第五章 蟲毒の壺

第220話 蟲毒の壺①

「――アホんだらがッ!」


 デスクが並んだ小さな事務所にて。

 作業着を着た壮年の男性の怒声が響く。


「何考えとんじゃ! 引導師ボーダーどもはッ!」


 でっぷりと太った体を揺らして、ドンっとデスクを叩く!


「好き勝手に暴れくさりおって!」


「……ご立腹っすね。所長」


 そう告げるのは、デスクに身を投げてぐったりとした男性だった。


「当り前じゃあ!」


 所長と呼ばれた男が再びデスクを叩いた。


「金さえ出せばどんだけこき使ってもいいんちゃうぞ! 働き方改革を知らんのか!」


 そう叫ぶ彼の名は田所たどころしのぶ。こう見えても引導師ボーダーだ。

 しかし、戦闘系ではない。

 彼は修復屋と呼ばれる職種の引導師だった。

 その名の通り、破損した物質を修復できる系譜術を持つ者だ。

 主に修復系と呼ばれる引導師は、正直、戦闘には向いていない。

 そのため、いつしか修復系は破損した建造物などを修復して戦闘の跡をなかったことにする役目を担うことになったのだ。

 彼らはいつしか組織を形成し、強欲都市グリードにおいては非常に珍しい中立の立場にあった。

 田所の会社・『田所SEISOU』もその組織の一つだった。

 報酬さえ払えば、どのチームの依頼も受ける。どれほど暴れても、建造物であるのならば一晩で修復する。特別料金を払うのなら死亡者の処置も請け負う。

 それが彼らの会社の業務内容だった。


 ――だが現在。

 強欲都市グリードは、まさに猛火の中にあった。

 次から次へと、依頼が舞い込んでくるのである。

 宣戦布告から三夜目。

 田所も含め、全所員は休む暇もなく街の修復を続けていた。

 これは、恐らく他の修復系の組織も同じことだろう。仮にも警察――国家所属の引導師ボーダーたちも動いているというのに全く治まる様子がない。


「……これ、いつまで続くんすかねェ……」


 ぐったりとした様子で一時帰還した所員が言う。


「分かるかい。ボケ」


 ボリボリと頭をかく田所。


「女王とかいう姉ちゃんが誰かのモノになるまでやろ。くそッ、もう愚痴ってもあかんのやろなぁ。この流れはどうしようもないわ」


 田所は、事務所の窓にまで近づいた。

 そして窓の外に目をやる。

 月が輝いている。

 あの月下の元で今も争いが繰り広げられているのだ。

 あの月は、まるで狂気の象徴だった。


「……もう止まらんのやろな。強欲都市グリードに王が生まれん限りのう……」



       ◆



 ……ふゥ、ふゥ、ふゥ。

 大きな胸が上下する。荒い呼気が止まらない。

 彼女は、ビルの屋上を蹴りつけた。

 月光が、空を駆ける彼女の姿を映し出す。

 揺れる長い尾に、巨大な爪棍を持つその姿は模擬象徴デミ・シンボル

夜猫ナイトウォーカー》・芽衣の模擬象徴デミ・シンボルだ。

 追い詰められて《DS》を使わざるを得なくなったのだ。

 彼女は別のビルの屋上に着地、再び跳躍した――が、


「――ッ!?」


 宙に跳んだところで無数の鎖に覆われた。

 彼女は咄嗟に《無空開門マジックボックス》を開いた。数メートル程度だが空間転移できる系譜術である。それによって、どうにか危機を回避した。

 しかし、咄嗟のことで転移先まで指定できなかった。

 近くのビルの屋上に転移し、ゴロゴロと転がった。


「……くゥ!」


 彼女は呻き声を上げつつも、爪棍を手に、すぐさま立ち上がった。

 すると、


「そろそろ限界のようだな」


 男の声がした。

 ハッとして見やると、数メートルほど先に一人の男がいた。

 見覚えのある男だ。


「……獅童、大我……」


「俺の名を憶えていたか。偉いぞ」


 紫煙を吐き、白い紳士服姿の獅童が言う。

 よく見ると獅童だけではない。ここには十数人の男たちがいた。

 彼女は完全に囲まれていた。


「俺がここにいる理由は分かるな?」


「……隷主オーナー狩りハント……」


 彼女は、喉を鳴らした。

 それは、この三日間で頻繁に行われていることだった。

 強力な隷主オーナーを狩り、その隷主オーナー自身を隷者ドナーにする。

 女王と戦うため、なりふり構わず魂力を集めているのだ。


「……最悪ゥ」


 芽衣は、皮肉たっぷりに吐き捨てた。


「それで女の子にしつこく付きまとっているのォ」


「まあ、お前のことは最初から狙っていたからな」


 獅童は煙草を捨て、火を踏み消した。


「魂力が183。誰もが欲しがるに決まっているだろう?」


「……ホント、最悪ゥ」


 芽衣は、仏頂面を浮かべた。

 が、内心では焦っている。この状況は明らかな危険だった。


(ここを切り抜けるには……)


