第305話 その日の朝に




「みなさん……、みなさん、おはようございます」


 俺たちがこの国に召喚されて六十八日目の朝六時、離宮の談話室に山士幌高校の英語教師、滝沢たきざわ先生の声が響いた。


 だけど、先生の言葉にキレはない。口ごもるようにして、それでも何かを言わなければならないと、必死になって、喉から振り絞るように。それから出てきたのは、たたの朝の挨拶でしかなかった。


 この場にシシルノさんたちアウローニヤの人はいない。昨日のうちにお願いして、日本人だけの時間を作ってもらったのだ。この機を逃すと一年一組だけという状況は、クーデターが終わるまでは訪れないだろう。


「おはようございます!」


 先生の葛藤を受け止めたクラスメイトたちは、元気に挨拶を返す。俺たちの声こそが、先生の勇気に火を点けることができるのを信じているからだ。


 普通の朝の挨拶などは、一時間も前に何度も済ませている。

 いつもより早めの朝五時に起きて、ストレッチをして、朝風呂を浴びてからのこの場なのだ。とっくにありきたりの言葉など交わし終わっている。それでもだ。


「いけませんね。わたしがこれでは」


 先生は両手で自分の頬をピシャリと叩き、それからシッカリと顔を上げ、俺たちを見渡した。


 そもそも先生の言葉を要求したのは生徒側なのだ。悪いけれどこの場の訓示に藍城あいしろ委員長では足りていない。

 委員長はクラスの調停役としても、外部との折衝でも重大な役目を背負っているが、それでもやはりこの場は先生のモノだ。普段どれほど引いた立ち位置であったとしても、一年一組の柱は間違いなく先生なのだから。



「この期に及んでもわたしは年長者、教師、大人などという言葉を使いたくありません。わたしはみなさんの仲間ですから」


 やっといつものペースを取り戻した先生が、語り始める。


「ですがひとつの肩書だけを使いましょう。『緑山』の騎士団長として、この地でみなさんと一緒に戦い抜いて得た立場を持って、語りましょう」


 正式には長ったらしい名前ではあるが、迷宮騎士団である『緑山』は王女様の意向があったとはいえ、俺たちが自らの力で条件を満たして達成した、この世界における成果のひとつだ。

 先生はそれを前面に押し出し、語ろうとしている。


「……これまでどおりです。目的を見失わず、為すべきことを、為しましょう。みなさんの力を合わせて」


「はい!」


 前置きが長かった割に、先生の言葉はそれだけだった。


 それで十分だと、それだけで俺たち一年一組は理解できるはずだと、先生はそういう意思を言葉に乗せたのだ。


「では部屋を片づけましょう。今日の朝食はここでするのですから」


「はい!」



 ◇◇◇



「立派なものだ。『灰羽』とは大違いだね」


 適当にテーブルが並べられた離宮の談話室を見たミームス隊の分隊長のひとり、ラウックスさんが誰にでもなく呟いた。


 朝のミーティングをしてからみんなで談話室を片付けたので、壁に貼られた地図や資料の山は綺麗さっぱりなくなっている。ヒルロッドさんはまだしも、ミームス隊の人たちに見られると彼ら本人のためにならない書類ばかりだったので、ブツは隠し区画に放り込んである。



 アウローニヤ時間で四刻、要は朝の八時となり、一時間後に始まるクーデターに先駆けて『緑山』本部たる『水鳥の離宮』には、ここを起点に行動を開始する関係者たちが集合していた。


「ここまでの人数は初めてね」


「食堂はムリって先に気付いてくれた佩丘はきおかには感謝だな」


「昔から気配りが上手いのよね」


 集まった大人数を眺めながらの綿原わたはらさんとの会話だが、あんまり佩丘を褒められると俺がモニョる。ヤンキー風の強面だけど佩丘がすごいヤツで、俺が小さいとはわかっていてもなあ。


 ヒルロッドさんが率いるミームス隊、三分隊で合計十九名を受け入れた離宮には、一年一組の二十二人、勇者担当者たちが五人で、合せて四十六名もの人が集まっている。

 もちろん過去最大人数だ。ちなみにミームス隊は普通に正門から入ってきたが、門番の『蒼雷』には言い含めてあったので、スルー。昨日のミルーマさんもそうだったが、コトがここに至り、いまさら離宮の入退の記録などはどうでもいいことだと判断されている。


 成功しても失敗しても。



「まずはみなさん、食事をどうぞ。今朝は自由にということで」


 聖女にして料理長の上杉うえすぎが、皆に朝食を勧めた。


 今朝については人数も多いので所謂バイキング形式ということで、テーブルにはパンやらスープやらが雑多に並べられている。そして山積みになった鮭にぎりも。


「やっぱコレだよな。出陣前って感じだ」


「それってどんな感じなのかしら」


「適当言っただけ」


「そ」


 綿原さんと並んで立ったまま適当につまんだ握り飯を頬張れば、口の中いっぱいに米の味が広がっていく。塩が効いているのは嬉しいのだけど、海苔が見当たらないんだよな、アウローニヤ。


