くアヴェステラさんだけど、ハルはこういう委員長の割り切りに感心することが多い。

 自分には絶対ムリな、こういう大人とのやり取り。やっぱり藍城を委員長にしておくのが一番だよね。



「僕たちで用意しておくべきこととかはありますか?」


「とくには。料理についてはアーケラたちだけでお願いできますか」


 こっちから何かをしてあげる必要なんてあるのかどうかわからないけど、委員長はそういうところにも気を使う。

 返事をしたアヴェステラさんの言葉で、またまた眉をひそめるのがいる。まあ料理番の佩丘はきおかなんだけど。向こうが勇者の手料理なんて食べられないっていうなら、それでいいじゃないかと思うんだけどね。もしかしたら畏れ多くて、って付くかもしれないし。ないか。


 ハルなんかはなんとなくだけど、一年一組もアウローニヤの人たちとの付き合い方がわかってきた気がする。アヴェステラさんたちみたいに気の置けない人もいれば、日本ではちょっと考えもつかないくらい偉そうな人も。

『異世界モノ』に詳しい古韮ふるにらとか野来のきなんかは、そういうものだって言っているし、それこそ別の世界の偉い人たちなんて意味不明だ。だからハルはそういうのとはちょっと距離を置かせてもらっている。正面からぶつかっている委員長やりんなぎとか八津やづには悪いけれど、ハルが前に出てもやり込められるかキレるかのどっちかだしね。


 だけど近衛なんとか総長だけはちょっと許せないかな。いつかぶっちめるとみんなで誓っているけど、もちろんその時はハルもやってやる。



 そっちの難しいことはできる連中に任せておいて、こっちはこっちでやることがある。

 なんといっても今日からは『本気』でぶつかれる相手がいるから。みっちりストレッチをしておかないと。



 ◇◇◇



「ふっ!」


 ガラリエさんが横合いから飛んできたなつの石を盾で弾く。

 あんなに大きくて重たいはずの盾をこんなに素早く動かせるのか、なんていうのにはもう驚くこともない。こっちの騎士たちはこれくらいのことを軽々とやってのける。


 今は夏が作ってくれた隙に体を滑り込ませることに集中だ。

 裸足で談話室に敷かれた絨毯を握りしめるように踏みつけて、体を前に倒していく。クラウチングスタートみたいな姿勢になるけど、どうやらこれがこっちの世界では意外な体勢に見えるようなのだ。


「えいっ!」


 前に転びそうなくらいに低い姿勢のまま、そこから横薙ぎするようにメイスを振り回す。胴体なんかは狙わない。あくまで足。できれば膝か足首だけど、ハルはまだまだそこまでイケてない。凛とは違うから。


「うわっ」


 今度こそ当てられるかと思ったメイスが見えないなにかで押しとどめられた。その隙にガラリエさんは一歩うしろに引いて、結局メイスがスカってしまう。


「ふふっ、わたしは風使いですよ。そこまで想定してください」


「はいっ!」


 ガラリエさんは【翔騎士】。風を使ってくる騎士だ。

【風術】を使えるといわれたから、突風みたいので吹き飛ばされるのかと思ったのだけど、そこまでの風は無理らしい。できるのは相手を少し揺さぶるとか、自分の風に乗ってジャンプの補助にするくらい。それでも十階位の騎士がそれをやれば、ハルの攻撃はどうやっても当たらない。


 こうして夏と二人がかりでも。



 ◇◇◇



 弟の夏、夏樹なつきとハルこと春風はるかは双子の姉弟だ。

 ハルのほうがちょっとだけ先に生まれただけで姉扱いなのだけど、不思議なことに逆の姿を想像できない。お互いにだと思う。それくらい夏は弟だ。なんならクラスの女子全員からそう思われている節があるけれど、アレはハルの弟なんだからアンタらにはやらないぞ。


 世間では双子の片方をもうひとりの自分、とかいうこともあるらしい。だけどウチの場合は全然そんなことはないかな。

 運動が嫌いというワケじゃないけれど、どちらかといえば家でゲームとかをしている方が好きな夏。ハルはもう、ただひたすら体を動かすのが好きなタチだ。アホみたいだなと自分でも思うけど、頭を空っぽにして走り回ると気分がスッキリするから仕方ない。


 ハルたちがこんな風になったのは特別な理由があったわけじゃないと思う。

 気が付けばこうだった、としか。



 陸上部でなぎ佐和さわと汗を流して、家に帰れば一家四人で普通にごはん。中学になる少し前から夏とは別の部屋になったけど、だからといって遠くなったわけでもない。

 普通に話はするし、夏が楽しそうにゲームとかマンガの話を聞くのも当たり前。ハルの方から百メートルのタイムを聞かせて自慢をしてやることもある。それがハルたちの日常だった。


