第25話 幸せは巡る②
「率直にお聞きします」
かなたは真刃に尋ねた。
「私の身に、一体何が起きたのでしょうか?」
彼女は今、真刃の前に椅子を持ってきて座っていた。
ちなみに赤蛇はかなたの肩の上に居座り、刃鳥は真刃の後ろに控えている。
「ふむ。そうだな」真刃は、あごに手をやって切り出した。「簡潔に言うならば、お前は我霊に取り憑かれていたのだ」
「……やはりそうですか」
想像通りの言葉だ。
「まさか引導師に取り憑くとは。私が始末した我霊は危険度E程度だと思っていましたが、その中に特殊な我霊が潜んでいたのですね」
ギュッと拳を固める。
本当に油断した。雑魚の中に潜んで隙を窺っていたとは――。
と、自己分析するかなただったが、真刃の意見は違っていた。
「いや、違うぞ。奴らは紛れもなく危険度Eだった。お前は危険度E――最下級の我霊に取り憑かれたのだ」
「…………え?」
かなたは目を見開く。真刃は嘆息した。
「そもそも、お前は何故、引導師が我霊に取り憑かれないと思うのだ?」
「え? それは、引導師は我霊と戦うための修行を――」
「確かに術法においてはな。だが、それは我霊に取り憑かれなくなるということではない。引導師と一般人の我霊に対する耐性の差は、その存在を知っているかどうかの差だ」
そこで、真刃は自分の頬に拳を押しつけた。
「いきなり殴られるのと、殴られるのを知っているから歯を食い縛る。それだけの差にすぎん」
「そ、その程度の差……?」
かなたは唖然とした。が、すぐに表情を改めて。
「ですが、我霊に取り憑かれた引導師の話など聞いたことがありません」
「それは当然だ」真刃は淡々と返した。「『我』が弱い者ほど、我霊に狙われやすい。それはどんな人間であってもだ。しかし、今代の引導師たちを見ろ。例えばお前の主人とかな」
真刃は皮肉気に笑った。
「気に入った女は力尽く。常に力を欲し、他者は屈服させて従わせる。そんなことを実践する輩の我が弱いとでも思うのか?」
かなたは言葉もなかった。真刃はさらに続ける。
「『使命に走るな。自分を愛せ。引導師よ、強欲であれ』。この訓示は、我霊と対峙できるほどに我を強くせよという意味なのだ」
背もたれに体重を預けて、真刃は深々と嘆息した。
今代の引導師たちが、当然のごとく我霊に取り憑かれなくなったのは良いことだ。
だが、同時に思う。引導師に限らず、今代の人間の我は、かつての時代よりも遙かに強くなっている。無論、すべての人間が我欲を優先させている訳ではないが、我霊の発生率の高さがその事実を物語っていた。
もはや、引導師が訓示などを必要としない時代。
果たして、これをよしとすべきなのか……。
(引導師が死亡した際に行う葬送の儀。あれが今も受け継がれているのは本当に幸いだな)
真刃は、自嘲気味な笑みを零した。
殉死した引導師を、輪廻へと導く葬送の儀。
仮にあれが失伝でもしていたら、元引導師の我霊が溢れかえっていたに違いない。
「……では、私が取り憑かれた理由は……」
かなたは、無表情のまま呟いた。
「お前の我は、弱い」
真刃は指先を組んで宣告する。そして極力、感情を抑えた声で話を続けた。
「昔の話をしよう。とある狂った男がいた。そいつは才ある引導師の娘を攫うと監禁した。昼夜問わず何度も犯し、心を折った。あえて逃がしては捕らえ、希望から絶望に叩き落としてから犯したこともあった。それを繰り返して、その娘は……」
深く、とても深く息を吐き出す。
「心を喪失した。その状態で男は娘に我霊を取り憑かせたのだ」
空気が、シンとする。
「……どうして、そんなことを?」
流石に不快感を覚えたのか、わずかに眉をひそめて、かなたが問う。
「実験だ。刃を生み出すためのな」
真刃は、微かに怒気を孕んだ声で続ける。
「男は、我霊に取り憑かれた娘を、さらに犯した」
「……え?」
「我霊に憑依された娘を殺さないように生かしながらな。それは娘が孕むまで続けられた」
