第八章 怪物たちは躍る
第67話 怪物たちは躍る①
――キキイィ!
大きな
屋敷の前で停車する。
待ち構えていた従者が慌てた様子でドアを開けると、一人の少女が飛び出してきた。
天堂院七奈である。
普段なら礼を告げる彼女も、今は焦った様子で車から降りると、そのまま早足で屋敷の中へと入った。彼女の後には隷者筆頭の青年も続く。
ここは本邸の前に設けられた従者たちの屋敷。天堂院家本邸への関所だ。
七奈は、長い渡り廊下を早足で歩いた。
そこへ、この関所の責任者である初老の男性が並んだ。
「何があったのです」
七奈は、歩みは止めずに男性に聞く。
男性は簡潔に答えた。
「お客さまを本邸までご案内していたところ、庭園を散策されておられた八夜さまとお会いしたそうです。八夜さまは案内代行を名乗り出られました。少し談話してから案内されると。案内を行っていた者は、先にこの屋敷に来たのですが……」
長い廊下が庭園の横に至った。
男性はちらりと庭園側を見る。そこには巨大な氷壁があった。
「わずか五分後。突如、あの氷壁が出現したのです」
「八夜く……さまの独界ですね」
早足で歩きながら、七奈も庭園の先の氷壁に目をやった。
「そのお客さま――訪問者とは誰なのです?」
「訪問者は二人。一人は男。二十代半ばほどです。名を『クドウ』と名乗っていました」
「……『クドウ』? 『工藤』? まさか『久遠』?」
七奈は、眉根を寄せた。
「お父さまがよく名を出す『あの男』と同じ家名?」
口元に片手を当てて小さく呟く。『久遠』と言う名前は、引導師の家系ではそこまで珍しくはない。これはただの偶然だろうか?
七奈は、少し熟考に入りかけるが、
「もう一人は女。少女です」
男が報告を続けた。
「その者の方は素性が分かっています。御影刀歌です」
「――え?」
七奈は、一瞬だけ足を止めて目を瞠った。
「御影刀歌? その人は、八夜さまが殺めてしまったのでは?」
ずっと引き籠っていた七奈だが、近況は八夜自身から聞いていた。
男性は「はい」と答えた。
「私どももそう報告を受けておりました。ですが、間違いなく当人だと。拉致班だった者にも映像で確認しております」
「……致命傷から持ち直したの?」
七奈は眉をしかめた。
「恐らく……いえ、ここに来た以上、そうなのでしょう。かの娘は八夜さまの苗床と聞いておりましたので、流石に門前払いには出来ず……」
「……そうですか」
七奈は呟く。
確かにそれは従者の一存では判断できないだろう。
八夜が生きていた彼女に興味を抱くのも分かる。
あの不純物がない少年のことだ。どうやって生き延びたのか、と、自分で殺しかけた上で、そういったことを尋ねようと思ったに違いない。
しかし、御影刀歌にとっては、自分を殺そうとした相手だ。
最初は多少の話し合いも出来たかもしれないが、結局、戦闘に至ったということか。
(……だけど)
そこで、七奈は歩みを止めた。
ようやく正門の玄関に辿り着いたのだ。
そこでは、従者が彼女の履物を用意して待ち構えていた。
彼女は履物を履くと、そのまま玄関を開けた。
そして、目を瞠る。
「う、うそ……」
思わず、喉も鳴らした。
玄関の先は、もはや異世界だった。
極寒の世界。天候は荒れ狂い、吹雪さえも吹いている。
そして、たった十数メートル先には、巨大な氷壁が鎮座している。
そびえ立つその先は、遥か上空の暗雲にさえ届いていた。
「は、八夜くん?」
彼が、これほどの力を使うのは七奈も初めて見る。
だが、恐らくこれは、ただの余波だ。
八夜は、独界の最大顕現――『
(あれを発現させるほどの相手なの? 御影刀歌って?)
七奈の心が、きゅうっと鳴った。
八夜が全力を以て臨む相手。
それほどの強敵と、いま彼は対峙しているのだ。
――と、その時、
『グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――ッ!』
「――ッ!」「な、なんだ!?」「こ、これは……」
突如、轟く咆哮に、七奈も含めたその場にいる者たちは動揺した。
声だけで分かる圧倒的な波動。
まさに、怪物が放つ咆哮だった。
すべての者が激しく動揺する中、七奈はグッと唇を噛みしめた。
そして両手を空にかざす。
莫大な魂力が、彼女を中心に解き放たれた。
七奈の封宮を発動させたのだ。
空が夜へと変わる。流石に八夜の独界を上書きすることなど出来ないが、より広い範囲で彼の世界を覆うことが出来た。
「――《餓者》!」
次いで、その名を呼んだ。
直後、彼女の背後に、身長が二メートル半を超える巨大な鎧武者が現れた。
七奈の封宮の住人。一種の式神だ。
巨大な鎧武者は、彼女を肩に抱き上げた。
「七奈さま! 私も!」
隷者筆頭がそう告げるが、七奈はかぶりを振った。
「ここらか先は何があるのか分かりません。あなたは魂力の供給に専念してください」
淡々とした口調で、そう命じる。
同時に、鎧武者は七奈を肩に乗せたまま、氷壁を登り始めた。
隷者筆頭が「七奈さま!」と彼女の名を呼ぶが、七奈の瞳は天上に向いていた。
《餓者》は、凄まじい速度で氷壁を登っていく。
(……八夜くん)
だが、その速さをよそに、七奈の心は不安で押し潰されそうだった、
氷壁の先は、まだ見えない。
その上、時折、氷壁が――大地が大きく揺れた。
まるで、途方もなく巨大な生物同士がぶつかり合っているような激震だった。
「……八夜くん」
七奈は唇を強く噛んだ。
自分などが行っても役には立たない。
それは理解しているのに、止まることが出来なかった。
「――八夜くん!」
七奈は、再び天を見据えた。
「いま、行くから!」
それは、愛する男の身を案じる女の顔だった。
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