第324話 ブライド・ハント⑨

「…………」


 一方、エリーゼは沈黙していた。

 その眼差しは桜華を見据えているが、心はここにあらずといった様子だった。


「……お姉さま?」


 不敬と思いつつも、触舌の上に立つルビィが眉をひそめた。

 声をかけられて、エリーゼは嘆息した。

 自分の頬に触れる。

 そこには刀傷があった。

 あの女が隣のビルに退避する途中で反撃を受けたのだ。

 凄まじい速度で伸びた光刃が、触舌のドームも貫いてエリーゼの頬を斬り裂いたのである。

 恐るべき貫通力だった。

 もう少しずれていたら、額を貫かれていたかもしれない。


(百年前のあの女には出来なかった芸当だわ)


 双眸を細める。


(込められている魂力が桁違いのようね)


 ――手強い。

 改めてそう感じる。

 とは言え、負けるとは思わない。

 真の姿を解放し、ルビィのことを気に掛けずに戦えば勝てるだろう。

 だが、問題はそこではない。


(……あの女が生きている。なら……)


 あの女の夫も、健在の可能性がある。

 いや、その証拠ともいうべき存在を、エリーゼはドーンワールドで目撃していた。

 信じ難いことだが、恐らくあの男も存命しているのだ。

 お館さまが、唯一、警戒したあの引導師が――。

 奇しくも、エリーゼは桜華と同じことを考えていた。

 懸念すべきはこの戦いの勝敗ではない、と。


「……………」


 エリーゼは思案する。

 そして、


「……ルビィ」


 傍らの愛妾に告げる。


「あの力は使えるかしら?」


「あ、あの力ですか……」


 ルビィは胸元をギュッと掴んだ。


「五秒……いえ、八秒ならば使ってみせます!」


「……そう」


 エリーゼは微笑んだ。

 同時に、触舌のドームの中から人間大の人形が浮き出てきた。


「ならお願いするわ。ルビィ」


「はい! お任せください! お姉さま!」


 ルビィは瞳を輝かせてそう返した。

 そうして――。



       ◆



「……来るぞ。少年」


 桜華が言う。

 隣のビルで鎮座していた巨大な触舌のドームが鳴動し始めたのだ。


「……く」


 蒼火は身構えた。

 桜華の光の刃も輝きを増す。と、

 ――ゴオオッッ!

 唸りを上げて触舌の濁流が襲い来る!

 桜華と蒼火は、それぞれ別のビルへと跳躍した。

 触舌の濁流は軌道を変える。狙いは当然ながら桜華の方だった。

 蒼火はせめて援護しようと、手を触舌の濁流に向けた時だった。


「――――な」


 蒼火は目を疑った。

 触舌の濁流の中に巨大な獣の頭が潜んでいたのだ。

 天を突く二本の角に灼岩で造られた頭部――。


「――火焔山の王ッ!」


 それは、蒼火が探し続けた王の姿だった。

 ――何故ここに?

 そう考える前に違和感を覚える。

 どうにも、あの日抱いた畏怖をあの巨獣からは感じない。

 そもそも、何故、頭部だけが触舌の中から浮き出ているのか――。


「ッ! そうか! あの女!」


 そこで気付く。


「王の姿を写し取ったのか!」


 あの女――ルビィの術式は《彼岸幻影オーバービジョン》。

 人形を依り代にして、敵が抱く最強者のイメージを具現化する系譜術である。

 すなわち、あの巨獣は、あの日の蒼火のイメージから写し取った姿なのだ。


 ――ギリ、と。

 蒼火は歯を軋ませた。

 凄まじい怒りが全身を奔り抜ける。


「――よくも王の御姿を!」


 両手に炎を。両足に風を纏って飛翔する。

 あの女に一撃を喰らわせなければ気が済まなかった。

 だが、それよりも早くエリーゼたちは動く。

 触舌の中から巨獣が完全に顔を出して、桜華に向けてアギトを開いたのだ。

 想定外の存在の登場に、流石の桜華も目を瞠る。

 そして――。

 ――ゴウッッ!

 巨獣のアギトから赫光が放たれた!

