第221話 蟲毒の壺②

『《是武羅》潰したぜ! けど、兄貴はったが、武宮の弟がどこにもいねえ!』


『《鮮烈紅華レッドリリィ》の綾香が《阿沙流徒アサルト》のキョウヤを降したぞ!』


『《黒い咆哮ハウリング》の勢いがヤべえ! キタの三分の一を落とす勢いだぞ!』


『《崩兎月》の沈黙が不気味だな。何を狙ってやがる……』


『《雪幻花スノウ》見つけたぜ! けど速攻返り討ちだ!』


『アホ。勝てるか。もっと狩れ。仲間集めろ』


隷主オーナーの所在情報求む』


『男性三名、女性二名、今なら空いています。魂力娼館オドハウス《SAKURA》まで』


『なあ、誰か芽衣ちゃん知らね? オレ、あの子狩りたい。つうか飼いたい』


『残念。芽衣ちゃんなら俺の隣で寝ている。処女だった。美味しゅうございました』


『処女ってw そんな訳あるか。ショタ王国の女王さまなんだぞww』


『マジかよ。《獅童組》が壊滅……。因縁の《灰色狼グレイウルフ》と相打ちか……?』



 ……朝。

 とある高級ホテルの一室で。

 ソファーに座って足を組む真刃は、金羊が映し出すSNSの情報に目をやっていた。

 今の時代、当然ながら引導師もSNSを利用している。

 ただ、使用するツール自体は特別製だった。魂力操作が必須の特殊なアカウントでしかログインできない引導師専用のSNSなのである。

 しかし、真刃はつくづく思う。

 今代の引導師たちは、どうして自らの情報を垂れ流しにするのだろうか。


(まあ、情報を集めるには困らんが……)


 とは言え、誤情報も多いのは問題か。

 真刃は嘆息した。

 本来ならば、とあるホテルで彼女と会うはずだった。

 しかし、約束の時間、夜八時にホテルへと赴いた時、真刃は唖然とした。

 突然、ホテルの最上階が爆破されたのだ。

 破壊された跡を確認したが、そこに約束の人物の遺体らしきものはなかった。

 まあ、当然だろう。天堂院の娘が容易く死ぬはずもない。


(それにしても何があった?)


 真刃は七奈に連絡を取った。

 だが、七奈曰く、異母姉と全く連絡が取れないそうだ。

 もしやと思ってその場を調べると、全壊したスマホの残骸を見つけた。

 どうやら彼女のスマホのようだ。

 真刃は、金羊に命じて状況を調べさせた。

 そうして初めて知ったのが、今の強欲都市グリードの在り様だった。

 彼女が《雪幻花スノウ》と呼ばれていること。

 先日勃発した女王争奪戦にまで辿り着くまで時間はかからなかった。


(何をやっておるのだ? あの娘は?)


