第367話 受け継ぐ者➂

 ――《恒河沙剣刃ゴウガシャケンジン餓者髑髏ガシャドクロ》の宣戦布告。

 その日から一週間が経った。

 今日までの真刃は実に多忙だった。

 特に、急ぎ指示を出しておきたいことが二件あった。


 一件目。

 最も緊急であるとも言える案件。拠点の移転である。

 現在の拠点としている『ホライゾン山崎』はマンションだ。

 最上階と九階は真刃たちが占有しているが、一階から八階には一般人が普通に住んでいる。

 餓者髑髏から宣戦布告された以上、一般人を抱えたまま迎え撃つなどあり得ない。

 そもそも高層建築物は防衛拠点には不向きだった。

 引導師や名付き我霊ならば、下階層を潰して建築物ごと破壊も可能だからだ。

 それもあって、時期を見計らって強欲都市グリードに拠点を移してはどうかと以前から猿忌から進言されていたが、奇しくもそれが前倒しになった訳だ。


 とは言え、今回においては強欲都市グリードへの移転はない。餓者髑髏にはこの街での襲撃を予告されているため、近場で新たな拠点を探すしかなかった。

 実のところ、それが相当に難航していた。


 なにせ、近衛隊も含めると、相当な大人数である。

 加えて人気ひとけの少ない場所が望ましい。

 金羊が主体となって近衛隊と共に物件を探しているが、未だ候補は少なかった。

 いっそ土地を――例えば山だけを購入して拠点を新たに建築する案も出ていた。

 真っ当に建築すれば二ヶ月で拠点を用意することなど無理ではあるが、一流の修復屋が十数名がかりならば一夜にて屋敷を新築することも可能だった。

 事実、修復屋としてよりも建築家として名を知らしめている引導師もいる。

 物件の捜索と共に、そちらの方にもアポを取っていた。

 近日中には方針が決まることだろう。


 二件目。

 それは今も真刃を縛る《隷属誓文ギアスレコード》の霊具・・の捜索と確保だった。

 伝承級の化け物相手では真刃も《制約》に縛られたままでは厳しい。

 ――いや、届かないと考えた方がいいだろう。


 もはや《制約》の解除は必須だった。

 だが、自力で解除できるのは恐らくあと一度が限界だ。

 それも凄まじい大ダメージが予想できる。

 可能であれば、最後の一度は使いたくないのが本音だった。そもそも大ダメージを覚悟で解除したところで、その戦いであの男を仕留められるとは限らない。

 最後の一度が不発に終わる可能性も充分にあるのだ。

 それを防ぐためには、根本である契約を破棄するしかない。

 真刃の記憶では、それは石碑のような霊具だった。

 ノートほどの大きさの水晶型の黒い霊具だ。

 紛失や破壊されることを恐れて用意された特注の霊具だと聞いている。

 それに触れたのは契約した時のみだ。

 その後、どこに保管されたかまでは知る由もなかった。

 未だ《制約》が続いている以上、今も破壊はされていないのは確実だが。

 その霊具をどうにか探し出して破壊する必要があった。

 それに向けて、現在は「それならホマレがお役に立つよ!」と強く名乗り出たホマレのサポートを受けつつ、蒼火を隊長に五名の近衛隊員が捜索に専念していた。

 今は朗報を待つしかない。

 いずれにせよ、二つの案件はそれぞれがすでに動いている。

 真刃はようやく一息がつける状態になった。


 ホライゾン山崎の屋上。

 そこには今、誰もいなかった。

 真刃の姿もない。

 いや、現在、真刃はこの世界のどこにもいなかった。

 ややあって、


 ――トン。


 唐突に宙空から真刃が現れた。

 ラフな私服に左手には二冊の本を抱えた姿である。


「……ふむ」


 屋上に降り立った真刃は周囲を見渡した。


「書庫にいたはずだが、やはり大きくずれたな」


 真刃は先程まで封宮を展開していた。

 元々はフォスター邸の書庫で展開したのだが、解除して降り立ったのは屋上だった。

 望んだ場所から、またしても上下にずれている。


「どうにもオレは雑だな」


 真刃は苦笑を浮かべた。


『……そうだな』


 ボボボと、真刃の傍らに猿忌が現れた。


『茜と葵ならばこうはならないそうだからな』


「こればかりは才覚の差かもしれんな。ともあれ」


 真刃は自分の右手の掌を見据えた。


「目的は二つとも果たしたな」