 それは桜華を呑み込んだ。少なくとも蒼火にはそう見えた。

 赫光はその勢いのまま隣のビルへと直撃した。


「――くそッ!」


 蒼火は炎を纏う拳を、紛い物の巨獣に叩きつけようとする――が、


「なにッ!」


 ぐらり、と。

 巨獣の姿が歪んで消えた。

 唖然として見ていると、巨獣の代わりに赤い女が現れた。

 ルビィである。彼女は大きく息を乱しており、その傍らには、ボロボロになった人形が崩れ落ちていた。あまりにも強大すぎる相手の模倣に術式が耐え切れなかったのだろう。


(せめてこの女を討つ!)


 蒼火は風のブースターで加速しようとするが、それは触舌の壁で邪魔された。

 彼の実力では触舌を突破するのは不可能だ。

 視界を覆い尽くす触舌に、やむを得ず後方に退避する。

 が、触舌の壁が崩れた後、蒼火は目を剥いた。

 そこにはルビィの姿も、《屍山喰らいデスイーター》の姿もなかったのだ。


「どこかに隠れた? いや、まさか逃げたのか?」


 蒼火は困惑する。

 しかし、風を使っても気配の察知は出来ない。

 少なくとも、周辺にはすでにいないはずだ。


「……何故だ? この追撃のチャンスに……」


 と呟くが、すぐにハッとする。

 それよりも、今は赫光の直撃を受けた女性の方だ。

 重傷……それどころか死亡していることも考えられる。

 蒼火は彼女の元へと飛翔した。

 赫光はビルにも巨大なダメージを与えていた。

 直撃した階層から上層を、すべて吹き飛ばしていたのだ。

 白煙がビルの上階を覆っていた。


 ……これでは流石に生きてはいない。

 蒼火が、歯を軋ませた時だった。


「……よもやの攻撃だったな」


 そんな声が聞こえた。

 ギョッとして風で白煙を払うと、熔解した瓦礫の惨状となったビルの上層部に、光剣を携えたレギンス姿の女性がいた。

 蒼火は思わず目を見開いた。


「……馬鹿な……今のでなんで生きていられるんだ?」


「咄嗟に白の位……光の剣の斬撃で結界を築いてな」


 と、彼女は苦笑を浮かべて答える。


「流石にあれには驚いたがな」


 そう言って、彼女は自身の姿に目をやった。今の一撃で服が一部損傷していた。右大腿部と左脇腹辺りがストッキングの伝線のように焼け落ちて、白い肌を晒していた。


「やってくれる。まさか、あそこであいつ・・・の偽物をぶつけてくるとはな」


 そう呟く彼女に、


「……なに?」


 蒼火が眉をひそめた。

 風を操って、彼女の傍に降り立つ。


「……貴女は」


 蒼火は女性に問う。


「先程のあの巨獣が何なのか知っているのか?」


「……ふむ」


 緊張を隠せない様子の蒼火に対し、彼女は苦笑を浮かべた。


「ああ。知っている。あれは『私』のの力を模したモノだ」


 蒼火は目を見開いた。


「なん、だと……? 夫だと?」


 呆然とそう反芻すると、「ああ」と彼女は平然と頷いた。


「『私』の夫だ。まあ、再現したのは頭部のみ。見かけだけのお粗末な贋作だったがな」


 とは言え、そのせいで反応が遅れてしまった。

 反省するようにそう呟く。

 蒼火は情報の多さに言葉を失っていた。

 一方、彼女――桜華は、


「……《屍山喰しざんぐらい》め」


 天を見上げて、眉をしかめていた。


「逃げたか。いや、餓者髑髏の身を案じて戻ったのだな」


 戦闘を放棄してでも夫の元に駆けつける。

 初めて相対したあの夜と全く同じことをした訳だ。


「『私』の存在から、あいつもまた健在なのではないかと考えたということか」


 思考が似ているような気がするのは業腹だった。


「い、いや、待ってくれ。貴女は……」


 と、ようやく再起動した蒼火が声を掛けようとした時だった。

 突如、眩い光が視界の端に映り込んだのは。

 桜華と蒼火はそちらの方に目をやった。

 遥か遠方。微かに見える水平線からその光は発せられていた。

 徐々に力強くなる光だった。


「……日の出? こんな時間に? いや、ここは結界領域内のはずでは――」


 と、呟きながら蒼火は気付く。

 その光源の正体に。

 それは、あまりにも巨大すぎる噴火を彷彿させるような火柱だった。

 そのサイズは、大型ビルさえも凌ぐ。

 蒼火は、魂力で視力を限界まで強化した。


 そして――それを目撃した。


「……おお……」


 刮目する。

 巨大すぎる火柱。その中から魔神が現れ出たのだ。

 天を突く二本角に、巨熊を彷彿させる貌。

 全身を構成するのは灼岩と溶岩流。背中一面と、肩から二の腕にかけては、燃え盛る無数の巨刃が乱立していた。その胸部は爪状に割れており、まるで火口のようである。

 そして全身から生えるのは虚空へと伸びる無数の黒い鎖だ。


 ――火焔山の王である。


 だが、驚くべきはその巨大さだった。

 ドーンタワーで目撃した時の比ではない。

 あの時の二倍以上はある。

 恐らくは八十メートルを超えているのではないか。

 これほどの距離があるというのに、ここまで届きそうな威圧である。

 蒼火は、気付かないままに両膝をついていた。


「あれが本物。『私』の夫だ」


 桜華が言う。

 蒼火は、ハッとした表情で彼女の横顔を見つめた。

 息を呑むほどの美貌は、今は微笑を湛えていた。

 それは歓喜か、緊張か。

 とても不思議な微笑みだった。


「……ふむ」


 不意に彼女は双眸を細めた。


「先を越されていたのか。ワンの奴め。相変わらず行動が早いな」


 そう呟く。

 蒼火は眉をひそめつつ、再び火焔山の王の方へと視線を移すと、


「……あれは」


 そこにはもう一体、巨大な怪物がいた。

 全高は四十メートルほどか。

 簡潔に言い表すのならば、赤い棍を持つ、六本腕の黄金の猿だ。

 赤い冠に胴当て。真紅の手甲。

 棍という武器も含めて、その姿はとある著名な存在を彷彿させた。


 天にも斉しいと名乗る魔猿である。

 蒼火は、唖然とした表情で女性の方に目をやった。

 ならば、火焔山の王の妻を名乗る彼女は『羅刹女らせつにょ』なのだろうか?


 芭蕉ばしょうせんと、絶世の美貌を持つ鬼女。

 伝え聞くその物語にたがわぬ美しさであるとは思うが……。


 と、そんな馬鹿げたことを考えていたら、


「さて」


 桜華が口を開いた。


「どうやら直近の危機は去ったようだな。そして、これも良い機会だ。約束よりも二日ほど早いが、『私』も主人の元へ行くことにしよう」


 そんなことを告げた。


「――お待ちください!」


 蒼火は両の拳をついて頭を垂れる。


「俺……いえ。私もお供してもよろしいでしょうか?」


「……供?」


 桜華は、蒼火に視線を移して眉をひそめた。


「どういうことだ? どうしてついてくることを望む?」


「……私の名は扇蒼火と申します。私は」


 一拍おいて、


「かつて一度、貴女のご主人とお会いしたことがございます。その時はあの御姿にただただ畏怖を抱くだけでしたが、こうして再び御姿を拝見し、確信いたしました」


 蒼火は自分の意志を伝える。


「私はあの御方に仕えるためにあの御方を探していたのだと。伏して願いまする。奥方さま。何卒、あの御方にお仕えする機会をわたくしめにお与えください」


「…………」


 桜華は少し困った顔をしつつ沈黙した。

 ややあって、


「あいつはそういったことは嫌うと思うが……」


 と、前置きをして、


「それを決めるのは『私』ではないな。ついてくるのは自由だ」


「――は。ありがとうございます」


 蒼火は深々と頭を下げた。

 それから顔を上げて、


「奥方さま。不敬ながらで申し訳ありません。あの御方と、奥方さまの御名をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


「中々に仰々しい少年だな。だが、まァいいだろう」


 苦笑しながらも、桜華は答える。


「あいつの名は久遠真刃だ」


「……なん、ですと?」


 蒼火は少し驚いた顔をした。

 なにせ、知っている名前だったからだ。


「そして『私』の名は久遠桜華という。だが、ついてくるのも大変だぞ」


 そう告げてから、桜華は少し意地悪く笑った。

 そして、


「なにせ、『私』たちはこれから少々派手な決闘をすることになるのだからな」


 そう言った。









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