第366話 受け継ぐ者②
それから長い月日が経ち……。
「以上が、久遠さまに関するご報告となります」
現在。同じく御前の間にて。
正座をする山岡はそう告げて報告を終えた。
「……そうですか」
対し、杠葉は静かに頷く。
「彼が第陸番と対峙したという話は私も聞いたことがありましたが……」
小さく吐息を零す。
「今代でもまた対峙することになったのですね」
「…………」
山岡は無言だ。
未だ困惑を消せないからである。
(……本当にこの少女が……)
御前の座にて座る和装の少女。
年齢としては十代後半。多く見積もっても二十歳ほどだ。
彼女こそが、火緋神家の長である『御前さま』であると言う。
流石に信じ難い話だった。
正直なところ、『御前さま』という称号は火緋神家の長に代々受け継がれるモノであり、彼女が今代の継承者といった話の方が腑に落ちる。
しかし、彼女は山岡や巌しか知らないような昔の話を幾つも知っていた。
山岡が火緋神家に仕えるようになったあの事件。
他には巌が一般人の女性――後の燦の母を
特に後者は、今でも巌が赤面するような恥ずかしい騒動でもあったため、誰にも伝わっていない。それらの詳細は山岡と巌、御前さましか知らないことだった。
そして何よりも雄弁なのは彼女が放つこの気配だ。
この相手を包み込むような気配は、ヴェールに隠されていた御前さまと同じモノだった。
(とはいえ、流石に困惑するな)
山岡は内心で嘆息する。
百年の時を生きたという漆妃・久遠桜華。
彼女の事情は聞いていたが、魂力の源泉に神刀と龍泉の違いはあれども、まさか、御前さままでがほぼ同じ事情を抱えているとは思いもしなかった。
(これでは素顔をお隠しになるのも仕方がないか)
そう納得する。
こんな可憐な容姿では一族を率いるのは困難だったに違いない。
そして、同時に忌避の眼差しを向けられることも容易に想像できる。
「第陸番が動くのはおよそ二ヶ月半後なのですね」
「……は」
杠葉の問いかけに、山岡は両の拳をついて答える。
「私自身もあの怪物がそう告げるのを確認しております」
「第陸番がかつて彼から聞いた通りの性格のままならば、そこに虚言はないでしょうね」
杠葉は嘆息する。
「彼が火緋神家に助力を望むことはないでしょう。ですが、私たちとしても放置していいような事案ではありません」
そこで双眸を細める。
「奇しくも第陸番の眷属という名付きの影響でいま火緋神家は緊迫し、現体制を見直しているところです。巌さんには数ヶ月は厳重な警戒期間とするように助言しましょう」
「……は」
山岡は頭を垂れる。
「そして警戒しているのは天堂院家も同様でしょう。あの家も今回、火緋神家と同じ轍を踏みました。あの老人のことです。すぐに対策は検討するでしょうね」
杠葉はそう続ける。
事実、天堂院家が警備体制を再検討している情報は掴んでいた。
「彼には情報開示に感謝するとお伝え下さい。さて」
そう呟くと、杠葉は立ち上がった。
それからゆっくりと山岡の元へと近づいていく。
「……御前さま?」
山岡が眉をひそめると、杠葉は彼の前で膝をついた。
「山岡さん」
杠葉は双眸を細めて告げる。
「恐らく、私はそう遠くない内に死ぬことになるでしょう」
「―――な」
目を見開く山岡。
「それがどのような最期なのかは分かりません。遺体すら残らないかもしれません。だから、今の内にあなたにお願いしたいのです」
そう告げて、彼女は三つ指をついて頭を垂れた。
「燦と月子のことは案じておりません。あの子たちは彼が必ず守ってくれますから。だから、あなたには巌さんのことをお願いしたいのです」
「御前さま……ッ」
思わず立ち上がりそうになった山岡だったが、額を下げたままの御前さまを前にして、どうにかその場に留まった。
「燦と月子がひ孫なら、巌さんは私にとっては孫も同然なのです。本当はとても優しいのにどこまでも意地を張り通してしまう頑固な子……」
杠葉は優しい眼差しを見せる。
「私の死後、あの子は火緋神家の長になることでしょう。一族も受け入れ、守護四家の長たちも問題なくあの子を支えてくれるはずです」
それは事実だった。
巌はすでに異母兄たちも従兄弟たちもねじ伏せて後継者争いに勝利している。
火緋神本家の直系であり、実力・実績においても申し分ない。
巌の当主の襲名に異論を述べる者はいないだろう。
「ですが、巌さんを本当の意味で支えられるのは、あの子が心から信頼する人物である山岡さん、あなただけなのです」
「……御前さま」
身に余るほどの信頼に、山岡は拳を強く固めた。
「山岡さん。何卒あの子のことをよろしくお願いいたします」
一度も頭を上げずに杠葉はそう願う。
山岡はしばし沈黙していたが、すぐに穏やかな表情を見せて、
「元より私を火緋神家に連れてきたのは巌さま……火緋神君です。彼の願いに応じたあの時より、私は死する日まで彼を支え抜く覚悟です。何より――」
そこで笑みを零す。
「お
力強く宣誓した。
そして、
「ですので、どうかお顔をお上げください。御前さま」
そう願う。
杠葉は十数秒ほどそのままだったが、ようやく頭を上げた。
「……本当にありがとうございます。山岡さん」
「いえ。ですが御前さま」
山岡は眉根を寄せた。
「最近において、御前さまはお体を崩されることが多いとお聞きしていましたが、その御姿からして体調不良は偽装なのですな」
「……ええ」
杠葉は頷く。
「巌さんに長の立場を引き継ぐための期間と考えていました」
「やはりそうでしたか……」
山岡は双眸を細める。
「ならば、御前さまが感じておられる死期は病ではないのですな」
「…………」
杠葉は答えない。
だが、彼女の憂いを帯びた表情を見れば、事情を察するには充分だった。
山岡は一度瞳を閉じてから、「……御前さま」と口を開いた。
「御前さまと久遠さまとの間にいかなる因縁がおありになるのか。その全容は私ごときには知る由もございません。ですが、今のお二人を知る者として、そして、かつては教職に就いた者として僭越ながらも苦言をさせていただきたい」
「…………」
「一度、久遠さまと場を設けて対話をなされてはいかがでしょうか。まずはそこから始めるべきではないかと思われます」
一呼吸入れて、
「事情も知らぬ身で何様かとお叱りを受けるのも承知の上です。ですが、それでもお二人は対話すべきであると苦言いたします」
「……山岡さん」
杠葉は微笑んだ。
「あなたはやはり聡明で、何よりも優しい人だわ」
が、その笑みはすぐに苦笑に変わる。
「けれど、それは許されない」
杠葉はかぶりを振った。
「私は真刃を裏切った。なのに彼の優しさに甘えるような真似は許されないのよ」
「……御前さま」
山岡は悲し気に眉をひそめた。
「ですが、ありがとうございます。山岡さん」
彼女は再び微笑む。
「私と真刃の身を案じてくれたこと。心より感謝いたします。そして」
杠葉はもう一度、頭を深々と下げた。
「火緋神巌のことを、何卒よろしくお願いいたします」
そこには、子の幸せを願う母の姿があった。
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