 一拍おいて、


「五将よ」


 そう呟く。

 直後、真刃の前に四体の従霊が現れた。

 狼覇、赫獅子、九龍、そして白冴。鬼火状態の五将たちである。


「お前たちがその身を削って分けてくれた御霊には感謝するぞ。成功するかはよくて一割にも満たないと思っていたが、どうにか成功したようだ」


 そう告げると同時に、真刃の掌が淡い輝きを放ち始めた。

 正確には真刃の掌が輝いているのではない。

 掌の上に鬼火とも呼べないような儚い光球が浮いているのだ。


分霊ぶんれいなどお気になさらず。我が主よ』


 狼覇が言う。


『元より我らの魂は彼女・・によって救われたようなもの』


『然り』赫獅子が続く。


『あの日に与えられたモノをわずかに返しただけでござる』


『ガウ!』


 九龍の鬼火は激しく明滅した。


『コレデ、マタミンナ揃ッタラ、オレハ嬉シイゾ!』


 純朴な従霊は素直な気持ちを告げた。

 苦笑を零すかのように狼覇と赫獅子の鬼火も明滅する。


『……我が君』


 そんな中、白冴が言う。

 真刃は白冴の鬼火を一瞥した。


『彼女はまだ不安定でございます。我が裡へと』


「……うむ。そうしよう」


 真刃は頷き、光球を白冴へと向けた。

 光球はゆっくりと移動し、白冴の鬼火の中に溶け込んでいく。

 同時に一瞬だけ白冴の白い霊体の翼が大きく広がった。


『確かにお預かり致しました』


 白冴は告げる。


『桜華さまは龍泉の巫女でございます。桜華さまが絶えず魂力を注げば、彼女の完全復活も順調に進むことでございましょう』


「ああ。頼んだぞ。桜華にもよろしく頼む」


 そう願う真刃に『御意。では、失礼いたします』と応えて白冴は消えた。

 早速桜華の元に戻ったのだろう。

 他の五将も一礼すると、それぞれの妃の元へと戻った。


「さて。オレも書庫に戻るとするか」


 猿忌を連れて、真刃は屋上から十階に降りて書庫へと向かった。

 廊下を歩き、一つの部屋に入る。

 大きな机と椅子が窓際にあり、それ以外は書棚に囲まれている部屋だった。

 ここに置かれている数々の本は、元々、真刃が今代の情報収集と勉学のためにと雑多に集めたモノだった。基本的に今代の知識は金羊から習っている真刃だが、やはり生まれた時代からして、デジタルよりも本の方が、どこか落ち着くのである。

 真刃は手に持った二冊の本を書棚の一角に納めた。


『……ふむ』


 その様子を猿忌が見やり、あごに手をやった。


『特に目的もなく集めた本だったが、今回は役に立ったな』


「ああ。そうだな」


 真刃は収めた本の背表紙に触れて苦笑を零した。


「世界は広い。神話とは国によって様々なのだと感じたな」


 それはとある神話が記された本だった。

 なお、もう一冊は分かりやすく簡潔に記されたとある学問の書籍だった。


「知識の深さもまたあの頃とはまるで違う。これらのおかげで想像がしやすかった。この短期間で形にすることが出来たのは僥倖だ」


『確かに僥倖。しかし』


 そこで猿忌も苦笑を零した。


『結果的にあれ・・はあまりにも想像に絶するモノへと仕上がったと思うぞ』


「それは否定できんな。あれ・・は生み出したオレにとっても埒外であった。間違いなく切り札の一つにはなるだろうが……」


 と、真刃が呟いた時、ふと良き香りが鼻腔をくすぐった。

 見やると、それは机の上に置かれたコーヒーだった。


「山岡が入れてくれたのか」


 そう呟く。

 しかし、真刃が不在だったため、コーヒーだけを置いていったというところか。

 机に近づくと、まだ湯気が立っていた。

 そして気付く。ソーサーの横に置き手紙が置かれていることに。

 真刃はそれを手に取った。

 そこにはこう記されてあった。


『お熱いうちにお召し上がりください』


 続けて、


『久遠さま。何卒、御前さまをよろしくお願い致します』


 真刃は数瞬ほど沈黙した。

 そうして、


「……ふふ」


 真刃は口元を柔らかに綻ばせた。

 どこか嬉しそうに、


「杠葉は多くの者に大切に想われているようだな」


 そう呟いた。


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