第112話 ところどころが黒い:【聖導師】上杉美野里




「かなり痛い……、デス」


「もう少しですからね」


 苦しそうにしているミアさんに【治癒識別】をかける。右の鎖骨が……、ほぼ折れていた。今日ここまで何度もミアさんたち三人の治癒をしてきたけれど、一番ひどい怪我。

 急いで、それでも冷静を心がけて【聖術】を使いながら、どうしても思ってしまう。あの男は、近衛騎士総長はなにを考えているのだろう。心の内というコトではなく、わたしたちのような子供に対して、コレが五十にもなろうとしている大人のやることだろうか。


 訓練場の事故ならば理解もできる。けれど今回のケースは違う。

 十以上も階位が違うというのに、手加減を間違えるとは。しかもその理由が性根からきているのが明らかだという、その事実に……。わたしは怒りを堪えるのに精いっぱいだった。


 多かれ少なかれクラス全員が似たような気持だろう。

 これは理不尽に対する、怒りと悔しさだ。



「総長……」


「なんだ」


「このようなことは、今日を限りに」


「当たり前だ。くだらんことを聞くな、ミームス」


 少し離れたところからヒルロッドさんと総長の会話が聞こえてきた。今日だけ。その今日で、滝沢たきざわ先生と中宮なかみやさん、ミアさんがどれだけ痛い思いをしたのか。

 見ていることしかできなかったわたしたちが、どれだけの思いを抱いたのか。


 わたしには仕返しをしたいといえるような気概がない。けれど見返してやりたいと、そう思う。



「四階位や五階位とは思えぬ強さはあった。ムダのある動きは控えろ」


 わたしたちの方に向き直った近衛騎士総長はそう言い捨てた。


 褒めていないわけではないかもしれない。だけど先生たちに対してムダとは、聞き捨てるのに苦しむ言葉だ。これが八津やづくんたちが言っていた『階位至上主義』という考え方なのかもしれない。そんな考えで、先生や中宮さんの技を『ムダ』と言うか。

 それでも先生が黙っている以上、わたしたちは口をつぐむしかない。


「無為な言葉か。貴様らが強くなるために費やせるような時間など、どれほど残っているものか。それに──」


「総長っ!」


 総長の聞き捨てならない言葉を、ヒルロッドさんが叫ぶようにして遮った。


 時間が、無い?


「ジアルト=ソーン、帝国だ。どうせラルドールは話していないのであろう」


「……総長、そこまでに」


「黙れミームス」


 話していない? 隠し事?

 アヴェステラさんがわたしたちに話していないこと。ジアルト=ソーンという名の帝国があることは知っている。まさか。



「ふんっ、儂はコイツらが気に食わん」


 ヒルロッドさんが諫めるのを逆に咎めて、総長は言葉を続ける。


「階位に見合わぬ力も、妙な技も、なにより儂の手元に置けぬのが、腹立たしいことこの上ないわ。なにが勇者か。馬鹿馬鹿しい」


 ああ、やっぱり八つ当たりだった。

 この大人は、子供だ。


「だから教えてやったのだ。自分らに届かぬ力もあれば、及ばぬ情勢もあるということをな」


 もしかしたらもともとは、わたしたちの力を見極め、育てようという意思もあったのかもしれない。

 けれど行動原理の根底にあったのは、癇癪でしかなかった。勇者というおもちゃを手に入れそこなったというだけの、ちっぽけな理屈で。


 近衛騎士総長、たしかベリィラント伯爵。もはや『アレ』で十分だ。心のリストに載せておくことにしよう。

 心の前言を翻そう。仕返しなどしない、積極的には。ただし機会があれば、その時はどうするか。


 見返すことで仕返しとする。アレの心には一番刺さるだろう。



 ◇◇◇



「あんなのがツンデレで、あとになって実はいい人でしたとかいわれても、俺は許さねえ」


「まったくだな。傲慢暴力オヤジがホントは心優しい味方とか、お話の中だけで十分だ」


 ワザと茶化した言葉遣いで会話をする古韮ふるにらくんと八津やづくんだけど、そこには怒りと不安が混じっているのがよくわかる。

 ふたりの話にはわたしにはわからない単語も混じっているけれど、いつかは理解したいと密かに考えている。そのうち白石しらいしさんやひきさんに聞いてみよう。最近なら綿原わたはらさんも詳しくなっているかもしれない。



