第68話 怪物たちは躍る②
七奈が関所に到着する十分前。
天堂院八夜と、久遠真刃。
そして御影刀歌の三人は、庭園内の池の縁にいた。
険しい表情の刀歌が少し後ろに控えて、真刃と八夜が並んでいた。
バシャバシャ、と。
水面下には、餌を期待しているのか、色鮮やかな鯉たちの姿も見える。
「いやあ、本当に驚いたよ」
にこやかな笑顔で、八夜は真刃たちを迎えた。
「まさか、ボクのお家で、お兄さんと再会できるとは思わなかったよ」
「己としては、今日はお前に会いに来た訳ではないのだがな」
真刃は、双眸を細める。
すると、八夜は「ヤハハ」と笑った。
「そんな寂しいこと言わないでよ。お兄さん」
そこで後ろに振り向く。
「けど、お姉さん。助かったんだね。そっちにも驚いたよ」
「…………」
刀歌は、無言で少年を睨みつけた。
その手には、刀の柄がすでに握られている。
今にも斬りかかりそうだった。
「……刀歌」
「……分かっている」
彼女を一瞥して告げる真刃に、刀歌は頷いた。
戦闘は禁止されている。主君の命を破るつもりはなかった。
「へえ。随分と素直なんだね」
八夜が、まじまじと刀歌を見つめた。
「お姉さんって、もっと勝気っていうか、男嫌いって感じだと思ってたんだけど……あ」
そこで、八夜はポンと手を打った。
「そういうこと!」
視線を真刃の方に移して、にぱっと笑った。
「そっかあ、なるほど。お兄さん。このお姉さんを自分の隷者にしたんだね。お姉さんを自分のものにしちゃった訳か」
「…………う」
その指摘に呻いたのは、刀歌だった。
思わず顔が少し赤くなる。他人に指摘されると流石に恥ずかしかった。
「ヤハハ、大当たりみたいだね」
その様子を見て、八夜は確信する。
「うん。確かに《魂結び》を使って魂力を注げば、あの傷でも治癒する可能性もあったね」
「……ふん」
真刃は、八夜を睨みつけた。
「隷者側に魂力を注ぐ。それが可能であることをお前は知っているのだな」
そう呟いてから「……いや」と目を細めた。
「そもそも、天堂院九紗が健在なら、知っていて当然の話か」
「……ん?」
八夜は小首を傾げた。
「あれ? もしかして、お兄さんってお父さんの知り合いなの?」
「……まあ、そのようなものだ」
真刃は頷く。
「今日は、あの男に会いに来たのだが……」
「あ、そうなんだ。それは残念だよ」
八夜は、パンと両手を重ねて頭を下げた。
「ごめん、お兄さん。お父さん、実は今日から出張なんだ。今頃空港にいるはずだよ」
「………なんだと?」
その台詞に、真刃も流石に眉根を寄せた。
それから、屋敷の方に目をやった。
「留守、なのか?」
これは想定外な話だった。
まさか機会を外すとは。思わず眉をしかめる。
だが、同時に、昔から、あの男とは機会が合わないことが多かったのを思い出す。
どうやら、今代でもそれは続いているようだ。
「お父さんが戻ってくるのは、一月後ぐらいだよ。それよりもお兄さん」
八夜は、興味深そうに真刃を見つめた。
「お姉さんを隷者にしたんだよね。けど、お姉さん、全然壊れてないよ。凄いや。ねえ、一体どうやったの?」
「……は? 壊れる? お前、何を言っているんだ?」
八夜の台詞を聞いて、刀歌が眉をひそめた。
すると、八夜が、刀歌の方に振り向いた。
「え? だってお兄さんと《魂結び》をしたんでしょうよう? 分かるよ。お兄さんってボクの同類なんでしょう。それも凄く近い。なら、お姉さんは廃人になってるはずだよ」
「……同類? 廃人だと?」
刀歌は、真刃の方に目をやった。
「……主君? どういうことだ? こいつは何の話をしているんだ?」
刀歌の問いかけに、真刃は沈黙した。
そして数秒後、
「小僧」
八夜に、問いかける。
「お前が持つ、お前自身の魂力はどれほどなのだ?」
「え? ボクの魂力?」
八夜は、にぱっと笑った。
そして、とんでもない数値を口にした。
「1080だよ!」
「――なッ!?」
刀歌は目を瞠った。
「馬鹿なッ! そんな魂力、聞いたこともない!」
学園最高の数値を持つ刀歌でさえ215だ。
1000を超えるなど、もはや個人の魂力ではない。
刀歌は、ただ唖然とした。
一方、真刃は、
「大した魂力の量だな。だが、気付かんのか?」
小さく嘆息して告げる。
「《魂結び》は、隷主と隷者の相互で一割から八割の魂力の受け渡しが出来る。ゆえに、魂力が多い方が経路の大きさの基準となるのだが」
一拍おいて、
「それだけの量になると一割でも100以上なのだぞ。第二段階ならば800だ。そんな量の魂力の経路の構築となると、量を調整して徐々に慣らすか、または、数度に分けて儀式を行わなければ、相手に甚大な負担を与えることになるぞ。他の者と同じようにしては相手の魂を傷つけて当然であろうが」
「え? あっ、なるほど! そういうことか!」
八夜は、再びポンと手を打った。