 高校生になって佐和……、ハルと凪とも仲良くしていた陸上仲間の淡崎佐和たんざきさわは帯広の高校になったけれど連絡はとりあえてるし、高校からは海藤かいとうが陸上をやるらしいから、今度はそっちで競い合いだ。家のコンビニでバイトをするからって凪は部活をしないようだけど、クラスでは毎日会えるわけだし問題ない。

 凪が陸上止めるのはもったいないと思うけれど、あの子がそういう性格なのは知っている。飽きっぽいのじゃなく、やりたいことをやるっていう気ままな子だから。


 山士幌高校の一年一組になって最初に驚いたのは知らない男子がいたことだった。

 八津広志やづこうし。なんでも小学二年までは山士幌にいたらしい。悪いけど、全然覚えてなかった顔だ。


 そんなちょっとだけ新しい生活は、馴染む間もなく三日で終わった。



 ◇◇◇



「くっ」


「大丈夫ですか?」


「ま、まあなんとか」


 足を滑らせたハルを見て、ガラリエさんが声を掛けてくる。

 戦いの最中に相手に心配されるとか、すごく面白くない。ハルがそういう性格なのを知っている夏は、ちょっと向こうで石を浮かばせながら苦笑いだ。一歩踏み込めば頭を引っ叩けそうで、実はそこから少しだけ離れた場所にいるからズルい。ハルの間合いを知っているんだ。



 ハルはまだこの世界のルールが好きになれない。

 男子連中は力が付くからとかゲームみたいだとかで盛り上がってるけど、どうしてもズルっぽく思ってしまうから。


 力だけが身についても足が速くなるわけじゃない。や、速くはなるけど、それはハルの想うのとは違うのだ。

 先生が言っていた『振り回される』っていうのは本当にそうだと思う。

 この感覚がわかってくれるのは先生や凛、凪と玲子れいこ、それと海藤くらいかな。要は中学で運動部をやっていた連中だ。忍者になった草間くさまなんかは妙な技能で大喜びしているから腹が立つ。こっちはバランスを取るのに一苦労だというのに。


「ヒルロッドさんの話はわかります。わたしたちの場合はもっとゆっくり階位を上げますから」


「ごめんなさい。心配させちゃってますね」


「とんでもないですよ。みなさんの努力は知っていますから」


「えへへ」


 大真面目な顔でハルたちが頑張っていることを褒めてくれるガラリエさんは、お姉ちゃんがいたらこんな感じなのかって思わせてくれる。甘えすぎてはダメだと心に刻んではいるけれど、それでもね。



「これでも【反応向上】を取ってから、随分マシになったから」


「【身体操作】もでしたね。上達が早いのには驚かされます」


 ガラリエさんの言うとおりで、ハルが【身体操作】を取っていなかったらどうなっていたのが怖くなる。


 とにかく一歩目だ。

 短距離走は素早い出足が大事なのだから筋力が要るのは当然だ。スプリンターの選手がムキムキなのはそれが理由だからなのだけど、今のハルとそんな人たちとの違いは、慣れと体重。


 階位とか技能とかで身につけた力だから体重はそのままなのが難しいんだ。もちろんその方が素早く動けるようにはなるのだけど、ハルとしてはまだまだ納得がいっていない。もっとビシっと、全部を乗せたスタートダッシュができていないのがわかってしまうから。


 先生や凛も似たような悩みを抱えているからこそ、こうしてヒルロッドさんやガラリエさんの力を借りている。

 今もあっちでは凛と凪がペアになってヒルロッドさんと模擬戦の最中だ。凛は凪と一緒に戦えて上機嫌みたいだけど、あの二人の距離感もずっと前からあんな感じだったかな。

 もしかしたらこっちの世界に来て、ちょっと近づいた気もする。とくに八津やづネタを使ってだけど。


 いけないいけない、最近の女子部屋で鉄板になっている八津ネタは封印するとして、今はハル自身が頑張らないとだ。



「じゃあもっかいいきます!」


「どうぞ」


 ガラリエさんから少し距離を取って低く構える。左手のバックラーと右手のメイスの重さにはもう慣れた。【身体強化】【視野拡大】……【反応向上】【一点集中】。【身体操作】!

