第41話 怪我は治ったけれど
「結構ムリしてたの。正直に言っておいた方が良かったね。騒がせてごめん、みんな」
食事を終えて一年一組だけになった離宮の談話室で、改めて
「わたしこそ……、ごめんなさい」
「ちゃんと周りを見てなかったアタシが一番悪いと思う。ゴメン、
居たたまれないを体現したような表情で
お互いに自分が悪いモードだ。
唯一の朗報といえば、あんなことがあったのに笹見さんがピンピン無事だということか。
◇◇◇
「笹見さんっ!」
誰よりも先に動いたのは先生だった。いや、とっくに動いていたと言った方が正確だ。
笹見さんが白石さんを抱えてバランスを崩した段階で、先生はすでに動き始めていた。素の反射だったのか【集中力向上】を使い続けていたのかはわからない。
けれどほんの一歩だけ遅く、先生が笹見さんを抱きかかえたのは疋さんのバックラーが当たった直後だった。
「先生!?」
「笹見さん! 大丈夫ですかっ!?」
痛みを訴えるより驚きが先に出ている笹見さんと、今まで一度も耳にしたことがない先生の悲痛な声がカブって聞こえた。
白石さんが地べたに座り込み、事態に気付いた疋さんが唖然とした顔で立ちすくんでいる。
先生の叫びを聞いたクラスメイトたちも笹見さんを振り返って、もはや行進どころではなかった。
「モルカノ卿、準備!」
直後、ヒルロッドさんが誰かの名を呼びながら、信じられない速度で現場に駆けつけてきた。
◇◇◇
ヒルロッドさんに担がれた笹見さんは、訓練場の端にある天幕のひとつに運ばれた。
それにしても速すぎる。ヒルロッドさんはジャンプを三回で五十メートル以上を一気に移動した。しかも極力笹見さんの体を揺らさないようにしているのがわかる。
こういうときだけ【観察】がいい仕事をするから、見えても手出しできない自分がとてももどかしい。
「頭だ、モルカノ卿」
「はいはい、わかったよ」
俺たちが到着したときには笹見さんはすでに簡易ベッドらしき台に寝かされていた。
すぐそばで白髪のおばあさんが椅子に座っている。たぶんこの人が医者、訓練場に常駐しているという【聖術師】だ。
「さあさ勇者のお嬢ちゃん、アタシはシャーレア・モルカノっていうんだよ。お名前聞かせてもらえるかな」
「あ、えと、
「そうかいそうかい、異国情緒があっていい名だね。意識があってなにより。アタシは【聖術師】。これからちゃーんと治してあげるから。アタシの【聖術】、受け入れてくれよ?」
「えっと、ヒルロッドさん?」
穏やかだけれど状況にそぐわないのんびりした声色に、笹見さんがヒルロッドさんを見る。
「この人がササミの怪我を治してくれる。安心して委ねるといい」
「……わかりました」
「ほれ、自分自身で治るんだと信じるんだよ。アタシのやることは、ほんのちょっとの手伝いだからね」
すでにヘルメットを外している笹見さんの頭に軽く手を当てて、シャーレアさんが優しく語り掛けている。
笹見さんは頭のどこかを切ったのか、けっこうな量の血が流れているのが痛々しい。押しかけたクラスメイトたちがそんな彼女を見つめていた。
そこから先はまさに魔法だ。笹見さんの傷は動画の早回しみたいにみるみると治っていき、十秒と経たずに血の跡だけを残して消えていた。
日本では見ることのできない不思議で異常な光景だが、俺たちはソレをもう何度も見ている。単に【聖術】が発動した結果ということを知っていた。談話室でさんざん練習してきたのだから。
「ほー」
「すげぇ」
それなのに委員長は感嘆したように、さらには
どうしてと思った直後に気付いた。アウローニヤ側からしてみれば、俺たちが【聖術】を見るのはこれが初めてのはずなのだ。察しの良いクラスメイトはそれに感づいただろうし、気付いていない仲間は笹見さんが治ったことを素直に喜んでいる。
ここで「【聖術】ってこんなすごいんだ!」なんて言葉は必要ない。かえって白々しくなるだろう。だから委員長と田村はあえてごく短い感嘆の言葉だけで済ませたのだ。やるじゃないか。
バレていなければ、だけど。
「もう大丈夫さ。血も見た目ほど流れちゃいない。今日だけ安静にしてればそれでいい」
「玲子!」
「……玲子」
シャーレアさんが椅子から立ちあがった途端、疋さんと白石さんが笹見さんに飛びついた。誰かが気を使って、到着していた二人を最前列に移動させていたんだろう。
「白石、疋、ごめんね」
「アタシこそ、アタシが……」
「わたしが悪いの」
三人揃って泣きながら謝り合っている。口出しできる空気じゃないな。
「あー、というわけで今のが【聖術】だ。見てのとおり小さな外傷ならすぐに治る」
