第81話 そうだ訓練だ




「とにかく意識するのは太もも。そこ、腕の振りを忘れない!」


 訓練場の一角に陸上女子、はるさんの声が響く。いや、この場合は酒季春風さかきはるかコーチと言った方が正しいか。


 その声に背を押されて、俺たちは地面に置かれた木製の仕切りを飛び越えながら走っている。ももは高く、しっかり腕を振りながら。

 仕切りの高さは三十センチもない。階位の上がったメンバーなら当然軽く飛び越えられるのだけど、それをやってはいけない。あくまで体の動作を意識しながら走り抜けるのが重要だ。



「ほんのひと月前なのに、なんだか懐かしいわね」


 俺の前を走る綿原わたはらさんは、妙に楽しそうだ。

 引退してからも三月までは中学のグラウンドを走ってたらしいから、そう感じるんだろう。なのに今では異世界で訓練中だ。

 人生どうなるかわからない、というには変化が大きすぎると思う。


 全員がバリバリの迷宮探索基本装備なので、体にかかる負荷は大きい。だがそれがいい。

 階位が上がった分だけ俺たちの身体は強化されている。それに対してある程度の重しを付けないと、楽になりすぎてしまうからだ。



 俺たちは新しい訓練法に着手した。すなわち現代アスリート監修による科学的トレーニング。これはもう立派な『知識チート』ではないだろうか。

 訓練生たちの嘲笑と生暖かい視線が気になるけれど、結果を残せば手のひらを返してくるはずだ。だよな?


 決定から二日目にしてトレーニング機器も揃ってきたので、いよいよ本格的に計画は実行に移されることになった。

 まあ、いつもどおりの盾のぶつけ合いは続けるわけだけど。



 今回の試み、そもそもの発端は馬那まなの善戦だ。

 アイツが昨日がんばって貴族相手に奮戦し、さらには【身体操作】の可能性を見出したことで、みんなのハートに火がついたというわけだ。


「だりぃー」


 その筆頭格が【身体操作】の扱いに戸惑っていたひきさん。それはもう、完全に食いついた。

 メットの下からはみ出た、自慢のウェイビィとかいう髪の毛を振り乱して、文句を言いながらも走る姿はなんとも感想に困る。


「土にまみれて汗かいてって、アタシのキャラじゃないよね、コレさぁ」


「こら朝顔あさがお。口だけじゃなく手と足を動かす」


「へーい、春風はるかは厳しいねぇ」



 三階位になったのに加えて【体力向上】の熟練度も上がり続けているので、後衛組も行進程度は普通にこなせるようになっている。ならば次は。

 もしかしたら【身体強化】や【身体操作】が生えるかもしれないし、迷宮内で走れるようになっておくのも悪くない。ならばということで登場願ったのが、短距離走のエキスパート、スプリンター春さんだ。

