第273話 文官さんの階位を上げるために




「あの、まだ上がりません。申し訳ありません……」


 沈痛な空気を漂わせたアヴェステラさんの声が広間に響く。


「大丈夫ですよ、アヴェステラさん。まだまだ獲物はたくさんですから」


「ヤヅさん……、そうですね」


 魔獣の返り血で赤紫に染まったアヴェステラさんだが、まだ六階位にはなれていない。


 もう十体以上は倒したはずなのだけど、さては五階位になった直後にレベリングを止めていたというパターンなのかな。

 だけど安心してほしい、すぐそばには胴体のうしろ部分を叩き斬って、ご丁寧にも牙を叩き折られたウサギがまだまだ用意されているのだから。


 ところでアヴェステラさん、なぜ俺を見る目に恨みがましさやら悲しみが混じっているのだろう。発案者は違う、というのは言い訳か。実行犯は俺なわけだし。



「はい、もっかい【身体補強】と【鼓舞】。頑張ろうね、アヴェステラさん」


 ロリっ娘な【奮術師】の奉谷ほうたにさんがニコニコしながらアヴェステラさんの背中に手を当て、バフを掛け直す。ナチュラルでピュアに容赦ないなあ。


 最初の頃の奉谷さんならアヴェステラさんと一緒になってウルウルしていたはずなのに……。そういうキャラだったよな? 今では半死半生で積まれている魔獣を見ても、だからどうしたといった風情だ。鍛え上げた【平静】と、これまでのリアルな実戦経験の賜物なのだろう。

 俺だって、いまさら迷宮のエセウサギを見たところでそれほど心も動かされない。むしろ殺されかけた経験を思い出して叩き潰したくなるほどだ。これが俗に言う、駆逐してやるムーブなのだろうか。


「ホウタニさ──」


「お待たせしまシタ。追加デス!」


 両手に握りしめた短剣を震わせながらも奉谷さんに安らぎ求めようとしたアヴェステラさんだったが、セリフを最後まで言う前にミアがシュバっと登場した。手には無力化を完了したキャベツが抱えられている。うん、ピクピクしているからまだ生きてはいるようだ。さすがはミア、いい見切りだな。


「さあ、やっちゃいましょう。こういうのは勢いですから」


「頑張ってね、アヴェステラさん!」


「……はい」


 俺と奉谷さんの声援を受け、アヴェステラさんは短剣を振りかざすのだ。

 いつだかの深山みやまさんを思い出す光景だな。【鋭刃】とか生えたりして。


「お前らなぁ」


 いざという時のために同行している【聖盾師】の田村たむらが何か言いたげにしているが、知ったことではない。繰り返すが、頓着している場合ではないのだ。



 ◇◇◇



『出席番号二十六番。【思術師】アヴェステラ・フォウ・ラルドール。準備は万端です』


 以前に冗談で言っていたことが実現するとは思っていなかったのか、迷宮の入り口たる『召喚の間』で、らしくもなく投げやりに名乗りを上げたアヴェステラさんは頬を赤くしていた。

 はたしてアレは恥ずかしかったのか、それとも高揚していたのか。


 あとはヒルロッドさんだけだな。その日のために二十七番は空けておこう。



 王女様との密約を交わした翌々日に、俺たちは迷宮アタックを敢行した。

 今回は二泊三日で、目的はひたすらレベリング。『緑山』全員を九階位にして、できれば十階位も増やしておきたい。

 なにせクーデターに参加するのだ。王女様の護衛という名目で迷宮に退避することにはなっているが、そこでなにが起きるかもわからないし、ヘタをしたら地上から追手がかかる可能性だってある。


 たとえ十一階位は遠くても、十階位を生み出すことはできると俺たちは踏んでいるのだ。

 それに追加して、クーデターで攻撃側に参加することになっているアヴェステラさんのレベリングも強行されている。


『わたくしはお飾りなのですが』


『階位は嘘を吐きません』


 一昨日の夜、王女様が離宮から去ったあとになってアヴェステラさんが温いコトを言ったのだが、我らの綿原さんは一言で切ってのけた。


 王女様の名代とはいえ、実際の戦闘はヒルロッドさん率いるミームス隊が担当する。アヴェステラさんの役割はコトが成った暁に宣言を下すことだけなのだが、それでも俺たちは妥協したりはしないのだ。