「要は、質よりも量が問題だったんだ! だからボクの隷者は廃人ばかりになってたんだね」
うんうん、と腕を組んで頷く。
「例えるなら、ワイングラスに、バケツいっぱいの水を注いでいたって感じだったのかぁ。確かにそれは無茶だよね。グラスだって割れちゃうよ。お兄さんはそれを知ってたから、お姉さんが壊れないように、凄く大切に扱ったんだね」
「え? え?」
八夜の台詞に、刀歌は動揺する。
昨晩のうっすらとした記憶を思い出す。
(う、うわああ……)
確かに、あれは凄く大切にされていることが、実感できるものだった。
思わず乙女の顔で恥じらう刀歌だが、八夜は構わずに話を続ける。
「ありがとう! お兄さん! おかげで原因が分かったよ! うん! これなら七奈ちゃんとも《魂結び》が出来るかも!」
少年はニコニコと笑う。
ただ、すぐにあごに手をやって。
「あ、けど、いきなり七奈ちゃんはダメだな。失敗なんて絶対に出来ないし。う~ん、誰か他の人と試してから……いや、けど、もう七奈ちゃん以外はいらないしなあ」
真刃や刀歌には分からないことを、ブツブツ呟いてる。
真刃は嘆息した。
「お前の事情はどうでもいい。それより、あの男はいないのだな?」
「あ、うん。それはホントだよ」
八夜が頷く。真刃は渋面を浮かべた。
完全に、肩透かしを食らった気分だった。目の前にいる自分の同類らしき少年のことも気にはなるが、あの男が不在では意味がない。
仮に戦闘になるとしても、真刃は、まずは対話をしようと考えていた。
あの男とは、親しい間柄とは言い難い。
だが、それでも同じ時代を生きた唯一の人物だ。
色々と問い質したいこともある。
過去のことも。今回の刀歌の拉致未遂についても。また、これからのことも。
正直、胸の内は複雑ではあるが、可能な限り互いの落としどころを見つけて、穏便に済ませたいという思いもあった。
そのためには、やはりあの男との対話が必須だった。
(……出直すべきか)
そう考えていた時だった。
「……ねえ、お兄さん」
八夜が覗き込むように、真刃の顔を見据えていた。
「……なんだ?」
真刃がそう尋ね返すと、八夜は双眸を細めてこう告げた。
「お兄さんって、もしかして『久遠』の一族?」
真刃は一瞬沈黙する。やはり自分の名は、この少年にも伝わっているようだ。
小さく息を吐き、「ああ。そうだ」と答えた。
「やっぱりそうなんだ!」
八夜は嬉しそうに笑う。
「お父さんの隠し子かなとも思ってたけど、雰囲気がボクらと大分違ってたから、もしかしてと思って。『あの男』には子供はいなかったって話だったけど、血は残っていたんだね!」
一拍おいて、
「お兄さん! お名前は!」
随分とテンションの高い少年に、眉をひそめつつも、真刃は答える。
「久遠真刃だ」
「え? 名前まで『あの男』と同じなの? もしかして二代目……は違うか。三代目の『久遠真刃』ってことなのかな?」
八夜は目を瞬かせる。真刃はどう答えるべきか迷った。
その時だった。
「あ……ちょっと待って」
不意に、今までニコニコと笑っていた八夜が、眉をしかめたのだ。
笑顔から一転、少し顔色が青ざめている。
「……うわあ、初めて見た他家の同類に浮かれてたけど、よくよく考えると、これって凄くまずいかも……。お兄さんは『久遠真刃』の名前を受け継ぐぐらい出来がいいんだよね? そんなの、『あの男』の大ファンのお父さんが、放っておくはずもないし」
あごに手をやって、ブツブツと呟き始めた。
「お父さんなら、まず交配を考えるはずだよね。けど、二葉姉さんはもうお父さんのだし、六炉姉さんはどこにいるのかも分からないし、だとしたら、お兄さんの相手は……」
「……おい。お前」
その時、様子を窺っていた刀歌が口を開いた。
「何をブツブツ言っているんだ?」
そう尋ねるが、八は聞いていない。
どうしてか、とても不快そうな表情をしている。
そうしてややあって、八夜は、真刃に対して両手を重ねて頭を下げた。
「ごめん。お兄さん!」
八夜は言う。
「本当にごめん! お兄さんには、ボクと七奈ちゃんの未来のために死んで欲しいんだ」
「………は?」
唐突な宣告に、真刃は眉をしかめた。
「お前、何を言って……」
「七奈ちゃんはボクのものなんだ。それだけは絶対に譲れないんだ。お兄さんには、このままこっそり帰ってもらってもいいんだけど、いずれはお父さんの耳にも届くような気がするし、お兄さんには、ここで死んでもらった方がいいような気がするんだ」
黄金の少年は、そんなことを告げてきた。
真刃や刀歌にしてみれば、全く意味不明な説明だ。
ただ、一つだけ分かる。
「ごめん。それじゃあお兄さん。死んで」
この少年が、本気でそう宣告しているということだけは。
「と、その前に」
少年は、パチンと指を鳴らした。
直後、刀歌は悪寒を感じた。考える前に後方に跳躍する。と、
――バキンッ!
