第七章 受け継ぐ者
第365話 受け継ぐ者①
その日、彼は言った。
「俺には親がいないんだよ」
ほんの数日前。
彼らの学校を襲撃した化け物に手酷くやられて負傷した痕もすでになく、その少年は自室の畳の上で胡坐をかいて自分の身の上話を語る。
「二人とも俺が生まれて三か月後に事故に遭っちまったそうでさ。俺の親父は火緋神本家の期待の若さまですっげえ強かったそうだが、流石に飛行機事故ばっかはどうにもならんかったらしい。顔を憶える前に死んじまったよ。まあ、この屋敷には使用人とかもいるから、親代わりになってくれた人は幾らでもいたとは言えるんだが……」
そこで嘆息する。
「俺にとって親……おふくろって言える人は、やっぱ
「…………」
その語りを沈黙して聞くのは、若き日の山岡辰彦だ。
先日の化け物の襲撃で彼は重傷を負っていた。
本来なら全治半年。しかも、復帰したとしても日常生活に支障をもたらすような負傷だったのだが、少年同様にそのほとんどの傷はすでに癒えていた。
一般人である山岡はその名を知るはずもないが、『月槍院』という一流の治癒系引導師を抱えた組織から第一級線の引導師の派遣を依頼して処置してもらったのだ。
しかし、そんな一流の治癒術でも治させないモノがあった。
ほぼ完治している山岡だが、その左目には包帯が巻かれている。
化け物に潰されてしまった瞳である。
眼球そのものを抉られてしまっており、完全に失明していた。
こればかりは、引導師の治癒術を以てしても元に戻すことは叶わなかった。
『……悪い。先生』
それを知って、粗暴な少年が深々と頭を下げたのが印象的だった。
だが、山岡は気に病む必要はないと答えた。
生徒たちを守るために傷を負ったのならば、それは教師の本懐だ。
そもそも拳士が死闘に臨んだのならば、負傷などあって当然だと考えている。
まあ、そんな一般人からかけ離れた山岡の思考回路までは少年も知る由もなかったが。
いずれにせよ、山岡は生徒たちを守り抜いた。
その謝礼として今夜、山岡はこの屋敷――火緋神家の本邸に呼び出されたのだ。
「そんで、今日、先生に会ってもらうのがその覆面ババアなんだ」
「その方が何者かは知りませんが……」
正座する山岡は深々と嘆息した。
「母君同然と言うのならば君より遥か年配の方なのでしょう? そのような呼び方は感心しませんね。そもそもです」
一拍おいて、
「覆面とは何ですか? 都市伝説に出てきそうな名称になっていますよ」
「いやいや、覆面は覆面だよ」
少年は手をパタパタと振って言う。
「ババアはいつも覆面してんだよ。黒子の顔を隠す布切れみたいなんあるだろ? あれの白バージョン。外に出る時はそれをいつも被ってるんだ。手袋までしてたな」
「……それは」
それを聞いて、山岡は眉をひそめた。
「もしや古傷でも隠しておられるのでしょうか?」
「まあ、その可能性は高いって言われてるな」
少年は胡坐をかく自分の足に両手をついた。
「うちの一族の爺さん婆さんの話だと、覆面ババアはすっげえ年寄りらしい。多分、戦争かなんかで負った怪我を見せないようにしてるって話だ」
「そうですか……」
山岡は頷くと同時に、厳しい眼差しを生徒である少年に向けた。
「ですが、そこまで年配の方をそのような呼び方をするのはやはり頂けませんな」
「う~ん……」
少年はボリボリと頭をかいた。
「先生の言ってることは分かるけど、俺はこういう雑な性格だしな」
「何を言いますか。雑で済ませることこそ雑ですよ」
教師として山岡は言う。
「改めることを心掛けなさい。それでそのご婦人に私はお会いすればいいのですね」
「ああ。そうだよ」
少年は頷く。
「火緋神家の御前。それが覆面ババアだ――ぐお」
山岡に顔面を鷲掴みにされて少年が呻いた。
「ですから、それを改めなさい。あなたの母君同然の方であり、あなたの一族の長たる方なのでしょう。せめて『お婆さん』とお呼びなさい」
ギシギシと頭蓋を圧迫させながら山岡は言う。
少年は「わ、分かった! 分かったから!」と山岡の腕をタップしていた。
山岡は少年の頭を離した。
「……イテテ。あんたは本当に容赦がないな」
少年はこめかみ辺りを両手で解した。
「けど、それでいいのかもな」
少年は真剣な顔で山岡を見据えた。
少年の雰囲気が変わったことに山岡も気付く。
「どうしましたか?」
「……なあ、先生」
胡坐をかいていた少年は正座へと座り直して姿勢を正した。
「先生に頼みがある。先生の人生にも影響する頼みだ」
真剣な口調でそう告げる。
「……何でしょうか。聞きましょう」
山岡も真剣な眼差しで応じる。
少年は「ああ」と頷いた。
「俺に力を貸して欲しいんだ」
「……力ですと?」
山岡が眉をひそめると、少年は「ああ」と再び頷き、
「今はまだ俺はガキだ。全然弱い。あの
「…………」
「けど、俺は強くならなきゃならないんだ。なにせ、他のライバルどもを押しのけて火緋神家の次期当主になるんだからな」
火緋神本家の直系は他にもいる。
少年の異母兄たちや、従兄弟などだ。
その中で少年は最年少だった。
「
山岡は無言で教え子の声に耳を傾ける。
「俺は婆さんを安心させてやりたいんだ」
グッと拳を固める少年。
「そのためにはいつまでもガキのままじゃいられないんだ。だから先生に頼みたい」
「……何をです?」
山岡は問う。
すると、少年は自分の頬に拳を当てて、
「俺をぶん殴って欲しい」
一呼吸入れて、
「俺が甘ったれたことを言った時。俺が道を踏み外しそうになった時」
拳をより強く固めた。
「あんたは俺の傍で俺を見張って、そんな俺をぶん殴ってくれ」
「…………」
山岡は双眸を細めた。
「だから、あんたには教師を辞めてもらいたいんだ」
少年は言葉を続ける。
「身勝手なのは分かってる。けど、俺は今日、あんたを俺の使用人――これから俺が火緋神家で生きる上での腹心として婆さんに紹介するつもりなんだ」
「……そういうことですか」
山岡は嘆息した。
「本当に悪いと思ってる」
それに対し、少年は手を畳について頭を下げた。
「あんたにはあんたの人生があるのは分かってる。けど、俺にはあんたが……あんたの厳しさが必要なんだ。一族にいる俺の味方は俺に甘すぎるから」
「……あなたも」山岡は苦笑を零した。「随分と因果な世界に生まれたのですね」
「ああ。だが、それを嘆く気はないさ」
少年は真っ直ぐな瞳で山岡を見据える。
「俺はこの世界の重要性を理解している。それを婆さんから教わったんだ」
「……そうですか」
どちらかと言えば強面の山岡は笑った。
「あなたはすでに生きる道を決めているのですね。ならば私も覚悟を以て応じましょう」
山岡は、静かに両拳を畳についた。
そうして、
「その願い、確と承った。我が拳と誇りにかけて貴方を支えよう」
「……先生」
「私は生まれながらの風来坊ですからね。天職を求めて生きる場所を変えてみるのもいいでしょう。ですが、これだけは覚悟しておきなさい」
山岡はニヒルな笑みを見せて言う。
「私の本気の拳は痛いですよ。あなたから聞いた魂力とやらで強化したとしても、頬骨ぐらいは打ち砕いてみせましょう」
「え? い、いや、そこまでの本気はいらないんだが……」
少年は顔を強張らせて言った。
それから二人は十分ほど談笑した。
そして、
「じゃあ、そろそろ行こうぜ。先生」
「ええ。そうしましょう」
二人は少年の自室から出て御前の間へと向かった。
その足取りは共に力強い。
こうして。
山岡辰彦は、初めて御前さまと面会するのであった。
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