 アヴェステラさんの階位が高ければそれだけ移動速度も上がるだろうし、怪我をする可能性も低くできる。すなわち作戦成功の可能性も上がるという寸法だな。


 アヴェステラさんは『緑山』の一員で、一年一組がアウローニヤに召喚されてからの付き合いだ。俺たち的には書類や手続き関係でとても良くしてもらっていると考えているし、仲もいいと思っている。

 すなわち彼女はもう、俺たちの仲間なのだ。


 一年一組は仲間を見捨てないし、予想できる危険があるのなら、できる限りを尽くしてみせる。たとえ見当違いであっても、考え漏れがあったとしても、その時々で話し合っていく。

 だからアヴェステラさん、諦めてレベリングだ。付き合ってもらいますよ。



 ◇◇◇



 早朝から動いた俺たちはアヴェステラさんの戸惑いを他所に速攻で二層に降り、三層への階段付近にある炊き出し会場で下拵えを敢行、その場を料理長たる聖女上杉うえすぎさんと迷宮委員な綿原わたはらさんたちにお任せして、一番近くで残っている魔獣の群れに突撃した。


 レベリング隊に参加したのはアヴェステラさんはお客様として、ガラリエさん、滝沢たきざわ先生、ミア、中宮なかみやさん、はるさん、藍城あいしろ委員長、古韮ふるにら野来のき馬那まな、偵察担当の草間くさま、ヒーラーとして田村、バッファーの奉谷さん、案内係の俺といったところだ。後衛職は最低限の三人だけ。


 逆に模擬店側に残った前衛は副料理長の佩丘はきおか、シシルノさんたちの護衛として海藤かいとうひきさんだけだ。キャルシヤさんにお願いした護衛もいるし、問題はないだろう。


 ちなみにこちらにはゲイヘン軍団長経由で王国食料部から派遣してもらった運び屋たちが付いてきている。五階位の人たちだし、二層なら一緒に行動くらいはできるのだ。

 そんな彼らは道中で俺たちが倒した魔獣を黙々と解体している。丸太やブタなんていうのはアヴェステラさんには倒せないので、アタッカーが秒で始末していたのだ。



 もちろん俺たち全員が悪ノリをしているという自覚はある。同時にコレの必要性も。

 迷宮泊に対応するための【睡眠】はネタとしても、アヴェステラさんが候補に出している【反応向上】と【視覚強化】は重要だ。

 勇者ほど魔力に恵まれていないアヴェステラさんだが、後衛職ということもあるので階位を五から八にすれば、三つの技能を取得するのも問題ないだろう。【睡眠】は取得コストが軽い技能だし。


「あ、上がりました。六階位です!」


 ミアの持ってきたキャベツに短剣を突き立てたアヴェステラさんが、非常に珍しい大きな喜びの声を上げた。


「やったね!」


「おめでとさんだな」


「ナイスガッツデス!」


 傍に控えていた奉谷さんと田村、そして戦場に舞い戻ろうとしていたミアがパチパチと拍手をする。もちろん俺も。


「よっしミア、各隊に伝達、撤収するぞ」


「ラジャーデス!」


 俺の指示を受け、ミアが風のように部屋を出ていった。


 俺と奉谷さん、そしてもちろんアヴェステラさんは足が遅い。運び屋たちもだな。田村は【身体強化】を持っているのでそこそこ。悔しすぎる。

 なのでアヴェステラさんには一か所に留まってもらい、草間が周辺を探りながら前衛部隊を二つにわけて、弱らせた獲物をここに連れてくるという作戦を取っていたのだ。



「じゃあアヴェステラさんは残ったウサギの始末ってことで」


「……はい」


【平静】を取らせてあげたくなる反応をするアヴェステラさんだが、ううむ、【視覚強化】をオミットするのはアリかナシか。いや、ナシだな。


 迷宮の中でならいくらでもサポートして上げられるが、地上でのイレギュラーは大問題だ。身体系は持っておかないと。いやしかし、地上でなら【睡眠】より【平静】の方が役立つかもしれない。とくにクーデターの作戦行動中とかで。