 真刃としては困惑するばかりだった。

 とは言え、彼女と会って話を聞くことが、この都市に来た目的である。

 やむを得ず、真刃はSNSの目撃情報を頼りに、連日、彼女を探していた。

 だが、結局、昨日も彼女と出会うことはなかった。


「……この地には狼覇も眠っておる」


 スマホをソファーの上に落として、真刃は嘆息した。


「あやつも探さねばならんというのに、この労力は想定外だぞ」


『……仕方あるまい』


 ボボボッと、猿忌が現れる。


『やはり一筋縄ではいかぬ娘ということだ』


 そう告げるが真刃としては、どうも納得がいかない。


「今回はただ話を聞くだけだったはずだぞ? オレには女難の相でもあるのか?」


 組んだ足を解き、両腕をソファーの背もたれに乗せて、思わずそう呟く真刃。


「昨夜の娘にしてもそうだ。あのような場に遭遇するか? 二夜連続だぞ。前日もあって移動には人目を避けていたというのに」


 昨夜、偶然遭遇して、やむを得ず助けた娘。

 名も知らない娘だが、怯えて泣く者を見捨てるような真似は出来なかった。


『う~ん、今回は女難というよりも、今の強欲都市グリードが異常なせいだと思うっスけど』


 金羊が言う。と、その時だった。


『真刃さま』


 ボボボッと孔雀の霊体・刃鳥が現れる。


『先程、その彼女が目を覚めましたわ。今から参ります』


 すると、後方のドアが開かれた。

 このスイートルームの寝室のドアだ。

 そこから出てきたのは、小柄な一人の女だった。

 ふわりとしたボリュームのある長い栗色の髪の女性。昨夜助けた娘である。

 真刃は、視線をそちらに向けて眉をひそめた。

 彼女の衣服が、昨日の夜とは全く違うモノになっていたからだ。

 下には下着しか履いていないのか、肉付きのよいしなやかな足は露出して、上には男物の白いYシャツのみを着ている。袖も腰回りもかなり余っているようだが、ボタンを無理やりに留めた胸元だけは今にも弾けそうだった。

 見覚えのある服だった。

 いま着ている真刃と同じモノ。予備のYシャツである。


「……おい。刃鳥」


『申し訳ありません』


 刃鳥が謝罪する。


『彼女の衣服は、随分と汚れていた上に損傷もしていましたので。しかしながら、代わりの衣服は真刃さまのモノしかありませんでしたから』


「……それで俺の服を着せたのか?」


 真刃が渋面を浮かべた、その時だった。

 ――タンっと。

 彼女が、いきなり駆け出して跳躍したのである。

 くるりと宙で回転。真刃の前にあるローテーブルに着地した。ぶるんっと大きな双丘が上下に揺れる。彼女は前屈みとなり、両手の指先をテーブルの上につけた。


「………――」


 少し垂れ目気味の大きな瞳で、真刃を見据えている。

 真刃は特に身構えない。

 仮に攻撃されても、この距離ならば即座に首も刎ねれる。

 しばらく沈黙が続く。と、


「……ウチは芽衣。《夜猫ナイトウォーカー》の芽衣。あなたの名前は?」


 彼女が初めて口を開いた。


「……オレは久遠だ。久遠真刃という」


 と、真刃は答える。

 互いにほぼ初対面だ。自己紹介を無視する理由もない。

 すると、彼女はネコが歩くかのように、のそりと真刃に近づいてきた。

 そして――。


「……え~いっ!」


 彼女は大きく跳んで、真刃に抱きついてきた。

 真刃の上にのしかかり、目いっぱい豊かな双丘を押し当ててくる。

 ソファーが大きく揺れた。


「……おい」


 怪訝な眼差しを見せる真刃。


「いきなり何の真似だ? 娘よ」


「……や~ん、芽衣って呼んでよォ」


 芽衣は顔を少し離して、人懐っこい笑みを見せた。


「だってェ、ウチはもう真刃君の……シィくんの女なんだよォ」


 そう告げて、再び真刃の首に抱きついてくる。

 その時、真刃は気付いた。


「……あのね。ウチ、シィくんに絶対服従するから」


 抱き着く彼女が、ずっと震えていることに。

 微かにだが、歯も鳴っていることに。


「……あのね」


 彼女は、顔を見せないまま、言葉を続けた。


「……ウチ、あの屋上での戦いの後のことはほとんど憶えてないけど、何となく体の奥が凄く熱くなったのは憶えているよ」


 一拍おいて、


「震える手でずっと誰かにしがみついてたことも。それってもう昨日の内にウチはシィくんの女になったってことなんでしょう? だったら……」


 彼女は、下唇をきゅっと噛んだ。


「流石に気付いたよね? ウチが処女だったってこと」


「…………」


「ウチね。ホントは第二段階の隷者なんて一人もいないの。けど守りたい子たちがいて、ずっと隠してたんだ」


 小刻みに体を震わせたまま、彼女は語る。


「ウチ、シィくんの言う事なら何でも聞くよ。昨夜のことは何も覚えてないけど、次は頑張るから。あなたの女にちゃんとなるよ。だからお願い。一つだけお願いを聞いて。せめて、あの子たちだけは――」


 と、言いかけたところで、

 ――バンっ!