 芽衣は双眸を細める。

 その猫のような瞳に映るのは獅童の姿だ。


(あいつを倒すしかないのよねェ)


 リーダーを倒せば、チームは混乱する。

 その隙に逃げるしかない。

 いや、別に倒すことは出来なくてもいい。

 大きなダメージさえ与えれば……。


「……色々と考えているようだが」


 獅童は、ふっと笑った。


「悪足掻きはしない方が賢明だぞ。俺の手を煩わせるほどに、俺の気分を損ねることになる。今夜のお前の扱い方も変わってくるからな」


 そう告げると、芽衣はいつぞやのように「べえっ!」と舌を出した。

 そうして――。



 十分後。

 芽衣は倒れ伏していた。

 模擬象徴デミ・シンボルは解かれ、ベビードールのドレス姿で横たわっている。

 まだ気絶はしていないようで、その大きな瞳で獅童を睨みつけていた。

 獅童は、新たな煙草に火を点けた。


「……今にも切れそうな《DS》で俺に勝てるはずもないだろう」


 ゆっくりと紫煙を吐く。


「……ウチ、は」


 芽衣は声を絞り出した。


「まだ、《魂結びの儀ソウル・スナッチ・マッチ》を、するなんて、言ってない……」


「ふん。そんなものは後付けでどうにでもなる」


 獅童は煙草を咥えたまま、芽衣の髪を掴み上げた。

 そのまま無理やりに立たされる。


「お前は今夜の戦利品だ。これから愉しませてもらおう。言っておくが……」


 獅童はニヤリと笑った。


「お前がこれまで経験したようなガキのセックスとはまるで違うぞ。覚悟しておけ。今夜、お前は生まれ変わるんだよ」


 そう言って、彼女を肩に担ぎ上げた。


「まあ、安心するんだな。今はどれだけ片意地を張ろうとも、数時間も経てば自分から腰を振るようになっているさ」


(……やだァ、そんなのやだよォ……)


 芽衣は、獅童の背中を掴んだ。

 こんな結末は嫌だ。

 誰かの愛玩動物、そして魂力オド貯蔵庫タンクとなる。

 彼女の人生は、生まれた時からそう決められていた。


 ――可愛い男の子が大好きで、自由に生きるために家名を捨てて出奔したお嬢さま。

 それが強欲都市グリードで浸透している『芽衣』という引導師の人物像だった。


 だが、本当の彼女はまるで違う。

 彼女は、この強欲都市グリードに潜む、隷者を売買する犯罪組織内で生まれたのだ。

 強欲都市グリード内においても最悪に分類される組織である。

 彼女は番号で呼ばれ、組織に飼われていた。

 いずれ高額で売買するため、もしくは適齢期になったら子を産めせるためだった。

 けれど、十三歳となった日。彼女は幸運にも系譜術クリフォトに目覚めたのである。

 顔も知らない両親のどちらの系統なのかは分からないが、彼女はその力を使い、事故を装って自分の死を偽装した。組織を欺き、逃げ出すことに成功したのである。


 あの日、彼女は自由になったのだ。

 その後、『芽衣』と名乗り、彼女は引導師となった。

 そこからの人生も決して楽ではなかったが、それでも彼女は自由だった。

 だというのに――。


(やだ、やだ、やだ……)


 今宵、自分は再び捕らわれていた。

 そこには自由はない。誰も助けてもくれない。

 いや、もしこの状況を知れば、自分の隷者たちは助けに来てくれるかもしれない。

 だが、それはダメだった。絶対にダメだ。

 あの子・・・たち・・は一般的な女性隷主オーナーの『騎士団ナイツ』とは違うのだから。


(ウチは、ウチはお姉ちゃんなんだから)


 下唇を強く噛む芽衣。

 あの子たちは強欲都市グリードで生まれたか、流れ着いた孤児たちだった。系譜術も継承できず、いずれ魂力娼館オドハウスへと流れて魂力を搾取されることを決められた少年少女たちだった。

 自分自身の過去と重ねてか、芽衣はそんな子供たちを保護していた。

 重複契約が出来ない《魂結びソウルスナッチ》の特性を逆手に取り、芽衣は手当たり次第に子供たちと契約したのである。悪意ある大人に子供たちが隷者にされないようにするためだ。


 少しでも多くの子を守るため、契約は第一段階までに限定した。

 個々から得られる魂力の量は少ないが、六十二人と契約することで芽衣は600近い魂力を得ることが出来た。その上で他の引導師たちに侮られないように、さも第二段階の隷者がいるかのように振る舞っていたのだ。

 ブラマンのような悪趣味だが別格の報酬になるイベントにも参加して、時には他県から攫われた可哀そうな子たちを親元に届けたりしつつ、教育を施す保護施設も創った。あの子たちが無事成長し、引導師の世界以外で生きていけるようにだ。