刀歌が直前までいた場所に、人間サイズの氷柱が生み出されていた。
「へえ。勘がいいんだね」
少年は、天使の笑みを刀歌に向けた。
刀歌の背中に再び悪寒が奔る。刀歌は連続で後方に跳躍した。
次々と連立する氷柱。恐るべきことに、その間隔は一秒もない。
氷柱の発生速度は異常だった。回避が間に合わない。
「――蝶花!」
その時、真刃が叫んだ。
八夜に、強烈な蹴りを喰らわせてだ。
「戦闘を許可する! 刀歌を守れ!」
真刃に蹴られた八夜が、勢いよく吹き飛んでいくと同時に、刀歌の足元で氷柱が生み出されようとしていた。もう跳躍は間に合わない。そう思ったが、
『蝶花ちゃんガードッ!』
突如、刀歌の髪を結ぶリボンが叫んだ。
白いリボンを瞬時に伸びると、大量の帯となって氷柱の鋭利な先端を砕いた。
それとほぼ同時に、刀歌の後方にも伸びて、彼女を掬い上げるように回避させた。
「――お前は!」
『うん! 蝶花ちゃん参上!』
唖然とする刀歌に、白いリボンが応える。
「お前、いつの間に私のリボンに……」
『真刃さまが、万が一のためにだって! うん! 刀歌ちゃん、愛されているね!』
「あ、愛されて……」
蝶花の台詞に、思わず刀歌が頬を赤くする。
しかし、今は戦闘中。剣の少女は油断していない。刀歌はズザザと着地した。
「――主君!」
刀歌は、手に持った柄から熱閃の刃を顕現させた。
そして真刃の元に駆け出した――が、
――ガゴンッッ!
突如、巨大な氷壁が天へと伸びた。
真刃と、刀歌との間を両断するように伸びた氷壁だ。
刀歌は熱閃で氷壁を斬りつけるが、全く刃が通じない。
「――くそッ! 主君!」
高さにして百メートル。横にして先が見えない氷壁を前に、刀歌が再び叫ぶ。
『……大丈夫だ』
氷壁越しに、真刃が告げる。
『お前は下がっていろ。刀歌』
「けどッ!」
刀歌が叫ぶと、別の声も聞こえてきた。
『ヤハハ、お兄さんの言う通りだよ』
八夜の声だ。
『お姉さんは、少しそこで待っていてくれないかな。お姉さんもボクにとっては邪魔者だし、先に始末しておこうかなと思っていたけど、なかなか頑張るからね』
真刃の一撃を喰らいながらも、全くダメージを感じさせない声で告げる。
『先にお兄さんと決着をつけるよ。また蹴られたら嫌だし。まあ、戦闘の余波でお姉さんも死んじゃうかもしれないけど』
『……貴様は』
真刃が呟いた。
『結局、あの男と同じなのか』
『あの男? お父さんのこと? まあ、一応お父さんの子供だしね』
少年の『ヤハハ!』という笑い声が聞こえた。
いよいよ、戦闘が始まるようだ。
(――くそッ!)
刀歌は、歯噛みする。
そして熱閃の刃を繰り出すが、
――ギィンッ!
氷壁は、わずかに崩れることもない。
「くそッ! 主君! 主君ッ!」
刀歌は、悲痛な声で叫ぶのだった。
「――真刃さまッ!」
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