第326話 想いの寄る辺②

 ――静かなる港湾区。

 そこは、今や火口にも等しかった。

 巻き上がる土砂に、視界を端まで覆うほどの業火。

 大地から噴き出す溶岩流は、周囲を容赦なく呑み込んでいく。

 吹き上げられる無数の火炎弾は万物を打ち砕いた。

 もはや生物が生存できる場所ではない。


 ワンは驚異的な身体能力を以て、その地獄から逃れていた。

 建屋から建屋へと跳躍し、どこまでも広がる火口から距離を取る。

 そうして一キロメートルほど離れたか。

 ようやくワンは足を止めた。

 振り返ると、真紅の棍を肩に担ぎ、それ・・を見上げた。


「……こいつはとんでもねえな」


 素直にそう思う。

 その目に映るのは、天を突くほどの巨大な火柱だった。

 噴煙に覆われたその光景は、誰が見ても火山の噴火である。

 信じ難いことに、これをたった一人の引導師が引き起こした訳だ。


(……化け物とは思ってたが、ここまでとはな)


 噴煙――火柱の中から、巨影が浮かび上がる。

 溶岩流を纏いながら出てきたのは腕だった。

 灼岩で造られた巨腕である。

 次いで、大地を震わせるほどの質量を持つ、ひしゃげた脚が出てきて、最後には二本角が印象的な巨熊に似た頭部も現れる。


 かつて、この地で一瞬だけ目撃した怪物の姿である。

 だが、その大きさは、あの時とは比べ物にもならない。

 今回は本気だというのなら、光栄と思うべきかもしれないが。


「やれやれだ」


 ポンポンと紅如意で肩を叩く。


「こいつは流石に勝てねえか……」


 無意味な虚勢は張らずに、そう分析する。


 魂力オド系譜術クリフォト隷者ドナー。戦術。《DS》。霊具。

 引導師ボーダーの強さを決定づける様々な因子ファクター


 だが、あれはそういった次元ではない。

 存在そのものが別格だった。

 まともに戦えば、今のワンでも到底届かないだろう。


「だからといって、このまま何もせずに逃げる訳にも行かねえな」


 ――カツン、と。

 紅如意で地面を打つ。

 たとえ敗北するのが確定だとしても。

 その力の一端ぐらいは探っておきたい。


 ――そう。次に生かすためにだ。


「そんじゃあ、俺もお披露目といくか」


 不敵に笑ってそう告げる。

 直後、ワンの姿が変化し始める。

 腕が六本となって、全身が巨大化し、鎧甲を身に纏う。

 それに合わせて手に持つ紅如意も巨大化した。

 わずか数秒後には、四十メートルに近い巨躯を持つ黄金の魔猿がそこにいた。

 それはもはや模擬象徴デミ・シンボルではなかった。


 後に名付けられる名は《朋応金環天羅ホウオウテンカンテンラエン》。

 ワン象徴シンボルである。


 ――ゴウンッ!

 何十メートルと巨大化した紅如意で大気を薙いで、


『ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――ッッ!』


 魔猿は咆哮を上げた。

 対し、火焔山の王――《千怪万妖骸鬼ノ王》はゆっくりと左腕をかざした。



       ◆



「ふええ――っ!?」


 顕現した骸鬼王の中。

 真刃の肩の上でホマレが声を上げた。


「なにこれっ!? なにしたのダーリンっ!?」


 そこは闇の中だった。

 だが、光なき世界ではない。

 その闇の中には、万にも届きそうな数の灯火が輝いていた。

 そして眼前には、外を映す映画館のような巨大なモニターがあった。

 モニターの光景は、高所から街を見下ろしているようだった。


「まさか式神なのっ!? 怪獣みたいなサイズの式神を造ったのっ!?」


 興奮気味に、バンバンと真刃の肩を叩くホマレ。

 しかし、真刃は答えない。

 ホマレの相手が面倒というのも多少はあるが、現状、《制約》がきつ過ぎるのだ。

 なにせ、万を超す従霊を結集させたのだから当然だ。

 骸鬼王の全身には黒い鎖が巻き付いている。《制約》の鎖だ。真刃本人の体には巻き付いていないが、当然ながら影響は受ける。

 正直、今は一歩進むのも困難だった。


(久方ぶりの重みだな)


 小さく息を零す真刃。

 出来ることなら思い出したくない重圧だった。

 体にかかる負荷も、心にかかる重みもだ。

 どうしても、あの末期の日を思い出してしまう。

 だが、これは必要なことだった。

 刀歌の願いもあったが、全力で挑んでくるであろう桜華に対し、真刃もまた全力で備えなければ非礼になる。だからこそ、真刃はかつての全力を取り戻したのだ。

 すなわち、全盛時の数にも匹敵する従霊を生み出したのである。


 そうして顕現した《千怪万妖骸鬼ノ王》。

 その巨躯、その威容はこれまでとはもはや別物だ。

 まさに帝都を壊滅させた骸鬼王の完全なる復活だった。

 まあ、これでもなお全力とは言い難いのだが、それは桜華が来てからの話だ。


 この異常事態だ。

 そして真刃は象徴シンボルを顕現させた。

 桜華は必ずここに来る。

 真刃はそう確信していた。


(あやつとの決戦の時は近い。だが、その前にすべきことがある)


 その時、


「――うわっ!?」


 ホマレが目を瞠った。


「なんかデッカイ猿が出てきたよ!」


 言って、指を差す。

 真刃は無言で視線を指先の方に向けた。

 そこには巨大な黄金の魔猿がいた。


「あれが小僧の象徴シンボルか……」


 そう呟く。


象徴シンボルって」ホマレは目を瞬かせた。「あれ? あの猿、どっかで見た気が?」


「……………」


 真刃は彼女の呟きは気にせず、重い左腕を上げた。

 同時に骸鬼王も左腕をかざした。


「桜華が来る前に用件を済ませるか」


 真刃はそう呟いた。ホマレは「え?」と目を丸くする。

 そしてまじまじと真刃の横顔を見やり、


「へ? あれッ!? うそおっ!? ダーリンってよく見たら――」


 と、何かを言いかけるが、その前に真刃は厳かに告げた。


「囚われし魂よ。オレの声が聞こえるか?」


 その呼び声は閉ざされた世界に、余すことなく伝わるのだった――。













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