幕間二 妖の予言

第229話 妖の予言

 ――白銀の子。

 そう呼ばれていた彼女は、生まれながらにして孤独な存在だった。


 生まれた場所は、温もりもない試験管の中。

 母の顔も知らない。

 父と初めて会ったのも、五歳の時だ。

 ガラス越しに初めて顔を合わせた。

 和装の男性だった。彼女がいるこの施設では、大人は白衣を着た人しか見たことがなかったので珍しいと思ったことを憶えている。

 そもそも、その男性が父だと知るのはさらに数年後の話だった。

 この時、父は施設の所長と会話した後、彼女とは直接会うこともなく去っていった。

 幼い彼女の生活は、ほぼ試験と検査の繰り返しだった。


 退屈な日々が続く、そんなある日のことだった。


『やったな』


『ああ。ようやく二人目の成功体だな』


 不意に、そんな声が耳に届いた。

 ベッド以外はほぼ何もないコンクリート壁に覆われた自室。

 彼女は顔を上げた。

 そこには、彼女の様子を観察する部屋があった。

 いわゆる観察室モニタールームである。

 今日、駐在しているのは二人の男性だった。

 部屋に設置されたインカムがONになっていることに気付いてないようだ。


『今回は上手く成長してくれるといいが……』


『まだ油断は出来ないな。しかし、まさか混合実験・・・・した母体から産まれるとはな。「白銀」と同じ血統ではあるが、あれは流石に異母弟と考えるべきか?』


 と、興奮気味な声が耳に届いた。

 どうやら彼女に『弟』が生まれたらしい。


 ――黄金の子。

 彼らは弟をそう読んでいた。


 ……そう。弟。

 凄く興味がある。

 実験動物同様の扱いを受けている彼女だが、知性がなければ本当にただの獣だ。そのため、最低限の知識や教養も与えられてた。

 家族という言葉も知っていたし、弟がどういうものかも知識としては知っていた。


 会ってみたい。

 強くそう思うようになった。


 そして二日後、彼女は自室をこっそりと抜け出した。

 彼女には施設の人間に秘密にしている力があった。

 それは、記憶の『凍結』だった。

 恐らく母から受け継いだ力だ。一定期間の相手の記憶を消すことが出来るのである。

 それを使って自室に閉じ込められる前に、二人いた同行者の思考を凍らせた。

 幸いというべきか、彼女の部屋には監視カメラの類はなかった。

 女性研究員の反対で設置されていないそうだ。

 おかげで観察者の記憶さえ凍結させれば、脱出は不可能ではなかった。

 こっそりと移動し、彼らが目覚める前に自室にいればバレることもない。

 彼女は弟を探しに部屋を出た。


 どんな子だろうか?

 生まれたばかりなら赤ん坊なのかもしれない。

 それも知っている。赤ちゃんだ。

 女性の研究員がこっそりと動画で見せてくれたことがある。

 ふわふわして凄く可愛いのだ。

 弟のほっぺたもふっくらなのかな?


