第188話 帳が降りて、幕は上がる⑤

 ――星が降り立つ世界。夜の国ミッドナイト

 様々な遊具が目も眩むような輝きを放っているが、その最大の象徴たるは、世界においても有数の巨大さを誇る大観覧車である。


 ――『天上車輪ヘブンズホイール』。

 そう名付けられた大観覧車のゴンドラ内に、彼はいた。

 ゆっくりと頂上に向かうゴンドラ。

 本来ならば二人で乗るところ、青年は一人だけだった。

 ……いや、正確には二人が一人になったのだが。


 ふと、夜景に目をやった。

 地上を埋め尽くす遊具の輝きに、遠目に映る天も届きそうなドーンタワー。それらの輝きを反射して、夜の海もまた輝いている。

 素晴らしい光景だった。

 だが、同時に寂しく感じる。

 本来の予定ならば、この夜景は彼女と共に楽しむはずだったからだ。


「……………」


 青年は、少しばかり双眸を細めた。

 彼女と共に乗れなかったことは残念だが、すでに彼女は自分の中にいる。

 そう考えれば、この寂しさも少しは紛れるような気がした。

 青年は、視線を手元に移した。

 その左手には、スマホが握られている。


「さて」


 人間としての感傷に浸るのもここまでだ。

 すでに今回のオフは終了している。ここからは化け物として振る舞うだけだ。

 彼はスマホから、一つのアプリを起動させた。

 画面が移り変わる。


 ――『ザ・メイキングワールド』。

 これは、かの千年我霊エゴス=ミレニアの一角が運営する会員制サイトから配信されたアプリだった。

 このアプリは結界領域のサポートツール。魂力を用いて扱うアプリなのだ。


 ――そう。我霊エゴスの力の根源もまた、引導師同様に魂力オドなのである。

 そして結界領域とは、彼らにとって代表格の術式・・だった。

 封宮メイズほどのコストはかからない結界領域だが、それでも細かい設定まで行うと、それなりに神経は使うのだ。それをこのアプリは負担なくサポートしてくれるのである。

 実に素晴らしき舞台装置だった。


 彼ら名付きネームド我霊エゴスは、例外なく演者テイナーであり、演出家プロデューサーだった。

 そして何よりも観客ギャラリーなのである。


 ――人の美しき姿を観たい。

 ゆえに彼らは感動的ドラマチックな状況を生む出すことにこそ、心血を注いでいるのだ。


「今回の演目ゲームの主役はもちろん、山岡辰彦さん。鍛え抜かれた鉄拳。そこらの若造とは一味も二味も違う磨き上げられたロマンスグレーさ」


 そして、そこに外せないのは、やはり『愛』である。


「ヒロインはあの子がいいよね」


 ふっと笑う。


「どういう関係なのかな? けど、オイラの目には、あの子の中に山岡さんが観えた。あの子にとって山岡さんが大切なのは間違いないか」


 アプリに触れる。


「まあ、流石に恋愛はないだろうけど、あるとしたら師弟関係かな?」


 そう呟きつつ範囲を指定。今回はドーンワールド全域にした。


「招待者の条件は、山岡さんとあの子は必須。その他にも演者テイナーは欲しいから…‥」


 あごに手をやって考える。


「この場に大切な人がいることかな。家族は対象外。恋愛限定にして。けど、それでも多すぎるし、年齢も絞ろうか。二十歳から二十三歳までっと」


 慣れた指先の動きで設定していく。


「いっそ人数も三十人ぐらいに制限しようかな。サバイバルゲームとしては、経験上それぐらいが丁度いいし。術式の阻害は……」


 指先が少し止まる。


「う~ん、今回は別にいっか。通信妨害ぐらいで。山岡さんって信じられないけど、あれで一般人らしいし。あの子の方は引導師ボーダーの可能性はあるけど一人ぐらいなら全然問題ないしね。ただ、もし他に引導師ボーダーがいたら……」


