第222話 蟲毒の壺➂

 何はともあれ。

 真刃は、とりあえず彼女のこめかみにもう一撃入れることにした。

 今までよりも結構強めの一撃である。

 ソファーの上で転がって「はぐうっ!?」と呻く芽衣をよそに、


「……金羊」


 真刃はソファーに置いたままのスマホ――金羊に声を掛ける。


「この娘のことは一旦置いておくが、例の娘のことは何か掴めたか?」


『ムロちゃんっスね』


 金羊は答える。


『新しい情報はないっス。昨夜の動画が上がってるみたいっスけど』


 言って、スマホに動画を映し出した。

 真刃は首だけを動かして動画に目をやった。

 場所は暗い路地裏。

 そこには数体の怪物に囲われた白銀の髪の美女がいた。

 探し人の天堂院六炉である。

 周囲の怪物は一見我霊のように見えるが、恐らくは引導師だ。

 他の地方では、あの《DS》という薬物はまだあまり流通していないのだが、この強欲都市グリードではすでに蔓延しているらしい。

 だが、所詮は擬き・・である。天堂院六炉に敵うはずもない。

 怪物たちは瞬く間に駆逐された。


「………」


 真刃は、彼女の眼差しに目をやった。

 琥珀色の瞳。その双眸は――。

 と、その時。

 ――ぼよんっと。

 真刃の膝の上に、大きく重く柔らかい二つの物体がのしかかってきた。

 芽衣が、真刃の膝の上にまたがってスマホの動画を覗き込んできたのだ。


「あれェ。これって《雪幻花スノウ》ちゃんだァ」


 言って、スマホを両手で掴み、真刃の膝の上で仰向けに回転した。


「やっぱりシィくんもこの子を狙っているのォ。あ、さては」


 芽衣は真刃を見つめて、ムフーと笑う。


「シィくんはおっぱい星人だなぁ。ウチの《雪幻花スノウ》ちゃんにも匹敵するおっぱいさまに惹かれてウチを助けたなぁ」


 そう告げるなり、仰向けになってもほとんど崩れない大きな胸を突き出して、


「うん。いいよォ。揉み下しても。張りも弾力も極上であると自負しておりますから」


「……そろそろ頭蓋に穴を開けられたいのか?」


 二本の指先を向けて、真刃はそう告げる。

 と、その時。

 不意に部屋に軽いベル音が鳴った。

 来客を知らせるベルだ。


『ふむ』


 猿忌がドアに移動する。そして壁に取り付けられたモニターを見やり、


『主よ。あやつだ』


「……そうか」


 真刃は視線をドアの方に向けて頷いた。


「入れても構わん」


『承知した』


 猿忌は、モニター越しの人物に向かって入室の許可を出した。


「……? だぁれェ?」


 芽衣はスマホを放り出すと、真刃の服を掴んでよじ登った。

 それから一休みするように真刃の肩にあごを乗せ、正面から抱き着いた。

 真刃は「おい」と言って引き剥がそうとするが、その前にドアが開かれた。


「失礼します」


 そう告げたのは十八歳ほどの少年だった。

 身長はかなり高く百八十はある。ダボ付いた服を着た金色の短髪男だ。


「朝の挨拶に来ました。ボス。あ……」


 後ろ手を組んでそう告げた少年は、そこで頭を下げた。


「すんません。お楽しみの最中でしたか?」


 真刃に抱き着く芽衣の姿を見てそう思ったようだ。

 だが、真刃が反論をする前に、


「……ん?」


 少年が眉をひそめた。


「あン? てめえ。芽衣じゃねえか」


「へ? あれ?」


 一方、芽衣は顔だけを横に向け、目を瞬かせた。


「もしかして武宮君?」


 綺麗さっぱりと長髪から短髪になっていたために気付くのが遅れたが、彼はブラマンで対戦した武宮宗次だった。


「え? なんで君がここにいるのォ?」


「そいつは俺の台詞だ」


 武宮が眉をしかめて言う。

 すると、芽衣は、


「そんなの決まっているじゃないィ」


 むっふっふーと笑った。


「見て分からないのォ、ウチはシィくんの女になったんだよォ」


 言って、真刃の首元にぎゅうっと抱き着いた。

 真刃は「……おい」と半眼を見せるが、


「……マジか。すげえぜ。ボス」


 武宮は、羨望の眼差しを真刃に向けていた。


「そのじゃじゃ馬を捕まえて一晩で落としたんすか。流石っす」


「……武宮」


 真刃は武宮に目をやりつつ、渋面を浮かべた。

 一方、猿忌は『……あながち外れでもないな』と苦笑を浮かべていた。


「ところで武宮君。その『ボス』ってなぁに?」


 自分の居場所にマーキングでもするかのように、真刃に密着したまま少しずつみじろぎをしながら、芽衣が武宮に尋ねる。


「君のボスって《是武羅》の総長さんでしょうォ?」


「……兄貴は死んだよ。《是武羅》ももうねえ」


 視線を落とす武宮。


「連合チームに潰された。俺は死にかけてたところをボスに拾われたんだ」


 それは二日前のことだった。

 六炉を探す途中で、偶然虫の息だった武宮を見つけて拾ったのだ。

 放っておけば死ぬのは時間の問題だったので、仕方がなく手持ちの治癒の霊薬を与え、この二日間、様子を見ていたのだが、どうやら無事復帰となったらしい。


「ボスがいなけりゃあ、俺は死んでいた」


 改めて後ろ手に手を組み、背筋を伸ばして武宮は言う。


「この恩義に報いるために、俺はボスの兵隊になると決めたんだ」


