第46話 初めての




『全ての魔獣は人に敵対的だと考えてほしい。言語はおろか意思の疎通さえ確認されていないからね』


 事前にシシルノさんから説明を受けていた時に出てきた言葉だ。


 迷宮に潜む魔獣は人と対峙した場合、これまで例外なく襲い掛かってきたという。人間以外の他の動物を入れたこともあるらしいが、どれも結果は一緒だったらしい。

 地上の生物を忌み嫌うとまで言われているとか。


 ──迷宮は資源である。

 この国アウローニヤに限らず、迷宮の上には余程の悪環境でもない限り街が発展する。

 迷宮は畑であり、牧場であり、塩田であり、伐採林であり、石切り場であり、鉱山でもある。残念ながら牛乳は採れないらしい。

 直上でないにしても、迷宮の近隣に街ができあがるのは当然の理屈だ。


 ──同時に迷宮は修練の場にもなっている。

 この世界ではただ生きているだけでも階位は上がる。自然と混在している魔力が少量ずつ取り込まれるからだとされているが、現実的手段で階位を上げるとすれば、それはもう迷宮で魔獣を倒すしかない。

 俺たちが呼ばれたあの『召喚の間』の魔力は人体に影響を及ぼさなかったらしいが、伝説上の魔力溜りなどはおとぎ話の領域だ。



 そんな迷宮は数多くのセオリーと、それ以上といわれる謎に包まれている。

 一括りに『迷宮学』という学問があるとシシルノ教授は言うが、それがさらに細分化されて『魔獣学』『素材学』『歴史学』『迷宮そのものの生態学』はては『迷宮神学』まで存在するというからすごい。


 ここアラウド迷宮の最高到達階層は現実的レベルで六層だ。最深層がどこまであるかわからないし、そもそも一層からしてたまに『拡張』されているらしい。マッピングに困る話だ。

 勇者一行が十層まで行ったとか、英雄が二十層を見ただとかいう逸話があるが、どれも眉唾だろう。



 ◇◇◇



「本当に部屋だけなんですね」


「ああ。廊下が無いってことか? 知識はあるんだろ?」


「ええまあ」


 解説役も兼ねてくれているのか、ジェブリーさんは俺たちの一番近くで話につきあってくれていた。


 階段の時と同じ二、三、二の隊列で俺たちは迷宮を進んでいるのだけど、今のところ建物の中を歩いているという印象しかない。その建物が異常であるということを除けばだが。


 異常その一は扉と窓が無いということだ。

 サイズがまちまちな扉の枠はあってもドアが嵌っていない。空洞で通り抜けるだけ。

 窓も窓枠があるけどこっちは空洞ではなく、単なる装飾としての凹みがあるだけだ。ご丁寧に薄っすらと光っているのに、覗いても隣の部屋や外は見えない。


 その二として、廊下が無い。

 部屋と部屋がダイレクトに繋がっているだけで、たまに廊下じみた空間があっても、それは長方形の部屋という造りだった。

 そのくせ部屋の途中に階段状の段差があったりして、足元への注意を忘れることができない状態だ。そこにバリアフリーの概念は無い。



「なのに風呂とかはあるんですよね」


「【熱術師】がいなきゃ水風呂だけどな」


 ほとんどのケースで部屋の端を通っているが、迷宮内は水路だらけだった。

 しかも水が溜まった浴槽らしきものまであるらしい。ついでに穴の下に『下水』が流れるトイレらしき小部屋まで。



「造ってる最中のマンションみたいだよね」


 酒季さかき弟の表現が妙にツボにはまる。

 引っ越し手前ではなく、造りかけだ。家具なんかは一切ないのは当然として、ドアも無ければそういう印象にもなる。そのくせ後で取り付けますよと言わんばかりに扉の枠にはそれっぽい穴が開いていたり、壁にちょうどいい感じの突起があったりするのだ。

