幕間一 久遠家の家族会議

第219話 久遠家の家族会議

 その日の夜。

 フォスター邸のリビング。

 そこにあるコの字型のソファーの一角に座り、久遠真刃は読書に耽っていた。

 一枚ページを捲る。と、


「おじさま」


 不意に声を掛けられた。

 良い香りがするそちらへと視線を向けると、そこには一人の少女がいた。

 ふわりとした淡い金髪ゴールドに、澄んだ湖のような蒼い瞳アイスブルー。天使のような鼻梁を持つ少女だ。

 年齢は十二歳になる。ただ、大人びた表情と、異国の血を強く受け継いだ容姿スタイルから、その世代には見えない少女だった。


 ――肆妃『月姫』・蓬莱月子である。

 大きな白Tシャツをワンピースのように着た彼女は、湯気と香り立つコーヒーカップを手に持っていた。


「コーヒーを入れました」


「ああ。ありがとう。月子」


 真刃は本を閉じると、目の前の足の低いテーブルに置き、月子からカップを受け取った。一口含み、「うむ。美味いぞ」と告げて月子の頭を撫でた。

 月子は嬉しそうに微笑んだ。


「お隣、いいですか?」


「ああ。構わないぞ」


 真刃の許可を得て、月子は真刃の隣に座った。

 まるで父娘のような様子に、キッチンの奥でエプロン姿の山岡が目を細めていた。

 その時だった。


「おじさんっ!」


 不意に、後ろから真刃の首に抱き着く者がいた。

 細い腕が触れて高い体温を感じた。


「危ないぞ。燦」


 真刃は、コーヒーカップをテーブルの上に置いた。

 真刃の肩にのしかかってきたのも少女だった。

 年齢は月子と同じく十二歳。ただ月子と違って容姿的には世代通りの少女だ。

 ただ、美貌においては、月子同様に同世代でも突出しているだろう。

 整った顔立ちに、赤みのあるやや釣り目の眼差し。毛先に行くほどにオレンジ色に見える明るい赤色の髪がまた美しい少女だった。

 普段はその髪を左右に結いでいるのだが、今はそのままでいた。


 ――肆妃『星姫』・火緋神燦だ。

 湯上がりなのだろうか、髪は少し濡れ、服は大きな黒Tシャツ一枚だった。

 白と黒のセット。『キャッT』と呼んでいる肆妃たちのパジャマである。


「ねえ! おじさん!」


 燦は真刃により強く抱き着いてきた。


「明後日の土曜日! どこか連れてって!」


 と、子供らしく甘えてくる。


「こら。燦」


 その時、別の声がリビングに響いた。

 真刃が目をやると、そこには新たな少女がいた。

 年齢は十五歳。透き通るような白い肌に、輝く銀色の髪。

 まるで宝石を思わせるような紫色の瞳を持つ少女だ。


 ――壱妃・エルナ=フォスターである。

 彼女は年齢離れした抜群の肢体の上に、淡い桃色のパジャマを着ていた。

 どうやら彼女も湯上がりらしく、白い肌が火照って赤みを差している。

 最近、燦とエルナは仲が良い。

 察するに一緒に入浴していたようだ。


「真刃さんを困らせないの。それと髪をしっかり乾かしなさい」


「うええ」


 燦が渋面を浮かべた。


「最近、エルナがお母さんみたいなことを言う」


「誰がお母さんよ」


 嘆息してそう言いつつも、燦の腰を掴んで持ち上げた。

 そうして、そのまま持って行こうとするが、


「……ああ。エルナ」


 不意に、真刃が呼び止めた。

 燦を抱えて、リビングを出ようとしていたエルナは「はい?」と振り向いた。


「燦の髪を乾かした後でいい。よい機会だ。少し話しておきたいことがある。かなたと刀歌もリビングに連れて来てくれ」


 真刃はそう告げた。

 そうして十分後。

 キッチンで控える山岡も含めて、リビングには久遠一家が勢揃いしていた。

 コの字型のソファーの左側に、燦と月子。

 中央には、真刃が一人。

 右側にエルナと、残りの二人の妃がいた。

 一人は弐妃・杜ノ宮かなただ。彼女は赤いチョーカーを首に、黒いパジャマを着ており、神妙な眼差しで真刃を見つめていた。