 眉をひそめる。

 結界領域を展開すると、引導師ボーダーは異物として紛れ込むことが多い。

 条件を満たしていなくとも、その場にいるだけで紛れ込んでくるのである。封宮ではそういった現象は起きないので、これは結界領域の数少ない欠点とも言える。


「まっ、こればかりは気にしても仕方がないか」


 イレギュラーにどう対応するのかも、演出家の見せ場だ。

 そう割り切って、彼は、演者たちの初期配置の設定に移行した。


「ジャンプはランダムでもいいかな。こちらで操作しすぎるのもヤラセになるし。ある程度近くにいる人間同士ぐらいの設定でいいか。次は敵役だけど、手持ちのストックは今どれぐらいだったかな?」


 言って、左手を虚空に突っ込む。引導師ボーダーも使用する物質転移の術式だ。

 青年は、大きな宝石箱を取り出した。

 スマホを椅子の横に置いて、宝石箱を開ける。

 その中には、十七個と紅玉石ルビーと、六十五個の蒼玉石サファイアが収められていた。

 これもまた、彼の術式である。

 彼は、その手で戦闘不能にした人や我霊エゴスを宝石化できた。

 そうして気に入った相手を、自分の宝石箱に蒐集しているのである。


蒼玉石サファイアは全部出そうかな? 確かB級以上も五個はあったよね」


 蒼玉石サファイアの一つを手に取って、頭上にかざした。

 他のよりも美しい宝石。この輝きが封じられている存在の格を示す。

 彼は、次いで紅玉石ルビーを手に取った。十七個の中でも別格に綺麗な宝石だった。

 我霊エゴスを封じた蒼玉石サファイアに対し、紅玉石ルビーには人間を封じて込めてある。


「今回はこの子も出そうかな? あの方・・・にお会いする前に実戦データも取っときたいし」


 言って、指先を素早く動かした。

 直後、彼の膝の上に一人の女性が現れた。

 ウェーブのかかった長い栗色の髪が、ふわりと舞う。

 年の頃は二十歳ほどか。勝気そうな眼差しに、整ったスタイル。胸元が大きく開いた赤いドレスに、チャリンと鳴る鈴の首輪を身に着けた美しい女性だ。

 彼に馬乗りになった彼女は、一瞬キョトンとしてたが、


「やあ。元気かい?」


 自分の腰を両手で掴む彼にそう告げられ、「あ」と声を零した。


「――《宝石蒐集家トイコレクター》さまあっ!」


 満面の笑みと共に、彼の首筋に抱き着いた。柔らかな乳房が、青年の胸板で圧し潰される。彼はその感触を堪能しながら、ポンポンと女性の背中を叩いた。


「少し離れて。話が出来ないよ」


「ああ、お許しください……」


 女性が上半身を離して、自分の胸元に手を触れた。


「ルビィをお求めですか? ルビィは精一杯ご奉仕します」


「ううん。そうじゃないよ。ルビィ」


 青年は笑う。ルビィとは彼女に与えた名前だ。

 彼女は日本人であり、別の名前があったのだが、それは捨てさせた。


「そう、なのですか……」


 ルビィは、露骨なほどにがっかりした表情を見せた。

 彼女の隷者ドナーたちを皆殺しにしたあの時の顔とは大違いだ。

 かつて多くの男性隷者を従えていた女王さま。傲慢な態度に苛立ったので、捕られて、快楽の海に引きずり込んでやった。「許して」「もう止めて」と懇願を繰り返し、絶頂のたびにしがみつく彼女には、随分と嗜虐心を満足させてもらった。

