第16話 骸鬼王の館②
――骸鬼王の館。
それは、都心から遠く離れた山奥にあった。
森の中の寂れた公道を、バイクで走ること二時間。申し訳ない程度に整地された山奥へと続く横道に入り、さらに三十分。ようやく真刃とエルナはその館に辿り着いた。
「……ここが骸鬼王の館」
真刃にバイクから降ろして貰いながら、セーラー服姿のエルナが呟く。
その館は洋館だった。
建築時期は昭和初期。その年数に相応しい寂れた建造物だ。
四階まである壁には亀裂が走り、蔓がびっしりと張り付いている。窓ガラスもほとんどが割れていた。バイクを停めたこの場所も元は庭園だったが、当然ながら剪定などされておらず、時の流れに埋もれた廃墟のような様相となっていた。
月光を背にするその館は、異様な雰囲気を放っている。
エルナは、静かに喉を鳴らした。
「大正時代に帝都を襲撃した、万にも至る我霊の集合体。《
「……………」
少女の独白に、真刃は沈黙しつつ耳を傾けていた。
「欠片である十数体の我霊は逃亡に成功した。そのほとんどは、当時の引導師たちの手によって討伐されたけど、一体だけ十数年に渡って逃げ延びて、この館に牙城を築いた。そして今もなお存在し続けている。骸鬼王の眷属。嘘くさい伝承だけど……」
――
ここに棲むという我霊は、かつてないほどの強敵ということだ。
エルナは無意識に、今日も身に纏う龍のジャンパーの袖を握った。
否応なしに背中に寒いものを感じる。
何より、エルナは古い館にトラウマに近い記憶があった。
「吞まれるな。エルナ」
その時、黒いスーツ姿の真刃が、ポンと彼女の頭の上に手を乗せた。
「最初から臆しては、実力は発揮できんぞ」
「……は、はい」
エルナは、師の顔を見上げた。
「そうですよね。じゃあ、先に敵の規模を少し調べてみますね」
言って、エルナは柏手を打った。使う術は探査系。彼女の開いた掌を中心に周辺の映像が造られるが、そこには何も変化がなかった。
「あれ?
「……流石にそれは無理だと思うぞ。エルナ」
真刃は、苦笑した。
「基礎的な探査術はこの場では意味がない。ここは我霊の縄張りの目の前だ。危険度B以上の我霊の縄張りは濃度がまるで違うからな」
「……濃度ですか?」
「ああ」真刃は頷く。「上級我霊は濃霧のように低級我霊や人を惑わせ、誘い込むような気配を持っている。一種の結界領域だ。それは下位の術を阻害する効果もある」
「そ、そうなんですか?」エルナは驚いた顔をした。真刃は「うむ」と頷いた。
「領域内では物質転送も無理だと思った方がいいな。加え、今回のような危険度Aならば独自の異能さえ持っている可能性もある。よいか、エルナ。ここから先は本当に気を引き締めよ。能力以上に、年月を経た我霊は狡猾だ。知性だけはかなり人に戻りつつあるからな」
と、真刃が、エルナに忠告した時だった。
『……人より狡猾なものはおらぬ』
ズシン、と足音を立てて口を開く者がいた。
バイクに憑依し、黒鉄の虎と化した猿忌の声である。
『そうとも聞こえるぞ。主よ』
「……己はもう、そこまで捻くれてはおらん」
真刃は苦笑を零しつつ、エルナの頭を撫でた。
「少なくとも人は狡猾なだけではない。今はそれを理解している」
「……お師さま?」
エルナは、小首を傾げた。
しかし、真刃はただ優しい眼差しで、彼女の頭を撫でるだけで何も答えない。
「お、お師さま! それよりも!」
流石に気恥ずかしくなってきてエルナは叫んだ。
「今回の件ですけど、一つだけ確認しておきたいんです」
「……? なんだ?」
エルナは、神妙な眼差しで真刃の顔を見上げた。
「その、今回の件で勝利すれば、かなたも隷者にするって話ですけど……」
「ああ、それか。すまんな。お前には説明を――」
「い、いえ、それはいいんです!」
真刃の言葉を、エルナは手を突き出して遮った。
「兄もそうですが、一流の引導師が何人もの異性の隷者を持つのはもはや必然です。賛否両論もあるけど、確実に強くなるのは事実ですから。私もそのことは覚悟しています」
「いや、待てエルナ」真刃は困惑した表情を見せた。「お前、明らかに勘違いを――」
「――でも!」
エルナは、再び真刃の台詞を両断した。
「さ、最初はっ!」
そして耳まで赤く染めて、彼女は真刃に詰め寄った。
「二人同時と言っても、最初は、その、私からですよね? 最初に隷者にしてもらえるのは私ですよね? だって、私の方がずっと付き合いが長いし、弟子なんだし!」
今にも泣き出しそうな顔で、エルナはそんなことを言い出す。
「……いや、エルナよ」
真刃は疲れ切った表情で、自分の額に手を当てた。
「その、な。お前とは一度話を――」
『案ずるな。エルナよ』
黒鉄の虎は言う。
『お主は隷者どころではない。誉れ高き第一の妻。妃たちを統べる長――壱妃候補なのだ。主がお主を無下にすることはないぞ』
「ホ、ホント?」エルナがわずかに瞳を輝かせる。虎は頷いた。
『無論だ。しかし、すまぬな。決戦開始まで後四十分。今宵は自動車に憑依すべきであった。さすれば、事に及ぶ場所を提供できたものの。お主の不安も事前に払拭できたのにな』
猿忌の台詞に、エルナは「え?」とキョトンする。
が、すぐに顔を真っ赤にした。
「え? ええッ!? 今ここで!?」
「……おい、猿忌」
一方、真刃は従者を睨み付けた。
「貴様、外堀を埋めるどころか、天守閣を直接撃ち抜くような台詞を……」
『いい加減、据え膳を喰え。我も金羊と同意見だ。壱妃をいつまでも待たせるでない』
「……お前たちは」
真刃が渋面を浮かべていると、クイクイとスーツの裾を引っ張られた。
頬を紅潮させたエルナの顔が、そこにあった。
「お、お師さま……ううん、真刃さん」
瞬間、トクンと心が跳ねた。
(……え?)
エルナは一瞬戸惑うが、すぐにどこか覚悟した瞳で告げる。
「だ、大丈夫です」すっと自分のスマホを真刃に見せる。
「そ、その、《
言って、震える手で繁みを指差した。
一拍の間。
「正気に返らんか! エルナ!」
流石に真刃も、パシンッとエルナの頭を軽くはたいた。
「はうっ」と頭を両手で押さえたエルナは、上目遣いをする。
何とも愛らしい仕草だが、ここは大人としてエルナを叱った。
「まったく。お前は何を考えておるのだ!」
「そ、そうですよね。車内とあそこじゃあ、全然違いますもんね」
「……論点がずれておる。そうではない」
真刃は、額に手を当てて嘆息した。
「その件は後だ。それより重要な説明をする。かなたについてだ」
「……? かなたについてですか?」
エルナは首を傾げた。真刃は「……うむ」と頷く。
そして弟子に伝える。現状、かなたが晒されている危険性を。
エルナは、愕然とした。
「……それは、本当なんですか?」
「ああ。だが、今さらゴーシュ=フォスターや大門に中断の連絡を取るのも難しいだろう。そもそもゴーシュの方は己の話など一切信じず、呆れた顔をしそうだ」
「……そうですね」エルナは微苦笑を浮かべた。「確かに、兄の性格からして『何だそれは?』と鼻で笑いそうです」
「何よりこれが《魂結びの儀》である以上、互いに引けんしな。すまん。エルナよ」
真刃は、エルナの横髪にそっと触れた。
「お、お師さま?」
エルナは、少し緊張した様子を見せた。
真刃は瞳を細める。いささか暴走気味なところもあるが、彼女はこの時代で最初に出会った大切な存在だ。真刃にとっては、最も守るべき少女だった。
しかし――。
「本当にすまない。今回の《魂結びの儀》はお前の自由もかかっておる。己としては本来ならお前を最優先にしたい。だが、緊急度では、かなたの方が遙かに上なのだ。ゆえに……」
そこで押し黙る。すると、エルナは紫色の瞳を閉じた。
「……分かっています」
そして彼女は自分の髪に触れる真刃の手を、そっと両手で包み込んだ。
「今回はかなたにお師さまを譲ります。私のことは気にしないで。あの子を最優先にしてあげてください。けど……」
エルナは、穏やかに微笑んだ。
「この件が終わった後。初めての夜は私からですからね。そこだけは絶対に譲りません」
「いや、そこはどうか正気に返ってくれんか? はぁ……」
真刃は深い溜息をついた。
『もはや覚悟を決め切れていないのは、主だけのようだな』
猿忌がくつくつと笑う。が、すぐに真剣な声色で。
『主はかなたの保護に専念せよ。主に代わり、エルナは我が守り抜いてみせよう』
「ああ、頼むぞ。猿忌よ。エルナを必ず守り通してくれ。そして――」
真刃は、夜空を見上げた。
「……空気が変わったな。思いの外、奴も早く到着したようだ」
巨大な骸鬼王の館の裏口。その方向から強い存在感が伝わってくる。
ゴーシュ=フォスターと、杜ノ宮かなたが到着したのだろう。
この決闘。真刃たちは正門から。ゴーシュたちは裏門からスタートする。
そして、どちらの組が先に核となる我霊を討伐するかで決着する。
時刻は二十二時二十二分。スタートまで、すでに四十分を切っていた。
(……さて)
微かな自嘲を込めて、真刃は双眸を細める。
(人擬きの人助け、か。皮肉なものだ。だが、エルナさえも差し置く以上、あの娘は絶対に助けんといかんな)
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