 なんともいえないクラシカルな装飾じみた壁の凹凸や、そこを這う石の柱まで存在していた。


「気味が悪いというより、気持ち悪いわね」


 綿原さんはこの光景に恐怖よりも違和感を大きく感じているようだ。かなり同意できる意見だな。



「お出ましだぞ。待望の初獲物だ」


 最初の広間を出てからまだ五分くらいなのに、迷宮の奇妙さで魔獣の存在を忘れてしまいそうになていった時、ソレは現れた。



 ◇◇◇



「おあつらえ向きに【鼠】が二匹だ。後衛は警戒。前衛二人は抑えこめ!」


「了解!」


 ジェブリーさんの命令で、前衛にいた騎士のうち二名が風のように動いた。

 魔獣は【八脚茶鼠獣】が二体。図鑑で全体図は知っていたし、足を外された状態の死骸も見た。


 だけど動いているのを見るのは当然初めてだ。これは……、ひどい。


「うおっぷ」


「ぐえっ」


 ミアと上杉さん以外の二班メンバーが顔を顰めたり、口元を抑えたりして苦しげな声を漏らす。もちろん俺も。


 赤く染まる目そのものは初見だけど、問題はそこじゃない。短めの八本脚が地球のどんな生物とも違う配置になっていて、それを使って走ろうとすれば、そこにあるのは違和感と嫌悪感だと思い知った。

 皮肉にもこれは、さっき綿原さんが言った『怖いというより気持ち悪い』を超える、キッツい光景だ。もはや迷宮自体の奇妙さなんてどうでもよくなる。


「SAN値が削れるって、こういうのなのかな。うぷっ」


「……酒季、SAN値なんて知ってたのか。うぐっ」


「なんかで読んだ記憶あるよ……」


 酒季弟とバカな会話をして必死に精神を誤魔化す。

 あいにく二班にバッファーはいない。たぶん全員が【平静】をフル稼働させているはずだ。上杉さんとミアは持っていないのに、なんで大丈夫そうなんだろう。そっちもそっちで恐ろしい。



「捕らえました」


「こっちもですぜ」


 ジグザグ軌道で俺たちに迫っていたネズミ二体は、ものの十秒で騎士に捕らえられていた。


「ジタバタしてても、それがまた気持ち悪いわね」


 敵を見守る綿原さんの顔色も悪い。鮫と血は大丈夫でも、アレはダメか。

 俺もキツい。でかい胴体に対して短い八本脚がウネウネしていて、胴体もぐにゃぐにゃ動いているのがとてつもなくキモい。


「ヤヅ、ウエスギ、やれるか?」


「は、はい。がんばり、ます」


「やれると思います」


 ジェブリーさんから言われて、攻撃順で俺が最初だったことを思い出した。自分から言いだしたとはいえ、かなりの後悔だ。



 ──階位を上げるというレベリングに当たって、俺たちはどういう方針を採るか話し合った。


 最初の選択肢は『均等』でいくか、誰かを『尖らせる』かだ。

 これについては全員一致で『均等』が即決された。このクラスなら当たり前といえば当たり前の結論だ。


 次は『完全均等』か、それとも『弱きを救い上げる』か。これにはいろいろな意見が出された。

 この場合の『弱さ』には種類がある。素の身体と精神、技能、そして神授職、大きくはこの三つだ。


『階位上げの順番でそこまで考慮できるのは、しばらく先なんじゃないかな』


 という委員長のもっともなご意見が出て、とりあえず暫定的な順番を作って、あとは流れでということになった。

 それでもゲーマーとしての意地があった連中は、けっこう必死に考えたものだ。



 結果として二班は、上杉さん、綿原さん、酒季弟、俺、海藤、佩丘、そしてミアという順番になった。

 なぜスレンダー美少女がラストなのかは永遠の謎だ。ついでに佩丘が大層悔しがっていたが、相手が悪かったということで諦めてくれ。


 ではなぜ俺が最初の戦闘に参加しているかといえば、班長権限で押し切っただけだ。最初の一度だけという限定で。

 別に綿原さんに気を使ったわけじゃなく、ちっぽけでせめてもの男の意地だった。いちおう【観察】を使って気付くこともあるかもしれないと理由はつけてみたが。


 繰り返しになるけれど、後悔している。



「いいか、絶対に目をつむるな。声は好きに出せ。時間がもったいないぞ、覚悟ができないならほかに代われ!」


 ジェブリーさんの言い方はスパルタだと思うが、そうでもしないと動けない人間もいるのだろう。王城の文官なんかもやってるらしいし。


「短剣抜いて良し。構えて……、突っ込め」


 迷宮内に限らず訓練でも短剣を使う時は、事前に教官の許可が必要だ。

 ジェブリーさんの命令が出た直後、上杉さんは右腰の柄を掴み取り、そのまま逆手で短剣を右側に引き抜いた。両手持ちを想定した長い柄をクルリと回して順手に持ち替え、そのまま左手を添えて腰だめに構えを取る。


 みんながやっている手順だ。それなりにカッコがいいから、中二好きな連中ほど練習を欠かしていない。もちろん俺も。

 けれど、それをこの状況で普通にやってのけるのか。


「行きます」


「あっ……。うおおお!」


 あっさりと上杉さんが動き出した。

 ウチの聖女はよどみない人だと実感せざるを得ないな。遅れて俺もあわてて短剣を抜く動作に入るが、いつもより明らかに手際が悪い。上杉さんはもう、二歩も先を行っている。カッコ悪すぎだぞ、自分。



「八津くんっ、【観察】と【平静】!」


「っ、ありがと!」


 珍しい綿原さんの切羽詰まった大声に背中を押されて、俺は技能を最大出力でぶん回した。


 視える。わかる。

 右側で加速しながら突撃している上杉さんもその標的も、ネズミを抑えて込んでいる騎士の表情も。

 俺の目指すべきネズミも、その脚一本一本の動きも、全部が見えている。


「行きます!」


 一番手はもう上杉さんに持っていかれても仕方がない。俺の小さなプライドなんてどうでもいい。

 やるべきことを、やれ。短剣を構えて走りだせ。


 あとに続くみんなのためにも【観察】を途切れさせるな。



「うああああ」


 暴れるネズミが近づいてきた。狙う場所は完全に把握できている。何度も練習してきたのだから当然。

 視界の端に映る上杉さんはついに獲物に到達して、そのまま短剣ごと体当たりをかましていた。


 俺もやる。場所さえ外さなければ、あとは体重がやってくれるはずだ。

 なるほどこういう瞬間に【観察】があるのは便利だと思えたのは、【平静】が仕事をしてくれていたお陰かもしれない。



 ずぶりと音を立てて短剣がネズミの首元に埋め込まれ、そのままの勢いで俺もまた体当たりをした。

 死骸だった練習に比べて、ちょっとだけ肉が固い気がする。もしかしたら魔力の影響かもしれない。


「うらあぁ!」


 完全に身体がネズミに密着してから、体重をかけて短剣を引き下ろす。

 ネズミの鼓動を感じたとか、そんなことはない。そんな余裕はなかった。ただ体中に温かい液体がぶちまけられた実感はあっただけだ。

 視界が真っ赤になって、俺の意識が瞬間途絶える。



 ◇◇◇



「よくやった。二人とも、なかなか見事な手際だったぞ!」


 意識がまともになったのは、ジェブリーさんの声と拍手があってからだった。

 新人はこうやって立ったまま呆然とすることが多いと知ったのは、後になってから。


「あ、ありがとうございます」


「ありがとうございます」


 落ち着いた声の上杉さんはいつもどおりの微笑みのまま、顔と鎧を赤紫に染め上げて、頬に一筋の涙を流していた。そこだけが筋になって彼女本来の白い肌を見せていたのが、とても印象的だ。

 彼女だって冷静では無かったのだ。これまでの経験や性格は違っても、同じ高校一年生だから。


 そして俺の手も短剣も、体中に赤紫の液体がしたたり落ちている。ああ、これはネズミの返り血だったのか。



 幼いころにイタズラレベルで虫とか魚くらい殺したことはある。誰だってそうだろう。

 今回はそれとは違うと、明確にわかってしまった。生命に大小は関係ないなんて綺麗ごとだ。


 異世界に召喚されて十六日目、相手が魔獣とはいえ、俺は命を刈り取るという経験をした。


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