第231話 凶星輝く②

 場所は変わって、とある繁華街の一角。

 そこにある表向きは潰れた廃ホテルが《黒い咆哮ハウリング》の溜り場アジトの一つだった。


 その一室。

 暗い部屋で火が灯る。

黒い咆哮ハウリング》のリーダー。

 三強の一角である鬼塚堂賀が、煙草に火を点けたのだ。

 彼は上半身裸でベッドの縁に腰を掛けていた。

 しばし煙草を味わい、紫煙を吐く。

 それから鬼塚はスマホを使って部下を呼び出した。

 数分後、部屋のドアがノックされて「失礼します」と二人の男が入ってきた。

 二人は部屋の壁沿いで後ろ手を組んで立つ。

 鬼塚は二人を見やり、


「こいつらはもう落とした。代わりを用意しな」


 言って、親指で背後を差した。

 鬼塚が座るベッド。そこには二人の女が横たわっていた。

 共に二十代ほどか。

 二人とも全裸だった。全身に玉の汗を浮かべて荒い息を零している。

 二人ともそれなりに名を知られた引導師ボーダーであるのだが、今や鬼塚の隷者ドナーだった。

 隷主オーナー狩りハントの戦果である。


「……リーダー」


 すると、部下の一人が申し訳なさそうに頭を下げた。


「すんません。もう在庫はねえっす」


「……なんだと?」


 火を灰皿で消し、鬼塚は部下を睨みつけた。


「120ぐらいなら数人いるんすが、リーダーの隷者おんなでいま一番低いのって確か139だったっすよね? それ以上になると……」


「昨日あたりから国家引導師サツの動きもさらに厳しくなってるみてえす。どうも、いかれちまったクソ野郎がいるみてえで……」


「例の惨殺事件か……」


 鬼塚は舌打ちする。


「そういや綾香の奴も行方不明になったそうだな。行方は掴めたか?」


「いえ。それも全く」


「……チ」


 再び舌打ちする鬼塚。


「あいつは《雪幻花スノウ》との決戦前に確実に落としておきたかったんだがな。今の俺なら勝てるだろうが、まだ楽勝とは言えねえ。完勝に拘ったのが仇になったか」


 鬼塚はあごに手をやった。

 数秒ほど思案する。

 そして、


「仕方がねえ。あかねあおいを呼べ」


「え? 神楽坂かぐらざか姉妹をすか?」


 部下の一人が目を瞬かせた。

 鬼塚は「ああ」と頷く。


「あいつらの魂力は二人とも162だったはずだよな?」


「確かにそうっすけど……」


 部下の一人が眉をひそめた。


「いいんすか? あいつらってまだ十三すよ? そりゃあ顔は綺麗っすけど、体の方はまだまだ貧相なガキっすよ?」


 スカスカと自分の胸板の前で手を上下に動かす。

 一方、もう一人の部下も告げる。


「ガキは鬼塚さんの趣味じゃねえっしょ。それにあいつらって処女だからあの力を持ってるんすよね? 手を出すとブラマンが結構面倒になるんじゃねえっすか?」


「あいつらほど便利でなくとも封宮師メイザーなら用意できるさ。まあ、ガキってのは確かに俺の趣味じゃねえがこの際文句も言っていられねえだろ。あいつらのことは精々優しくしてやるさ。今は俺が強くなることが先決ってことだ」


