第48話 幼馴染と僕と:【風騎士】野来孝則




 身体が震える。生まれてこの方、ここまで怖いと思ったことがあっただろうか。


「迷宮じゃよくあることだ。階位上げとか悠長は言わないぞ。陣形を取れ、勇者様」


「無責任にっ」


 自分たちのミスを事故みたいに誤魔化すヴェッツさんに、中宮なかみやさんが舌打ちをした。気持ちはわかるけど、敵対まではしてほしくないかな。

 今はそれより守ることだ。



「委員長、指示っ!」


 藍城あいしろ委員長に声を掛けながら前に出る。


 そんな自分に心の中で驚いてしまった。僕にこんな勇気があるはずない。【平静】と【高揚】のお陰だけでもない。うしろに彼女たち、ひきさん、笹見ささみさん、そして何より疲れ果てた白石碧しらいしあおいちゃんがいるから。



「僕と野来のきは盾役。それぞれりんちゃんとはるさんでペア」


 地上にいるうちに決めておいた、ヤバくなったときの対応だ。僕と酒季さかき姉とでペアになる。

 それと委員長、中宮さんのこと下の名前呼びになってるけど、あとでからかわれても知らないよ。


「笹見さんは【熱術】で牽制。味方に当てないように気を付けて。白石さんは疲れてるだろうけど、歌!」


 すごいな。決めておいたからって、ここまでしっかり指示を出せるなんて。


「アタシは?」


「疋さんは術師二人の最後の守りだ。頼んだよ!」


「任された!」


 本音は戦力外なんだろうけど、それでも役目をしっかり渡す。伊達に十年近く僕たちの委員長をやってきてない。みんなの性格までわかって言ってる。



「いい仕切りだ。見直したぜアイシロ様よ」


「それはどうも」


 本音交じりの言葉を投げたヴェッツさんは、もう戦いを始めていた。


 気持ちが悪い茶色のネズミが二十体くらい。こっちの騎士は七人。一対一なら楽勝だろうけど、何体かは抜けてくるかもしれない。

 僕たちの近くの壁際では『運び屋』のおじさんたちが、体を張って【聖術師】のおっさんを守っている。そういう決まりなんだろうな。ネズミめ、あっちに行けばいいのに。


「手前ら、殺すより阻害を優先だ。うしろに流していいのは少しずつ。わかったな!」


「おうっす!」


 騎士たちだったらいっぺんに半分以上のネズミを倒せるんだろう。だけどそれをやったら半分は僕たちに襲い掛かることになる。

 ヴェッツさんはそうせずに、こっちに流れる量を減らそうとしてくれているんだ。感じの悪い人だけど、やるべきことはやるってことか。

 事実、盾でネズミを弾いてからは剣で刺さずに、別のネズミを邪魔しにいっている。


 それでもちょっとは流れてきた。四体。


「っ! 前衛四人で止める!」


「わかったわ!」


「やるよ!」


「うん」


 僕と委員長は盾で、中宮さんと酒季姉は引き抜いたメイスか左手のバックラーで、とにかく止めなきゃ後ろが危ない。

 盾を動かす練習こそしてきたけれど、受け止めるなんてできるのか?



 今いるメンバーでまともな戦力に数えられるのは、中宮さんと笹見さんだけ。かろうじて歌で励ましてくれるあおいちゃんは疲れ切っていて、どこまでやれるかわからない。

 残り四人はまるきりの素人だ。それでもやるしかない。


『きみが、いるから。光が、あるから──』


 か細いけれど、ちゃんと聴こえるよ。背中を押してくれる碧ちゃんの【奮戦歌唱】。さすがは僕ら自慢のバッファーだ。

 少しだけの高揚感がとても頼もしく思える。ありがとう碧ちゃん。



「やるよ。『熱くなれ』!」


 笹見さんが叫んだ直後、僕と委員長の目の前で空気が揺らいだ。それを嫌うようにして二体の敵が速度を落とす。

 攻撃になるような熱さじゃない。それでも相手の行動を戸惑わせるくらいの効果はあった。


 これこそ【熱導師】笹見さんの『熱球』だ。


 笹見さんが作った熱球は、ネズミに触れれば魔力が霧散して魔術としては消滅する。だけど熱だけはしばらく残る。これがこの世界の魔術ルール。

 

『魔術が消えても物理現象は生き残る』


 委員長の言い方だとそういうことになる。魔術で動かした水は勝手に元の場所に戻らない。むしろ勢いだけはしっかり残るんだ。

 ついでにネズミの魔力を少し削ってくれる効果もあって、笹見さんの魔術はクラス一の後衛と呼ばれるくらいに頼もしい。本人の夢はいつかひとりで風呂を沸かすことらしいけど。



「わるいね。これくらいで手いっぱいさ」


 笹見さん、十分以上だよ!

 これで一度に当たる敵は二体。盾も二枚。


「いくぞ野来!」


「うんっ!」


 後衛にもらった勇気とチャンスを活かせないタンクがあるものか。たった一歩を踏み出すだけだ。



 どかんと両手で支えた大盾が音を立てた。

 八本も脚があるくせに、逆に八本も脚があるからネズミは小回りがきかない。その代わりに大きな体に見合った体重で、力の乗った体当たりをしてくる。

 事前に習っていたとおり、体当たりと噛みつき、それだけがネズミの攻撃方法だった。


「うりゃあ!」


「しゅっ!」


 僕と委員長が受け止めたネズミに襲い掛かったのは、もちろん酒季姉と中宮さん。素人と達人の組み合わせだ。掛け声もそれっぽい。


 もともと【身体強化】を鍛えている上に、二階位になったふたりは速い。その攻撃は一層のネズミ相手なら十分に効果を発揮してくれた。

 事前の予習通り、狙うは足。武器はメイスを使う。いきなり刃物を持ち出しても上手くできるわけがない。打撃で確実に動きを止めるのが最優先だ。


「こっちは鈍った!」


「こっちもよ。のこり二体が来る。ふたりで止めてっ!」


 嬉しそうな酒季姉の声に対して、中宮さんの叫びは悲痛だった。一度は熱球で動きを鈍らせた二体が後衛の三人に向かっている!?

 これだから戦い素人は嫌になる。前衛四人がかりなのに二体もネズミを取り逃がしてしまった。



「かかってこい! 床屋なめんなよ! こっちは刃物の扱いになれてるんだ!」


 啖呵を切ったのは疋さんだった。いつの間にか背嚢を外した身軽な姿になって、右には短剣、左手には固定されたバックラーと小ぶりなナイフが光っている。

 完全に虚勢だ。それでも彼女は自分の役目を果たそうとしていた。


「ほらほら、こっちだっ!」


 そんな風にがんばる疋さん、碧ちゃんに覆いかぶさるようにして守っている笹見さん。

 なにより、気弱なクセに感張り屋の碧ちゃんの目が、敵じゃなくこっちを見ていたことに気付いた瞬間、僕は盾を放り捨てて走り出していた。


朝顔あさがお、一瞬でいいからっ!」


「わあってるよお」


 振り返りながらネズミに追いすがる中宮さんが疋さんに喝を入れる。酒季姉も走り出して、中宮さんと二人して僕を追い抜かしていった。【身体強化】の差なのは分かっているけど、悔しいなあ。



「しゅあっ!」


 ネズミが後衛に激突するギリギリで、中宮さんが前に倒れ込むようにしてメイスを振り抜いた。見事に片方のネズミに当たって後ろ脚を何本かダメにしたけど、勢いがちょっと削がれた程度でそのまま疋さんにぶち当たる。