「――ッ! 我霊が子供を授かったのですか!」
これには、かなたも目を剥いた。
我霊のほとんどは異形の死体だ。生の実感として異性を襲うこともあるが、子供が出来た話など聞いたこともなかった。結局は死んでいるのだから子が出来るはずもない。そもそも犯した後は喰い殺すのが我霊の基本的な習性である。
「その娘は例外だ。憑依されてもまだ生きていたからな。出産時には男に腹を裂かれ、殺されてしまったが、いずれにせよ、そうして産まれたのが……」
『……真刃さま』
その時、ずっと沈黙していた刃鳥が声をかけてきた。
『その話は、今はよいのでは?』
「……そうだな。ともあれ、かなたよ」
真刃は視線を、椅子に座るかなたに向けた。
「お前の我は弱い。話にあった娘ほどに心が喪失している訳ではないが、それに、かなり近い状態にある。我霊からしてみれば、お前は格好の依代だろう」
「……そうですか」
真刃の宣告にも、かなたは表情を変えなかった。ただ、静かに頭を下げた。
「申し訳ありません。久遠さま」
「……何を謝る?」
「私はご当主さまより、今回の勝敗の結果関係なく、今後は久遠さまにお仕えするように命じられております。ですが、私は引導師としては欠陥品のようです。せめて、女としてはお役に立てるよう努力致しますゆえにご容赦を」
「……やれやれ」
そんなことを言うかなたに、真刃は溜息をついた。
どうやら想像以上にこの娘は重症のようだ。
「かなたよ」真刃は告げる。「こちらに来い」
「……はい」命じられたかなたは重い体を動かして、真刃の前まで移動した。
そして無表情のまま、ベッドを一瞥して。
「今から私をご所望でしょうか?」
この場で早速、《魂結び》を行う。
そうすれば、新しい主人にかなたの魂力が加算されることになる。
もはや、戦うことも出来ない役立たずの自分を唯一活用する方法だった。
「私にはその手の知識や経験はまだありません。ですので、久遠さまの望むままになさってください。私はそれに応えます」
初めての性行為。流石に不安があった。
けれど、怯えに似た表情を見せたのは一瞬だけ。かなたは淡々とそう告げた。
一方、真刃は、額に手を当てて嘆いていた。
「早合点するな。そうではない。まったく。エルナといい、お前たちは」
はあっと嘆息する。が、すぐに表情を改めて。
「己はあの男からお前の身柄を奪う。その後は己の傍に置くことになるだろう」
「はい。心得ています」
「いや、まるで心得ていないな。よいか、かなたよ。己はお前を傍に置き――」
真刃は腕を伸ばすと、かなたの頭の上に、ポンと手を置いた。
「お前に、幸せを与えようと思う」
かなたは眉根を寄せた。
「……それは、私に女の喜びを教えるという意味でしょうか?」
「そうではない」真刃はかぶりを振った。
「お前の望みを言え。お前が幸せだと思う望みを。己は、それを叶える」
「……のぞ、み?」
かなたは、何を言われたのか分からない顔をした。
すると、青年は彼女の頭を二度叩き。
「お前がそこまで心を凍りつかせた理由の想像はつく。そうしなければ生きていけなかったのだろう。だが、己の庇護に入る以上、もうそんな顔をさせる訳にはいかんな」
彼は、優しく笑った。
「最初は、些細な我が儘からでいい。無理をせず少しずつ言いがよい。己はそれを一つずつ叶えよう。お前が幸せになれるように」
そう告げる真刃に、かなたは酷く困惑した表情を浮かべた。
「幸せ? 私が……?」
そんなものは、とうの昔に諦めたモノだ。今さら言われても困惑しか抱けない。
「私を幸せにしても、あなたには何のメリットもありません」
「そんなことはない。少しだけ笑ってくれ。それが、己の幸せになる」
かなたは大きく目を瞠った。
「そんなことが代価……?」
「そうだ。それが幸せというモノの在り方なのだ」
真刃は頷くと、あの末期の日から、悩んで悩んで辿り着いた持論を告げた。
だが、振り返って思う。悩まずとも気付く機会ならもっと早くからあったはずなのだ。