 言いたいことを言い、さらには不穏な言葉を置き土産にアレこと近衛騎士総長は立ち去っていった。

 最初から最後までのやりたい放題な態度。それをクラスメイトたちはどう思っているのか、考えるまでもない。わたしの場合は最早、怒りよりも呆れと哀れみが先にきてしまう。


 訓練場を出て、離宮への帰り道をわたしたちは俯きがちに歩いていた。

 体力的にはなにも問題は無い。なのに複雑な心中がどうしても整わないから、それが歩みに出てしまう。



「俺はこれからラルドール事務官と話をしてくる。あとでまた」


「荒立てない方向でお願いできますか。それと『帝国』のことについて、説明も」


「……ああ、わかっているよ」


 中宮さんがあんな目にあわされてとてもくやしいはずの藍城あいしろ委員長は、それでも穏当な解決をヒルロッドさんに願い出た。

 逆恨み。最初からあちらの都合だけで憤っていたのだから、逆恨みですらないのだけれど、それでも焚きつけたところでわたしたちに利があることなどない。藍城くんはそのあたりを弁えることができる人だ。


 そんな心づくしがアレに通じるかどうかは怪しいけれど。



「いい経験になりまシタ」


「ミア、お前なあ」


「ワタシは納得してマスよ?」


 分かれ道を行くヒルロッドさんの背中が小さくなったころを見計らったのか、ミアさんが軽い調子で肩を回した。よかった、怪我はすっかり大丈夫そう。

 すかさず八津くんが口を挟む。こういうのをツッコミ役というのだろう。最近は八津くんがすっかり担当になっている気がする。とくにあの二層転落以来、彼は綿原さんやミアさんと近しい。わたしとも、もっと仲良く話しかけてくれても構わないのに。

 綿原さんの邪魔をするつもりは、もちろんないけれど。


 そんなミアさんの言葉が本心から出ているのはわかる。けれど雰囲気を良くするには少し軽すぎる気がしないでもない。

 彼女は気遣いができないわけではない人だ。ただ、自分がどういう気持ちでいるかを隠さなさすぎというか……。そこがミアさんの素敵なところでもあるのだけど。



「ミアよお。こっちの気にもなれや。くっそ。盾をぶら下げてビビってるだけだった」


 くやしそうに、本当に吐き出すように佩丘はきおかくんが文句とも懺悔ともつかないコトを言う。いかにも彼らしい言葉遣いだけど、わたしの気持ちも似たようなものだ。


「気持ちはわかるわよ。わたしだって見ているだけの側であんなのを……。考えただけで腹が立つわね」


 そこに中宮さんも同調する。

 副委員長らしく他者の視点に立つことのできる人。真っすぐで嫌味のない感情を突き出すような言葉選びは、彼女の気質そのものだ。どこかミアさんと似ているようで、少し違う。


「そうデスね。まだ滾っていたみたいデス。みんな、ごめんなさい」


 ミアさんが語尾を普通にして謝った。こういう殊勝な彼女は珍しいけれど、それだけ思うところがあったということだろう。


 それもこれも、全部がアレのせいだ。



「とにかく風呂とメシだ」


「だねえ。それからたぶんお話でしょ?」


「だよなあ。帝国ってやっぱりヤバいのかな」


「あたしにわかる話だといいけどねえ」


 めいめいが好き勝手なコトを言いながら歩いていれば、わたしたちがこのひと月を過ごした『水鳥の離宮』はすぐそこだった。



 ◇◇◇



 祖父の代から続く小料理屋の一人娘として生まれたわたしは、幼いころからいろいろな年代のさまざまな立場の人たちと触れ合う人生を送ってきた。

 お酒を飲む場という建前があれば、人の口は極端に軽くなる。本当に酔っていてもそうでなくても。


 そうして知ったのは、人は感情を押し殺して生きているということだ。

 大抵の人は極端にはならない。グチを言うことは多々あるけれど、明日へのはけ口にする程度がほとんどで、度を越せば周りがそれを宥め、諫めてくれる。

 稀に、ほんとうにごく稀に騒ぎを起こすような人もいて、警察にお世話をしてもらったこともある。当事者の姿を二度と見ることはなかったけれど、そのときの警官さんが酒季さかきさん姉弟のお父さんだと知ったのは後になってからだった。



