第三章 始動

第295話 始動①

 その日の夜。

 とあるホテルの一室。

 久遠桜華は、ベッドの縁に腰を降ろして瞑想していた。

 腕を組み、ピクリとも動かない。

 まるで呼吸さえもしていないようだ。

 ややあって、桜華は瞳を開いた。


「……ようやく成ったか」


 腕を解いてそう呟く。

 幾度となく繰り返した瞑想で自分の中の切り札が形と成った。

 それを実感した。


「準備はこれで万全だな。さて」


 そう呟いた時。


『桜華ちゃん』


 耳元に声が聞こえる。

 声の元は耳に取り付けた装飾品デバイスから。

 桜華の相棒。ホマレの声だった。


「ホマレか」


 桜華は耳に片手を当てた。


「あいつの居場所が分かったのか?」


『うん。苦労したけどね』


 ホマレは言う。


『桜華ちゃんの旦那さん、どうもかなり凄腕のハッカーと契約してるみたい。全然情報が掴めなくて、関係者ルートから攻めてようやく住所とメアドだけは掴めたよ』


「……そうか」


 桜華は頷く。


「苦労をかけたな。感謝する」


『別にこれぐらいOKだよ! あ、けどさ……』


 元気よく答えるホマレだったが、少し気まずそうに声色を変えた。


『旦那さん自身のことは分からなかったけど、結果的に旦那さんの関係者――隷者ドナーのことは少し分かったよ』


「ドナー……隷者れいじゃだと?」


 桜華は少し目を瞬かせた。


「いや、そうか。そうだな。あいつも引導師いんどうしだ。昔も居たしな。今も居て当然か」


 小さな声でそう呟く。


『えっと、話してもいい?』


 と、少し躊躇うような口調でホマレが尋ねる。

 桜華は「……ああ」と頷いた。


『現時点で確認された隷者ドナーは七人だよ』


「えっ、しち――」


 桜華は目を剥いた。


「え? 多くないか? 二人か三人ではないのか?」


 珍しく困惑した様子で問い返す桜華。

 しかし、ホマレは、


『いやいや。今時、七人ぐらいなら学生でもいる子はいるよ。それを推奨している学校とかも多いし。むしろ現役の引導師で七人って少ない方だと思うんだけど?』


 そんなことを言った。

 桜華は「むむむ……」と唸った。


『とりあえず素性の確認が取れたのが五人。残り二人は、画像はあるけど、まだ素性も名前も不明かな。データを映し出すね』


 ホマレがそう告げると、桜華の前にウィンドウが開かれた。

 近未来的な技術ではなく、ホマレの系譜術である。

 桜華は恐る恐るそのウィンドウに目をやり、再び目を剥いた。


「……刀歌、だと?」


 ウィンドウには、七人の女性の画像が映し出されていた。

 二人は隠し撮りのような画像だったが、他の五人は顔写真だ。恐らく学校の証明写真なのだろう。その五人の中に刀歌の顔があったのだ。


『うわあ、やっぱりその子って桜華ちゃんの身内?』


 と、ホマレが気まずそうに告げる。


『火緋神杠葉が桜華ちゃんのことを「御影」って呼んでたし、容姿と名前からして、もしかしてこの子って妹さんなのかなって思ってたんだ』


「……妹ではないが」桜華は渋面を浮かべた。「身内ではある」


『やっぱりそっかあ』


 ……さては姉妹丼狙いだな。やるなあ、旦那さん。

 という内心の感想はよそに、


『桜華ちゃん、大丈夫?』


 ホマレが問う。


『結構ガチで動揺してない?』


「……動揺などしていない」


 と、桜華は淡々とした声で答えた。


「刀歌も色濃く『私』と同じ血を引いていたということなのだろう。あの子はよく『私』の真似をしていたが、まさか男の好みまで同じとは困った娘だ。しかし」


 桜華は眉をひそめた。


「他にも知っている顔がいるな。あの場にいた女ばかりだ」


 刀歌の他に並んでいるのは銀髪の少女と、黒髪の少女。

 確かエルナ=フォスターと、杜ノ宮かなただったか。


 一方で隠し撮りされた二人の方にも見覚えがある。

 一人は、前述の三人よりも少し年齢が上の髪の長い女。二十歳ほどだろうか。

 画像は買い物中なのか、どこかのスーパーで大根を手に取るその姿はまるで新妻のように見える。あの時、あいつに抱きかかえられて封宮メイズ内に現れた女だった。


 そして、


「……ムロもか」


 寝起きの散歩なのか、街中で眠たそうに欠伸をする白銀の髪の美女。

 ――そう。あの時、桜華と対峙した『ムロ』である。

 彼女に関しては得心もいく。

 彼女ほどの実力者を降した男。いま思えばあいつ以外には考えられない。


 そして残る二人。

 この二人のことは知らなかった。金髪の少女と、長い赤髪の少女だ。

 ホマレが記載してくれている情報だと、二人とも十二歳とかなり幼い。

 しかし、明治生まれの桜華としてはこれも有り得るかとずれた感想を抱いていた。

 ただ、赤い髪の少女の家名は流石に気になった。


(……火緋神か)


 まさか、ここでもその名を見ることになるとは思っていなかった。


(今さら何故、火緋神家と関わるのだ?)


 あいつの意図が分からないが、ここで考えても答えは出ないだろう。

 これはあいつに会った時に問い質せばいい。

 しかし……。


(やはり七人は多くないか?)


 どうしてもそう思ってしまう。

 彼女たちはすでにあいつに愛されているのか。

 特に刀歌のことを考えると、とても複雑な想いを抱いた。


(…………)


 桜華は手を左腕の肘に添えると、視線を横に向けた。

 そのまま沈黙する。と、


『桜華ちゃん?』


 ホマレが再び尋ねた。


『えっと、本当に大丈夫?』


「……問題はない」


 と、素っ気なく答える桜華。


(うわああ……)


 すると、ホマレは瞳を輝かせた。


(珍しい! 桜華ちゃんが拗ねてる! 可愛い!)


 桜華自身は全く気付いていないようだが、視線を逸らしたその横顔は微かに頬が膨らみ、心なしか唇を尖らせていたのだ。


(可愛い! 可愛い! 可愛いっ!)


 もちろん、ホマレは無音の連続シャッターだ。動画をとることも忘れない。

 ホマレの全方位オールレンジカメラは、常に桜華をロックしているのである。


「……まあ、いい」


 一方、桜華は表情と気持ちを改めて、再び前を向いた。


「あいつの今の隷者れいじゃについては分かった。だが、それよりも重要なのは、これであいつと連絡が取れるようになったことだ」


 桜華は、再び装飾品デバイスに手を添えた。


「ホマレ。あいつに文を送ってくれ」


『なぁに? ラブレター?』


「……果たし状だ」


『……まったく色気もないね。まあ、送るけどさ』


 と、そんなやり取りをするが、不意にホマレが少し声色を変えた。


『けど桜華ちゃん。果たしもいいけど、ちょっと別件で気になることもあるんだ』


「……なに?」桜華は眉をひそめた。


「何かあったのか?」


『うん。ホマレのところには、気になりそうな情報はいつもリアルタイムで入ってくるようにしてるんだけどさ……』


 一拍おいて、


『その中にまだ表立ってはいないんだけど、キナ臭い感じなのがあるんだよね。まあ、桜華ちゃんなら大丈夫だと思うんだけど……』


 ホマレは神妙な声で告げる。


『どうも、最近この街で異変が起きてるみたいなの』












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