――完全なる《魂結び》を。
誰かと心を繋ぐことを、当たり前のように行っていた自分なら。
「幸せとは、人から人へと巡るモノなのだ。他者から喜びを与えてもらい、他者へと喜びを返す。人と人との繋がりの輪。それが幸せだ」
幸せとは巡るもの。
季節を幾度と越えても何も変わらない。
ただ、ひたすら転生だけを待ち続ける時間。
そんな停滞した時間をずっと漂い続けていた魂たちに、自分が目覚めの喜びを――幸せを与えたからこそ、彼らは全霊で応えてくれたのだ。
孤独と寂寥の世界から戻ってきた従霊たちは、ずっと教えてくれていた。
幸せの輪。心を繋ぐことの大切さを。
大門も、紫子も、そして彼女も。
世界を越えて、今代ではエルナも教えてくれた。
時代は移り変わり、物と情報が溢れ、人々の我欲は強くなった。
けれど、幸せは今も巡っている。
大門のように。紫子のように。
そして、彼女のように。
他者を思い遣る心は、今の時代にも受け継がれている。
今でも人は心を繋ぐことが出来る。
それを、エルナの優しさが教えてくれた。
(感謝しているぞ。エルナ)
まあ、あの子の時折暴走するところは玉に瑕ではあるが。
「かつて己は幸せを与えられても返すことをしなかった。随分と捻くれていたのだ。何も返さない。だからこそ、奴らは己を恐れた。そしてあんなことになった……」
「……あんなこと、ですか?」
「失敗談だ。壮絶で凄惨で、無様な末路だな」
真刃は双眸を細めた。次いで、静かに拳を固める。
(本当に無様なものだった)
いま思えば、あの帝都での戦いこそが、奴らの真の狙いだったのだろう。
真刃を帝都で暴れさせ、当時、帝都守護を担っていた火緋神家に真刃を処分させる。流石に帝都が壊滅寸前になるとは考えていなくても、充分あり得ることだった。
何故、銃口を向けられたのが紫子だったのか。
答えは簡単だ。
奴らは、最初から、銃で真刃を殺せるとは思っていなかったのだ。
あの時、炎上する帝都にいたのは引導師ばかりだった。破壊の中、異様なほどに一般人の姿を見かけなかったのも、事前に大半を避難させていたからに違いない。途轍もない権力と、労力を要する謀略だが、当時においては、唯一真刃を殺すことが出来る方法でもある。
無辜の少女を贄にすることも、帝国の象徴たる帝都を損壊させることも厭わない。
奴らは、それほどまでに真刃を恐れていたのである。
全く本当の顔を見せようとしない。何も応えようとしない真刃を。
(己も莫迦だった)
そのせいで散った紫子のことが、涙を流した彼女のことが脳裏に浮かぶ。
「だからこそ」
ポツリ、と呟く。
「だからこそ、己はもうあんな失敗はしたくないのだ。己のせいで散った彼女のためにも。己のために機会を作ってくれた奴らのためにも。だから、かなたよ」
真刃は、微笑む。
「どうか己に機会をくれ。お前を幸せに。そして、己が幸せになれる機会をくれ」
「わ、私は……」かなたは唇を嚙んだ。
「私は、幸せにはなれません。私の首には……」
「ああ、なるほど。やはりそれが最初の願いだったか」
真刃は「はは」と声を上げた。
「怪しげな術だと思ったからな。それならもう叶えたぞ」
「……え?」
かなたは、ハッとして自分の首に手をやった。
そこにはいつもあったはずのチョーカーの感触がなかった。
唖然とすると、
『オッス! オレ、元チョーカー!』
肩に乗っていた赤蛇が、そんなことを言う。
「ま、まさか、ご当主さまの術を解除したのですか……」
「奴の術と己の術は似ておるからな。同種、同系統の術は単純な力関係にある。奴本人が傍にいるのならいざ知らず、遠隔操作の術を解くなど造作もない」
『そういうこと。お嬢はもう自由なのさ』
赤蛇が赤い舌を出して『ジャハハ』と笑う。かなたは、未だ首を押さえて呆然としていた。
「かなたよ」
真刃は、かなたに再度尋ねる。
「教えてくれ。お前が幸せだと思う願いは何だ?」
かなたは、目を見開いた。
――幸せ?
