第190話 常闇の国②

(……え?)


 御影刀真は、目を見開いてた。

 ほんの十数秒前。

 兄貴分と共に、姉の隷主の元に突入しようとした矢先のことだった。

 部屋のドアを兄貴分がノックした時、突如、世界に違和感を覚えたのだ。

 それは、兄貴分も感じ取ったらしい。

 緊迫した表情で刀真の方を振り向いた直後、彼の姿がかき消えた。

 唖然とした。が、その数秒後に自分の視界が入れ替わった。

 眼下には石畳で舗装された地面。五メートルほど先だ。


 ――自分は今、落下している。

 そう判断した刀真は、瞬時に表情を引き締め直し、足から着地した。

 衝撃を両膝で吸収した見事な着地である。

 だが、彼の表情は険しいままだ。


「――剛人兄さん!」


 周囲に目をやって、兄貴分の姿を探すが見当たらない。

 ――いや、それどころか、人の姿がない。

 周囲は輝くような遊具が動いているというのに人の気配が全くないのだ。


「ここは、夜の国ミッドナイト?」


 夜にこそ輝く王国だ。

 しかし、人もいないのに動き続ける遊具には不気味さを覚える。


「飛ばされた? まさか、結界領域?」


 学校の授業でしか聞いたことのない上級我霊の結界領域。

 それに、自分たちは囚われてしまったのだろうか。

 天の声が聞こえたのは、その時だった。


常闇の国ナイトメア?」


 刀真は眉をひそめた。


「なんでこんなことを? しかもこんな人が大勢いる施設で……」


 困惑するが、今は危機的な状況だ。

 刀真は、まず物質転送の術を使った。

 虚空に門を開き、手を入れて愛用の武器――刀の柄の触媒を取り出した。

 次いで、スマホで兄貴分に連絡を取ろうとする。

 が、繋がらない。やはり通信を妨害されているようだ。


「とりあえず、剛人兄さんか、姉さまと合流しなきゃ」


 この結界領域の主の狙いは分からないが、結界領域には、引導師ボーダーは無関係でも巻き込まれやすいと習ったことがある。恐らく、姉もこの領域内にいるはずだ。

 刀真は、刀の柄を手に、慎重に歩き出す。

 と、数分もしない間だった。


「……グフゥ」


 おもむろに、メリーゴーランドの影から巨大な怪物が顔を覗かせた。

 まるで恐竜が出てくるパニック映画みたいだと刀真は思ったが、その怪物が放つ不気味さ、おぞましさは、恐竜の比ではなかった。

 刀真は、大きく間合いを取った。

 全長は五メートルほどか。体躯そのものは、遊具の影に隠れて全貌までは見えないが、長く太い尾もあるようで、そこは恐竜に似ている。しかし、異様に長い首の先にある頭部は、明らかに別物だった。