「――ひゃあっ!?」


 いきなり背中を強く叩かれ、芽衣は仰け反った。

 それから、真刃は彼女のこめかみを二本の指先で軽く殴打した。

 芽衣は「――はうっ!?」と、今度は横に仰け反った。


「……阿呆あほうが」


 真刃は嘆息した。


「まず、最初に言っておくが、オレはお前を手籠めにはしておらんぞ」


「……ふえ?」


 芽衣は片手でこめかみを抑えながら、目を瞬かせた。

 それから袖の余る腕や、今にもはち切れそうな自分の双丘に目をやり、


「え? け、けどォ、ウチ、目覚めたら素肌に男物のシャツやったんよ? この格好ってもう完全に事後じゃあ……」


「それはオレの従霊……式神の悪ふざけだ」


『いえ。悪ふざけという訳ではないのですが……』


 と、刃鳥が異論を挟むが、真刃は無視する。

 仮にもこの部屋はスイートルームだ。探せばバスローブぐらいはあったはずだ。

 真面目な刃鳥も、金羊の悪影響でも受けているのだろうか?


「ともかくオレはお前に手を出していない。そもそもだ」


 真刃は、半眼で芽衣を睨み据えた。


「泣いて助けを求めた娘を手籠めになどにするものか。ましてや気絶していては尚更だ。お前が助けを求めたからこそ、オレはお前を助けたのだ。ただそれだけの話だ」


「……ふえ?」


 芽衣は、自分の胸元を両手で抑えた。


「ウ、ウチが助けてって言ったから助けてくれたん?」


「そう言っておる」


 不機嫌な様子で答える真刃。


「ウチが、助けてってお願いしたから?」


 そう呟く芽衣。

 ややあって、


「うわっ、うわああっ!」


 芽衣はカアアっと顔を赤くした。次いで両手を交差させて突き出した。


「熱いっ! 体の奥が凄く熱いよっ! ウチ、いま無茶くちゃときめいてる! ウチは可愛系の男の子が好きやから、シィくんみたいなおじさんは好みじゃないのにィ!」


「誰かおじさんだ」


「――痛いっ!?」


 真刃は、再び芽衣のこめかみを指先で殴打した。

 けれど、その程度で彼女の肌の火照りは消えたりしなかった。

 大きな胸の奥の鼓動は、どんどん跳ね上がっていった。


「うわっ、うわあっ! あかんてっ! ウチ、スイッチ入った!? 本気スイッチ入ったん!? どうしよう!? ウチどうしよう!?」


 左右に視線を泳がせ、真刃の膝の上で完全に挙動不審になっていた。

 と、その時だった。


『ふむ。ならば早速面談だな』


 ボボボッと猿忌が現れてそう告げた。

 芽衣は「え? お、お猿さん?」と目を丸くした。

 真刃は嫌な予感がして口を挟んだ。


「おい。猿忌」


『主よ。静粛に。これは従霊の長の役目だ』


 主人を片手で制して、従霊の長は芽衣に視線を向けた。


『芽衣と言ったな。家名はなんだ?』


「……ないよォ」


 芽衣は少し視線を逸らした。


「……初めからなかったからぁ」


『そうか。ならば歳は幾つだ? 魂力の量は?』


「……二十歳になったばかりだよォ。それと183」


『ほう』猿忌は双眸を細めた。


『他の妃よりはやや低い値だが充分ではあるな』


 続けて問う。


隷者れいじゃはいるのか?』


「れい? あ、隷者ドナーのことォ」


 芽衣は、あごに指先を当てた。


「いるよォ、第一段階だけど六十二人……」


『ぬ。そうなのか……』


 一拍おいて猿忌は尋ねる。


『解約する気はあるか? 我が主の隷者れいじゃになる気はあるか?』


「……それは」


 芽衣は一瞬沈黙した。が、すぐに両手で『×』を作った。


「ダメェ。あの子たちを見捨てられないもん」


『……むむ。そうか……』


 猿忌は肩を落とした。


『残念だ。ほぼ条件は満たしておるのだがな』


『NOっ! 惜しいっス!』『なかなかの逸材ではあるのですが……』


 と、金羊と刃鳥も無念の声を上げた。


「……お前たちは」


 真刃は心底疲れた様子で嘆息した。


「誰彼構わずオレの妻にしようとするな」