 ミームス隊の人たちの中でも迷宮泊に付き合った分隊は、俺たちが米を食べていることを知っている。初見な人はおっかなびっくり手を出しては、驚きの表情を見せみたり、微妙な顔になったりで面白いな。

 それでも今朝のスープは和風ではなくアウローニヤ側に寄せてあるので、文句が出ることはない。上杉さんや佩丘はそういうバランスを取るのが上手いんだよな。


 俺たちとしてもピリ辛のスープと米の相性はそう悪いとも思っていないので、これはこれで十分満足の朝食だろう。

 決戦当日の朝に美味い食事を食べられれば、それだけやる気も出るというものだ。



「みなさん、食事をしながらで構いませんのでお聞きください」


 ざわざわとした喧噪の中、アヴェステラさんが口を開いた。


 高校一年生と近衛騎士たちの集団だ、こういう声掛けがあれば途端に静かになって、みんなの視線が凛々しく立つアヴェステラさんに集中した。

 今のアヴェステラさんは『緑山』謹製の薄緑の革鎧を装備し、肩には俺たちの『帰還章』が貼り付けられている。


 ついでに、黒い布が右腕に巻かれているのだが、これは中二的ななにかではない。敵味方識別のための印で、この場の全員が同じく布を巻いている。

 黒であるのにも意味があって、アウローニヤの貴色とされているのがソレだからだ。黒はすなわち勇者の色。だからこそ王様たち王族は、式典の場では濃灰色の服を着るという文化がある。


 つまり今回のクーデターは『勇者が王女に命じて』行われるのだ。

 実態は逆であれ、勇者ブランドを使い切るのは望むところ。必要ならばなんでもするぞ、俺たちは。


「わたくしたちはこの場で二手に分かれることになります。ミームス隊のみなさんはわたくしとアーケラと共に隠し通路を使い、直接王室区画『黒いとばり』へ」


 黙ってアヴェステラさんの横に立つアーケラさんも同じ装備を身につけている。王子様を説得するために行動するというアーケラさんの想いは、どんなものなのだろう。


「王族にのみ知ることを許された通路です。みなさんがどれだけリーサリット殿下の信頼を得ているか、心してください」


 口調こそ丁寧で語りも柔らかいが、アヴェステラさんのセリフは重い。

 バラしたらどうなるかわかってるんだろうな、なんていうナレーションが聞こえてきそうだ。いつもどおりに疲れた顔をしているヒルロッドさんを筆頭に、ミームス隊の人たちにも緊張が走っているように見えるのだけど。


「ご安心ください。『王女名代』たるわたくし、アヴェステラ・フォウ・ラルドールを送り届け、その場の敵対戦力を無害化するだけのお仕事です。みなさんならそれが可能であると、王女殿下もわたくしも、確信していますので」


 言いたい放題のアヴェステラさんだが、笑みが深くなっているのは明らかだ。もしかしたら高揚しているのか?



「そのへんにしておいてくれ、アヴェステラ」


 妙なテンションになっているアヴェステラさんに、ヒルロッドさんが苦笑を浮かべながら割り込んだ。


「これは失礼しました。悲願の日を迎えたと想うと、どうしても」


「皆も聞いてくれ、アヴェステラ……、ラルドール事務官はこの日のために迷宮に入り、階位を八にした」


 軽く頭を下げたアヴェステラさんを、こんどはヒルロッドさんが持ち上げた。


 同時にミームス隊の人たちから感嘆の声も上がる。アヴェステラさんとアーケラさんの階位は、前提条件として知ってたと思うのだけど、もしかして空気を読んだのだろうか。

 それでもたしかに王城で文官をやっている子爵が八階位なんていうのは、ある意味快挙だ。その点についてはアヴェステラさんの頑張りに対して、素直に賞賛の言葉を送りたいくらいだな。俺たちの仕業でもあるのだけれど。


「失礼しました。ありがとうございます、ヒルロッドさん」


「いや。昂るのは悪いことでもないよ」


「王室区画の正面からはヘルベット隊、イトル隊を主とした戦力が陽動を兼ねて突入します。敵対する可能性が高いのは『紫心』の一部と近衛騎士総長、ベリィラント伯」


 ヒルロッドさんの取りなしで気を取り戻したアヴェステラさんが、主たる敵を発表した。


 もちろんそのあたりもミームス隊は知っているはずだが、それでも先ほどとは別の緊張が彼らを包み込んでいるのがわかってしまう。それほどまでに近衛騎士総長という存在は大きい。