 彼女は凄くドキドキした。

 これも初めての気持ちだった。

 だが、堂々と施設内を歩く訳にはいかない。

 彼女の部屋には監視カメラはないが、施設内には要所要所に設置されていた。

 それらを避けるため、彼女は排気孔内を進むことにした。

 しかしながら、自室と実験室以外ほとんど知らない施設だ。

 そんな中で弟を見つけられるはずもない。

 それどころか――。


『ひゃっ!』


 四つん這いになって進んでいた彼女は、突如転がり落ちてしまった。

 どんどん転がっていく。

 そうして彼女は、勢いよく排気孔から飛び出した。


『ふひゃっ!』


 ドンと背中から地面に落ちる。

 結構な衝撃だったが痛くはない。この程度なら普段の実験の方が痛いぐらいだ。

 彼女は何事もなかったように立ち上がった。

 が、すぐに眉をしかめた。

 そこは真っ黒な場所だった。

 しかし、彼女は夜目も利く。暗闇もさほど苦ではない。

 彼女が眉をひそめたのは、その場の異臭だった。

 腐臭にも近い匂いが、この部屋には立ち込めているのだ。


『ここ、なに?』


 彼女がそう呟くと、





『……誰だ?』





 不意にそんな声が聞こえてきた。

 彼女はハッとして、後ろへと振り返った。

 そして、そこにいたのは――。


『……人の子か?』


 そこにいたのは、山のように巨大な化け物だった。

 全容が把握できない。巨大な顔だけがあるのが分かる。

 獅子や虎のようにも見えるが、どこか違う。

 いや、そもそもここまで巨大で人語を話す獣などいないか。


『……我霊エゴス?』


 唯一の可能性として彼女がその名を口にすると、


『えごすだと? ……ああ。思い出したぞ。れいのことだな』


 怪物は鼻を鳴らした。

 それだけで暴風だ。彼女でなければ吹き飛ばされていただろう。


『無礼な小娘が。あのような妄執塗れの人妖どもと一緒にするでない』


『……違うの?』


 彼女がそう尋ねると、怪物は牙を剥いた。


『我はこの地に生まれし古き正統なるバケモノだ。人妖どもが世に蔓延り、歴史から追われたとはいえ、我が誇りを穢すことは許さぬ』


 そう名乗ってから、怪物は双眸を細めた。


『……小娘。貴様、よく見れば人ではないな』


『……え?』


 彼女は目を瞬かせる。

 すると、怪物は、


『……いや、それさえも違うのか。業深き人間どもめ』


 ギシリと牙を鳴らす。


『恐らくは雪妖だな。捕えたのは我だけではなかったということか。人間どもが。確かにあれはまだ人に近いが、どうやって子を……』


『な、何を言ってるの?』


 彼女は困惑した様子で怪物を見上げた。

 一方、怪物は冷たい眼差しを向けた。


『……よく覚えておくがよい。悍ましき人の血を引く雪妖の子よ』


 そして宣告する。


『お前は誰にも愛されぬ。そう。女であるがゆえにな』


『……え?』


『ククク……。それはむしろ雪妖の宿業なのかもな』


 困惑する彼女に、怪物はさらに告げる。


『なにせ、雪妖が愛する男と結ばれた事例はないからな』


『な、何の話?』


 胸元を強く押さえて彼女は問う。

 怪物は、クツクツと嗤った。


『貴様の未来の話だ。哀れで悍ましき娘よ。貴様はもはや人とは呼べぬ存在だ』


 双眸を細める。


『すでに自覚もあろう。己が尋常ならざる力に。雪妖から譲り受けた貴様の美貌は、これより数多の男を狂わせることになるだろう。だが、貴様がそれらの男と共に生きることはない。貴様は孤独なのだ。何故ならばその腕で愛する男を抱きしめた時。ましてや貴様が愛する男と交わった時』


 怪物が嬉しそうに牙を見せた。


『誰に耐えられようか。人知を超えた貴様の膂力に。感極まった貴様の抱擁に。クハハハハハハハハッ! ここに断言しよう! 予言しようではないか! 貴様が愛する男は、すべからく貴様の腕に両断されるとな!』


 彼女は目を見開いた。

 まだ幼かった彼女にその言葉の意味をすべて理解できた訳ではない。

 だが、酷いショックを受けたのは確かだった。


『クハハハッ!』


 怪物は、咆哮を上げた。


『忌まわしい人間め! これは我の呪いだ。貴様は誰にも愛されぬ。いや違うなァ。愛してもよいか。ああ! 存分に愛してやってもよいぞ!』


 ニタアッと狂気の笑みを見せる。

 そして以降、一度も会うことのなかった怪物は、最後の呪いをかける。


『クハハッ! その男を愛してやるがよいぞ! 文字通り死ぬほどにな!』




 ――ガバッ!

 彼女は勢いよく身を起こして目覚めた。

 場所は公園の一角。

 木々に覆われたその場所で彼女は仮眠を取っていた。

 彼女は冷たい汗を流していた。

 久しぶりに、あの日の夢を見た。

 あの怪物の予言の夢を。


「……違う」


 彼女は膝を抱えて震えた。

 とても小さく。

 儚く消えてしまいそうな雪のように。

 そして、


「……きっといる。ムロを愛してくれる人はきっといるから」


 今にも泣き出しそうな顔で、そう呟くのであった。

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