「ぐあっ、っくそう!」


 ネズミの頭を抱えるようにして疋さんが後ずさる。だけど中宮さんの攻撃が効いていたのか勢いは弱まっている。ネズミを掴んだそのままで、疋さんが短剣を振り下ろした。


「へっ、刃物っていっても、使ったことあるのはハサミとカミソリだけどね」


 赤紫の血が噴き出した。



「うっりゃああ!」


 もう一体のネズミは、碧ちゃんと笹見さんの直前で酒季姉の攻撃をくらった。だけど彼女は素人だ。中宮さんみたいに動きを止める打撃になっていない。

 バランスこそ崩しはしたけど、ネズミがそのまま突っ込んでいく。


「さっせるかぁ!」


 碧ちゃんと、彼女に被さった笹見さん。そこに迫るネズミの間に僕の体が滑り込んだ。

【痛覚軽減】が仕事をしてくれたのかな。衝撃は来たけど痛みは感じなかった。



 ◇◇◇



『聞こえているかしら。わたしのこの声が……』


 歌が聴こえた。優しい声で、心が楽になっていく気がするような。ああ、僕はこの声を知っている。もしかしたら、僕のために歌ってくれているのかな。



「──いいから早く【聖術】を!」


「おや、アイシロ殿が──」


「僕は持っていないとっ!」


「取得すればいいではないですか。遅かれ早かれ」


「ここで取っても熟練度が!」


 すぐ近くで委員長の怒鳴り声がする。珍しいな、こんな声を出すなんて。相手は誰だよ。



「パードさん。余計なおしゃべりはもういいですから、早く」


「シライシ殿、しかしですな」


「早くと言いました」


「……」


 碧ちゃんが本気で怒ってるときの声だ。せっかくの歌が止まっているじゃないか。



「……ノキ殿、声は聞こえていますね。私の【聖術】を受け止めてください」


 なるほど【聖術師】のパードさんだったのか。【聖術】を出し渋るなんて、なにを考えてるんだろう。相手は……、僕?



孝則たかのりくんが終わったら朝顔ちゃんです」


「いやしかし、彼女は軽傷──」


「やってください。仕事でしょう」


「……」


 怖いなあ。



 ◇◇◇



 僕が気を失っている間に、みんなは騎士たちが脚を潰してくれたネズミにトドメを刺してレベリングをしていたらしい。その結果、僕が二階位でほかの六人は三階位。

『運び屋』さんの籠はネズミの死骸でいっぱいだ。


 怪我、といっても打撲だったらしいけど、とにかく一番重傷だったのは僕で、疋さんが軽傷ですんだみたいだ。それももうすっかり治っている。


 なんでも碧ちゃんは、僕をブチのめしたネズミをザックザクにしたらしい。

 やっぱり僕の幼馴染で他称『婚約者』はおっかないな。でも僕のために予定外の【鎮静歌唱】を取ってまでして、歌ってくれてありがとう。

 勝手をしたからってみんなは怒らないと思うけど、あとで二人で謝ろうか。



「すまなかったな」


 最初の広間までの帰り道で、ヴェッツさんたちが頭を下げてきた。


「お前たちを見くびっていた。仲間同士で必死になってるのを見て、軍にいた頃を思い出したよ」


 なんかよくわからないけど、向こうが納得しているならそれでいいか。



 ◇◇◇



「遅刻の言い訳になるといいけれど」


「委員長が率先して遅刻なんて、言い訳もなにもないでしょ」


「予定外の事故だよ」


 中宮さんが委員長を肘で小突いている。仲良いよな。


「孝則くん、ありがとう」


「碧ちゃんこそ、がんばってたじゃないか」


 気が付けば昔みたいに下の名前で呼び合っていた。



「なあ玲子れいこはるよお」


「言わないで。ちょっと痒くなってきたから」


「ハルは名前が春なのに、春が遠いなあ。あとで夏樹なつきをイジって憂さ晴らしかな」


 うしろから飛んでくる言葉のイジリが胸に刺さるけれど、今くらいはいいじゃないか。


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