「――ええっ!?」


 その台詞に目を剥いたのは、芽衣だった。


「今のってそういう話だったの!? ウチ不合格なん!?」


『残念ながらな』


 猿忌が言う。


『主の妃になるには隷者であることは必須だ。それ以外は問題なかったのだが……』


「ええ~、けどォ……」


 芽衣はこめかみに自分の人差し指を当てた。

 しばし考え込む。

 ちなみにその間も彼女はずっと真刃の膝の上だった。

 そして、


「ならっ!」


 芽衣は名案を思い付いた。


「ウチをシィくんのチームの幹部にしてくれないかなっ!」


「……なに?」


 芽衣の発案に、真刃は眉をひそめた。

 猿忌や金羊たちも、怪訝な様子を見せている。


『それはどういう意味だ?』


 猿忌が尋ねると、


「えっとねェ、要はウチをシィくんの側近兼愛人にして欲しいのォ」


『……な、に?』


 猿忌が少し驚いた顔をした。金羊と刃鳥も驚いている。

 ちなみに真刃は「……は?」と呆気に取られていた。


「あのねェ」


 芽衣は説明を続けた。


強欲都市グリードではよくある話なんだよォ。側近兼愛人って」


 少し頬を赤くして、クルクルと指先で自分の長い髪を絡めとる。


「契約できる隷者ドナーの数って限りがあるからね。だから、強力な引導師ボーダーならあえて隷者ドナーにしないこともあるの。個人の貯蔵庫タンクにするよりも、派閥を作らせて右腕にもなるような幹部にするんだよォ。まあ、《魂結びソウルスナッチ》をしてないだけで愛人にはするんだけどね」


 そうして上目遣いでこう告げた。


「だから、ウチもそれならありかなって」


「……いや、何がありなのだ」


 と、真刃が呆れた顔でツッコんだ時。


『……うゥむ』


 猿忌が、あごに手をやり呻いた。


『よもやだな。それは盲点であった』


 それから数瞬ほど熟考して。


『なるほど。側近か。確かに組織としてならばそれもあり得るな』


「……おい。猿忌」


 真刃は、嫌な予感がして顔を強張らせた。


『妃じゃなくて側近っスか。その発想はなかったっスね』


『ええ。確かに』


 金羊と刃鳥も、そのアイディアに感心の声を上げていた。

 そして、


『よかろう。お主の提案を受け入れよう』


 従霊の長は言った。


「おい!? 猿忌!?」


 青筋を浮かべる真刃。それには構わず猿忌は言う。


『芽衣と言ったな。お主は今日より主の近衛隊の長だ。身命を賭して主に仕えよ。また特例として、近衛頭であるお主には妃同様に主の寵愛を賜ることが出来る権利を与えよう』


「おい! 何だその権利は! オレの意志はどこに行った!」


 真刃がそう怒鳴るが、


「やったあ! ホントっ!」


 当の芽衣は、満面の笑みを浮かべて万歳のポーズをとっていた。

 ちなみに、その勢いで胸元のボタンが一つ飛んだ。


『えっと、猿忌さま。これって流石にエルナちゃんたち激怒するんじゃないっスか?』


『確かにそうだろうが、この娘には何やら事情がありそうだ。それが解決するようであれば改めて妃への移行も考えておる。近衛頭はとりあえずの肩書だ』


『なるほど。承知いたしましたわ。猿忌さま』


 と、従霊たちの間では話がまとまった。

 対し、真刃たちの方は、


「うわぁい、うわぁい……」


 赤い顔で芽衣は両頬を抑えていた。大きな瞳は潤んでいる。


「近衛隊の隊長さんかぁ、まさかウチがこんなことになるなんて……」


「……いや。あのな」


 真刃が何かを言おうとするが、彼女は唐突に真刃の肩を両手で掴んだ。


「シィくん。ウチね……」


 芽衣は上目遣いで言う。


「こんな気持ち、初めてなの。ウチね、シィくんが好き。凄く好きだよ。だから」


 そうして芽衣は、


「早速『寵愛権』を使うね! これから夜まで子作りしよっ!」


 色々と暴走した台詞を吐いた。

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