 素足で絨毯を蹴り出す。力が逃げ出さないように慎重に角度を決めて、ゆっくりだ。最初からドカンとしたら体が暴走する。じわりじわりと、それを瞬時に。地面に乗せる力を前に進むために使い切るようにする。


「とうっ!」


 自分でもびっくりするくらいに体が弾き出されたのがわかった。ああ、この感覚だ。

 ハルには凛みたいなわけのわからない動き方なんてできそうにない。そういうのは凪や朝顔あさがおに任せて、ハルは最速を目指す。


 今までにないダッシュを見たガラリエさんが、ちょっとだけ目を細めているのがわかる。驚いているのか喜んでいるのか。



「ふふっ」


 いつもよりずっと低い姿勢だけど、これまでで一番上手に一歩目を踏み出せた気がして、思わず笑ってしまう。

 迷宮の中だとおっかなくて、ここまではできない。それをどこでもできるようにするのが今のハルの目標だ。

 難しいコトを考えるのは委員長や八津たちに任せて、そのぶんハルは走り回ればいい。それでいいといってくれるのが一年一組だってわかってるから。


 あっという間にガラリエさんとの距離が縮んで、いつものようにメイスを繰り出す。いちおう凛にならったやり方だけどいろんな角度も覚えないとだ。やることがたくさんで大変だけど、それでも体を動かすコトならまあいいか。



 斜め後ろに夏がいるのは見なくても知っている。わからなくてもそこにいるのがハルの弟だ。


 夏はハルが放っておいても、ちゃんとやることをやってくれる。夏ができる範囲でしてくれる。

 双子だから通じ合うとかいうのはわからない。背中合わせでお互い何を考えているかなんてわかったら、逆に気持ち悪いくらいだ。もちろん表情を見ればなんとなくはわかるけど、それは長い時間を一緒にいれば誰でもそうなるだけのことだと思う。


 だからこそ夏はほかの誰よりもちょっとだけハルのことをわかってくれている。ほら、すぐ脇を石が飛んでいった。今回は二個同時だね。


「ナツキさんも、やりますねっ」


 切羽詰まったようなガラリエさんの声の理由は知っている。

 夏がずっと練習してきた【石術】のひとつ。たしか『変則式ダブルストーンバレット』とかいうやつだ。剣で弾きにくい左下からと、盾を持ち上げなければならない右上からの同時攻撃。じつはハルのメイスと一緒で、今はまだ角度とタイミングが調整できていない。何度か繰り返したら絶対にバレるだろうな。


 それでもガラリエさんは対応しなきゃならなくなった。

 風を使いながらでも石を弾く動作をすれば、当然ハルが飛び込む隙間ができる。


「えーい!」


 声を出してそこに飛び込む。


「はっ!」


 それでもやっぱりガラリエさんは風使いだ。

 陸上をやっていると空気の壁なんて単語が出てくるけれど、これはホンモノ。まさしく逆風がハルに襲い掛かる。ガラリエさんは両手だけじゃなく、見えない腕を持っているみたいな存在だ。お化けみたいな言い方でごめんなさい。

 だけどその手に実体はない。今度こそハルはそれを突き破ってみせる。


 風に追い付いて、追い抜け。



「やられましたね」


 ガラリエさんが笑顔でハルと夏を見ている。


「やったよ春姉はるねえ


「掠っただけじゃない」


 嬉しそうに夏は言うけど、ハルのメイスはガラリエさんの騎士服のほんの端っこをこすっただけだ。


「それでもだよ。春姉、絶対速くなってる」


「そっかな」


「そうさ」


 夏が言うならそうなのかな。……あれ?


「どうしたの?」


「えっと、これって」


 頭の中に白い光の粒が増えている。これって──。


「技能が増えてる。【風術】だ」


「えー!? やったじゃないか!」



 それからクラス全員で大騒ぎになった。


 べつに奇跡が起きたとか、信じられないとかじゃない。【風騎士】の野来は最初から候補に出ていたみたいだし、それこそハルが持っていないのを不思議がられていたくらいだ。

 もしかしたらガラリエさんの風を感じたからかもしれないね。


 ハルの神授職は【嵐剣士】。あおいたちが調べてくれた資料だと、嵐のように戦う剣士なんていう意味不明な神授職だったから、それなりに走り回ってメイスを振り回せばいいかなって思っていた。それこそ嵐みたいに。


 だけどどうやらそれだけじゃなかったみたいで。


「やっぱりだよな。うん」


「そうよね。春に風は良く似合うし」


 なぜか勝手に八津と凪が納得しているようだけど、ほんとアンタたち仲がいいよね。



「ハルは酒季春風さかきはるかだからね。そりゃ風が似合うに決まってるでしょ」


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