第八章 想いの寄る辺

第325話 想いの寄る辺①

『……キリがねえな』


 その時、怪物が呟いた。

 黒い鱗を濡らした巨大なる蛇である。頭部から尾まで八メートルほど。胴の幅は、ニメートルはある。そのアギトの中からは、舌の代わりに巨大な蟷螂が姿を覗かせていた。

 先程呟いたのはその蟷螂の方だった。

 ――ビアン模擬象徴デミ・シンボルである。

 なお、蛇の頭部の首には蘭花ランファが跨いでいた。


 想定外に始まった戦闘。

 次々と現れる死人に対し、ビアンたちは《DS》使用で迎え撃った。

 おかげで数の不利はあるが、優勢に戦えていた。

 しかし、強力ではあるが《DS》の効果には時間制限がある。模擬象徴デミ・シンボルを維持できるのも十五分程度までだ。連続投与は時間制限が劇的に厳しくなるので使用できない。

 そのため、全員の模擬象徴デミ・シンボルの顕現は避けて、ビアンたちは交代で十分間のインターバルを置きつつ模擬象徴デミ・シンボルを発現させていた。


 とは言え、それにも限界がある。

 このまま持久戦になれば、いずれ戦況も崩れることになるだろう。


『……やっぱ大本を叩くしかねえか』


 無数の水弾で接近してきた死人を弾き飛ばして蟷螂が呟く。


「けど、ビアン


 すると、蛇のアギトの上から逆さに蘭花ランファが覗き込んできた。


「一体どこにいんのよ。《死門デモンゲート》の奴は」


『……………』


 ビアンは答えられない。

 元々この部隊は月子を攫うための強襲メンバーだ。

 そのため、探査系の引導師はいなかった。

 ――いや、仮にいたとしても、街一つの規模にも至るこの広大な結界領域の中から、潜伏している敵を見つけ出すのは至難の業だった。


(一度撤退するしかねえか……)