そんなこと考えたこともない。
一体、どんなことが幸せ?
私は、どんなことで喜んでいた?
母が、父が生きていた頃は――……。
「だ、抱っこを……」
それは、不意に唇から零れ落ちた。
「と、父さまがしてくれたみたいに、膝の上で……」
そこでハッとする。自分で言って愕然とした。
問われて、つい口走ってしまった。
かなたは言葉もなく、右手の人差し指を強く咥えると、顔を横に逸らした。
髪の隙間から見える耳は、真っ赤である。
『うおお! そいつは初っ端からハードルが高けえな! お嬢!』
『まあ。いきなりそれですの。中々攻めるお姫さまですわね』
赤蛇と刃鳥が、嬉しそうに騒ぐ。
「……茶化すでない」真刃は従霊たちを窘める。「かなたは父性に飢えているだけだ」
と、告げてから、
「お安い御用だ」
真刃はおもむろに立ち上がると、かなたを軽々と抱き上げた。
「……え、あ、や」
動揺と困惑を隠せない少女を横に抱いて、ベッドの端に座り直す。
続けて、かなたを膝の上に置き、まだ体調が完全ではない彼女が落ちないように、彼女の腰に右手を添えて体を支えてやる。そして、彼女の顔を見つめた。
真刃を凝視するかなたの顔は真っ赤だった。
「次の願いは何だ?」
「つ、次……?」
そこから先は、かなたはよく覚えていなかった。
最初の願いを切っ掛けに、完全に堰を切ってしまったのだろう。
それとも、彼が亡き父に似ていたせいか。
自分でも、結構無茶な願い事を言ったような気がする。
ただ、その願いを聞く度に、青年が困った顔をするのが少し楽しくて。
その場で叶えられる願いはその場で。叶えられない願いは後日に。
かなたは、我が儘を言い続けた。
「や、約束してください」
そして、かなたは、青年のシャツに両手でしがみついて願う。
「わ、私を一人にしないで」
「案ずるな。己はお前の傍にいる」
真刃が約束する。かなたはホッとするように微笑んだ。
そうして、いつしか願い疲れた少女は、真刃の腕の中で寝息を立てていた。
それは、久しぶりになる安らかな眠りだった。
「……ふふ、見よ」
真刃は、目を細めて笑う。
「この愛らしい寝顔を。もし己に娘がいれば、このような感じなのだろうな」
『いえ、あの、真刃さま? 真刃さまのお歳でそんな大きな娘は……と言うより、端から見ておりますと、完全に落とす気満々だったようにしか見えなかったのですが?』
『凄えな。うちのご主人。クールなお嬢がイチコロだ』
と、刃鳥と赤蛇が言う。
「はは、本当に愛らしいな」
しかし、そんな従霊たちの呟きも耳には届かず。
ただ、優しげに微笑んで、眠る少女を抱く真刃であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます