第17話 骸鬼王の館③
――午後、二十三時。
腕時計に目をやりつつ、ゴーシュは呟く。
「では、そろそろ行くか」
言って、自身の白いスーツの襟元を正した。
隣に立つセーラー服姿のかなたは「了解しました」と答えた。
ゴーシュは洋館の裏口の前に立つ。そして、おもむろに扉を蹴破った。
扉の蝶番は、ゴーシュの一撃に耐えきれず吹き飛び、壁にぶち当たった。
「脆い扉だな」
これでは館内で暴れた時、大丈夫なのかと思う。
(だが、それはそれで構わないか)
館が壊れたところで自分に害はない。いざとなれば瓦礫の中からでも生還する自信はある。その程度の修羅場なら数え切れないほどにくぐってきた。
「さっさと終わらせるか」
ゴーシュは壊れた扉をくぐり、館内に入った。
かなたもその後に続く。
「……ふむ」
見た目通りの洋館。そこは長い渡り廊下だった。
窓から差し込む月明かりで照らされた、不気味な廊下だ。
だが、そんなものは、ゴーシュにとって恐れるものではなかった。
力強い一歩を踏み出した――その瞬間だった。
「――なに!?」
大きく目を瞠る。いきなり廊下が消えたのだ。
壁だけ残して消失した床。底がまるで見えない。奈落の深さだ。
無論、廊下に立っていたゴーシュとかなたは足場を失った。
(――チイィ)
浮遊感を覚えた一瞬に、ゴーシュは思考する。
このまま落ちたとしても、自分に限っては特に問題はない。戦闘装束を纏えば尚更だ。
ここで問題なのは、かなたの方だ。仮にこの奈落の深さが十メートル以上あるとすれば、あの娘は助からないだろう。
(ここで『贈呈品』を失うのはまずいな)
ゴーシュは、かなたの身柄の確保を最優先にした。
咄嗟にチョーカーの呪いを発動。かなたが纏うセーラー服の肩の部位が解れて糸と成り、天井に少女を縫い付ける。ガクン、と吊られるようにかなたの落下を防いだ。
「いいか、かなた」ゴーシュは命じる。「生き延びろ。死ぬことは許さんからな」
両腕を組んだまま、一人落下していくゴーシュ。
「はい。ご当主さま」
一方、こんな状況であっても、かなたは表情を変えない。感情のない機械のような声で「承知致しました」と答える。ゴーシュは瞬く間に奈落の底へと消えていった。
かなたは、しばし壁に縫い付けられたままだったが、不意に床に現れ、彼女は廊下に降りた。
今度は消えるようなことはない。一度限りのトラップのようだ。
「………」
かなたは、無言のまま背後に目をやった。
そして、わずかに目を細める。
裏口はなかった。いつの間にか壁に変わっている。割れている窓にも手を向けた。しかし、どうやらそこには不可視の結界があるようで、外に手を出すことが出来ない。
かなたは、太股に巻き付けているハサミを抜いた。
空間に刃を入れてみると、手応えは感じるが、再び手を向けても結果は変わらない。
切り裂くと同時に、結界が復元しているようだ。
「……閉じ込められた」
ポツリ、と呟く。生存を最優先に命じられた今、あえて外で待機する案も考えていたが、そうは甘くないようだ。
「仕方がない」
かなたは、ハサミを一瞬で巨大化させた。形状をそのままに、一メートル半ほどのサイズにする。質量の増減。身体強化同様に、これも《
「ご当主さまと合流することを優先して、先に進もう」
言って、巨大なハサミを片手に廊下を歩き出す。
彼女にとって、運命とも呼べるその道を――。
◆
トラップが発動したのは、真刃たちの方も同じだった。
正門をくぐり、最初に訪れたエントランスホール。
左右に分かれた階段の中央にある巨大な絵画に目をやった瞬間、床が消失したのだ。
(事象操作の異能だと!)
真刃は息を吞むが、同時に指示も出す。
「猿忌! エルナを!」
『御意!』
猿忌は、瞬時に応えた。鋼の尾を二つに分けて伸ばすと、唖然としているエルナを捉え、もう片方で天井を打ち抜いた。虎の巨体は大きく揺れて宙空に止まった。
「お師さま!」
エルナが手を伸ばす。しかし、真刃の落下は止まらない。
「猿忌よ! エルナを守れ!」
ただ、それだけを再度命じて落下し続ける。
瞬く間に、エルナたちの姿は遠ざかっていた。
(やられたな)
落下する感覚だけがある暗闇の中で、真刃は嘆息した。
(事象操作だと? 危険度Aに出来る芸当ではないぞ)
縄張りにした場所を自在に作り替えて操る異能。数ある異能の中でも時間操作に次ぐ最強クラスの異能だ。当然、それを操る我霊も最強クラスとなる。
(情報に過ちがあったか? 何にせよ)
――ズズンッ!
真刃は、両足で地面に降り立った。
何十メートルにも至る落下の衝撃で地面に亀裂が走るが、真刃自身は平然としていた。
「……ふむ。靴がもたんと思ったが」
見たところ、黒い革靴も無事のようだ。
「衣服も随分と進化したものだ。貴様らと違ってな」
闇の中でも見通せる瞳で、周囲を見やる。
「グルルルル……」「ぐ、がああ……」「ウァアアァアアァ」
獣の声が幾つも上がる。
そこには何十体もの屍がいた。我霊に取り憑かれた生者の成れの果てだ。
眼球がこぼれ落ちた者。肉が欠け、骨が欠けた者。別の屍の腐肉を喰らう者。
衣服も性別も様々な屍どもが、真刃に注目していた。
「ここは貴様らの餌場か」
真刃は、スーツの胸ポケットから、ある物を取り出した。
それは微細な細工が施された、銀色のペーパーナイフだった。
「起きておるか?
『もちろんですわ。真刃さま』
ペーパーナイフが女性の声で応える。猿忌、金羊の同胞。第三の従霊・刃鳥だ。
「あまりこやつらに時間をかけたくない。一気に叩くぞ」
『承知致しましたわ』
そう言うなり、ペーパーナイフは躍動した。
刹那の内に質量を増加、銀色に輝く翼が象られる。
数秒後、真刃の前に佇むのは、全身が刃で構成された白銀色の孔雀だった。
刃の孔雀は、我霊どもに向かって翼を広げた。
「さて」
真刃は、屍どもに目をやった。
そして皮肉気な笑みを見せて告げる。
「悪いが、この餌場は本日をもって終了とさせてもらうぞ」
同時刻。
「……ふん」
ゴキン、と首を鳴らしてゴーシュは笑った。
周囲には無数の屍。死臭を漂わせる低級我霊どもだ。
「怪物にもなれなかった
言って、全身に力に込める。
途端、ゴーシュの白いスーツが軋みを上げて膨張する。
数秒も経たずにして、ゴーシュは筋骨隆々の白い超人と化していた。
白いスーツを戦闘用に編み直したのである。簡潔に言えば、頭部には銀色に輝く鏡のような無貌の仮面。全身には黄金の紋様が入った白のレザースーツを纏っているのである。
これこそが、ゴーシュの戦闘装束であった。
「では行くぞ!」
白い超人が地を蹴った。
同時に、別の奈落では無数の刃が飛び交った。
――かくして。
銀髪の少女の自由と。
黒髪の少女の、文字通りの命運を賭けた、骸鬼王の館攻略戦。
その幕が、切って落とされたのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます