第七章 常闇の国

第189話 常闇の国①

 真刃は、表情を険しくしていた。

 それも当然である。部屋に訪問者が来たようなのでドアに向かった矢先、全く違う場所へと強制転移させられたのだから。

 だが、それでも幸運というべきか、この場所には見覚えがあった。

 周囲には幾つものテーブル。奥にはキッチン。

 今日の昼食時に訪れた、海の国アクアブルーにあるフードコートだ。

 時刻はすでに夜。閉園して印象が変わっているが、間違いない。


「……チ」


 真刃は舌打ちして、フードコートから外に出た。

 周辺を様々な遊具で囲まれた広場だ。

 周辺を見やるが、人の気配はない。

 すると、その時。

 ――フオン、と。

 鬼火が一つ、真刃の前に現れた。


「猿忌か」


『御意』


 真刃の呟きに、鬼火が骨翼の猿に成って答える。

 従霊たちはいつ、いかなる時も即座に真刃の元に飛ぶことが出来る。

 猿忌は転移された真刃を追って、ここにやって来たのだ。

 だが、それをするということは……。


「エルナを見失ったのか?」


 焦りを宿した声で、真刃がそう尋ねると、猿忌は『すまぬ』と答えた。


『主が転移した直後、エルナも部屋から消えたのだ。痛恨の失態だ。咄嗟のことでエルナに同行することが出来なかった』


「……そうか」


 真刃は、歯を軋ませた。

 猿忌を責めることは出来ない。この異常事態は誰も想定もしていなかったことだ。


「仕方あるまい。だが、案ずるべきはエルナだけではない」


 拳を強く固めて、真刃は呟く。


「かなたたちのことも心配だ。こうして転移させられた以上、これは封宮メイズではない。危険度カテゴリーA以上のれいが創った結界領域なのだということだからな」


 と、その時だった。




「グッドイブニーング! 来訪者の皆さま!」




 不意に、天から声が響いた。

 真刃は夜空を見上げる。強い既視感を覚えた。


あの男・・・と同じ術か)


「これより始まるは悪夢の時間。暗い闇より訪れし第四の王国――『常闇の国ナイトメア』。魔物が徘徊する恐ろしい王国です。皆さまは、そこに迷い込んでしまいました」


『自分で取り込んでおいて、よく言ったものだ』


 不快そうに猿忌が言う。


「この悪夢の王国より抜け出す方法はただ一つ」


 天の声は、さらに口上を続ける。


常闇の国ナイトメアは光と共に消え去る。日の出まで魔物から逃げ続け、愛する者と共に生き延びること。それだけが悪夢を打ち砕く唯一の方法なのです!」


 一拍おいて、


「愛する人の手を決して離してはいけない。たとえいかなる苦難があろうとも。では、皆さま方に光あらんことを」


 そう告げて、天の声は消えた。

 真刃は、眉をしかめた。

 まるであの時の再現だ。

 かつて同僚と共に巻き込まれた、あの夜の――。


「猿忌」真刃は従霊の長に問う。「蝶花、赤蛇とは連絡は可能か?」


『……駄目だ』


 猿忌は、かぶりを振った。


『意識を共有できぬ。阻害されているようだ』


『……通話も無理っス』


 真刃のスマホから、金羊が報告してきた。


『月子ちゃんたちと全く繋がらないっス。完全に通信系が遮断されているっス』


『かの時代とは違うということか』


 渋面を見せて、猿忌が言う。


『通信が群を抜いて発達した今代。情報を絶つのは当然ということか。やられたな。これでは仮に従霊たちを展開しても互いに連絡ができぬ――ぬ!』


 その時、猿忌は顔を上げた。


『主よ!』


 猿忌の声に、真刃も視線を頭上に向ける。


「ッ! あれは!」


 上空三十メートルほど。そこに白い服を着た人影を見つけたのだ。

 男性ではない。女性だ。

 瞬時に、真刃はそれが誰なのかを察した。

 彼女は、いきなり空中に転移させられ、完全にパニックを起こしているようだった。手足を激しくバタバタと動かしていた。彼女の専属従霊も、彼女を守ろうと、髪を結ぶ白いリボンを大きく展開させていた。