 もう一人の少女は、長く艶やかな髪を白いリボンで結いでいた。

 エルナにも劣らないスタイル。その大きな双丘を緑色のジャージで覆った少女である。

 ――参妃・御影刀歌だった。


「主君」


 刀歌は真刃に尋ねる。


「話とは何だ?」


「……うむ」


 真刃は早速話を切り出した。


「明後日の土曜から十日ほど、オレは出張することにした」


「「「………え?」」」


 妃たちは目を丸くした。


「ある人物に話を聞かねばならないことが出来た。その人物が西の魔都にいるそうだ」


「……西の魔都」


 かなたが、微かに双眸を細めた。


「あの強欲都市グリードですか……」


 この国で活動する引導師ボーダーでその名を知らない者はいない。


「いささか以上に面倒な場所だとは聞いている。だが、話を聞ききたいのはこちらなのだ。ならば、こちらから出向くのが筋だからな」


 真刃がそう告げる。と、リビングがシンとした。

 真刃が目をやると、少女たちは、ジーっと真刃を見つめていた。


「……今回は連れて行かんぞ」


「――一人だけ!」


 刀歌が、人差し指を立てて叫ぶ。


「あの街が引導師ボーダーにとって危険な場所なのは理解している! だから全員を連れて行けとは言わない! けど、一人だけなら大丈夫じゃないか!」


「ダメだ」


 しかし、真刃は無碍もない。


「今回は話を聞きに行く以外にも用がある。探し物があるのだ。そのため、引導師いんどうしとして活動せざるを得ない状況も出て来るやもしれん。危険なのだ。それに」


 真刃は、同行を認めないもう一つの理由を告げた。


「お前たちは学生なのだぞ。十日も学校を休む気か?」


「……学校の授業だけが勉強ではないと思います」


 と、エルナが言うが、真刃はかぶりを振った。


「それも一理ある。確かに経験は宝だ。だが、勉学の場があるということも貴重なのだ。それは先人たちが次世代のために用意した機会と場所なのだからな」


「…………」


 エルナも、他の妃たちも沈黙する。


「そもそも卒業も間近だ。休める時期ではあるまい。今回はダメだ」


 真刃は告げた。

 確かに三月下旬には、エルナたちはそれぞれの学校で卒業式を迎えることになる。とても長期間休めるような時期ではなかった。

 真刃は、キッチンの奥にいる山岡の方にも目を向けた。


「山岡。留守居を頼む。だが気をつけよ。例の鳥擬きの件もあるからな」


「鳥擬き?」燦が小首を傾げた。「何それ?」


「怪しき人物でございます。おひいさま」


 その質問には山岡が答えた。


「以前、久遠さまと共に遭遇し、不可解な言葉を残して去りました。我々に悪意や敵意を持っているかまでは掴みかねますが……」


 山岡は、真刃に視線を向けた。


「久遠さま。火緋神家の分家に当たりますが、私には拳術の弟子が一名おります。月子君の姉弟子に当たる者です」


「え? 私のお姉さん弟子ですか?」


 初めて聞く話に、月子は目を瞬かせた。


「ええ。優しい子ですよ。きっと月子君とも親しくなれることでしょう」


 山岡は、双眸を優しく細めてそう告げる。

 それから真刃に目をやって。


「拳才に恵まれ、努力家でもある娘です。無論、引導師ボーダーとしても優れております。久遠さまのご不在時、彼女に護衛を依頼しても構わないでしょうか?」


「……ふむ」


 真刃はあごに手をやった。


「お前ほどの男が推すのならば許可しよう。その者と共にエルナたちのことを頼む」


「御意」


 山岡は頭を垂れた。


「では、この話はこれで終わりだ。明後日よりオレは十日ほど家を空けることになるが、あまり山岡に世話をかけるでないぞ」


 真刃はそう締めた。

 この話はこれで終わりだった。

 しかし、実は少しだけ続きがある。


 一時間ほど後のことだった。