「九階位……、やっとくか?」


 俺の呟きが聞こえたのか、アヴェステラさんの肩がビクっとなったのが見えてしまった。


 それと同時に切り出し終えた素材を整理している運び屋たちも視界に入る。

 お互いにあえてなのだろうけど、アヴェステラさんとは目を合せないようにしているのが丸わかりだ。


 二層担当の彼らはたまに六階位がいるが、ほとんどが五階位で『制限』されている。三層担当は八階位で同じように『止められている』。

 レベルアップの仕様上、ラストアタック者にほぼ全部の経験値が入るので、レベリング対象者を絞り込むことができると同時に、意図的にレベルアップさせないことも可能なのが迷宮だ。


 彼ら運び屋は何度も偉い人たちが接待レベリングをしているところを見ているのだろう。たぶん最初の頃の俺たちだってそういう風に見られていたはずだ。

 勇者とかいう若造どもが抑えつけられたネズミを刺しているなんて光景を。


 今回のアヴェステラさんについては勇者式スパルタレベリングなので、とても接待風景には見えないだろうけれど、それでも彼らはどう思っているのだろうか。



「王女様の考えもわかるよなあ、勿体ないにも程がある」


「だな」


 俺の雰囲気を見て取ったのか、田村が話しかけてきた。口調は悪くても察しはいいんだよな、田村って。


「あのおっさんたちを七階位にしとけば、素材だって持ち帰り放題だろうによ」


「迷宮素材だけじゃなく、農業だって建築だって、だな」


「せっかくアホみたいな力持ちになれるんだ。それこそ人間重機じゃねえか」


 お互いにあえて戦争という単語は持ち出さないが、中世ヨーロッパ風のこの世界には魔力と階位が存在しているのだ。それを活用しない方が間違っていると思う。もしかしたらだからこそ、この世界の技術が遅れているのかもしれないが、それはそれだ。現状で使えるナニカがあるなら使えばいいのに。


 運び屋たちの階位制限は、立派な法律として存在してしまっている。

 鮭氾濫の時のような緊急避難的戦闘や、見どころのある人材を私兵として扱うために金やコネを使って引き抜くなんていう抜け道はあるが、それでも多くの運び屋は『すでに死んでいる』魔獣をひたすら捌き、ただ地上に運ぶだけの人生を送ることが多いらしい。


 ここで謎の人権意識を持ち込んで、俺たちが運び屋をレベリングしたところでお互いが不幸になるだけだ。だからアヴェステラさんは、目を逸らしながらウサギを刺していく。


「王女様の見たい光景、か」


「コレじゃねえよなあ。二重の意味で」


 俺が夢みたいなコトを呟けば、皮肉屋の田村は社会の現実と目の前のスプラッタを重ねて嗤った。



 王女様は自身の野望でもって、一年一組は流された部分こそ多いものの、それでも自分たちの理屈に従ってクーデターに参加する。先生の告白が代弁してくれたように、血を流して、誰かの命を奪ってまですることではないのかもしれない。

 それでも、あそこで黙々と作業を続けている運び屋たちを見ていると、意味があるのかもしれないなんて、少しだけ気分を変えることができたような。無理やりな思い込みだろうけどな。


「戻ったぞー」


 肩に丸太を引っ担いだ古韮が元気な声で広間に戻ってきた。


「半分くらい消えてマシた。まったく迷宮ってヤツは困りマス」


 ミアもまた丸太を軽々と抱えている。両肩に二本ときたか。

 見た目が華奢で妖精みたいな美少女が見せる物理法則を無視したような光景に、脳がバグりそうになるが大丈夫、相手は常識知らずのエセエルフだ。なんでもアリだよな。


 まあその後に続く先生や中宮さん、春さんまでもが同じようなブツを持ってくるわけで、結局は異世界を実感させられるわけだが。



 ◇◇◇



「なら【痛覚軽減】もあった方がいいかもしれないですね」


「いえ、わたくしは候補に出ていませんから」


 迷宮三層に綿原さんとアヴェステラさんの会話が響く。



 俺たちレベリング隊が模擬店に戻ってみれば、そちらはちょうど撤収作業の真っ最中だった。


 今の二層では運び出しにくいという理由で結構貴重となっている丸太だが、捌き方を知らないアヴェステラさんを除く全員で枝を掃い、立派な素材にしてから運び屋に渡して地上に戻ってもらっている。少しは貢献アピールできただろうか。