「いや待て。武宮」真刃は眉をひそめる。「それは初耳だぞ。オレに部下はいらん」


 一拍おいて。


「助けたのも気まぐれだ。恩義を抱く必要もない。それよりもだ」


 真刃は、真剣な表情で告げる。


「折角拾った命だ。早くこの街を出ろ。お前もだ。芽衣」


 芽衣は「は、はいっ!」と声を上げて、肩をビクッと震わせた。

 どうやら、初めて名前を呼ばれたことに緊張したようだ。

 それには気付かず、真刃は淡々と言葉を続ける。


「お前たちの名はSNSでよく聞く。二人とも狙われているぞ。武宮。お前は命を。芽衣。お前は言わずとも分かるな? お前たちは一刻も早く脱出すべきだ」


「……ウチを心配してくれてるの?」


 上半身を少し離して、芽衣は真刃と視線を合わせた。

 真刃は「当然だ」と答える。


オレが助けた命だ。無碍に扱うはずもなかろう」


「……あうゥ」


 そう告げると、芽衣は瞳を潤ませた。


「……シィくんが容赦なくウチを蕩けさせてくるよォ……」


 そう呟き、耳まで赤くして視線を伏せた。


『(……ご主人の天然って本当に凄いっスね)』


『(……まあ、真刃さまですから)』


 と、金羊と刃鳥が、こそこそ話をする。

 一方、真刃は「……? おい? 芽衣?」と訝し気な表情を浮かべている。


「けど、それは出来ないよォ」


 フルフルと、芽衣はかぶりを振った。


「ウチはシィくんの近衛隊の隊長さんなんだよ。シィくんを置いて逃げれないよォ」


「そいつが近衛隊とかの隊長ってのは初耳なんスけど、それは同感っすね」


 武宮も言う。


「ボスはここに残るんすよね? 昨日、金羊から聞きました。ボスも《雪幻花スノウ》を狙っているって。なら俺はボスの盾として残ります。それに……」


 武宮は、後ろ手に力を込めた。


「この街には俺の隷者おんなたちがまだいます。あいつらを助けねえと。それに他にも助けてやりてえ奴らがいるんです」


「……へえ」


 芽衣が武宮の方へと視線を向けた。


「それってだぁれ?」


「…………」


 武宮は沈黙するが、真刃が顔を向けて「武宮?」と問うと、


「……うちのチームが攫った他県そとのガキどもっす」


 重い口を開いた。


「うちのチームはブラマンとかに参加する時は他県そとからガキを攫って掛け金ベッドにするんす。俺はそれが前から嫌で、今回、初めて兄貴に掛け合って、俺が勝ったらあいつらは俺が貰うことになったんです。けど、俺は負けて、その上、こんな状況になっちまって……」


「え? それって……」芽衣は少し驚いた。


掛け金ベッドにされた女の子たちを助けたいってこと?」


「悪いかよ」


 武宮は不満そうに言う。


「俺はクズだ。兄貴もクズだ。だから殺されても文句はねえ。それだけのこともしてきた。踏みにじったら踏みにじられんのも当然だ。けどあいつらは違うんだよ」


 一拍おいて。


「あいつらはまだガキなんだ。それも何の覚悟もなくこんな場所に攫われちまったガキだ。そんな奴らを巻き込むのは全く筋が通らねえじゃねえか」


 ふう、と息を吐く。


「あいつらはいずれ家に帰すつもりだ。けど、今はこんなヤべえ状況だからな。俺は混乱のどさくさに紛れて、俺の隷者おんなたちとガキどもを俺しか知らねえ隠れ家アジトに匿ったんだよ。あそこならしばらくは持つと思うが……」


 武宮は、真刃を見据えた。


「俺はこの街に残ります。あいつらのために。ボスのお役に立つために」


「………」


 真刃は無言だった。

 ただ、ややあって嘆息すると、


「……頑固な男だな」


 諦めたようにそう呟いた。

 それから顔を前へと向けて、膝の上に居座り続ける家猫のような娘にも問う。


「芽衣。お前も武宮と同じか?」


「うん。当然だよォ」


 芽衣は、ニコッと笑った。


「うちは近衛隊の隊長さんだからね。隊員の武宮君と一緒にお役に立つよォ」


「おい待て」武宮がツッコむ。「俺がいつお前の部下になったんだよ?」


「何を言ってるんだよォ」


 武宮をジト目で見やり、むっふっふーと芽衣がほくそ笑む。


「だってウチはシィくんの女兼最高幹部なんだよォ。武宮君とは格が違うのだよォ」


「……チ。そうかよ」


 その台詞に、武宮は渋々承諾する。


「お前がボスのお気に入りなのはマジみてえだし、文句も言えねえな。今はてめえに従ってやんよ。だが、俺はてめえの部下なんかじゃねえからな。それだけは憶えとけよ」


「うん。OKだよォ」


 芽衣は、満面の笑みでそう告げた。

 次いで両手を勢いよく掲げた。さらに胸元のボタンが一つ飛んだ。


「ともあれ、これでチーム・《久遠くどう》……ここはカッコよく《久遠クオン》の方でいいかな? それから平定した世界を勝ち取るって意味を込めて……よし!」


 力強く頷く。


「今日から新チーム・《久遠天原クオンヘイム》の始動だよォ! 目的は《雪幻花スノウ》ちゃんのGET! そんで強欲都市グリードの平定だよ!」


 そうして芽衣は、声高らかに宣言した。


「天下、獲ったるよォ!」


「おおッ!」


 武宮も拳を固めた。

 ただ、一拍おいて。


「いや。天下はいらんのだが?」


 当の真刃はそう言った。

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