 そうした夜を繰り返し、今や完全に隷属するようになった彼女ではあるが、実は快楽の道具や手駒として扱う以外にも価値があるのだ。それも大いなる価値がだ。


「落ち込まないで。ルビィ」


 そう告げて、彼女の栗色の髪に触れる。


 ――それ・・をしてみようと思ったのは、完全に思い付きだった。

 彼女が持っていたスマホ。そこに入っていた術式アプリを見て思い付いただけだ。彼自身も、まさか成功するとは、全く予想もしていないことだった。

 例の会員制サイトに、その情報を書き込むとかなりの衝撃が奔った。


『開拓者現る!』『マジか!? まあ、人間なんて普通は飼わねえしなあ』『盲点だな』『それって可能なの? PCならOSが違うようなものでしょう?』『検証班。早よ』


 次々とくる質問と疑問の嵐。

 運営者である千年我霊エゴス=ミレニアからは『一度会いたい』と申し入れがあったほどだ。


(まあ、それも当然か)


 青年は、ルビィの腰を強く抱き寄せて背中に触れた。

 ルビィは「やん」と甘えた声を上げる。


 共に術式を操る引導師ボーダー我霊エゴスの差異。それは魂力オドの補充方法だった。

 生来の魂力オドに、主に《魂結びソウルスナッチ》で増量させる引導師ボーダーに対し、我霊エゴスは食事によって魂力オドの総量を増やすのである。それも食人だけではなく、ただの食事でも可能だった。


 日々食事をするだけで微量だが総量は増えていく。自分に適合した食材を初めて食すと一気に総量が増大することもある。長く生きるほどに強くなれるということだ。

 しかし、大きな欠点もあった。どれほど魂力オドを消費しても一晩程度でほぼ回復する引導師ボーダーと違い、我霊エゴスは一度消費すると、相応の食事をしない限り回復はしないのだ。それどころか、体力の低下状態が長く続くと、徐々に消費し始めていくのである。


 そんな我霊にとって、彼女の存在は、新たな可能性を示すモノだった。

 天の七座の一角が動くのも不自然ではない。


「ルビィ。よく聞いて」


 青年はルビィの頬に触れた。化け物の愛撫に、彼女は幸せそうに微笑んだ。


「ルビィにはお仕事をお願いしたいんだ。ちゃんと出来たらご褒美も上げるからさ」


「本当ですか! 《宝石蒐集家トイコレクター》さまっ!」


「うん」と頷く青年。

 そうして今回の演目を伝える。ルビィは、青年の膝の上でそれを聞いた。


「ルビィには結界領域内で引導師ボーダーを見つけたら、どんどん処分していって欲しいんだ。君に預けている保険ストックも使っていいから。出来るかい? 相手は君と同じ引導師ボーダーだけど」


「お任せください」


 ルビィは妖艶に笑う。


「ルビィは、今や身も心も《宝石蒐集家トイコレクター》さまの所有物です」


 言って、青年に口付けをする。

 数秒ほど舌を絡ませ、唇の感触も味わってから、ゆっくりと離す。

 ルビィは指先を唇に当てて、熱い吐息を零した。


「相手が引導師ボーダーでも人間でも関係ありません。ルビィは貴方の隷者なのですから・・・・・・・・・・・・・・・。貴方の期待に必ず応えます。だから……」


 物欲しそうな眼差しで、自分の腹部に手を添える。

 青年は、苦笑いを零した。


「分かっているよ。ルビィが頑張った分だけご褒美はあげるから」


「はいっ!」


 ルビィは朗らかな……しかし、どこか狂気を帯びた笑みを見せた。

 青年は、パチンと指を鳴らした。

 途端、彼女の姿が消える。指先には紅玉石ルビーが掴まれていた。


「さて、と」


 青年は、隣に置いてたスマホを、再び手に取った。

 ゴンドラがゆっくりと上昇する。もうじき頂点に達するはずだ。


「三十年越しの因縁。今回の舞台はどうなるかな?」


 皮肉気に笑う。

 そして、


「さあ、山岡さん」


 アプリの入力完了をタップする。

 途端、世界が移り変わった。


「オイラによるあなたのための舞台アトラクションだ。存分に楽しんでおくれよ」


 そう呟いて、名付きネームド我霊エゴス・《宝石蒐集家トイコレクター》は嗤った。

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