 運び屋たちは大層謙遜していたが、なにも親切でやったわけでなく、魔獣を捌けるようになるのは俺たちの訓練の一環だ。ミリオタの馬那的に言わせると自己完結能力とかいうらしいが、俺たちは迷宮に住むことすら可能なレベルで、できることはできるようになっておきたいと考えているからな。ワリとマジで。


 慌てて屋台を片付けるのを手伝ってから、俺たちはすぐに三層に降りてきたわけだ。

 わりと早い時間にアヴェステラさんを六階位に出来たのは良い展開だろう。


 ちなみに技能はまだ取ってもらっていない。【睡眠】か【反応向上】を取得してもいいのだけど、なにかトラブルが起きて引き返すなんてことになった場合を考えると、せめて一泊目の状況を見てからということになったのだ。熟練上げについては考えない方向で。



 で、話題になったのが、アヴェステラさんがほかに取るべき技能だ。

 かなり余計なお世話感があるが、心配なものは心配なのだから。俺が【平静】があった方がいいとか言い出したのがトリガーになってしまったのは申し訳なく思っているけれど。


 現状というか五階位だったアヴェステラさんが持っていたのは、メインスキルになる【思考強化】、身体系では【体力向上】と【疲労回復】、そして【集中力向上】の四つ。王城の文官ならこういうものらしい。

 この世界のシステムには【速記】とか【速読】なんていう技能は無い。それは【身体操作】や【視覚強化】で行うべきことで、とことんまで迷宮での戦いや行動が前提になっているのが技能の特徴といえるだろう。


 なんにしても戦闘に向いている技能ならば取れるだけ取らせてあげたいというのがアヴェステラさんに向けた俺たちの親心だ。何様だろうか、勇者様か。


 だからといって綿原さん、背中を引っ叩いたら【痛覚軽減】が出ますよとか、そういうのは止めてあげてくれ。俺たちが簡単に出せたのは、クラスチートのお陰な可能性も高いのだから。



「リンゴだね。十体くらい」


【気配察知】を掛けていた草間が隣の部屋を指さした。


 今回の三層では前回発見した『珪砂の部屋』は目指していない。あそこは遠いし、まだまだ在庫はいっぱいだ。

 シシルノさんによると、ああいう素材系の部屋は一度発生してしまえば枯れることはないらしく、ならば今回の迷宮泊で補充する必要もないだろうという結論になった。代わりに『緑山』一行は、出頃な場所で狩り尽くされていない群れのいる区画を目指している。


 王国側に出した書類では魔獣の漸減が目的として記載されているが、もちろん本命はレベリングだ。



「リンゴか。アヴェステラさんでもイケるかな?」


「やってみないことには」


 本人に向けて言ったセリフではなかったのだが、キッチリ返ってくるあたり、アヴェステラさんは真面目な人だと再確認させられる。


「そりゃそうですよね。ミア、海藤、悪いけどスナイプは無しで」


「了解デス」


「おう」


 攻撃範囲外から矢とボールを叩き込める二人には遠慮をしてもらおう。リンゴは弱らせてしまえば後衛でも倒しきれる魔獣だ。ここは後衛、とくにアヴェステラさんがヤレるかどうかを試しておきたい。


「陣形は『アヴェステラ陣』のまま。前衛は手加減。奉谷さん、アヴェステラさんに【身体補強】と【鼓舞】を。白石しらいしさんは【奮戦歌唱】で」


「うん!」


「わかった」


 バッファー二人から頼もしい返事がやってきた。それだけでもう高揚してしまうのは俺が単純だからだろうか。


 八階位と九階位の集団が三層で手加減とかいう笑い話だが、俺たちはソレをやる。

『綿原陣』を変形させた、具体的には海藤がうしろに下がってガラリエさんと二枚盾をするだけなのだが、それが通称『アヴェステラ陣』だ。当然『シシルノ陣』と『ベスティ陣』も所望されたのだが、知ったことではない。

 クーデター実行時にはアヴェステラさんの代わりに王女様が入れ替わることになるので、その時には『王女陣』になるのかな。いやあの王女様の気質なら『リーサリット陣』の方が喜ぶかもしれない。


 アホな俺の妄想を他所に、戦闘が開始された。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る