 鬼塚がそう告げると、部下たちは頷いた。


「了解っす。あいつらは今このホテルにいるんで連れてくるっす」


 言って、部下たちが部屋から出て行こうとした時だった。

 不意に全員のスマホが鳴ったのだ。

 流石に不審に思い、鬼塚たちはそれぞれスマホを手に取った。


「ッ! リーダーッ!」「おいおい、マジか……」


 驚く部下たち。鬼塚も自分のスマホを握りしめて。


「……はン」


 鼻を鳴らした。そして皮肉気に呟く。


「どうやら来客のようだな」



       ◆



 神楽坂茜と、神楽坂葵。

 彼女たち双子の姉妹は、特殊な引導師ボーダーだった。

 いや、そもそも彼女たちを引導師と呼ぶには語弊がある。

 彼女たちは引導師の血筋ではないのだ。

 彼女たちはこの西の地に百年ほど前から祀られる神社の巫女なのである。


 名も知らぬ大地の神を祀る神社。

 それが彼女たちの生家だった。

 彼女たちの異能は、引導師とは一線を画していた。

 根源こそ魂力のようなのだが、引導師の使う《魂結び》とは真逆で、魂を分けた純潔たる乙女たちが互いの魂力を共鳴させて増幅するという変わったモノだった。

 古くは《魂鳴ともなり》と呼ばれていた術式らしく、双子が産まれやすい彼女たちの家系は、双子の魂力を使って大地の神を鎮めていたそうだ。

 真実がどうなのかはもはや知る術はないが、ここで特筆すべきはその術式で得られる魂力が莫大であるということだった。それこそ《魂結び》とは比較にもならないほどだ。


 なにせ、単純な加算である《魂結びソウルスナッチ》に対し、彼女たちの術式――今の時代に合わせて名付けるのならば――《魂鳴りソウルレゾナンス》は相乗なのである。

 具体的に言えば、彼女たち個人の魂力が162に対し、二人が揃った時の魂力は制限つきではあるが、26000にも至るのである。それはあまりにも馬鹿げた数値だった。


 それに目をつけたとあるチームが、彼女たちの生家を襲撃し、二人の両親を殺害して彼女たちを攫った。そのチームをさらに《黒い咆哮ハウリング》が潰したことで彼女たちを手に入れた。そして二人に封宮メイズを習得させたのである。

