第372話 天を照らす紅き炎④
――炎、炎、炎。
視界すべてが炎に覆われていた。
それ以外が全く見えない。
落下しているのか、浮上しているのか。
上下の感覚さえも分からなかった。
分かるのは途方もなく巨大な業火の中にいることだけだ。
まるで火炎の大海である。
(――く)
そんな炎熱地獄のような世界で真刃は歯を軋ませる。
空気もない世界。
だが、呼吸に関してはまだいい。
その気になれば、真刃は鯨並みの潜水が可能だった。
最も危惧すべきは、このすべてを溶解するような超熱量だった。
炎熱による圧力もまた凄まじい。
ギシギシと全身が軋み、白銀の装甲に亀裂が奔る。
亀裂は一度入ってしまえば一瞬にして炭化へと転じた。
崩れた装甲から順に炎の海へと消えていく。
すべての装甲が炎の海に四散してしまうまで数秒とかからなかった。
『くうッ! 申し訳ありません! 真刃さま!』
刃鳥が無念の声を上げた。
依り代を完全に破壊されても従霊まで消失することはないが、ダメージだけは残る。これで刃鳥はしばらく戦闘に参加は出来なくなった。
真刃は鬼面の戦士の姿に戻った。
全身を黒鉄の装甲に覆われた姿である。
長にして最強の従霊でもある猿忌の装甲。
だが、それもこの炎熱地獄の中では無力のようだ。
黒鉄の装甲にも亀裂が奔り、十数秒後には右腕の手甲が砕け散った。
――ボッ!
剥き出しになった真刃の右腕を炎が一瞬で灼く。
しかも、そこから侵食するように装甲の崩壊が広がっていった。
肘、肩へと数秒もかからない。
『――主よ!』
猿忌が珍しく切羽詰まった声を上げた。
『ああ。分かっておる……』
右腕の激痛に歯を食いしばりながら、
『これはもはや出し惜しみできる状況ではないな』
真刃はそう呟いた。
◆
「…………」
同時刻。
火緋神杠葉は遥か上空で眼下を見据えていた。
彼女の長い髪、白衣の袖や裾は、何故かふわふわとなびいている。
そこは灼岩の世界でも、火緋神家の森でもない。
全天には瞬く星。
その宙に浮かぶ彼女が見据えるのは炎に覆われた大地だ。
あらゆる場所で炎が噴き出していた。
それらは龍のように弧を描いて再び炎の大地へと還る。
そんな光景を、杠葉は静かに見つめていた。
宙に浮かぶというよりも、漂っているような感じだ。
すると、
「……来たわね」
神刀を携えたまま、双眸を細める。
……ゴゴゴゴゴゴゴゴッ!
炎の大地が大きく鳴動する。
これまでの火柱とはまるで規模が違う。
突如、炎の山がせり出してきたのである。
あまりの質量の隆起に、炎の大地に津波が起きていた。
そんな溢れるような大火炎の中から姿を見せたのは、巨大なる怪物だった。
長く太い両腕に、異様に大きい上半身と肩回り。背中と、肩から二の腕にかけては赤い巨刃が乱立している。爪状に割れた胸部の空洞があり、火口のごとく溶岩の海が見えている。牡牛のような巨大な角を生やした羆に似た頭部には鋭い牙が並んでいた。
それに加え、全身からは黒い鎖が伸びて、宙空や炎の大地へと繋がっている。
炎の大地に下半身が沈んだ状態ではあるが、全高にして百メートルはあるだろう。
全身に溶岩流を纏う灼岩の巨獣だった。
杠葉にとっては見覚えのある姿だ。
あの日、帝都を壊滅させた怪物。
――《
久遠真刃の
最強の引導師の本領。それが遂に顕現したのである。
『グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――ッ!』
灼岩の巨獣が、咆哮を上げた。
万物を焼失させる猛火の中でも揺らぐ気配はない。
炎の大地に立つ巨獣はゆっくりと周囲に視線を向けた。
ある方向で視線が止まる。
しばしの沈黙。
杠葉もそちらの方角に視線を向けた。
そこにあるものを見つめて、
(ああ。なるほどね)
何となく巨獣の……真刃の心情に気付いて杠葉は苦笑を零した。
我ながら確かにこれは大掛かりすぎたかもしれない。
思わず彼が沈黙してしまうのも分かる。
(心象世界。
キラキラと。
星々の煌めきに満ちた世界で、そんなことを思う。
ややあって、灼岩の巨獣は上空に目をやった。
そこで杠葉の姿に気付いたようだ。
灼岩の巨獣が双眸を細めたように感じたのは杠葉の見間違いだろうか。
「さて」
ふわふわと浮いていた杠葉が神刀を薙ぐ。
同時に刀身から火炎が散った。
そうして、
「いよいよ本番ね」
火の神の巫女はそう告げた。
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