 世間には、それこそ世界を越えてすらなお、いかんともしがたいお人はいる。

 それに振り回されて迷惑をこうむるどころか、代わりになって頭を下げる人たちも。


「申し訳ありませんでした。わたくしはこうなることを半ば予見していて、それでも止める術を持ちませんでした。利と害は説いたはずだったのですが」


 深く頭を下げるアヴェステラさんに、わたしたちは返す言葉を失った。


 いつもの談話室にいるのは一年一組全員と、アヴェステラさん、ヒルロッドさん、シシルノさん、メイドさんたち。つまりはいつもの人たちだ。

 伝わってくるのは、関係するにもかかわらず手出しできないこともあるという、日本でいうところの社会人の切なさだった。


 こういう人たちや極端に振れた人を日本で見たことがあるからこそ、わたしはあの場で起きたアレの横暴を表面上だけでも我慢できたのかもしれない。



「わかりました。アヴェステラさんを悪く言うつもりはありません。あの、それで、どうしてもわからないんです。近衛騎士総長はなぜあんなことを。しかも王女殿下や王子殿下から言われていたんですよね。勇者には手出し無用とか」


 委員長の聞きたくなる気持ちはわかるけれど、彼らしくもない。この場で問いただすべきなのは次があるかどうかで、原因ではないと思う。

 やっぱり中宮さんたちが絡んだせいで、感情が先に出ているのかも。


「繰り返しになりますが、申し訳ありません。ああいう方であるから、としか」


 アヴェステラさんの綺麗な顔がいつになく歪んでいるのがわかる。


 店でならば出入り禁止を申し付ける類のお客さん。それがよりにもよって王子様や王女様の不興すら鑑みない類とは。


 まったくもってアレはアレだということだ。



「ですが、二度はありません。本人がそう断言していましたので」


「そういう人だということですか?」


「はい。貴族としては本当に珍しく、前言を翻すようなことをしない方なのです」


 言葉に苦味が混じるアヴェステラさんの横では、ヒルロッドさんが本当に疲れた顔で同意するように頷いている。その言葉を信じることができるかどうかは今後次第で、わたしたちにどうにかできることではない。様子見をするしかないということだ。


 聞き返した委員長にも思うところはあるのだろう。

 彼も町長の息子として名のある人たちと出会う機会は多かったはずで、その中にはアレとまではいかなくても、似たような気質を持った人を見たことがあるのかもしれない。そもそもそんな機会は必要ないと思うけれど。



 わたしとしては一刻も早く階位を上げて、再びアレが現われたときに叩き潰す手立てがほしい。力だけでなく、情勢も。

 あいにくわたしは後衛に属する神授職なので、自分自身で手を下すことはできないだろうけれど、手助けならいくらでもする所存だ。そのための努力も惜しむ気はない。


 けれど今はそういうことに拘っている場合ではないだろう。

 アレを許すつもりはないけれど、発した言葉は吟味する必要がある。それこそが──。


「わかりました。それより、聞いておかなければならないことが」


「はい。帝国、ジアルト=ソーンですね」


 委員長が話題を変えて、そしてアヴェステラさんが決定的な単語を口にした。

 わたしたちの未来をどうにかしてしまうかもしれない、そんな名を。



 ◇◇◇



 誰もがそうであるように、わたしにも小さな夢がたくさんある。


 そのひとつが小料理屋『うえすぎ』の跡を継ぐこと。

 結婚や子供などはまだ想像でしかないけれど、その時には少し年を取ったお父さんとお母さんが一緒に店にいてくれると嬉しい。


 毎日たくさんのお客さんとお話をして、そんな中に──。


 大人になった山士幌高校一年一組のみんながいて、お酒が好きになった人も苦手な人もいて、いろいろな思い出や将来の話をしている。同窓会ではないし全員が集まることも滅多にないけれど、誰かしらが毎日のように顔を出してくれるような、そんな『うえすぎ』の将来。


 わたしの大切な仲間たちで、友達が集う店。

 そんな夢をかなえるためにも、みんなで帰る。ひとりだって欠けてはいけない。誰が傷ついても、わたしが絶対に治してみせる。


 だからみんなには是が非でも、わたしの夢に付き合ってもらいましょう。


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