第296話 始動②

 魔都・香港を根城にする《黒牙ヘイヤア》。

 それは、若きリーダー・ワンによって率いられた三百名を超える引導師ボーダーの集団だ。

 だが、数こそ多いが、その実態は複数の《ピンイン》と呼ばれるチームが吸収合併などを繰り返して大きくなった裏の組織である。 

 そのため、古参メンバーや幹部は別として、流石に一枚岩とは言い難かった。

 彼――リーもまた反感を抱く一人だった。

 かつては一つの《ピンイン》を率いた男だったが、ワンに敗北し、その軍門に降っていた。


 年齢的には三十代後半。

 ワンなど、彼からにしてみればまだまだ若造だった。

 それだけに今回の件には不満が残る。


(馬鹿な小僧だ)


 あの小僧は《未亡人ウィドウ》を自分の女にしたいそうだ。

 今はそのための力を得るために引き籠っている。

 そのことは、すでに全メンバーに伝えられていた。

 その話を聞いた時、リーは呆れたモノだった。

 

 ――あの女は怪物だ。

 どれほど美しくとも触れれば確実に死に至る華。

 

 あの小僧は徒花の色香に惑い、破滅へと向かっている。

 そうとしか感じられなかった。


(ここらが潮時だな)


 リーは思う。

 あの小僧は負ける。

 そうなれば《黒牙ヘイヤア》は瓦解するだろう。

 離脱するには絶好の機会だった。


(だが、このまま帰国したところで敗残兵など、他の《ピンイン》に吸収されてコキ使われるのがオチだ。だったら……)


 すうっと双眸を細める。


「……ボス」


 その時、声を掛けられた。


「そろそろ面会アポの時間です」


 目をやると、それは昔からの部下の声だった。

 ワンには忠誠を誓っていないリーの腹心である。

 もう一人、他にも男がいた。その人物も仲間だ。


「そうか……」


 リーたちは今、オフィスビルが並ぶ一角にいた。


「では、そろそろ行くか」


 言って、ビルの一つに訪問する。

 いかにもビジネスマンといった服装で固めたリーたちは受付で入門証を受けると、そのままエレベーターに乗り込んだ。向かう場所は最上階だ。

 これから面会するのはIT企業の社長……というのは表向きの姿。

 その正体は、はぐれ引導師を用途に合わせて斡旋する男だ。

 自身も電脳系の引導師らしく、この国の裏世界に広い顔を持つという。


 ハイリスクな相手だが、その分、リターンも大きい。

 リーは、彼とのコネクションを持つために面会にまでこぎつけたのである。

 すべてはこの国で成り上がるためだった。


(俺たちは所詮、根無し草だ)


 故郷にしがみつく理由もない。

 ならば、この国で新たに旗揚げするのも悪くない。

 今日の面会はその第一歩だった。


(まあ、本格始動は小僧が自滅するタイミングを見計らってだな)


 そんなふうに思考を巡らせている内に、エレベーターは最上階に到着した。

 リーたちはエレベーターを降りて、フロアの奥にある部屋を目指した。

 まだ夜の八時ほどなのだが、人の姿もなくこのフロアはとても静かだった。

 受付の話ではこの階は、実質的にプライベートフロアらしい。


 しばらく歩くと、重厚な扉が現れた。

 入門証を読み取り機リーダーにかざす。ロックは解かれ、扉はゆっくりと開いた。


「……失礼する」


 扉が開いたのでリーたちはそのまま入室することにした。

 広い部屋だ。壁が大きなガラス張りのようで、月明かりがよく差し込んでいる。

 それを楽しむためなのか、室内は暗かった。

 ただ執務席だけが煌々と照らされている。恐らくノートPCを使用しているようだ。それを操作する人影も見える……のだが、


「おお~。こいつ、いいな」


 その人影が発する声は、想定よりもかなり若かった。

 リーは眉をひそめた。

 執務席の人影はリーたちの入室に気付いていないようだ。


「おっ! いいねえ、こいつもなかなかだ。こっちのフォルダは……へえ。裏だけじゃねえのか。表の情報まで……」


 そんな呟きが聞こえる。

 リーは怪訝に思いつつも前に進む。

 すると、


(………ん?)


 何故か異臭がした。同時にどこからか、ぴちゃりと水滴のような音もする。


「(……ボス)」


 怪訝に思ったのは同じだったか、部下の一人が声を掛けてくる。


「(……何かおかしいです)」


「(ああ。分かっている。二人とも気をつけろ)」


 リーはそう指示した。

 その時だった。


「―――ん?」


 執務席の人影が、ようやくリーたちに気付いたようだ。

 ここまで近づくとはっきりと分かる。


 やはり若い男だった。

 年齢は二十代前半ほどか。西欧人らしく、碧眼と逆立つ金髪が印象的な青年だ。後ろ側の髪は長く、うなじ辺りで尻尾のように纏めている。

 灰色のジャケットを羽織っており、まるで大学生のようだった。

 面会者の顔は知っている。明らかにこの男ではない。


「……お前は誰だ?」


 リーは険しい顔でそう問い質した。

 すると、青年は、


「いや、それは俺の台詞なんだが……」


 そう呟きながら、ゆっくりと立ち上がった。


「察するに、そいつのお客さんってとこか」


 そう告げる。

 途端、ドスンッと背後から大きな音がした。

 三人は三方向へと跳躍して間合いを取る。

 青年を警戒しつつ、音源を確認すると、それは血塗れの人間だった。


(……こいつは)


 見覚えのある顔だった。本来この場で会うはずだった人間である。

 どうやら、ずっと天井に貼り付けられていたらしい。上を見やると、護衛なのか、他にも黒服の男が二人貼り付けられている。恐らくは絶命しているのだろう。


「……貴様がったのか?」


 険しい眼差しでリーは青年に問う。

 すると、青年は「ああ」とあっさり認めた。


「ちょいと調べて欲しいって頼んだだけなんだが、断られてさ。まあ、脳みそを直接弄ればパスとかも分かるし、手っ取り早くな」


「…………」


 リーたちは同時に拳を突き出した。乗馬のような構えを取る。

 青年は「ふ~ん」と双眸を細めた。


「やっぱお前さんたちも引導師ボーダーか……」


 一拍おいて、


「三人とも変わった構えだな。もしかして中国拳法? 本場のカンフーな人ら? 実は俺ってニンジャの次にカンフーも好きなんだ」


 そう言って、大仰に両手を広げて片足を上げて見せる。

 しかし、リーたちは何のリアクションを見せない。


「……む。ノリが悪いな」


 構えを解いて、青年は嘆息した。

 それから、ボリボリと頭を掻いて、


「あ~あ、くそ。俺ってマジで運がねえよな、下調べで見つかるとは……」


 自嘲気味な口調でそう呟く。

 そうして、


「顔を見られちまったしなあ。ここから足が付いたら最悪だよな。けど、俺にも言い分はあんだよ? やっぱこういうのって自分で見つけてこそだと思うんだよ。まあ、叔父貴は寛大だから許してくれるだろうけど、姉御の方はヒステリックで無茶くちゃ怖いからな。聞く耳なんて持ってくれなそうだし……」


 一度両肩を掴んで身震いしつつ、


「ここは仕方がねえか。まあ、どこのどなたかは存じ上げねえが、お前さんたちはここにはいなかったことにさせてもらうぜ」


 そう宣告して、青年は朗らかに笑った。










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