 ついでにサブインストラクターとして、こちらは長距離メインの綿原さんもコーチ就任も決まっている。マルチな才能だな。


「これはこれで足にクるっすね」


「がんばろう、藤永ふじながクン」


「ういっすー」


 うしろの方で藤永と深山みやまさんがわちゃわちゃやっている。相変わらず仲良いよな。

 結構キついけれど物珍しいというか、たまには別のことをやりたいというノリで新トレーニングは大人気だ。


「ふぁいおー、ふぁいおー」


「あははっ、玲子れいこちゃん、部活みたいだよ」


「なんだよ鳴子めいこ。こういうのがいいんじゃないか。声出しだよ、声出し」


「あははは、ふぁいおー!」


 背の高い笹見ささみさんと、ちびっこの奉谷ほうたにさんも元気にやり合っている。完全に凸凹女子コンビだな。共通点は二人とも元気だってこと。妙に微笑ましい。


 ほかにも後衛系をメインに、みんなが足を高く上げて走っている。

 とくに術師系は魔術を使いながら走るなんていう難易度の高そうなことに挑戦中で、彼らの傍には石やら水球やらがフワフワしているのが面白い。


 四階位の俺と綿原さん、上杉うえすぎさんはまだまだ余裕があるけれど、それなりにみんなが汗を流している光景はまさに部活だ。俺は文化系のはずなんだけど。

 もちろん綿原さんの横には大きめの【砂鮫】が空を泳いでいる。



 そして、ここにいないメンバーといえば──。


 まずは騎士組の五人は、相変わらず盾の練習に没頭している。

 次回の迷宮では、もう護衛の騎士たちに頼ることはしない予定だ。タンクとして、彼らの盾が絶対の要素になるだろう。本人たちもそれは自覚していて、そして貴族とのやり合いで自信も付けたのか、これまで以上に熱心にがんばっている。巨大丸太ブランコを相手にしてだけど。


 馬那がスプリントに参加したそうにこっちを見ているけど、そちらのノルマを終わらせてから春さんにマンツーマンで教わればいいさ。



「ふっ、ふっ、ふっ」


 短い息遣いで独りひたすら走り続けているのは滝沢たきざわ先生だ。

 つい先日取ったばかりの【体力向上】を鍛えるとかで、訓練場の外縁をひたすら走り続けている。もちろんフル装備のままで。ストイック感がすごいな。



「おりゃ!」


「しゃっ」


 別の場所でゴンガンとメイスをぶつけ合っているのは【剛擲士】の海藤かいとうと【豪剣士】の中宮なかみやさん。


 左利きの海藤は右腕にバックラー、メイスは左手という変則スタイルだ。

 面白いのは中宮さんで左腕のバックラーはみんなと一緒だけど、両手持ちで振り回しているメイスが違う。グリップまでを含めた長さは八十センチくらいで、女子高生が手にするともはや両手持ちの剣と大した変わらない相対サイズになっている。

 大柄な人用のメイスを倉庫から持ち出してきたようで、当然そのぶん重たいわけだが、四階位で【身体強化】持ち、そしてなにより技術がある中宮さんなら使えてしまうようだ。


【身体強化】【身体操作】【体力向上】【視野拡大】【一点集中】というバリバリな前衛技能を取得した中宮さんは、それぞれの熟練上げと体を慣らすのに時間を使っている。



「でもやっぱりアレは使わないんだな」


「そりゃあ、そうするわよ。でももう一昨日の貴族になら……、勝てるわ」


「技なしでかよ。怖い怖い」


 海藤の言う『使わない』は『北方中宮流ほっぽうなかのみやりゅう』の技のことだ。

 こっちの人の目があるところで中宮さんが技を使ったのは、俺が二層に転落したあの時だけ。大混戦の上に大人数だったから、見られたかどうかはわからないけれど、なんとも申し訳ない気持ちになる。


 一年一組のメンバーは談話室だけで中宮さんと先生から歩法を習っているわけだけど、俺たちは訓練場で使っても問題ないらしい。というのも俺たちレベルがやってみせたところで、術理がわかるわけがないという、なんとも情けない理由だ。むしろ間違った教えが伝わるかも、だとか。酷すぎる。

 それを聞いた綿原さんなどはちょっとだけ憤慨した様子で、本気でモノにしようとしている節がある。


なぎちゃんとミアはセンスあるから、ホント嫌になるわ』


 というのが中宮さんの感想だ。

 ミアについては納得だけど、綿原さんも天才型だったらしい。逆に先生なんかは努力タイプだとかで、そこがまた中宮さんの尊敬ポイントになっているようだ。



「海藤はやっぱりボール、間に合わなさそう?」


「ああ、八津やづか」


 海藤についてはちょっと気になっていたので、二人の邪魔にならない程度に近づいてから聞いてみた。


「ダメだなあ。なまじ微妙な歪みがあると、そっちのほうがおっかないんだ」


「そういうものなんだ」


 海藤の神授職、【剛擲士】はモノを投げてナンボだ。元ピッチャーなわけで、まさに天職ではあるのだけれど、そこは専門家、ボールにこだわりがあるらしい。


 海藤、ミア、疋さんの三人は遠距離アタッカーだから、なにが怖いかといえばもちろんフレンドリファイヤだ。疋さんは鞭の使い方がまだ全然なので当面は封印だから、可哀相だけどそれはまあいい。

