第451話 刻の兎➂

「……くそ!」


 その時。

 廊下を歩く桜華は舌打ちした。

 先程、茜の方から月子が行方不明の一報があった。

 円卓の間にいた妃たちは全員が青ざめたが、すぐさま動き出した。

 もちろん、月子を探すためだ。


 集まったままより別れた方が広く探せる。

 そう考えて散開した。


 桜華も天雅楼本殿内を探していた。

 しかし、一向に月子が見つからない。

 妃たちだけでなく、近衛隊まで導入しているのにだ。


「……月子。いったいどこにいるのだ……」


 桜華の中に焦燥が生まれる。

 今の月子の心情がどのようなものか。

 考えるだけで胸が強く痛む。

 その痛みを抑えるためではないが、桜華は胸元の水晶のペンダントを握りしめた。

 そして、


「白冴」


 自身の専属従霊に問う。


「お前の異能で探せないのか?」


 白冴には、上空へと視点を移して、周囲の形状や建造物、またはそこいる者を把握するという異能があった。空間把握と呼んでいる力だ。

 それを使えば月子を見つけられそうなのだが……。


『申し訳ありません』


 白冴が答える。


『すでに先程から探しているのですが、一向に見つからず』


「……お前の異能でさえもか……」


 桜華は不安を抱いた。


「お前の異能の範囲は確か一里――おおよそ四キロほどだったな。まさか、それほどの広範囲の外に月子はいるというのか?」


『それは分かりませぬ』


 白冴は神妙な声で告げる。


『隠蔽に特化した術式や霊具を使用すれば、私の異能も封じられますゆえに』


「月子はそんな術式や霊具を持っていないだろう」


 桜華は眉をひそめてそう呟く。


「……まさか」


 が、すぐに表情を険しくて。


「誰かが月子を攫ったのか? 隠蔽の術式を駆使して……」


 最悪の可能性を考える。

 しかし、それは白冴が否定する。


『いいえ。流石にそれはあり得ませぬ』


 一拍おいて、


『現在、天雅楼は非常事態の状況でございます。近衛隊は無論のこと、従霊たちも姿こそ隠しておりますが、ほとんどの者がこの地に集まっております』


「……万を超す警戒網か」


 桜華は水晶のペンダントを離して、廊下沿いから庭園に目をやった。


「なるほど。それをかい潜るのはまず無理だな」


『はい』


 水晶がふわりと浮いて、白冴が答える。


『ましてや姿を消されたのは、現在、誰もが気にかけている月子さまでございます。誰一人気付かぬなど本来はあり得ぬことなのです』


「……だったら」


 桜華は足を止めて唇を噛んだ。


「どういうことなのだ。これは……」


 小さく呻く。

 その時だった。


『――――な』


 白冴が宿る水晶が小刻みに震えた。

 振動は徐々に激しくなっていく。


「……白冴?」


 桜華は眉をひそめた。


「どうした? 何か分かったのか?」


『い、いえ。よもやこのような時に――』


 とても珍しく、白冴が動揺の声を上げた時。

 ――カッ、と。

 水晶が光を放った。


「――うわっ!」


 強烈な光だった。

 水晶が眼前に浮いていた時に輝いたため、流石に桜華も目を焼かれる。

 不意打ちに等しかったため、頭までくらくらとした。

 まともに目が開けられずにいると、




『……白冴。御影さま』




 近くから少女の声が聞こえてきた。

 かなり幼い声だった。恐らく十代前半ほどか。

 どこかで聞いたことがあるような気もするが、すぐには思い出せない。

 少なくとも月子や燦、神楽坂姉妹の声ではなかった。


「――誰だ!」


 目が見えずとも桜華は歴戦の引導師。

 虚空からヒヒイロカネの柄を取り出して、炎刃を顕現させた。

 すると、


『ご安心を。桜華さま』


 白冴が言う。


『彼女は敵ではございませぬ』


「……なんだと?」


 目を瞑ったまま桜華が問う。と、


「……ああ。そうだ」


 不意に男性の声が聞こえてきた。

 これは忘れるはずもない。

 真刃の声だった。


「……真刃か」


 炎刃を納めて桜華が声のした方に顔を向けた。


「ああ」


 真刃が頷きつつ、桜華に近づいてくる。

 桜華にはまだ見えていないが、隣には猿忌が浮遊して控えていた。


オレも月子を探していたのだが、よもやこの場に立ち会うことになるとはな」


 そこで真刃は苦笑を零す。


「それにしても、お前は相も変わらず間が悪い」


「……何がだ?」


 反射的に桜華はムッとした。

 すると、真刃は彼女の頬に触れて、


「目の前で覚醒されるとはな。運が悪いとは思うが、目はすぐに見えるようになるだろう。だからそう怒るな」


「……怒っていない」


 怒ったような様子でそう返す桜華だが、真刃の手を払うようなことはしなかった。

 真刃は桜華から手を離して、


「さて」


 視線を『彼女』の方へと向けて、こう告げる。


「久しいな。再びお前と逢えたことを心から嬉しく思うぞ」


『ありがとうございます』


 少女の声がそう返す。


『真刃さま。猿忌さま。そして五将には感謝の言葉もありません。ですが』


 一拍おいて、


『今は幼い迷子が泣いているようです』


「うむ。やはりそうか……」


 真刃は双眸を細める。


「あの子はお前と同じ力に目覚めたのだな」


 万を超える従霊たち。

 さらには、本殿にいる近衛隊を総動員しても見つからない。

 考えられるのは、それ以外なかった。


「見つけられるか?」


 真刃は問う。


『はい』


 少女の声は即答した。


『では、彼女を迎えに行ってきます』


 そう告げて、少女の気配は消えた。

 そうして、


『これは数少なき吉報ぞ』


 ふっと笑みを零して、猿忌が呟く。


『遂に刻の兎が目覚めたか』


「……ああ。そうだな」


 夜の闇を照らす月を、優しく見つめる真刃だった。







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