 真刃は瞬間移動にも等しい速さで、彼女の落下予測地点に移動した。

 急激な停止に、靴底でアスファルトに焦げ目を焼き付ける。

 そして大きく声を張り上げた。


「――刀歌ッ!」


 上空の少女は、ビクッと肩を震わせた。


オレが受け止める! 全身の力を抜け!」


 そう指示された途端、彼女は暴れるのをピタリと止めた。網目のように大きく広がっていた白いリボンも、瞬時に元のサイズへと縮小する。

 そうして脱力したまま、彼女は真刃の腕の中に落下した。

 三十メートルの高さからの落下。常人では受け止められるような衝撃ではないが、真刃は全く揺らぐことなく、彼女をしっかりと抱き止めた。


『真刃さま! ナイスキャッチ!』と、白いリボンが騒ぐ。


 腕の中の少女――御影刀歌は、目をパチパチと瞬かせていた。


「怪我はないか? 刀歌?」


 優しい声色で真刃が尋ねる。と、


「しゅ、主君……」


 普段は凛々しい彼女が、肩を震わせて歯を鳴らしていた。

 これも仕方がないことだった。

 いくら戦闘に慣れているといえ、人間にとって落下とは根源的な恐怖の一つだ。

 いきなり何もない高所に放り出されては、引導師ボーダーであっても堪ったものではない。

 彼女の歯の音は、徐々に激しくなっていた。


「……刀歌」


 真刃は、ゆっくりと片膝をついた。

 そうして彼女を抱き寄せると、左手で頬に触れて、視線を合わせさせた。


「落ち着け。もう大丈夫だ」


「……主君、真刃さまぁ……」


 刀歌は、真刃の肩をギュッと掴んだ。

 少しだけ震えも治まってくるが、彼女の瞳はまだ恐怖で泳いでいた。

 その時、真刃は、刀歌が着飾っていることに気付いた。

 金糸の刺繍が施された異国の衣装ドレスのようだが、彼女にはとてもよく似合っている。


「その服、似合っているぞ」


「……え」


 刀歌は、青ざめた顔を少し上げた。


「とても綺麗だ。刀歌」


「……あ」


 刀歌は一瞬目を見開き、それから、恥ずかしそうに視線を逸らした。

 そんな彼女に、真刃は口元を綻ばせた。

 刀歌の震えは大分落ち着き始めている。少しは気も紛れてくれたようだ。


「まだ怖いのならば、しばらくこうしているといい」


「……うん。真刃さま……」


 胸の奥をきゅうっと鳴らしながら、刀歌は、真刃の胸板に顔を埋めた。

 顔の赤さを隠そうとしているのかも知れないが、その首筋は真っ赤である。

 白いリボン――蝶花が『やったね! 刀歌ちゃん! 中華服チャイナドレスの効果だよ!』と茶化しているが、言い返せないほどに、頭から湯気が立っているようだ。

 真刃は再度刀歌を強く抱き寄せてから、彼女をかかえ直して立ち上がった。


『……ふむ。参妃と早々に合流できたのは幸いだが……』


 猿忌が言う。


『他の妃たちのことが気がかりだ。急いだ方がよいな』


「ああ。分かっている」


 真刃が表情を鋭くする。と、


「……あの、主君」


 おずおずと顔を上げて、刀歌が口を開いた。


「私たち四人は同じ部屋にいたんだ。かなたは、咄嗟に近くにいた月子の手を掴んだんだが、直後に一緒に消えてしまった。その後すぐに燦の姿も消えてしまって、さっきの放送みたいな声の後に、私も飛ばされたんだ」


「……そうか」


 真刃は、刀歌を抱えたまま歩き出す。


「かなたと月子は共にいるということか。それは僥倖だが、一人で飛ばされた燦と、行方が分からないエルナも心配だな」


 そこで、目を細める。


「山岡もか。彼も巻き込まれているかもしれん」


 確実に巻き込まれているのが、エルナたち四人。

 それと同時に、老紳士の安否も確認する必要があるだろう。


「すべての従霊に告ぐ」


 そう呟いた途端、フオンッと百を超える鬼火が現れた。

 刀歌が驚き、目を瞬かせる。


「各自全域に散開せよ。エルナたちは無論、一般人を見つけた場合も護衛につけ。れいとの遭遇時は各自の判断で戦闘を許可する」


 そう命じるが、従霊たちは鬼火を揺らすだけで動こうとしない。


『主よ。それは……』


 従霊の一体が口を開こうとした時、


オレの《制約》を気にする必要はない」


 彼らの王は言う。


「少々体が重くなる程度だ。それに……」


 腕の中の刀歌に視線を落とす。


「仮にオレが動けずとも、刀歌がオレを助けてくれるだろう」


 真刃の言葉に、刀歌が「え?」と目を丸くした。

 が、すぐに、


「うん! 任せておけ!」


 豊かな胸を、ポヨンっと片手で打って応える。


「私は参妃の刀歌だからな! 主君を守ってみせる!」


『いやいや。真刃さまにお姫さま抱っこされて言う台詞じゃないでしょう』


 と、蝶花がリボンを揺らしてツッコむと、


「う、うるさいな!」刀歌は、気恥ずかしそうに言い返した。


「仕方がないじゃないか。今はまだ腰が抜けているんだから。けど」


 グッと両手でガッツポーズを取る。


「すぐに復帰するから。だから頼りにしてくれ。主君!」


「……ふふ」


 真刃は、笑みを零した。


「ああ。頼りにしているぞ。刀歌」


「う、うん」


 頬を赤くして、コクコクと頷く刀歌。


『……承知いたしました。主よ』


 従霊の一体が言う。


『では参妃さま。何卒、我らが主を宜しくお願いいたします』


「う、うん。分かった」


 従霊たちに視線を向けて、刀歌が大きく首肯した。

 そうして、猿忌、金羊、刃鳥。刀歌の専属従霊たる蝶花の四体を除く従霊たちが、流星のごとく四方へと散開した。


「では、急ぐか」


 真刃も、刀歌を抱いて駆け出そうとした、その時だった。

 ――ドゴンッ!

 不意に、後ろから衝撃を音が聞こえてきたのだ。

 足を止めて真刃が振り向くと、フードコートの天井に大穴が開き、壊れたテーブルが広場にまで四散していた。

 そして、


「……痛てえ……」


 そんな呻き声が、奥から聞こえてきた。

 その声は、刀歌にとっては聞き覚えがあるモノだった。

 一方、真刃と猿忌にとっても、少しだけ眉根を寄せるような声音だった。

 不思議と懐かしさを感じる声だったのだ。


「え?」


 刀歌が目を瞬かせる。


「イテテ。何なんだよ。いきなり……」


 そう言って、フードコートから一人の少年が現れた。

 刀歌が大きく目を瞠る。

 そして驚いた顔で、その名を呟いた。


「え? 剛人なのか?」


 留学中のはずの幼馴染の名前を。

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