第339話 強欲者たちは語る③

「うん。ありがとう。じゃあまた。綾香さんも元気で」


 そう言って、彼女は通話を切った。

 生まれながらにしての紺に近い蒼い髪と瞳。髪型はショートボブで、おっとりとした目元が印象的な十三歳の少女。

 神楽坂葵である。

 綾香と通話をしていたため、少し出遅れた彼女はフォスター邸の廊下を進んでいた。

 早朝からの訓練に参加するためである。

 今は動きやすい学校指定……先日から転校した瑠璃城学園の体操服を着ている。

 一般校に通ってもいいという話だったが、葵は姉とも相談した結果、燦や月子と同じ瑠璃城学園の中等部に通うことにしたのだ。


 たとえ一般人に戻れるとしても、今は力の使い方を学ぶ方がいい。

 それが葵と姉の選択だった。


(けど、良かった)


 駆け足で急ぎながら葵は思う。


キングが優しそうな人で)


 葵の前のリーダーは粗暴な人だった。

 正直、内心ではいつも怖いと思っていた。

 彼に比べると、キングの印象は凄く穏やかだ。

 普通の優しいお兄さんだった。


(本当に良かった。これなら私も頑張れるかも)


 素直にそう思う。

 しかし、不思議に思うところもある。

 それは姉の最近の様子だった。

 あんなに優しそうなお兄さんなのに、姉はどうも彼の前では緊張しているようなのだ。

 かつてはあの怖い前リーダーに対しても気丈に振る舞っていた姉だというのに、彼の前では急にどもったり、視線を泳がせたりしている。

 それどころか、話題に出すだけで何故か怒ったり、動揺したりするのである。


 それが不思議だった。

 あんな挙動不審な姉は、あまり見たことがなかった。


(本当にお姉ちゃん、どうしたんだろ?)


 恋もまだ知らない純朴な少女は首を傾げるだけだった。

 ともあれ、今は訓練場に急ぐ時だ。


(折角の月子ちゃんからのお誘いなのに)


 月子はここに来て最初に出来た同世代の友達である。

 彼女も市井出身であるそうで、葵たち姉妹に本当によくしてくれた。

 今日も妃たち恒例の早朝訓練に誘ってくれたのだ。


『一度、見学してみる?』


 月子は微笑んで、そう言ってくれた。

 訓練とは戦闘訓練だ。状況によっては見学からそのまま訓練に移るかもしれない。

 痛いことが苦手な葵としては少し腰が引けたが、姉の方がかなりやる気になったようだ。表情には出さなかったが、双子である葵には、姉が乗り気なのがよく分かった。

 そんな姉のこともあり、葵たちは誘いを受けることにした。

 そうして、今日から参加することになったのである。


 だというのに、初日から遅刻はいただけない。

 しかも、今日は初めてすべての妃が揃って訓練する日らしい。


 葵はさらに急いで、ようやく訓練場に到着した。


「……遅いわよ。葵」


 と、訓練場に入るなり、葵と同じ体操服を着た姉がそう告げてくる。

 顔立ちは葵と同じ。髪型もだ。ただ勝気な性格からか、その眼差しは気丈だ。そして髪と瞳の色は濃い赤だった。

 葵の双子の姉。神楽坂茜である。

 茜は壁際で両腕を組んで佇んでいた。

 葵は「ご、ごめん」と言って、茜の横に並んだ。


「あれ?」


 そこで気付く。茜の足元近くにもう一人、少女がいたのだ。

 年の頃は十四歳ほどに見える、北欧系の美少女である。

 白磁のような肌に、絹糸のような長い菫色の髪。それを片方だけサイドテールにしている。その上に男物らしき大きな灰色の帽子を被っていた。


 そして彼女も体操着を着ていた。

 ただ、短パン姿の茜や葵と違って、紺色の変わったボトムスを履いている。葵にとっては初めて見る衣類だったが、それはブルマと呼ばれるモノだった。


 私物のビーズクッションを抱きしめて、その美少女はぐでえっと沈み込んでいた。


「……ホマレさん?」


 葵が彼女の名を呼ぶ。

 このだらけた少女は、葵たちと同じ近衛隊の隊員だった。

 名をホマレ。家名は知らない。

 一見すると美少女であり、体格スタイルにおいても葵たちと同年代に見える彼女だが、実年齢は驚くことに二十六歳らしい。葵たち二人分である。

 そんな遥か年上の彼女は、腐った魚のような眼差しを葵に向けた。


「……おはよう。アオちゃん。今日も可愛いねェ……」


 まだ半分以上眠った様子でそう告げてくる。


「え、えっと、ホマレさんも訓練に参加するの?」


「……ホマレは参加しないよう……」


 ビーズクッションに顔を埋めて言う。


「……見てるだけだよォ……正妃ナンバーズどもは悔しいけど、美女や美少女ばかりだしィ、凄く目の保養になるからぁ。それに、グヘへェ、ここに来ればぁ、桜華ちゃんの躍動するおっぱいを見れると思ったからぁ」


「え、えっと……」葵は顔を引きつらせた。「それだけ? ならなんで体操服?」


「う~ん、それは……」


 ぎゅうっ、とビーズクッションを強く抱きしめるホマレ。


「もしかしたら、ここにダーリンも来るかなあって思ったからだよ。アオちゃん世代にはピンと来ないかもしれないけど、これは古の決戦兵装なんだよ」


 言って、ホマレは顔を埋めまま、指先でクイっとブルマを直した。

 葵は何とも言えない表情を見せた。

 一方、茜は「ほっときなさいよ」と素っ気ない声で言う。


「そんな自堕落でやる気もない人」


 そう酷評する。と、


「いやいや、やる気ならあるよォ」


 ホマレが重そうに顔を上げて、茜に目をやった。


「ホマレもアカちゃんたちと同じで真面目に正妃ナンバーズを目指しているからさ」


 ふわあっ、と大きく欠伸をする。

 それから、あごをクッションに乗せて言葉を続ける。


「目の保養も目的だけど、眠いのも我慢して、こうして敵情視察にも来てるんだよ。準妃からランクアップするために。アカちゃんやアオちゃんもそうなんでしょ?」


「……え?」


 ホマレの問いかけに葵は目を丸くした。

 一瞬、あの優しいお兄さんに抱っこされたり、仔犬をあやすように、自分のあごや頬を優しく撫でられる光景を思い浮かべて……。


「ち、違うよ!」


 ボンっと顔を真っ赤にして否定する。


「私とお姉ちゃんは準妃隊員じゃないよ!」


 両手を激しく振ってそう答えた。

 ただし、


「………………」


 茜の方は無言だった。

 視線は真っ直ぐに、否定も肯定もしない。

 ただ、その手は両肘をぎゅうっと強く掴み、耳の端は赤く染まっていた。


「ち、違うから! ホントに違うから!」


 動揺している葵は、そんな姉の様子に気付いていなかった。


「……ふ~ん」


 ホマレは対照的だが、本質は同じように見える姉妹を一瞥しつつ、


「まあ、いいけど」


 体を起こして、ビーズクッションの上に乗馬スタイルで座る。


「今日のところは見学しようよ。うん」


 訓練場の中央に、菫色の眼差しを向けた。

 どうやら伍妃が不在のようだが、そこには正妃ナンバーズたちが揃っていた。


「そろそろかな」


 ホマレは大きな帽子のつばをクイっと下げた。

 そして、


「見せてもらおうではないか」


 不敵っぽい顔でこう告げる。


「ダーリンに愛される正妃ナンバーズの実力とやらを」



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