 そう考えた時だった。


「――ビアンさんッ!」


 仲間の一人が声を張り上げた。

 早くも戦況が崩れたかと緊張と共に振り返る蛇だったが、


「様子がおかしいです! あれを!」


 仲間は指差した。その先にいるのは死人の一体だ。

 何故か、動きを止めて胸元を押さえている。

 数秒後、その胸元から蒼い鬼火が浮き上がってきた。

 それは、ゆっくりと空へ向かって浮かび上がっていく。

 しかも一つだけではない。

 すべての死人で同じ現象が起きていた。

 鬼火が浮き出て次々と天へと昇っていく。多くはそのまま天上へと消えていったが、幾つかは途中で方向を変えてどこかに向かって飛翔しているようだ。

 そして鬼火が抜けた死人は糸が切れたように、その場に倒れ込んだ。

 ピクリとも動かず、起き上がる様子もない。


 仲間の一人が警戒しつつ、倒れた死人の首筋に触れた。

 数秒の沈黙。


「……ビアンさん。完全に死んでいるようだ」


 他の死人も同様だった。


「《死門デモンゲート》の術が解けたってこと? 死体を破棄して撤退した訳じゃないわよね?」


 と、蘭花ランファが呟いた。

 ビアン模擬象徴デミ・シンボルの中で眉をひそめた。


『……確かめてみっか』


 蟷螂がそう呟いた直後、地面から巨大な水柱が噴き出した。

 天へと伸びるそれを伝って、蛇は上空へと昇っていく。


「ちょ、ちょっとビアン!」


 蘭花ランファが動揺するのにも構わず、蛇は二百メートル近い上空まで移動した。

 それから、鬼火たちが向かう先に視線を向けた――。


「…………は?」


 蘭花ランファが目を丸くした。ビアンもまた息を呑んでいる。


「……何よ、あれ……」


 蘭花ランファが呟く。

 無数の鬼火たちが向かう先。そこには巨大な怪物がいたのだ。

 赤く輝く怪物――いや、もはや怪獣である。

 なにせ、数十キロは離れているはずだと言うのに、その存在が視認できるのだ。

 一体どれほどの巨体なのか……。


「まさか、あれが《死門デモンゲート》なの?」


『いや、違うな……』


 蘭花ランファの呟きをビアンが否定する。


『もう一体いる。見覚えねえか?』


「え? あッ!」


 蘭花ランファは目を瞠った。巨獣の存在ばかりに目を奪われていたが、その傍らには、巨獣と対峙するように黄金の魔猿がいたのである。


「あれってまさかワン模擬象徴デミ・シンボル!?」


 それは一度だけ見たことがあるワン模擬象徴デミ・シンボルだった。

 前に見た時は二本腕で、例えるのならば猩々のような姿だったが、それがより精緻に、より洗練されたかのような姿だった。

 しかし、その最大の変化は大きさだろう。

 巨獣よりはかなり小さいが、以前よりも六~七倍は巨大化していた。


『あれがワンの新しい模擬象徴デミ・シンボル――つうよりも、もう一つ上の次元の力だな。呼ぶのなら象徴シンボルって感じか。けどよ……』


 ビアンは喉を鳴らした。

 その視線は、巨獣に向けられている。

 あの巨獣に比べると、魔猿のなんと頼りないことか――。


(……あんなのアリかよ)


 ビアンは畏怖さえ覚えて呟く。


『一体どんな怪物なんだよ。あの野郎は……』



       ◆



『―――キタキタキタキタあッ!』


 その時、不意にリボンが叫んだ。

 刀歌が「うわ!?」と驚いた顔をする。

 が、襲い来る氷弾を両断することは忘れない。


「いきなり大声を上げるな!」


 刀歌は走りながら文句を言う。

 現在、彼女は危機的な状況にあった。

 何故なら、ただ一人、封宮メイズの中に閉じ込められたのである。

 その心象世界は広大な森だった。

 まるでジャングルである。

 圧倒的な数を相手にするのはまだ適した世界だった。

 それでもここが敵地であることには変わらないが。

 刀歌は、森に身を隠しながら各個撃破していた。


 だが、流石に数が違う。

 大樹に背中を預けて刀歌が荒い息で問う。


「それで何が来たんだ?」


『真刃さまの魂力だよ!』


「……主君の?」


 刀歌は眉をひそめた。


「それなら私も受け取っている。ずっと供給してもらって申し訳ないのだが……」


『それなら気にすることはないよ! 真刃さまだって刀歌ちゃんの安全の方がずっと大切だって言うだろうし! それに本当にもう気にする必要がなくなったよ!』


「……どういう意味だ?」


 刀歌が尋ねると、


『ふっふっふ! 真刃さまが、さっき器を顕現させたの!』


 リボン――蝶花が意気揚々に言う。


『ある意味、桜華ちゃんのおかげだね! それとも、桜華ちゃんを気遣って全力で戦って欲しいってお願いしていた刀歌ちゃん自身のファインプレーかな! 器を顕現させた今の真刃さまの魂力はまさに桁違いだよ!』


 ただ気をつけてね!

 と、言葉を続ける。


『刀歌ちゃんやエルナちゃんたちに注がれる魂力には、過剰にならないように真刃さまは上限をかけてるけど、刀歌ちゃんが本気で望んだらそれも解除できるから!』


「む? そうなのか?」


 息を整えながら刀歌は言う。


「だが、私はすでに1200まで供給してもらっているぞ?」


 炎の刃を見やる。その輝きは一向に衰える様子はない。


「こんなに疲労していても魂力だけはまるで消耗していない。上限いっぱいまで主君から借りているおかげだと思うのだが」


『確かにそうだけど、それは通常時の上限だよ! 器を顕現した真刃さまの魂力は全従霊の分まで加算されるの!』


 要するにと入れて、


『今は一割でも13万を超えるからね!』


「――13万!?」


 刀歌は目を剥いた。

 蝶花は、ブンブンとリボンを揺らした。


『だから気をつけてね! そんな量を取り込んだら魂力酔い確実だから! 今は無茶しちゃダメだよ! 刀歌ちゃんたちの魂力の供給限界は、これから少しずつ増やして負担を掛けないように検証していく予定だから!』


 と、蝶花が告げる。刀歌としては目を丸くするばかりだ。


『だから、ここは蝶花ちゃんにお任せ! いま蝶花ちゃんは上限いっぱいまでアホほど魂力を供給されておりますから!』


 ざわざわとリボンが動き出す。


「え? ちょ、蝶花!? 蝶花さん!?」


 刀歌が自分の頭を抱えて動揺した。

 リボンは膨れ上がって質量を増していく。

 周囲の木々はへし折てれて、それはまるで白い津波のようだった。


『――さあ、さあ、さあ!』


 彼女自身が魂力酔い状態なのか、蝶花はテンション高く声を張り上げる。

 そうして、


『参妃の専属従霊を舐めんなよォッ! うちの可愛い刀歌ちゃんを傷物にしようとする輩はどこだあッ! どんと来いやあッ!』


 荒ぶる専属従霊が、封宮を呑み込むのにさほど時間はかからなかった。











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