第七章 凶星輝く

第230話 凶星輝く①

 ――《久遠天原クオンヘイム》総本部。

 芽衣が勝手にそう名付けたその屋敷は、《獅童組》が所有する物件だった。

 広大な庭園を持つ日本家屋。築五十年という話だが、何度かリフォームもしているため、古びた様子はない大きな屋敷だ。今は《獅童組》の組員たちや、武宮の直属だった《是武羅》の残党によって管理されている。


 西條綾香は一人、その屋敷の廊下を歩いていた。

 庭園へと降りることも出来る廊下。

 今はもうない彼女の生家を思い出させる屋敷だった。


(惨めな郷愁ね)


 赤いドレスを纏う綾香は、風で揺れる自分の髪を押さえた。

 ドレスこそ普段と変わらないが、彼女は一切の化粧をしていなかった。

 唇は淡い桜色。アイシャドーのない眼差しは少し柔らかだ。

 普段の着飾った姿よりも自然体であり、むしろ美しくさえあった。


「……………」


 ただ、そんな彼女を無言で見据える者がいた。

 この屋敷の者に『姐さん』と呼ばれる女。

 近衛隊の隊服を着た芽衣である。

 芽衣は綾香の進む廊下の奥。そこで腰に手を当てて仁王立ちしていた。

 ただ、その眼差しはずっとジト目だった。

 綾香も芽衣の姿には気付いていたが、気にせず歩を進めた。

 だが、目の前ほどに近づいたところで、


「……………」


 芽衣が立ち塞がってきた。

 綾香は表情を変えずに進む。

 結果、二人は衝突した。互いの双丘をぶつけ合った衝突だ。

 身長では綾香の方が高いのだが、その弾力の前に綾香は少し後ずさってしまった。

 ドヤ顔を見せる芽衣に対し、


(……こいつ)


 綾香は静かに青筋を立てた。

 この駄肉をサイコロにしてやろうかと思ったが、それはマズイ。

 この女は『彼』のお気に入りだと獅童や武宮が言っていたからだ。

 しかも、立場的には最高幹部であり、あの二人よりも上役にあるそうだ。

 だからこその『姐さん』らしい。

 そんな女を『彼』の本拠地で惨殺しては、流石に言い逃れも出来なかった。

 ここは無視するに限る。

 綾香は芽衣の横を通り過ぎようとするが、それを芽衣は許さなかった。

 まるで壁のように立ち塞がるのだ。

 このままでは埒が明かない。


「……何か用かしら?」


 仕方がなく、綾香は尋ねた。

 すると、芽衣はジト目で綾香を見据えてきた。

 しばしの沈黙。

 そして、


「……一つ聞くけど」


 ようやく芽衣は口を開いた。


「あなた、エッチなんてしてないわよね? シィくんと」


「何を言い出すかと思えば……」


 綾香は呆れたように嘆息した。


「そんなことを聞くために待ち構えていたの?」


「……いいから答えなさいよォ」


 ブスッとした様子で芽衣は言う。

 綾香は、額に手を当ててかぶりを振った。


「私の方から聞くけど、彼は捕えた女を凌辱するような男なのかしら?」


「……シィくんがそんなことする訳ないじゃない」


 不機嫌な表情のまま、芽衣は言う。


「なら、さっきの質問は意味が無いでしょう」


 綾香は嘆息した。


「答えは分かってるじゃない。それと《夜猫ナイトウォーカー》」


「……芽衣でいいよォ」


「なら芽衣。これは親切心で教えてあげるけど」


 仕方がないといった様子で綾香は告げる。


「今後そういった質問は控えなさい。彼の品格を貶めることになるから」


「……う」


 言葉を詰まらせる芽衣。


「ましてやあなたは幹部であり、彼に愛される立場でもあるのでしょう? くだらない嫉妬に駆られるよりも、まずは彼の女としての品格を磨くことね」


「……むむうっ!」


 芽衣は唇を尖らせた。


「け、けどォ!」


 グッと拳を固めて綾香を見据える。

 正論とは思うが、それでも問わずにはいられなかった。


「男女の仲なんてどうなるか分からないじゃない! 出会って一晩で結ばれることだってあるわよ! 気になっても仕方がないでしょ!」


「………はァ」


 綾香は、深々と溜息をついた。


「完全に女の台詞ね。ショタ好きで有名だったあなたがそこまでご執心なの? まあ、本当に彼とは同盟について話しただけよ。その後、晩酌には付き合ってもらったけど」


 それが事実だった。ただ少し付け加えると、彼は不愛想に見えてとても聞き上手で、久しぶりに楽しいと思える酒だったが、そこまで芽衣に教えてやる義理はない。

 綾香は芽衣を避けて歩き出す。


「ああ。そうそう」


 が、少し進んだところで足を止めた。


「幹部のあなたには伝えておくわ。《久遠天原クオンヘイム》と《鮮烈紅華レッドリリィ》の同盟は昨夜無事に締結したわよ。彼は現状の平定と《雪幻花スノウ》以外には興味がないそうだから、協力する代わりに、彼が不在時の統治の代行権は私に譲渡されたわ」


「……それは知ってるよォ」


 不貞腐れたような表情で振り向き、芽衣がそう返す。


「シィくんの地元ホームは首都の方だし、元々この街には《雪幻花スノウ》ちゃんに会いに来ただけだってそうだから、平定後の代行者は必要だったしィ」


「ええ。私にとっては有り難い話だわ」


 梳かすように自分の髪に触れて綾香は言う。


「私の出した同盟の条件は二つよ。一つは統治の代行権。これは特に問題もなく結べたわ。もう一つの方は……」


 綾香はふっと笑った。


「具体的にはまだ彼には伝えてないわ。統治が落ち着いてからになるから早くて数年後の話だしね。その時、私の個人的な願いを一つだけ叶えてくれるのなら同盟を結ぶと言ったの」


「……シィくんに何をお願いする気よォ」


 再びジト目を向けて芽衣が問う。


「大丈夫よ」


 芽衣の方に視線を向け、綾香は双眸を細めた。


「そんな大した願い事じゃないわ。彼に迷惑をかける気もないから安心なさい」


 一拍おいて、


「私にとって昨夜の敗北は苦々しくはあるけど、広い視野で見ると僥倖だったわ。今回の争奪戦においてもそうだけど、その後にある問題も解決したようなものだしね。私を推してくれた獅童に感謝したいぐらいだわ」


「……むむ」


 芽衣はどうも納得いかない顔をしていた。

 綾香は苦笑を浮かべつつ、再び歩き出した。

 これ以上、彼女と話すこともなかった。

 すると、背後からバタバタと慌ただしい音が聞こえてきた。

 恐らく芽衣が彼の元へと駆け出したのだろう。

 それに目をやることもなく、綾香は廊下を進んだ。

 が、ややあって。


「…………」


 綾香は足を止めた。

 無言のまま、両手を自分の腹部に添えた。

 そして、


「……私を圧倒する男がいるなんて本当に僥倖だわ。この出会いは」


 妖艶なる笑みを見せて綾香は呟く。


「数年後。私に宿る西條の子はきっと最強になるに違いないわ。まさしく王の子なのだから。ふふ。ともあれ、今はあなた・・・のお父さまの手腕を見せてもらおうかしら」


 そうして腹部をさする。

 媚びる訳でも、屈する訳でもない。

 狡猾に利用し、有益であるのならば自分の中にも受け入れる。

 それが西條綾香という女だった。

 ただ、この時、彼女はまだ知る由もなかった。

 今回の件においても、未来においても。

 自分がどれほどの幸運に恵まれていたかということに――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る