 今や彼女たちこそが、ブラマンの多彩で幻想的な演出の基盤となっていた。

 そのため、彼女たちは《黒い咆哮ハウリング》内ではかなり丁重に扱われていた。

 下手に逆らっては今の状況を悪化させかねない。

 そう考えて、彼女たちも鬼塚に従っていた。

 ――そう。その日までは。



「……茜お姉ちゃん?」


 青い髪の少女が小首を傾げた。

 場所は廃ホテルにある一室だ。


「何か騒がしくない?」


「……そうね」


 壁に背を預けていた赤い髪の少女が頷く。

 青い髪の少女と同じ顔。ボーイッシュなショートヘアのため、一見すると少年のようにも見える少女だ。服装も少年のような身軽な格好であり妹とまた同じだった。


「何かあったのかもね」


 赤い髪の少女――茜はベッドに座って足を投げ出している妹に顔を向けた。


「嫌な予感がするわ。葵」


「……どうするの? お姉ちゃん」


 青い髪の少女――葵が不安そうに眼差しを見せた。


「とりあえず、外の様子を確認しましょう」


 言って、茜は葵の手を引いて部屋の外に出た。

 途端、二人は眉をしかめた。

 強烈な異臭が廊下に充満していたのだ。


「お姉ちゃん……これって」


「血の匂い……それと……」


 姉妹は共に口元を押さえた。

 特に茜は強い不快感を抱いていた。

 もう一つの匂いにも憶えがある。

 一度、うっかり鬼塚の部屋に出向いてしまった時の匂いだ。

 要は男と女が……。


「お姉ちゃん、なにこれ?」


 妹が不安いっぱいの眼差しを向けてくる。

 茜は想像を振り払うようにかぶりを振って、葵の手を強く掴んだ。


「逃げるわよ。葵」


 そう告げた時だった。


「た、助けてええッ!」


 不意に廊下の角から女性が現れたのだ。

 見覚えがある。《黒い咆哮》の女性メンバーだ。

 彼女は青ざめた顔で這いずり、廊下の方へと逃げようとするが、突如、巨大な手に頭を掴まれ、角へと引き戻されてしまった。

「ひいいいいィッ!」という女性の悲鳴だけが響いた。

 あまりのことに茜も葵も動けなかった。

 そして数秒後、


「やめてえええッ! 無理ィ! そんなの無理だからああッ!」


 女性が悲鳴を上げる。

 その後も凄惨な悲鳴が続いたが、すぐにそれは消えた。

「ぐえっ」「ぐがッ」といった声と、何かが動き続ける音だけが聞こえてくる。

 それもややあって聞こえなくなった。

 そうして最後に、ゴリッと何かを削り取ったような音が響いた。

 沈黙が降りる。

 茜と葵は、体を震わせることしか出来なかった。

 すると、


 ――ギシリィ。

 鋭い爪を持つ獣の腕が、廊下の角を掴んだ。

 のそりと巨躯が姿を現す。

 その凶悪な姿に少女たちは震えあがる。と、


「……随分と好き勝手にやってくれたようだな」


 唐突に、背後から声がした。

 茜たちがハッとして振り返ると、そこには鬼塚がいた。

 彼の背後には二人の部下もいる。


「茜、葵。お前らは下がってろ」


 そう告げて、鬼塚は二人の前に進み出た。

 上半身が裸だったため、全身に血管が浮き上がっているのがよく分かる。

 鬼塚は、静かに激怒していた。


「このクズ野郎が」


 ゴキン、と拳を鳴らす。


「俺んちをここまで荒らしたんだ。覚悟しやがれよ」


 そうして――……。

 ………………。

 …………。



「……う~ん」


 青天の下。人気のないとある屋上にて。

 大きな双丘を揺らして彼女は背伸びをした。

 とてもいい天気だ。

 しかし、夜型である彼女には少しばかり辛かった。


「あのね~、太陽くん」


 瓶底眼鏡を少しずらして太陽を見上げた。


「もう少し加減してくれてもバチは当たらないよ」


 そんな冗談を口にする。

 と、その時だった。

 ――ズズンッッ!

 突如、地響きが轟く。

 彼女が振り返ると、そこには巨大な怪物がいた。

 荒い呼気を零す黒い体毛の怪物だ。

 彼女は「やあ! お帰り!」と笑顔で怪物を迎えた。

 そして、トコトコと小走りで駆け寄り、怪物の巨体に抱き着いた。

 すると白衣とベージュ色のパーカー、それから彼女の頬も赤い液体で汚れた。


「うわあ」


 彼女は、それでも笑みを崩さない。


「血塗れだねェ。何人殺したの?」


『……《ハウリング》ヲ潰シタ』


「わお! 三強の一つじゃないか!」


 彼女は嬉しそうに笑みを深めた。


「いいねえ。流石は私が見込んだ男の子だよ。きっと大ニュースになるよ。パワーバランスが一気に崩壊して強欲都市グリードはさらに大混乱になるだろうね」


 言って、怪物に頬擦りする。


『ダガ、二人逃ガシタ』


「へえ。そうなんだ」


 瓶底眼鏡の奥で少女はパチクリと瞼を動かす。


「君が逃がすなんて意外だね。鼻を潰された? 何か変なモノでも嗅がされたの?」


『メイズダ。異相世界二逃ゲラレ、ソノママ見失ッタ』


「うわあ。確かにそれは追えないか。けど」


 そこで彼女は三日月のような笑みを見せた。


「逃がすつもりなんてないんだろ? だって君は怪物なんだから」


『当然ダ』


 怪物は言う。


『殺スト宣告シタ。匂イモ憶エテイル。スグニ追ウ。ダガ……』


 怪物は、巨大な手で彼女の腰を掴んで持ち上げた。


『殺シスギタ。血ガ騒イデ仕方ガナイ』


「ああ。なるほどね」


 少女は笑った。


「それで私のところに戻ってきたのか。まあ、人間の女の子じゃあ、この姿の君の相手なんてしたらすぐに壊れちゃうもんね」


『……アア。人間ハ脆イ。退屈ダ』


 言って、自身の巨躯に埋め込むように彼女を抱きしめた。


『人間デオレヲ満足サセラレルノハ、彼女ダケダ』


「それは嫉妬しちゃうなあ」


 少女は言う。


「私こそが君の女なのに」


『……………』


「おい。沈黙するな。何か言えよ。私の怪物君」


 ムッとする少女。すると怪物はその場で胡坐をかいて彼女を膝の上に乗せると、機嫌を取るように彼女の頬を舐めた。

 少女は少しキョトンとするが、


「あはは、露骨だね。君は」


 すぐに機嫌を直して、怪物の首に抱き着いた。


「いいよ。私を存分に抱いて。私のすべてを貪って。どこまでも付き合ってあげるから」


 瓶底眼鏡の少女は、怪物の腕の中で微笑んだ。


「だから、どこまでも私と一緒に堕ちていこうね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る