 ヤバいのは海藤とミアということになるのだけど。


 いちおうこちらの世界にも投擲用のボールはあったのだけど、鉄製で重いわ真球じゃないわで、どうやら海藤にはそれがお気に召さなかったのだ。

 一階位の頃に鉄球を持ってみた海藤は、肩がぶっ壊れるわと謎のキレ方をしていた。



「ボールが歪むとな、勝手に変化しちまうんだよ」


「カーブとかシュートとか?」


「そそ。コマンドできない変化球なんて意味ないから。あと厳密にいえば縫い目もなんだけどな」


 なにか難しいことを言っているようだけど、ピッチャーというのは随分とセンシティブな職業らしい。



「ほら、集中集中」


「お、おう」


 俺と会話している間も海藤はメイスを振り回していたわけで、そこに中宮さんが発破をかける。

 いずれは俺も打撃を教えてもらえるようになりたいけれど、身体系が出にくいからなあ。実に悩ましいところだ。


「遠距離アタッカーは大変だな」


「……いや、そうでもないかもだぞ」


「そうね。まったくあの子ときたら」


 微妙な間があってから海藤がメイスを降ろすと、中宮さんも手を止める。そのまま二人が見た先には、弓を構える【疾弓士】のミアがいた。



「イヤァッ!」


 ミアの放つ短い掛け声は二層でよく聞いた響きだ。気合であって、決して悲鳴ではない。

 そんな声の直後、ドンっという重たい音が壁際の方から聞こえてくる。まさに重低音といった感じだった。


 訓練場の一番端、すぐ横は壁で、もちろん正面も壁。そこには何本かの丸太が突き立てられていた。それぞれの直径はだいたい三十センチくらいだろうか。

 あれがミアの的だ。


 そんな丸太のひとつに、黒い矢が突き刺さっていた。視界に入れていなかったから見えなかったけれど、さっきの音はそういうことなんだろう。

 ついにミアが矢を放ったのだ。



「相手が止まっているなら、イけマス」


 注目されていたことに気付いたのか、ミアはこちらを向いて片手の弓を持ち上げてみせた。

 サイズ的には俺のイメージする和弓と短弓の中間くらいで、一メートルはないだろう。ごく普通の弓に見えるけれど、アレってたしか魔獣の骨と腱でできていたはずだ。なんでもかんでも迷宮由来なのがこの国らしい。


「止まっているならやれるっていうこと?」


 見物していた三人でなんとなくミアの方に歩いていたら、中宮さんが声をかけた。うん、さっきのミアのセリフ、俺も気になっていたところだ。


「ワタシが動いても、的が動いても不安定デス。まだまだデスね」


「次の迷宮で使えそう?」


「先制攻撃ならイけマス」


 まだ隙間を通すっていう段階ではない、と。

 とはいえさっきの矢はすごい威力だった。矢じりが丸太を突き抜けているくらいだし。


「鉄矢は初めてデス。こっちでは主流らしいけど、慣れるまではまだまだデスね」


 鉄でできた矢ということは当然重たいんだろう。威力は万全だけど、狙いが重要だな。アレが味方に当たったらシャレにならない。



「だから、前の方で射てから、メイスとナイフで突撃デス」


 すごくミアらしい闘法だと思うぞ、それ。野生のエルフっぽさが俺の琴線に触れまくりだ。


 五階位のミアは間違いなくクラスでトップレベルのアタッカーだ。順番をつけるのは無粋かもしれないけれど、一位が先生で二位をミアと中宮さんが争うってところだろう。

 そんなミアが遠近両方をやってくれるのは実に心強い。



 ふと訓練場を見渡せば、みんながそれぞれ体を動かしている。そうしながらも同時になにかしらの技能も回しているはずだ。頑張ってるよな、みんな。


 それにしてもウチのクラス──。


「体育会系になったよなあ」


 そう思ってしまうのも無理はないだろ。



 ◇◇◇



「次が決まったよ。三日後だ」


 訓練が終わって離宮に戻ったところでヒルロッドさんから伝えられたのは、三回目になる迷宮入りの知らせだった。


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