第373話 天を照らす紅き炎➄

「………く」


 呻き声が零れる。

 それは数分前のことだった。

 険しい表情で、真刃は額に汗を浮かべていた。


 そこは骸鬼王の内部。

 闇の中に無数の灯火――従霊たちが輝く世界だ。

 全身が炎に呑み込まれる前に、どうにか象徴シンボルを顕現させたのだ。

 おかげで炎熱地獄からは脱出することは出来たが、損傷は凄惨だった。

 頬などにも火傷を負っているが、特に悲惨なのが右腕だった。

 指先から二の腕の半ばまでが炭化しているのである。

 常人ならば気絶してもおかしくない重傷だ。


『主さま!』『真刃さまッ!』『大丈夫ですか! ご主人!』


 従霊たちも騒めいている。

 そんな中で真刃は右腕に魂力を集中させた。

 みるみる内に損傷が治癒……いや、復元していく。

 数秒後には右腕の傷は消えていた。

 指や手首を動かしてみるが、異常はなさそうだ。


『どうやら大事無いようだな。しかし』


 主の右腕が元に戻ったことに安堵しつつ、猿忌の鬼火が呟く。


『炎に対して圧倒的な耐性を持つ主をここまで灼くのか……』


「流石は杠葉ということだろう」


 小さく息を吐いてから、真刃は闇の中に浮かぶ大スクリーンに目をやった。

 骸鬼王の双眸から映し出される外の光景だ。

 天空は満天の星。地表はどこまでも続く地獄のような大火炎の海。

 視線を周囲にも向けるが、どこも同じ光景だった。


「……これが杠葉の封宮メイズなのか」


 この炎の海も底なしだった。

 火と大地の王が灼かれることはないが、骸鬼王の巨体であっても呑み込まれる。

 今は無理やり炎の中に灼岩の外殻を造って立っているにすぎなかった。


「……恐るべき世界だな」


 真刃が、そう呟いた時だった。


『……へ?』


 不意に声が零れる。

 鬼火状態の金羊の声だった。


『ちょ、ちょっと待つっス! あそこ! 右上を見てほしいっス!』


「……右上だと?」


 真刃は金羊の鬼火を一瞥してから、指摘された大スクリーンの右上に目をやった。

 そして、


「な、に……」


 大きく目を瞠る。

 満天の星々が輝く夜空。

 そこに一際輝く蒼い星を見つけたのだ。

 知識としては知っている。それこそ先日に書籍でも見たことがある。

 それは――『地球』だった。


『杠葉ちゃん!? それは無茶くちゃっスよ!?』


 金羊が驚愕の叫びを上げた。

 地球の姿が確認できる炎の海と言えば――。

 真刃は険しい表情で改めて大火炎の海を見据えた。


「ここは……『太陽』なのか」


 そして全天は『宇宙』ということだ。

 これまで様々な封宮メイズを見たが、これはあまりにも規模スケールが違っていた。

 真刃は――骸鬼王は天を見上げた。

 そこには宙に漂う杠葉の姿があった。

 彼女は静かに神刀を薙いだ。紅い刀身から火の粉が散った。


(……杠葉)


 真刃は双眸を細める。

 ――火の神の巫女。

 戦うとなれば、やはり容易な相手ではない。

 しかし、気になることがある。


「凄まじい封宮メイズだ。だが、肝心の象徴シンボルはどこにいる?」


 そう呟くと、


『――真刃さま! あそこです! 正面を!』


 従霊の一体が叫んだ。

 真刃は正面に目をやった。

 そこに炎の海より噴き出す火柱があった。

 数十メートルはある業火だ。流石に実際の太陽に比べれば規模こそ極少ではあるが、学術的には『紅炎プロミネンス』と呼ばれる現象だった。


 だが、ここは封宮メイズ。想像力で造られる心象世界だ。

 当然ながら、ただの現象ではない。

 噴き出した火柱は徐々に形を造っていく。

 紅い炎の鱗に鋭い爪牙。後方へと伸びる樹木のような角。

 そして鋭き眼光。

 全高にして百メートル近くはあるか。

 炎の海より出でて鎌首をもたげるそれは、質量を伴う煌めく炎龍だった。


「あれが杠葉の象徴シンボルか」


 あれも見たことがある。

 帝都での戦いで杠葉が操った炎の龍だ。

 あの頃よりも遥かに精緻で強大さを感じるが間違いない。

 すると、


『龍だから体は長いっスけど、全体的なサイズは小型っスね』


 金羊がそんな感想を述べた。

 確かに頭部などは骸鬼王ならば片手で掴めるサイズだ。


『速度重視タイプっスかね? トリッキーな動きをしそうっス。けどまあ』


 少し間を空けて、


『とりあえずは猿忌さま。今回も命名をお願いするっス』


 苦笑が混じったような声で金羊がそう願った。


『なにせ、火緋神家の象徴シンボルには猿忌さまが命名するのが習わしっスから』


『……何の習わしだ?』


 猿忌が不機嫌そうに言う。

 真刃は従霊たちを一瞥して苦笑を浮かべた。


「だが、確かに呼び名はあった方がよいな。猿忌よ。名付けてくれ」


『……ぬう』


 猿忌は一度呻くが、


『炎の龍……煌龍か。ならば、《火神カシン――』


 渋々ながらも名付けようとしたその時だった。

 ――ザワッ!

 従霊たちが一斉にざわつき始めた。

 真刃も大きく目を見開いた。

 突如、炎の海の至る場所にて紅炎プロミネンスが吹き荒れたのだ。

 その数は軽く数百にも至る。

 そして、それらがすべて変貌し始めた。


 ――そう。煌めく炎龍へとだ。

 最初に現れた一頭と全く劣らない巨龍が次々と生まれているのである。


「まさか……」


 真刃は足元に広がる果てしない炎の海に目をやった。

 ……思い違いをしていた。

 炎の龍は象徴シンボルではなかったのだ。

 いや、象徴シンボルの一部でしかないのである。

 恐らく杠葉の象徴シンボルとは――。


『……名付けよう』


 同じく真実を察した猿忌が言う。




『《火神煌龍那由多カシンコウリュウナユタ天照テンショウ》。それが火緋神杠葉の象徴シンボルの名だ』




 杠葉の象徴シンボル

 それは骸鬼王が立つこの『太陽』そのものだった。


「お前の命名は的を射すぎて笑えんな……」


 淡々とした声で真刃は言った。

 その直径は、もはや想像も出来ない。

 骸鬼王さえも遥かに超える過去最大の象徴シンボルだった。

 そしてその脅威もだ。


「………」


 宙に浮かぶ杠葉が、無言で神刀の切っ先を骸鬼王に向けた。


『『『ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア―――ッッ!』』』


 途端、数百頭にも及ぶ煌龍たちが咆哮を上げた。

 炎の龍たちは龍体を唸らせて一斉に動き出す。

 すべてが骸鬼王へと向かって――。


 こうして。

 互いに死力を尽くす最後の決戦が始まった。


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