第439話 火緋神家の家庭事情④

 その日。

 とある純喫茶にて。

 テーブル席の一つに、一人の青年が座っていた。

 年齢は二十代に入ったばかりか。

 毛先が少し赤みがかった短い黒髪。線の細い顔立ちには眼鏡をかけている。痩身であり、身長は百七十半ばほどだ。


 服装にはあまり特徴がない。

 ごく普通の大学生が好むようなモノだった。

 事実、彼は大学生だった。


 彼こそが火緋神耀。

 燦の異母兄の一人だった。

 耀のテーブルの上には、香り立つコーヒーが置かれている。

 その横には彼のスマホもあった。


「………」


 耀は、ちらりと店内に目をやった。

 平日の影響もあるのだろう。

 客数は少ない。同じく大学生らしき男女がいるだけだ。

 そんな静かな店内では、クラシックの音楽が流れていた。

 テーブルに置いたスマホに少し手をやった。


 約束の時間まで、まだ十五分ほどある。

 耀は本を取り出した。

 趣味である推理小説だ。

 今の時代では小説もスマホで読む者が多いが、耀は本派だった。

 じっくり読むのも良いが、考え事をする時のルーティーンでもある。


(……やれやれですね)


 表情には出さずに、耀は心の中で嘆息する。

 今日、彼がこの店に来た理由は、燦と月子に会うためだった。

 ここで待ち合わせをしているのである。


(燦にも困ったものです)


 ページを捲りながら、耀は思う。

 本来ならば、耀は『久遠真刃』と対面するつもりだった。

 しかし、異母妹からメッセージが来たのだ。

 まずは自分たちが事情を説明すると。

 耀は少し考え、異母妹の提案を受け入れた。


(現在、火緋神家は燦たちの扱いを決めかねていますからね)


 長年に渡って火緋神家を支えてくれた偉大なる長――御前さまがお亡くなりになり、父である巌が火緋神家の新たな当主になった。

 それに対しては他の本家筋も、また守護四家を筆頭とする分家たちにも異論はなかった。

 御前さまご自身も死期を悟られていたのか、用意も整えられており、当主への引継ぎもスムーズに行われた。

 今や、父は自他とも認める火緋神家の当主だった。


 だが、そこである問題が浮き上がった。

 燦と月子のことである。


 ――火緋神家の至宝・『双姫』。

 彼女たちが外部の人間預かりになっていることだ。


 この状況は、亡き御前さまが珍しく押し通す形で決められたことだった。

 恐らくは双姫の未来を案じた御前さまが、彼女たちが内外の諍いに巻き込まれないようにした対応だ。外部のエージェントを雇い、彼女たちを保護したのであるというのが、巌を始めとした火緋神家の推測だった。


 だからこそ、本家の信頼厚い山岡辰彦を同行させることで承諾もしていた。

 しかしながら、御前さまがお亡くなりになられた今。

 御前さまと、外部のエージェントである『久遠真刃』との間で交わされた契約がどうなるのか分からない。


 さらに問題もあった。

 素姓がほとんど不明だった『久遠真刃』が、長年に渡って無法地帯だと認識されていた西の魔都・強欲都市グリードを平定した強欲都市の王グリード・キングであると発覚したのだ。

 内偵も兼ねた山岡からだけではなく、火緋神家の諜報組織からもそう報告を受けている。

 確かに、御前さまの葬儀には強欲都市の王グリード・キングの代行者という女が参列していた。

 それだけで御前さまと強欲都市の王グリード・キングの間に親交があったことが分かる。


 この事態には、意見が二つに分断された。


 一方は、すぐにでも双姫を連れ戻すべきという意見だった。

 相手は、言うなれば、無法者たちの王だ。

 放っておけば双姫の身が危うい。

 ここは力尽くでも取り戻すべきだという強硬派の意見である。

 この意見には特に若い世代が多かった。


 そしてもう一方。

 それは、まだ様子を見るべきだという意見だった。

 御前さまが、大切な双姫を託すほどに久遠真刃は信頼に足る人間なのだろう。

 山岡からも危機を知らせる報告はない。

 そんな状況で、いきなり武力で訴えるのは悪手だと彼らは言う。


 強欲都市グリードには、二万人に近い引導師ボーダーがいると言われている。

 対して、火緋神家は分家まで含めても千二百名ほど。無論、大家に属する引導師と、はぐれ者では実力がまるで違う。個々では遅れなど取らない。

 だが、質で大きく上回っていても、この数の差は脅威だった。

 下手をすれば戦争である。

 ここは対話を行うべきだというのが穏健派の意見だった。

 双姫とも久遠真刃とも親交のある大門紀次郎を筆頭にした意見である。


 結果的に言えば、まずは対話でという方針になった。

 燦の父でもある当主の巌が、久遠真刃と対話するということだ。

 しかし、これにも異論があった。

 強硬派というよりも、大門家以外の守護四家がよい顔をしなかったのだ。

 当主の巌自らが出向けば、それは相手と対等であると見なされる。

 それは大家としては許容できないことだ。

 かと言って、相手を呼び出すのも対話する上で格下だと見下すような行為だった。

 在野の引導師とはいえ、今や二万人の引導師を統べる相手にあまりに非礼である。


 悩んだところで、白羽の矢が立ったのが、耀だった。


 燦の異母兄であり、火緋神家の直系。

 しかも、次期当主の第二候補でもある。

 大家としても面目も立ち、相手にも非礼には当たらない。


『……頼めるか、耀』


『……はい。お任せください。当主』


 耀は謹んで引き受けた。

 そもそも、耀としても、異母妹たちのことはずっと気がかりだったのだ。


 なにせ、月子はとても愛らしい。

 そして、燦は世界一可愛いのだ。


 いかに御前さまが護衛として選んだエージェントだとしても簡単には信用できない。

 この目で、状況と相手を確かめるべきだと常々考えていた。

 それは他の兄弟も同様のようだった。

 耀が久遠真刃と対話すると決まった翌日、異母兄・猛が大量の資料を送付してきたのだ。

 異母兄が独自に集めた久遠真刃の資料だった。

 異母兄の筆頭隷者は優秀な諜報員だと聞く。中々に詳細な資料だった。


 久遠真刃の人物像から、強欲都市の王グリード・キングとしての側面まで。

 現状、隷者ドナーは燦と月子も含めて九人。

 明らかな盗撮だが、九人全員の画像データも添付されていた。

 隷者ドナーと聞くと、思わずぞわりとするが、燦と月子はまだ第一段階らしい。


(確かに隷者ドナーにしておくことは無難な処置ですが……)


 その時の資料の内容を思い出しながら、耀はコーヒーを啜る。

 他には近衛隊と呼ばれる護衛部隊について。

 強欲都市グリードにおいての最高幹部の二人の顔写真などだ。

 一人は耀も見覚えがあった。

 御前さまの葬儀に参列していた女性である。

 彼女は、幹部兼隷者ドナーではないかと推測が記されていた。


 ――ピコンッ。

 その資料に目を通していた時だった。

 異母弟・魁からも資料が送付されてきたのである。

 同じく久遠真刃の調査資料だった。

 流石に異母兄ほど詳細ではなかったが。


(……兄上も、魁も……)


 思わず耀は苦笑してしまった。

 馬の合わない異母兄弟たちだが、やはり似ているところもあるようだ。

 実は、耀自身も人を雇って久遠真刃について調べていたのだ。


(いずれにせよ、責任は重大ですね)


 あの二人が、無条件で情報を託してきたのである。

 こればかりは真摯に応えなければならない。

 そして、今日の燦と月子との会合は、言わば前哨戦だ。

 少しでもあの子たちから詳細を聞き出さなければならなかった。


(……さて。そろそろですか)


 ――パタンっと。

 耀は本を閉じて、テーブルの上に置いた。

 ややあって、カランっと純喫茶のドアが開かれる。

 来客だ。待ち人かと思って視線を向けるが、来客は燦たちではなかった。

 耀はすぐに興味を無くして、再びコーヒーを口に付けた。

 すると、


「やや! 久しぶり!」


 いきなりそんな声を掛けられた。


(久しぶり?)


 訝しげに耀が声の方へ見やると、そこには一人の少女が立っていた。

 年の頃は十代後半ぐらいか。

 黒いゴシックロリータドレスを着た少女だ。

 背中辺りまで伸ばした黒髪に、カラーコンタクトでも入れているのかその瞳は金色だった。

 美貌においても、スタイルにおいても群を抜いた少女である。

 だが、それだけに耀はさらに訝しむ。

 衣装もそうだが、これだけ目立つ人物だというのに全く会った記憶がないからだ。


「どこかでお会いしましたか?」


 失礼だと思ったが、率直に尋ねた。

 すると、彼女は頬を少し膨らまして、


「ひっどーい! 君って火緋神耀くんだよね?」


「……確かに私は火緋神耀ですが……」


 どうやら本当に知り合いのようだ。

 彼女は、耀と同じテーブル席に座った。

 耀は困ったように眉をひそめる。


「すみません。失礼を承知の上でお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか。それと申し訳ないのですが、実は今、人と待ち合わせをしていまして――」


「うん。知ってるよ」


 彼女は手の甲にあごを乗せて言う。


「綺羅綺羅くんの妹ちゃんと、あの日の愛娘ちゃんでしょう? 近くに来てたよ。ちょっと先回りしたんだ」


「……え?」


 耀は困惑した。


「む~ん。まだ分からないかな? 思い出さないかな?」


 そこで彼女は妖艶に笑う。


「Uのことを」


 そう告げると同時に、彼女の黒髪が毛先から真っ白に染まっていく。

 耀の背中に悪寒が奔る。

 椅子を倒して、後方に大きく跳躍した。


「あなたは――まさかッ!」


「ふふ。積もる話もあるからさ」


 真っ白に染まった髪を陽炎のように揺らめかせて、


「少し場所を変えようか」


 パチン、と。

 再会を祝して、彼女は指先を鳴らした。





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