 実際に巣立った子たちもいる。その時は涙を流すぐらいに嬉しかった。


 だが、それも、これまでの強欲都市グリードだったからこそ出来たことだ。

 今、この街はかつてないほどに緊迫した状況にある。

 このまま留まるのは、あまりに危険だった。


 施設の子たちは前日の内にどうにか他県へと避難させた。彼女自身も必要な物資の手配だけ済ましてしまえば、今夜中にも避難する予定だったというのに――。


(やだ、やだァ……ッ)


 力の入らない拳を、獅童の背中に叩きつけた。

 すると、


「……おい」


 獅童が、淡々とした声で告げた。


「大人しくしておけ。少しは優しくされたいだろう?」


 その声に、芽衣は息を呑んだ。

 カチカチと歯が鳴り始める。改めて自分は獅子に捕らわれたのだと感じた。


(……やだァ……)


 芽衣の目尻に涙が滲んだ、その時だった。


「……待て」


 不意に声が響いた。少年の声である。

 獅童の顔つきが変わり、周囲の男たちの雰囲気も変わった。


「……お前か」


 獅童が呟く。芽衣は唖然と声の主を見つめた。


「グレイ、くん?」


 そこにいたのは、グレイだった。

 白いレインコートを纏った少年である。


「その女を離してもらおう」


 グレイが告げる。芽衣は驚き、目を見開いた。


(助けて、くれるの?)


 そう期待した。けれど、少年は続けてこう告げた。


「その女は俺が貰う。俺の隷者ドナーにする」


「……お前は孤独が好きだったんじゃないのか?」


 皮肉気にそう尋ねる獅童に、


「《DS》だけでは足りない。俺にはもっと多くの魂力が必要なんだ」


 グレイは告げた。


「もう一度、《雪幻花スノウ》と戦うために」


 その台詞に、芽衣は言葉を失った。

 フードの中のグレイの瞳に目をやる。


 決闘場アリーナで出会った時は、まだ澄んでいた眼差し。

 あの子たちを守る騎士ナイトになってくるかもと期待した瞳。


 それが、今はまるで濁った血のように赤くて――。


(ああぁ、あああぁ……)


 芽衣は、ポロポロと涙を零した。

 昔からそうだった。やはり、自分を助けてくれる人間なんていないのだ。

 黒い獅子に喰われるか、灰色の狼に貪られるか――。

 ただ、それだけの違いだった。


「……やだァ……」


 零れ落ちる涙が止まらない。


「やだよォ、こんなのやだあ、誰かぁ、誰かあぁ!」


 芽衣は子供のように泣いた。


「助けてえェ! 助けてよおォ!」


 空に向かって声を張り上げる。


「ウチ頑張ったんよ! 凄く頑張ったんよォ! それなのになんでェ! なんでウチのことは誰も助けてくれへんのォ!」


「……やれやれ」


 そんな彼女に、獅童は鼻を鳴らした。


「泣き言か? どうせ今夜は一晩中鳴くことになるんだ。今は黙っておけばいいものを」


 彼女をより絶望させるかのようにそう告げた。

 その時だった。

 全く予期せぬ闖入者が現れたのは。




「……こんな場所にまで人がおるのか」




 不意に、そんな声が聞こえた。

 そして音もなく。

 屋上のほぼ中央に、その人物はいきなり出現した。

 灰色の紳士服に胴衣ベスト。同色の帽子を片手で抑えた青年である。

 ここにいる誰一人に気付かせることもなく、その青年は静かに佇んでいた。

 獅童とその部下たち、グレイ、そして芽衣も唖然とした。


「……立て込んでいたか?」


 青年が、芽衣たちの方へと視線を向けた。


「極力人気のない道筋を選んで跳んでいたつもりだったのだが、すまぬな。オレはただの通りすがりだ。気にする必要はない」


 そう告げる。


「……お前は」獅童が双眸を細める。「何者だ?」


「……オレか?」


 帽子をかぶり直して、青年は言葉を続ける。


オレは本当にただの通りすがりだ。強欲都市グリードの住人でもない。部外者だ。ゆえにお前たちの諍いに干渉する気もない……と言いたいのだが」


 そこで眉根を寄せた。

 ボロボロと涙を零す芽衣と視線が重なったのだ。


「……流石に、これを黙認するのは人道に反するか」


 そう呟いて嘆息した。


「……お前もこの女狙いか?」


 獅童がそう尋ねると、青年は芽衣に視線を向けた。


「そこの娘よ」青年が問う。「助けを請うか?」


 それに対し、芽衣は大粒の涙を零しながら大きく頷いた。

 そして全身を震わせて「ウチを助けてぇ!」と声を張り上げた。

 青年は「そうか」と呟き、深々と溜息をついた。


「まったく。昨夜に続いて今夜もか。オレとしては目立ちたくないのだぞ。この街の現状も率直に言って意味不明だ。何だ、この惨状は。あの娘にしてもどこにおるのやら」


 帽子に触れて、かぶりを振る。


「とは言え、助けを求める娘を見捨てるのも忍びない。こればかりはやむを得んな」


 周囲を見渡して人数を把握する。


「すまんな」


 そして唐突な闖入者である青年は、全員に向けてこう宣告した。


「せめて後腐れがないように、一人残らず潰させてもらうぞ」

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