「…………」


 刀真は、蒼い顔で表情を険しくした。

 それは眼窩が黒い、長い髪の女性の頭だった。

 よく見れば、体躯にも乳房らしきモノもある。女の我霊エゴスだ。

 口元が無残に裂けた顔で、刀真を見つけた彼女は、ニタアと嗤った。

 刀真が、炎の刃を顕現させるのと、我霊エゴスが襲い掛かるのは同時だった。

 地を蹴ってさらに後方に跳ぶ。我霊エゴスの頭部がハンマーのように地面を打ち砕いた。

 石畳の瓦礫と共に、鎌首を上げる。


「……これが我霊エゴス


 刀真にとって、これは初めての実戦だった。

 当然である。どれほど聡明であっても、彼はまだ八歳なのだから。

 恐怖はある。けれど――。

 すっと。

 炎の刃を正眼に構える。

 幾度となく繰り返した所作。それだけで心が研ぎ澄まされていく。

 そして、


「があああああッ!」


 再び襲い来る我霊エゴスの頭部。

 今度は、刀真は逃げようとしなかった。


 ――御影刀真は、御影家の次期当主である。

 引導師ボーダーの後継には、男女の差はない。求められるのは強さと有能さだ。

 それは御影家も変わりない。


 そして現在の御影家には、御影刀歌がいる。

 魂力オドは圧巻の215。さらには剣才にも優れた彼女がいるのである。

 魂力オドにおいては、刀真は148だ。恵まれてはいるが刀歌ほどではない。

 だというのに、次期当主と呼ばれるのは、刀真の方だった。


「…………」


 刀真は無言で、炎の刃を振り下ろした。

 振り上げる所作を気付かせないほどの自然な一太刀だ。

 途端、我霊の頭部は両断され、左右に倒れ込んだ。


 ――そう。精密な魂力オドの操作。そして圧倒的なまでの剣才。

 それこそが、幼くして、彼を次期当主の座に押し上げたのである。

 もし、この場に真刃がいれば絶賛し、我が子のごとく溺愛したかもしれない。

 その面影は、まさしく在りし日の御影刀一郎そのものだったからだ。


 凛々しく美しき容姿は、御影刀歌に強く受け継がれた。

 しかし、剣神の才は、御影刀真にこそ受け継がれたのである。


 ただ、刀真自身は謙遜が過ぎて、剣才においても姉には及ばず、自分は長男だから跡継ぎなのだと思っているが。


「ど、どうにか、なったかな?」


 倒れ伏した我霊の巨体を見やり、不安そうに呟く刀真。

 頭部は、どの我霊にとっても急所の一つだ。

 授業で習った通りに出来て、刀真はホッとした。


「早く姉さまと合流しなくちゃ」


 言って、走り出す。少しでも早く不気味な死体から離れたくて駆け足だ。

 しかしながら、どれほど才があったとしても、これが幼さなのだろう。

 まさか、我霊エゴスが死んだふりをするなど思いもしなかったのだ。


「……え?」


 駆け出していた刀真は、唖然とした。

 両断したはずの我霊の頭が、すぐ真横で刀真を見つめていたのである。

 刀真は、ハッとした。

 ――違う。両断した頭は息絶えている。この頭は尾の先に生えたモノなのだ。

 この我霊は、胴体を起点に鏡合わせにしたような怪物だったのである。


「――くッ!」


 刀真は慌てて後退しようとするが、すでに遅い。

 我霊の巨大な口は、少年を呑み込もうとした――その時だった。


「《断裁リッパー》」


 ――ザンッッ!

 可憐な声と共に繰り出される斬撃音。

 刀真を呑み込もうとした我霊の首は切断された。

 それでもなお、刀真を狙う我霊の頭部を、


「やあ!」


 先程とは別の可憐な声が響く。

 同時に突き出された拳により、我霊の頭部は勢いよく吹き飛ばされていった。

 突然のことに、刀真はその場で尻餅をついてしまった。

 すると、


「……ぼく? 大丈夫?」


 首を吹き飛ばした少女が、手を差し伸べてくれた。

 夜空に輝く金色の髪と、湖のように澄んだ蒼い瞳。そして優し気な微笑み。

 白いドレスの纏った彼女の背中には、周囲の遊具の輝きが差し込んで、光の翼が広がっているようだった。


(……て、天使が、いる……)


 刀真はそう思った。

 ――と、


「その子は大丈夫でしたか? 月子さん」


 そう告げるのは、我霊の首を切断したもう一人の少女だった。

 この人も、もの凄く綺麗だった。

 すらりとした四肢に、引き締まった腰から豊かな胸へのラインは凄く大人っぽい。

 その綺麗な肢体に、まるで夜を象ったような黒いドレスを纏っている。

 白い肌と、唯一赤い首のチョーカーが、魔性の輝きのように見えた。

 ただ、両手に巨大なハサミを持っているのは純粋に怖い。


(……悪魔も綺麗なんだ……)


 刀真は、そんな失礼な感想を抱いた。


「はい。かなたさん」


 天使の少女――蓬莱月子は刀真の手を取り、立たせて答える。


「怪我はないみたいです」


「そうですか」


 そこで悪魔の少女――杜ノ宮かなたは気付いた。

 刀真が持つ炎の刃に見覚えがあることに。


「それは、もしかして《火尖刀イグニッション》ですか?」


「え?」


 月子も刀真の炎の刃に注目した。


「あ。刀歌さんと同じ……?」


「あ、は、はい。すみません」


 刀真の方もようやく気付いた。

 この二人が、昼間見た姉の友人たちであることに。


「ぼ、僕は御影刀真と言います。姉の刀歌がいつもお世話になっています」


「「……え?」」


 唐突な自己紹介に、かなたと月子は目を丸くした。

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