「王城における最強戦力同士のぶつかり合いです。そう、ミームス隊のみなさんは、間違いなく最強の一角として、戦場に立つのです」


 続くアヴェステラさんの言葉に、談話室の気温が上がったような錯覚を俺は覚えた。


 ミームス隊のみならず、俺たちにまで火が入ったようなそんな感覚だ。アヴェステラさんもなかなかアジってくれるじゃないか。


「現地までの行動、到着後、戦闘終了までの全てをミームス卿、ヒルロッド隊長にお任せします。『ゆーこぴー』」


「『あいこぴー』だよ」


 俺たちが持ち込んだネタを使って、アヴェステラさんとヒルロッドさんが笑い合う。気合は十分といったところか。



「では、勇者の皆様方からも一言激励をいただきたく」


 そしてアヴェステラさんから一年一組への無茶ブリがなされた。とはいえ事前に聞かされていたので、俺たちに動揺はない。ただし──。


「……『緑山』団長、ショウコ・タキザワです」


 どうやったって、こういうケースで挨拶をすることになるのは先生に決まっている。


 男爵で団長なんだから、仕方がないのだ。

 というわけで、二時間ぶり、本日二回目の滝沢たきざわ騎士団長による決意表明である。


『先生、このあとアヴェステラさんたちの前でも、ソレやるんだよね?』


『くむっ』


 朝に先生がやったスピーチのあとに、屈託のないロリっ娘奉谷ほうたにさんによるナチュラルな攻撃で、先生にダメージが入っていたのは一年一組だけの秘密だ。



「勇者と呼ばれるわたしたちは、故郷への帰還を願っています」


 意を決し口を開いた先生から真っ先に飛び出したのは、クーデターとはちょっと違う言葉だった。


「ここにいるアウローニヤの方々は、一階位で、この世界のことをまったく知らない頃から、わたしたちを支えてきてくれました。わたしたちの意を汲み、様々な形で。まずはそのことに感謝を申し上げます。ありがとうございました」


 キチンと整列していたわけではないが、大雑把に一年一組とミームス隊に分かれていた片方、つまり俺たち側がいっせいに頭を下げる。もちろん先生も同時にだ。


 考えてもみれば最初の頃、一階位で技能のことも資料でしか知らなかった時期に、迷宮で俺たちをレベリングしてくれたのが、目の前にいるラウックスさんたちミームス隊の人たちだった。

 地上での訓練でも、俺たちが対人戦を望んだ時も、ずっとお世話になってきた人たちだ。


「わたしたちは帰還の術を迷宮に求め、強さを手に入れようと決意しました。そこで力添えをしてくれたのが、ミームス隊のみなさんです」


 そこまで言った先生は、軽く右足をうしろに引いて腰を落とす。あれは、やる気だ。



「あぁぁいぃ!」


 右腰に添えた先生の右腕は、掛け声と共に前に突き出しを終えていた。


 元からあった先生の技とこの世界で得られた魔力を合せた、今現在最高の右正拳突き。

 ソレはまさに目にも止まらぬ速度で、ありきたりな表現をすれば空気を切り裂くように突き出され、つぎの瞬間には元の位置に引き戻されていた。


 拳からの余波で談話室に風が吹いたのではと錯覚させるような、そんな一撃。

 ミームス隊は十二階位と十三階位の集団だ。見えなかったということはないだろうし、そのすごさも伝わったことだろう。先生の全部が詰まったような拳が全て。


「わたしはここまでできるようになりました。形こそ違えど『緑山』の面々が、様々な力を得ています。今のわたしたちに、最初の一歩を下さったのは……、ミームス隊です」


 ぶっちゃけミームス隊の面々は、先生と同年代から年上が多い。最年長なはずのヒルロッドさんに至っては十以上もだ。

 先生としては面映ゆいのだろうけれど、そこは感謝の言葉を並べることで、なんとか乗り切ろうとしているのだろう。それでもカッコいいのが、ウチの先生の凄いところだ。


「お互いの健闘を祈ります。どうかご無事で」


 姿勢を元に戻した先生は、そこから先は多くを語らなかった。



「タキザワ閣下のご命令だ。ミームス隊各員、全力を尽くそうじゃないか」


「はっ!」


 ヒルロッドさんが茶化すような言い方をするが、それでもミームス隊の面々は勢いよく唱和をしてみせる。


 そんなラウックスさんをはじめとするミームス隊の人たちは、総じて笑顔だ。

 ああ、ミームス隊もカッコいいな。


 こんな大人たちに囲まれてしまえば、俺だってという気にもなるものだ。



 ◇◇◇



「では、ご武運を」


 アヴェステラさんが隠し通路に繋がる小部屋の扉を開き、俺たちに声を掛けてくる。


「そちらも。アーケラさんも気を付けてください」


「ええ。お気遣い、ありがとうございます」


 委員長が言葉を返し、アヴェステラさんに続くアーケラさんも、いつもどおりの微笑みで返事をしてくれた。


「気つけるんだぞ」


 続くヒルロッドさんの一年一組を気遣う言葉を胸に、小部屋に消えていくミームス隊を俺たちは見送った。



「こっちも時間だね」


 ヒルロッドさんたちがいなくなり、普段とあまり変わらないのにガランとしたような錯覚をさせる談話室で、腕時計をチラ見した委員長が出発の時刻であることを宣言した。


 この場に残されたのは一年一組二十二人と、シシルノさん、ベスティさん、ガラリエさんだけだ。


「さあ、メインイベントの始まりだ。ってな」


 オタイケメンの古韮ふるにらが軽い調子でそう言えば、みんなの顔が明るくなる。やってくれるじゃないか、古韮め。


 そうだな。このメンバーで物語を作りに行こうじゃないか。アウローニヤの歴史に残るような、すごいのを。


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