第六章 その者の名は――。
第440話 その者の名は――。①
時間は少しだけ遡る。
その時、燦と月子は街中を二人で歩いていた。
目的は明確だった。
燦の異母兄である耀との面談のためだ。
「まったく。耀お兄さまにも困ったものね」
燦が言う。
「実家の兄が嫁ぎ先に口出しするなんて」
「……はは」
隣で月子が渇いた笑みを浮かべた。
二人は瑠璃城学園の制服姿だ。
燦たちが歩いている場所は、少し寂れた商店街だった。
その角に指定された純喫茶があった。
燦も月子も知らないことだが、耀のお気に入りの店である。
距離的には、あと五分もしない内に到着するだろう。
なお、今日は燦たちだけで護衛はいない。
燦が強く拒否したからだ。
『大丈夫! あたしたちに任せて!』
その一点張りだった。
これには周囲の人間も良い顔はしなかった。
待ち合わせ先は、餓者髑髏が決戦に指定した街中にある。
わざわざ、決戦の時期を宣言した餓者髑髏が、今さら自分自身も興醒めするような約定違反をするとは思えないが、それでも護衛をつけるべきだというのが、大多数の意見だった。
そもそも、火緋神家が対話に見せかけて強硬に出ることも考えられる。
呼び出して、最初から燦と月子を回収するつもりかも知れない。
宣戦布告にも等しい行為だが、火緋神家の覚悟の程は確認しようもない。もし、みすみす肆妃を攫われるようならば、近衛隊にとっては存在意義にも関わる大失態だ。
だからこそ、特に近衛隊から護衛を志望する声が多くあったのだが、燦は一向に首を縦に振らなかった。頑固さも杠葉によく似ていた。
『……まあ、兄に会うのに護衛を付けては非礼になるだろうな』
最終的に、真刃の判断で護衛をつけないことになった。
ただ、結局のところ、赤獅子と狼覇はこっそり二人の護衛についているのだが。
「けど、燦ちゃん」
月子が燦の横顔を見て尋ねる。
「どうやって耀さまを説得するの?」
それは結構な難題だった。
月子の知る火緋神耀とは頭脳明晰な青年だった。
決して理不尽な真似をするような人ではないが、同時にそれは理屈に合わないことは容易には受け入れてくれない真面目な性格でもあるということだ。
こう言ってはなんだが、直感で動く燦とは真逆の人物である。
正直、説得する上での燦との相性は悪いように思えた。
「ん? そこは正直に言うよ?」
すると、燦は月子の方を見やり、こう返した。
「あたしと月子はとっくにおじさんのお嫁さんになってるから、実家は口出ししないでって」
「直球だった!? やっぱりノープランだったよ!?」
月子は愕然とした。
「それはダメだよ!? 明らかに喧嘩を売っているよ!」
あわわと言う。
「そもそも、私たちって表向きはおじさまに保護のために預かってもらっているって立場なんだよ!? 燦ちゃんの言い方だと、おじさま、色んな意味で犯罪者になっちゃうよ!?」
「う~ん、だけど」
燦は立ち止まり、腕を組んで小首を傾げた。
「耀お兄さまって難しいことばかり言って苦手だもん。なら、あたしの方から分かりやすく言った方がいいかなって」
「それは分かりやす過ぎるよ!?」
月子も立ち止まって叫ぶ。
「耀さまが直行でおじさまのところに殴り込みに行っちゃうよ!?」
燦の異母兄弟たちが、何気に異母妹を溺愛していることには月子も気付いていた。
燦を外部に預けることに強い不満を抱いていることも察していた。
そこに燦がこんな台詞を言っては、まさに火に油を注ぐ行為だった。
本家の三兄弟の中では最も理知的ではあるが、耀も炎雷の一族の直系なのだ。
退けないところでは、激情家の側面も持ち併せているのである。
「燦ちゃんは何も言っちゃダメ!」
思わず月子は燦の両肩を掴んで叫んでいた。
「私が何とかするから! 耀さまを説得してみせるから!」