どうしようもないと判断したのだろう、ヒルロッドさんは頭をガリガリと掻きながら説明してくれた。
「これが『迷宮装備』の扱いを失敗した結果だ。君たちに剣や槍を渡せない理由をわかってもらえたかな」
全員が無言で頷く。盾でさえコレだ。あんなのを見たら、剣を振り回す気になどなれるわけがない。
同時に防具の重要性も思い知った。ヘルメットを見て髪型とかキャラ分けがとかいう気持ちは、全員の中から吹き飛んだだろう。
「ササミはここで寝ていろ。シライシとヒキは付き添いだ。いいね?」
さすがに今からこの三人を動かす気にはならなかったのだろう。
「残りは行進訓練を再開だ。今の事故を顧みて、各人の間隔を見極めるように」
そう言い残してヒルロッドさんは天幕を出て行った。
「
「ええ、わかっています」
後を追うように外に出る途中で田村が上杉さんに小声で話しかけているのが聞こえた。
◇◇◇
そして夜、体は無事でも心に傷を残した三人が俺たちの前で頭を下げているという状況だ。
「無事で何よりだ。次に気を付けるようにすれば、それでいいと思うよ」
「同感ね。いつか誰かが起こす事故だった。防具のありがたみを思い知ったわ」
委員長と
二人ともが事故を起こしてしまった三名をかばっているのがよくわかる言い方だ。
「笹見さんは身体系の技能を持っていませんでした。もともとの体力があるとはいえ、クラス全体が技能で力を付けたことで差が縮まっていた。そのことに気付いてしかるべきでした」
先生が吐き捨てるように言い放った。余程悔しかったのか綺麗な顔が歪んでいる。
クラスの中で【体力向上】【身体強化】【身体操作】のどれも取っていないのは、笹見さんと先生だけだ。
二人とも生身の人間だし、笹見さんは高校一年になったばかりだ。技能があるこんな世界で、運動会系の体力自慢がどこまで通用するものか。
「以後は全員がお互いの技能も把握して、こういう事故が起きないように気を配りましょう」
「はいっ!」
全員が一斉に大きな声で返事をした。
本当なら先生は自分の落ち度と言いたかったのだろう。だけどそれは違う。これは責任がどうこうの話じゃない。全員で気を使い合い、助け合う必要があった。
「ですから笹見さん、疋さん、白石さん。謝り合戦は終わりにしませんか」
「はい」
「は、はい」
「……はい」
指名された当事者たちはお互い無理やり笑いあって、そして笹見さんが両腕で二人を首を抱え込んだ。
うん。少なくとも三人に遺恨じみた感情が見受けられないのが、個人的に一番嬉しいかもしれないな。
◇◇◇
「では笹見さん、田村君、説明をお願い出来ますか」
やっぱり先生もアレに気付いていたか。患者たる笹見さんとそれを見ていたクラスの医者、田村の意見を求める。
内容はもちろん、シャーレアさんが見せたあの不可解な治療光景について。
「治してもらった身としては悪いんだけど、田村や上杉とあんまり変わらないかなって思った」
先に感想を述べたのは患者だった笹見さん。
「あの馬鹿馬鹿しい問診、いや、単なる会話だな」
田村の言い方はきびしい。
「怪我は頭部の裂傷だ。CTやMRIの映像を見てそこから問診するならまだしも、あのやり取りに意味はない」
俺もそこが気にかかっていた。
一見、医者が落ち着いた態度をみせることで、患者をリラックスさせようとしているようにも思えた。だけど田村はそれに意味がないと断定する。
ならばなんだ。この国のスタンダードな治療光景? 軽傷とみて焦る必要を感じなかった? どちらもしっくりこない。
それに笹見さんの言う『田村や上杉と変わらない』とうセリフ。二人が【聖術】を取ってまだ一週間程度だ。いくら毎晩熟練度上げをしているからといって、近衛騎士団付きの【聖術師】と同等レベルの【聖術】なんてありえるのか?
「俺と上杉の熟練度があのばあさんと同じくらいなんて。ははっ、本当なら馬鹿げてるな」
「よくあるパターンだと俺たちは日本人だから人体構造や細胞分裂の原理をよく知っている、なんていうのもあるぞ」
田村が自虐的に嗤えば、そこに
「わたしが気になったのはシャーレアさんが『安心して委ねろ』と言ったことです」
おずおずと手を挙げながらも、白石さんはキチンと自分の感想を述べた。
「そうか。『魔力の打ち消し合い』ルール。なるほど、僕もソレじゃないかと思う」
「『対象者が受け入れる心』かよ。外科治療に心を持ち出されてもなぁ」
委員長が思いついたように勝手に納得して、田村は今度こそ面白くなさそうに吐き捨てた。
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