第五章 骸鬼王の館

第15話 骸鬼王の館①

「――真刃!」


 どこからか、友の声が聞こえる。

 おもむろに目をやると、建屋の近くに軍服を着た青年の姿があった。

 彼は青ざめていた。この事態に恐怖を抱いているのだろう。

 だが、それでも、ここから逃げようとだけはしない。


「――真刃! もう止めるんだ!」


 再び友が叫ぶ。しかし、もう遅い。

 自分は引き返せない場所にまで来てしまった。


『……ハナレテイロ』


 せめて、それだけを告げる。

 直後、真刃の『巨体』から、無数の鎖が地へと、天へと伸びていく。

《隷属誓文》を破ったことによる《制約》の鎖だ。

 魂魄より生み出される黒い鎖は、真刃の『巨体』を拘束する。

 真刃は、全身が鉛よりも重くなるのを感じた。

 常人ならば、その場にひれ伏してしまうほどの重圧だ。

 が、ギリと歯を鳴らし、


 ――バキッ、バキンッ!

 真刃の『巨体』は、全身を拘束する黒い鎖を強引に引きちぎった。


『グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――ッ!』


『巨体』が咆哮を上げる。

 だが、次の瞬間、真刃の全身に激痛が走った。

 一瞬視界が暗転し、ぐらりと大きく体が傾くが、


(……ぐ、う!)


 どうにか、その場で立て直す。

 腕の中のを落とさずに済んで深く安堵する。

 しかし、痛みはなお続いた。

 まるで全身の神経が焼き切られたかのような痛みだった。


(……これが……)


 四肢の爪をはがし、全身の皮をはぎ、両目を抉られる方がまだ易しい。

 仮に数分も続けば、正気を失ってもおかしくないだろう。


(……《制約》を破るということなのか)


 ギシリ、と、さらに強く歯を軋ませる真刃。

 まさに想像を絶する激痛だった。これでは誰も破ろうとしないはずだ。

 しかし、そんな魂をも砕かれそうな激痛も、鎖ごと自分の『巨体』が一部崩れることも、今さらどうでもいいことだった。

 彼が傷つくことを嫌い、叱ってくれる少女はもう……。


(己の体など知ったことか!)


 何もかもどうでもいい。

 意志の力ではなく、自棄によって、真刃は全身を蝕む激痛をねじ伏せた。


 ――ズズゥゥン……。

 途方もなく巨大な腕が、帝都の一角を崩す。

 ガラガラと崩れ落ちた建造物の瓦礫は蠢き、真刃の『巨体』を覆った。

 真刃の欠けた『巨体』は補われて、さらに巨大化する。

 数瞬の間も空けず、再び振るわれる巨腕。それが街並みを薙ぎ払う。鉄道が吹き飛び、弾かれた無数の瓦礫は豪雨のごとく散乱した。


 絶叫が聞こえた。軍属になって早三年。上官との親睦会というお題目で、この帝都にまで自分を誘い込み、罠に陥れ、奇襲を仕掛けてきた引導師どもの悲鳴だ。

 罠も奇襲も、真刃にとっては陳腐なモノだった。

 部屋に誘い込んで拳銃による一斉射撃。

 喰らったところでどうということはない。

 自分の呪われた体は、奴らが思うほどに脆くはないからだ。

 しかし、にとっては違う。


 ――ドンッ!


「下がれ! 大門!」


 咄嗟に友は室外に突き出したが、先に部屋に入っていた彼女の方は間に合わない。

 引き金は、すでに引かれていた。


(くそ!)


 懐に手を入れ、を使う。宙空で弾丸の群れが止まった。

 それどころか、すべての動きが凍結していた。

 緊急時の切り札。けれど、これはほんの一瞬しか持たない。


「――紫子!」


 駆ける。

 呆然とした表情の彼女を、せめて強く抱きしめた。

 全身を以て、彼女を庇った。

 自分を「人」と呼んでくれた大切な少女を。

 従霊たちも、主と少女の盾となるべく即座に顕現しようとする。

 だが、出来たのはそこまでだった。

 顕現するには時間が足りず、襲い来る弾丸は、あまりにも多すぎて――。


 ――ズズゥゥン……。

 大樹の根のように、溶岩流を全身に這わせた灼岩の巨獣は進む。

 無数の瓦礫――帝都そのものを依代にして生まれた、二足歩行の怪物。

 その姿は、あえて似ているものを挙げるとすれば羆だろうか。

 雄牛のような角を持つ巨熊である。

 両腕が地につきそうなほどに長く、肩回りと上半身が異様に大きい。背中一面と、肩から二の腕にかけては、燃え盛る無数の巨刃が乱立していた。爪状に割れた胸部内には大きな空洞があり、そこからは溶岩の海が見えている。まるで火口のようである。

 全身から生える、無数の黒い鎖の残骸を引きずりながら、灼岩の怪物は、大きくひしゃげた足で炎上する帝都を闊歩していた。


 ――ズズゥゥン……。

 歩く度に、大地が揺れる。

 その巨躯が放つ威容は、まさに、荒ぶる活火山そのものだった。

 万にも至る、すべての従霊を集結させた真刃の切り札。130万もの魂力の塊。


 ――《千怪万妖センカイバンヨウ骸鬼ガイキノ王》。


 後世まで、恐れ伝えられることになる、化け物の王の姿である。


『グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――ッ!』


 天を見上げて、灼岩の怪物は咆哮を上げた。

 それだけで大気は震え、建造物は崩れ落ちる。


「くそッ! 人擬きめ!」「化け物が!」「おのれ!」


 周囲から罵倒が響く。屋根の上を飛び交う者たち。全員が引導師だ。


「《制約》さえもはねのけるのか! 化け物だとは思っていたが、これほどだったとは!」


 引導師の一人が弓を引き、無数の光の矢を放つ。しかし、巨大な火山に向かって矢を放つなど、無駄な行為だ。灼岩の怪物は、攻撃など意にも介さなかった。

 代わりに、その引導師に顔を近付けた。


『……ナゼ、コロシタ……』


 巨大なアギトが動く。引導師は「ひいっ!」と顔を引きつらせた。


『……オレヲ、オソレルノナラ、ソレデイイ』


 ガギィン、とアギトを閉じる。

 意志なき灼岩の塊でありながら、そこには紛う事なき憎悪が宿っていた。


『ダガ、オレニ、テヲサシノベタダケノ、ムスメヲ、ナゼ……』


 そう言って、巨獣はゆっくりと両腕を広げた。

 同時に、胸部内の溶岩の海が鳴動し、赤い光が溢れ出す。

 それは、まるで大噴火の予兆のようで……。


「ヒ、ヒイイイイイイッ! た、助け――」


 引導師の悲鳴がかき消える。直後、凄まじい轟音が鳴り響いたからだ。

 巨獣の前面にて、大爆発が起きたのである。

 引導師は、恐怖で目を見開いたまま、爆炎に呑み込まれた。

 生み出された爆炎はさらに大爆発を続け、直線状に帝都を蹂躙する。そして、天にも届きそうな火線を吹き上げて大地を灼いた。

 多くの引導師が巻き込まれ、断末魔を上げることもなく散った。


『グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――ッッ!』


 ――ズズゥン、ズズゥゥン……。

 煉獄が如き世界で、怪物は慟哭にも似た咆哮を上げて進む。

 そんな中、一人だけ怪物に寄り添う者がいた。


「――真刃!」


 黒煙と炎でボロボロになりながらも、ずっと叫び続けている友だ。

 いつしか青年は、滂沱の涙で顔を濡らしていた。


「もう止めてくれ! こんなことは紫子も望んでいない!」


『……ハナレテイロ』


 歩みを止めずに、そう告げる。

 灼岩の怪物は、再び大爆炎を放とうとする――が、その時だった。


『…………』


 不意に、怪物の動きが止まった。


「し、真刃……?」


 軍服の青年が、ホッとするように息をつく。が、すぐに青ざめた。

 巨大な怪物が見据える先にいる人物に気付いたからだ。


「お、お嬢さま……」


 腰まで伸ばした、流れるような黒い髪。

 綺麗に切り揃えられた前髪の下には、絶世としか称せないほどの美貌。

 齢は十七、八か。唇に紅を引く、緋袴姿の女学生。

 彼女は、柄が異様に長い、真紅の刀身の剣を携えていた。

 岩から削り出して造ったような歪な刃が、炎の中で強い輝きを放つ。


「それは、まさか、神刀 《火之迦具土ひのかぐつち》……? お嬢さま!? 一体何を!?」


「……離れていなさい」


 奇しくも、彼女は怪物と同じ言葉を告げた。

 そして自分の手の平を真紅の刃で切り裂く。滴る鮮血。それが切っ先まで伝った時、膨大な炎が刀身から溢れ出し、彼女の身体を覆う。


「お、お嬢さま!?」


 青年が絶句する。炎は、あっさりと彼女が纏う衣服を灼き尽くした。

 誰をも魅了する美しき肢体が露わになるが、炎は彼女の身体は灼かない。

 それどころか、天衣のように彼女の裸体を覆うではないか。

 そして、最後には彼女の黒髪を真紅の色へと変えた。


「……お嬢さま……」


 神々しさまで宿す主家の姫君の姿に、青年はしばし魅入ってしまった。

 ――と。


 ――ズズゥゥンッ!

 突如、地響きが鳴った。怪物が、大地に拳を突き立てたからだ。

 天にも届く灼岩の怪物は、炎の少女を見下ろした。

 対峙する巨大な化け物と、美しき炎の巫女。

 業火に焼かれる帝都に、沈黙が降りた。

 そして――。


「……真刃」


 炎を纏う彼女は、彼の名前を呼んだ。

 一滴の、涙を零して。


「さようなら。私の大好きな――愛しい人」

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