 まずは月子が真刃の部屋に訪れた。

 そして部屋に入るなり、温厚な彼女にしては珍しく不満そうな顔で。


『抱っこしてください』


 と、言ってきた。

 疑問に思いつつも抱き上げたが、その後も少し不機嫌で時折ポカポカと叩いてきた。


 月子が去ってから、しばらくして現れたのは燦だった。

 燦もまた珍しい態度だった。

 あの元気娘が、とても大人しかったのである。

 少しの間、ポツポツと会話をしたが、お土産を買ってくることを約束すると嬉しそうに破顔した。最後には『……ん』と両手を広げて、やはり抱っこを要求してきた。


 その次に来たのは、刀歌だった。

 彼女は怒ったような、恥ずかしがっているような顔をしていた。


『今回だけだからな。主君を一人で行かせるのは』


 かなり不満気味な声でそう告げた。そうして、しばらくたわいもない会話をした後、顔を耳まで真っ赤にしつつも、抱きしめることを要求してきた。

 キスまでせがんできたが、それはコツンと額を突いて諫めた。

 刀歌は不満そうに額を押さえて去っていった。

 しかし、ここまで来ると、流石に真刃も気付いてくる。


 次に来たのは、エルナだった。


『……エルナ』真刃は嘆息する。『発案者は誰だ?』


 そう尋ねると、


『月子ちゃんです』


 意外な名前が返ってきた。

 今回の件は、彼女たちの中では、まだ納得いっていないとのことだった。

 置いてけぼりは、やはり不満で寂しくて仕方がないのである。

 これは承諾する代わりの彼女たちの我儘らしい。


『これぐらいは我慢してください』


 エルナはそう告げると、柔らかに微笑んだ。

 そうしてベッドの縁に座る真刃の後ろに回り、ギュッと抱きしめてくる。

 真刃は嘆息しつつも、それを受け入れた。

 真刃は真刃で今回は自分の我儘を押し通したのである。

 ここは甘んじて応じるべきだろう。

 ただ、この時、エルナにだけは、あの黒衣の男の情報についても語った。

 彼女には伝えておくべきだと思ったのだ。


『かなたたちにはお前から伝えておいてくれ』


『……はい』


 真剣な顔でエルナは頷いた。


『大丈夫です。あの子たちは私が守りますから』


 そう応えた。

 あの子たちの中には同年代の刀歌とかなたも含まれている。

 それは妃の長としての言葉だった。


 そうして、最後に訪れたのはかなただった。

 普段から真刃に甘えることの多いかなたは、慣れた様子で真刃の腕の中に入り込んだ。

 膝の上に座り、正面から見つめ合う姿勢だ。

 こういう時のかなたは、普段よりもずっと幼くなる。

 真刃にとっては本当に娘のようだった。

 しかし、今日のかなたは、どうもいつもと様子が違っていた。

 真刃の顔を間近で見つめながら、何かを尋ねようとして口を閉ざすのだ。


『どうかしたか? かなた?』


 真刃がそう尋ねると、


『……真刃さま。私は……』


 何かを言いかけるが、おもむろにポフンと真刃の肩に顔を埋めた。


『……寂しい』


『…………』


『……早く帰って来て』


『……ああ。分かっている』


 真刃は、ポンポンとかなたの頭を叩いた。

 可愛いかなたのお願いだ。聞かない訳にはいかない。

 かくして。

 久遠家の会議は終了したのであった。


 ただ、この時、真刃は一つだけ大きな失敗をしていた。

 この会議において、会いに行く人物が女性であると一度も告げなかったことだ。

 天堂院家の人物ゆえにあえて伏せたのだが、それが完全に裏目に出た。

 ……まあ、今回の問題はそれだけでは収まらないのだが。

 いずれにせよ、今回の件で、お妃さまたちは真刃を絶対に一人で行動させてはいけないと思い知ることになるのだが、それは後日の話である。

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