「そ、そう?」
ブンブンと首を振られながら、燦が呟く。
「けど、あたしのお兄さまだし……」
「妹としての責任はいいから! ここは穏便に納めないと!」
泣き出しそうな顔で月子が言う。
と、その時だった。
――ぞわり。
「「―――ッ!」」
燦も月子も顔色を変えた。
二人とも空を見上げて、続けて周囲に目をやった。
景色は変わっていない。
しかし、わずかにいた人の姿が完全に消えていた。
「え? うそ」「これって……」
燦も月子も困惑する。
まるで自分が世界の異物になったような感覚。
この違和感は何度か経験した
『――月子さま!』
その時、月子の首に付けたチョーカーから声がする。
専属従霊の狼覇だ。
狼覇はそのまま変化し、月子の傍らに着地した。
全身に青白い炎を纏う、額に黄金の一本角を持つ蒼い巨狼である。
変化したのは狼覇だけではない。
燦がベルトに着けていたキーホルダー。それが巨大な獅子僧へと姿を変える。
『姫さま方』
柱のような棍を持つ獅子僧――赫獅子が二人に声を掛ける。
『危機でござる』
率直に言う。
『これは明らかな結界領域。名付きの襲撃でござる』
燦を肩に乗せて、周囲を警戒する赫獅子。
狼覇も月子を背に乗せた。
燦と月子はまだ困惑していたが、それぞれの専属従霊に従った。
『……なんという不覚。よもや餓者髑髏か?』
蒼い狼は牙を鳴らした。
『この機に動いたというのか? 結界内では長に報告も叶わぬな。ならば月子さま。燦さま』
狼覇は二人に告げる。
『我が主より限界までの魂力をお借り下され。我らも五将の権限にて、他の従霊から魂力を徴収いたします。それにより、主と猿忌さまにお二人の危機が伝わるはずです』
「う、うん」
燦がコクンと頷き、
「分かったけど、これって本当に
指示に従って真刃から魂力を供給してもらいつつ、月子が眉をひそめた。
『恐らくは』
狼覇が顔を上げて答える。
『結界領域を構築できるのは上級我霊のみ。しかし、知性なき我霊では、このような街中で展開するようなことはあり得ませぬ。間違いなく相手は名付きかと』
『拙僧も狼覇に同意でござる』
赫獅子も語る。
『そして、ここで無関係の名付きが現れるとは考えづらく。餓者髑髏本人か、またはその一派である可能性は高いと思われますぞ。いずれにせよ』
獅子僧は双眸を細めた。
『疾く速く、ここから撤退すべきでござる』
結界領域に取り込まれた時点で、燦と月子は孤立無援となった。
さらには、いかなる罠が仕組まれているのかも分からない。
赫獅子が迎撃よりも撤退を推奨するのも当然だった。
二体の従霊は四肢に力を込める。と、
「待って!」
月子が叫んだ。
「たぶん、ここには耀さまも巻き込まれているかも!」
「あっ! そっか!」
燦もハッとして、自分たちが向かうつもりだった純喫茶を見やる。
待ち合わせの時間も間近だ。
生真面目な異母兄なら、すでに来ている可能性が高かった。
「耀お兄さまも確認しておかないと!」
危機的な状況で無視するほど、燦は異母兄を嫌ってはいなかった。
狼覇たちにしても、燦の異母兄を放置する訳にも行かなかった。
『赫獅子。月子さまを頼む。それがしが確認を――』
と、狼覇が提案しようとした時だった。
――ドォンッ!
突如、爆発音が鳴り響く。
燦たちも狼覇たちも全員目を見張った。
その音は、これから狼覇が向かおうとしていた純喫茶からだった。
純喫茶の半分以上が爆炎に呑み込まれたのだ。
衝撃と熱風が燦たちにも届く。
燦たちは唖然とした。
そして、半壊した純喫茶から炎と黒煙が立ち昇る中、
「――耀お兄さま!?」
愕然とした燦の声が響くのであった。
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